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第六話 忍び逢い

「どうかおやめください!」


 夕月ゆづきに覆い被さる覇夜斗はやとに、巫女達が泣きながら訴えたが、怒りに狂った彼の耳に、その声が届くことはなかった。

 騒ぎを聞きつけて侍従や兵士らも、数多く祈祷の間に集まって来ていたが、王に手を触れる事ははばかられ、誰もがただ制止の言葉を叫び続けるしかなかった。

 覇夜斗はやとは、夕月ゆづきの股に膝をねじ込み、抵抗する彼女の手を払って衣の胸元を裂くように開いた。

 白い胸元が露になった瞬間、夕月ゆづきの目から涙の粒が飛び散った。


「おやめください! 王!」


 その時、覇夜斗はやとの両脇を、逞しい男の腕が締め上げた。


「放せ! 宇志男うしお!」


 覇夜斗はやとは、体の自由を奪った男の顔を確認すると、吠えるような声を浴びせた。

 その声に宇志男うしおはひるむことなく、一層両腕に力を込めて、彼の体を夕月ゆづきから引き離した。

 上半身の自由を取り戻した夕月ゆづきは、握りしめるように襟元を合わせて、彼らに背を向けた。


「放せ!」


 なおもそう言って吠え狂う王を、宇志男うしおは全身の力を込めて、背中から羽交い締めにしていた。

 それを振り払おうと、覇夜斗はやとも体を左右に振って激しく暴れた。


「今、この方が巫女でなくなれば、出雲は滅びます!」


 叫ぶようにそう言った宇志男うしおの言葉に、覇夜斗はやとは一瞬はっと息を呑んだ。


夕月ゆづき様ほどの霊能力を持った巫女は、今の出雲には他におりませぬ!」


 覇夜斗はやとが首をひねり、背後に目を向けると、そこには目を充血させている髭面の男の顔があった。


「……そんなこと……知るかよ」


 彼はそんな男の顔を睨みつけて、唇をきつく噛み締めた。


「もともと俺は、こんな国、どうなってもいい」


「……」


「それなのに、この国のために母さんは……!」


 怒りの色に染まった覇夜斗はやとの瞳から、涙が一筋こぼれ落ちた。

 その顔を見て、宇志男うしおは一瞬言葉を失ったが、次の瞬間、彼の腕を抑えたまま、深く頭を下げた。


夕月ゆづき様に罪はございませぬ。すべては、私の罪なのです」


 絞り出すようにそう言った宇志男うしおの言葉に、覇夜斗はやとは思わず動きを止めた。


「あなた様にすべてをお話します。その後で私のことは斬っていただいても結構ですから、どうか夕月ゆづき様をお放しください」


 そう懇願する宇志男うしおの声と体は、微かに震えていた。





 その後、謁見の間に場所を移した覇夜斗はやと宇志男うしおは、二人きりで向かい合って座っていた。

 もう長い時間、彼らは互いに黙ったままだった。

 宇志男うしおはいつになく思い詰めた様子で床に視線を落とし、未だ怒りが冷めない覇夜斗はやとは、そんな男を睨むようにじっと見つめていた。


「前王は……父上は、あなた様の母上を心から愛していらっしゃいました」


 ようやく、絞り出すように語り始めた宇志男うしおの言葉に、覇夜斗はやとは大きく目を見開いた。


「本当に父上は、母上を迎えにあがるおつもりだったのです。妃として」


「……」


「しかし、どうしても、それが叶わぬ理由ができてしまったのです」


「叶わぬ理由?」


 そこで宇志男うしおは、再び口を固くつぐんだ。

 眉を寄せて目を閉じた彼は、一度大きく息を吸い、それをゆっくりと吐き出した。

 そして彼は、覇夜斗はやとから視線を外したまま、話を続けた。


「父上と私、そして夕月ゆづき様の母である紫乃しの様は、幼い頃から仲の良い兄弟で、いつも三人で遊んでおりました」




 彼の話に寄ると、三人は幼い頃は共に宮殿内で暮らしていたという。

 宇志男うしお紫乃しのの母は、父王の側女そばめであったが、その頃は妃の子である父と同等に扱われて育ったらしい。

 だが、紫乃しのが七つになったある日、彼女は突然彼らの前から姿を消してしまった。

 人並みはずれた霊能力を認められた彼女は、巫女になるため俗世から隔離されたのだ。

 最初は寂しいと泣き暮らしていた父と宇志男うしおだったが、時が経つにつれ、いつしか妹がいたということさえ、彼らの記憶から薄れていった。


 それから十年が過ぎ、宇志男うしおは、当時王子であった父の側近として仕えていた。

 彼は利発で優しい王子のことを尊敬していたし、その頃には、妃の子である王子が正当な王位継承者であり、側女そばめの子である自分とは違う尊い存在であることも理解していた。

