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第五話 自覚と絶望

 覇夜斗はやとが審議の間を訪れると、そこには既に数人の役人達が彼を待ちかまえていた。

 宇志男うしおに導かれ、覇夜斗はやとは役人達の間を通り抜けて上座に腰を下ろした。


「では、さっそく、ひとつ目の議題から」


 覇夜斗はやとの隣に座った宇志男うしおがそう口火を切ると、一人の役人がすすみ出てきた。


但遅麻国たじまこくでは昨年、巫女の祈りが届かず、収穫前に川が氾濫し、田畑が水没しました。そのため、農作物の穫れ高が落ち込んだのでしょう」


 それは、不作を理由にちからの軽減を訴えてきた国の件だった。


「天災ならば仕方あるまい。今回はちからを減らしてやろう」


 別の役人が腕組みをしながらそう言うと、その場にいた者たちも一斉に大きく頷いた。


「その川は頻繁に氾濫するのか?」


 意見がまとまりかけたと思われたその瞬間とき、室内に覇夜斗はやとの声が響き渡った。


「はい。ここは土地が低いため、これまでにも何度か水没しております」


 役人がそう答えると、覇夜斗はやとは腕組みをして小さく唸った。


「洪水に見舞われると、田畑も泥を被り、しばらくは作物を育てることは難しいであろう。今年は、農夫総出で泥を除去し、排水用の水路と堤を造らせることに専念させてはどうだ」


 覇夜斗はやとの言葉に、室内の者達は一斉に眉をひそめた。


ちからを軽減するのみならず、治水工事までしてやるのですか?」


「労役として農夫たちを作業に当たらせれば良いだろう。たびたび損害が出るのなら、その根を断ち、洪水を防ぐことでいずれ利となるはずだ」


 顎を摩りながらそう言う覇夜斗はやとに、役人たちは一気にざわめき立った。

 渡来人によって、大陸から技術が持ち込まれているこの国においても、未だ自然に対して唯一立ち向かえるものは、巫女の祈りしかないと信じられていた。

 もちろん、彼らも川から田畑へ水を引込む水路を作る程度の技術は持ち合わせていたが、主流の地形を変える大工事など、前代未聞のことであった。

 そして何より、これまで支配下の国の状況に応じて、ちからの増減だけを判断してきた彼らにとって、属国に多大な人材や資金を投入するなど、考えられないことだったのだ。

 

「御意」


 突如、宇志男うしおの太く大きな声が室内に響いた。

 その瞬間、役人たちの不安気な視線が、一気に覇夜斗はやとの傍らに座る中年の男へと向けられた。


「速やかに但遅麻国たじまこくへ工事責任者を送れ。あと、土木の知識に明るい渡来人も、数人選んで派遣しろ」


 宇志男うしおの言葉に、一瞬役人たちは目を丸くして息をのんだ。

 そのまま互いに顔を見合わせる男たちに向かって、突如、怒号が投げつけられた。


「早くせんか。王のご指示だぞ」


 宇志男うしおの言葉に弾かれたように、一人の男が立ち上がり、審議の間を飛び出して行った。

 そうして男の背を見送ると、宇志男うしお覇夜斗はやとの方へ向き直り、一変していつもの笑顔を見せた。


「宮司となるべく育てられてきたあなた様が、祈りの力ではなく、技術力で災害に立ち向かおうとなさるなど、意外でしたな」


 笑顔の奥で鋭く目を光らせ、宇志男うしお覇夜斗はやとの心を探るようにそう言った。


「ふん。目の前に迫っている危機に対し、呑気にただ祈っていることなどできぬ。最大限頭と体を駆使した上で、あとは運を天に任せるのだ」


 環境の厳しい故郷において、彼が頼れるものは自分しかなかった。

 そのため神へ祈るよりも、まずは災害から身を守るため、知恵を絞ってこれまで生きてきたのだ。

 人智の及ばない困難を前にした時、恐怖に呑み込まれそうな心を救ってくれるもの。

 覇夜斗はやとにとって、神とはそういう存在であった。


 意外な覇夜斗はやとの見解に、一瞬、宇志男うしおは驚きの表情を見せた。

 だが間もなく彼はその場に立ち上がると、笑みを浮かべて若き王の顔を見下ろした。


「次なる議題へ移る前に、あなた様に見ていただきたいものがあります」






 宇志男うしおに案内されて辿り着いたのは、町から離れた山あいにある荒地だった。

 川岸に近い少し開けたその場所は、枯れ草が生い茂り、荒涼とした空気が漂っていた。

 足元を良く見ると、人工的に加工された木材の一部や、欠けた器などが草の間に見え隠れしていた。


「ここには、以前、新羅しらぎからの渡来人の住む村がありました」


「……」


 そう言って、背を向けて歩き出した宇志男うしおの後を、覇夜斗はやとは黙って追って行った。

 しばらくして立ち止まった宇志男うしおは、地面を指差してぽつりと言った。


「これは炉のあとです」


 男の指差す方に目を向けると、枯れ草に覆われた地面に、人が入れるほどの大きなくぼみがあった。

 くぼみの周りには、石が組まれ、それは黒くすすけていた。

 改めて周りを見渡すと、同様のくぼみが、いくつも点在しているようだった。


「ここには大規模な製鉄所があり、そこで働く渡来人達とその家族が住んでいました。最初は我々もその技術力