 そのため、王子に忠誠を誓い、彼のために命を投げ出すこともいとわないと、心の底から思っていた。


 そんなある日、王子に付き添って神殿を訪れた宇志男うしおは、外廊に立つ美しい巫女の姿を目にする。

 その姿をひと目見た瞬間、彼は彼女に心を奪われてしまった。


「あれ、紫乃しのらしいよ。綺麗になったよな」


 女の姿に見とれている宇志男うしおに気が付いた王子は、微笑みながらそう言った。

 驚く宇志男うしおの顔を見て、王子は今度は屈託なく笑った。


「彼女はいずれ私の妃になるらしい。父王が言っていた。妻になる人くらい、自分で探したいよ」


 その口ぶりから、彼には紫乃しのへ対する特別な想いはなく、妹、もしくは許嫁いいなずけとしてしか見ていないことがうかがえた。

 彼は、王家の血を濃く保つため、異母妹と結婚することを仕方の無いことと理解しながらも、若者らしく、自由な恋愛に憧れていたのだ。

 だが一方の宇志男うしおの心の中では、様々な想いが激しく渦巻いていた。


 王子とは、幼い頃から腹違いとはいえ、兄弟として育ってきた。

 妃と側女そばめの子の立場の違いは常々感じていたが、そのことを理不尽だと思ったことはこれまで一度もなかった。

 だが、王子が紫乃しのを妻にすることを運命付けられていることを知り、彼は初めて己の体に流れる血を呪った。

 同じ腹から生まれた自分が彼女と交わることは、打ち首さえあり得る禁忌だ。

 時を経て、美しく成長した妹に再会し、恋をした。

 なのに、同じように育ってきた王子にとっては大儀となる彼女との結婚が、自分にとっては禁忌であるということがどうしても納得できなかった。

 自分の中に流れる血の半分が、彼女への純粋な想いを穢らわしいものにしている。

 そう思うと、天をも恨みたい気分だった。




 それから、紫乃しのへの想いを捨てきれない宇志男うしおは、人目を忍び、神殿を訪れては、物陰から妹の姿を盗み見るようになった。

 何度も足を運び、その姿を目で追う程に、彼は紫乃しのにのめり込んでいった。

 巫女の衣装の上からも感じとれる、すらりとした肢体の曲線。

 白い頬にかかる漆黒の髪は、彼女の動きに合わせて軽やかに宙を舞い、どこか憂いを含んだ目元には、男を惹き付けるそこはかとない魅力があった。




 その夜も宇志男うしおは、神殿の支柱の影から、外廊に立つ紫乃しのを見上げていた。


「うわ!」


 不意に足元を何かが走り抜け、驚いた彼は、思わず大きな声をあげてしまった。

 走り抜けたものを目で追うと、子どものイタチが草むらに消えるのが見えた。

 慌てて手で口元を覆ったが、紫乃しのの目は、すでに彼の姿をとらえていた。


宇志男うしおね」


 彼と目が合った彼女は、微笑んでそう言った。




「あなたが私のことを、いつも見ていることは知っていたわ」


 口元に手を添えて、紫乃しのはくすくすと笑った。

 物陰から盗み見していることを彼女に知られていたことに、宇志男うしおは赤面した。

 微笑みながら、紫乃しのは神殿の外廊から階段を下り、支柱の陰に立つ宇志男うしおのもとへやって来た。


「懐かしい」


 宇志男うしおの正面に立った彼女は、そう言って彼の頬に白い手を添えた。

 遠くから見つめ続けてきた愛しい人を目の前にして、宇志男うしおは頭の中が真っ白になり、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 そんな彼の胸元に、紫乃しのはふわりと身を寄せてきた。


「また会えて嬉しい」


紫乃しの……」


 これは、妹として、久しぶりに会った兄を懐かしんでいるのだ。

 彼女の体に染み付いた香木の香りが鼻孔をくすぐり、何度も正気を失いかけたが、宇志男うしおは、自身にそう言い聞かせてなんとか自制した。


「また、会いに来て」


 去り際、紫乃しのはせつな気にそう言い、階段を昇って闇に消えた。




 これ以降、宇志男うしおは、更に足しげく神殿へ通い詰めるようになった。

 夜になると、紫乃しのは外廊に立ち、宇志男うしおが投げた石が建物に当たる音を合図に、嬉しそうに支柱の陰へ降りて来た。

 そこで彼女は、いつも兄に寄り添い、月明かりに輝く瞳で彼の顔を見上げて微笑んだ。

 間近に迫る眩しすぎる笑顔に、自分を保つことに苦心したが、彼女と会いたいという想いを抑えることはできなかった。



 そんな日々を過ごしていたある日、兄である王子が、北の国へ遠征に出発することになった。

 それは、次期王となるための資格を得るため、父王から与えられた試練だった。

 王子に代わって、王の補佐を任された宇志男うしおは、そのまま出雲に留まり、その後も紫乃しのとの忍び逢いは続いた。


 それから数ヶ月後、戦に勝利した王子が、帰路で大雪に見舞われ、足止めにあっているとの報告が入った。

 ところが、時を同じくして、彼らの父王が、病に倒れ、床に伏すようになったのだ。

 医者の見立てでは、そう長くないとのことで、王子が帰還次第、王位継承の儀を行うことに決まり、宇志男うしおはその準備に日々忙殺されることとなった。


 多忙になっても、宇志男うしおはなんとか時間を工面して、夜になれば紫乃しのに会いに行った。

 そんな彼を、どんなに遅い時間になっても、彼女は寒空の中待ち続けていた。

 そうして、いつものように合図の音が聞こえると、弾かれたように階段を駆け降り、嬉しそうに彼の胸に飛び込んで来るのだった。

 さすがにこの頃になると、宇志男うしおも自分へ対する紫乃しのの想いが、単なる兄妹としてのものではない事を悟っていた。

 だが、妹であり、巫女である彼女の気持ちを受け入れる訳にはいかず、あくまでも兄として距離を置いて接し続けた。



 春が近付き、王子が間もなく帰還するとの連絡が入った。

 王子を迎える準備が本格化し、その日は特に多忙を極め、宇志男うしおが神殿を訪れた時は、すでに深夜になっていた。


『もう、とこについたかもしれない』


 半ば諦めの境地で外廊を見上げると、そこには彼を待つ紫乃しのの姿があった。

 深夜の静寂の中、音が響かないように、慎重に外廊に向かって小石を投げると、その小さな物音に気が付いた紫乃しのは欄干に手を掛けて兄の姿を探した。

 そうして、彼を見つけた彼女は、いつもより早い足取りで階段を駆け降り、勢いよくその胸に飛び込んで来た。


「ごめん。遅くなって。寒かっただろ」


 そう言う宇志男うしおの顔を見つめて首を振る紫乃しのの瞳は、涙で濡れていた。


「どうした? 何かあったのか?」


 心配そうに訊ねる兄に、彼女は再び大きく首を振り、それと同時に涙が闇に舞った。

 そして、次の瞬間、宇志男うしおの唇は紫乃しののそれによって塞がれていた。


紫乃しの?」


 驚いて宇志男うしおが体を引き離すと、紫乃しのはその場に泣き崩れた。


「今日、父上に呼ばれて……私に……王子の妃になれと……」


 泣きながら言う紫乃しのの言葉に、宇志男うしおは全身の血の気がひく思いがした。

 こうなることは、ずっと前からわかっていたはずだ。

 前々から父王は、紫乃しのを王子の許嫁いいなずけと定めていたのだ。

 王位継承の儀とともに、結婚の儀も行えば、病床の父王も安心できるだろう。


「嫌よ、私はあなたの妻になりたいのに!」


 初めて耳にした紫乃しのの本心に、これまで抑えていた宇志男うしおの想いが一気に噴き出した。

 発作的に細い体を抱き寄せ、地面に押し倒すと、貪るように唇を重ねた。


『もう、地獄に堕ちてもいい……』


 荒々しく絡みつく兄の唇を、妹も甘い吐息を吐きながら何度も求めてきた。

 そうして、彼らは闇の中でひとつになった。

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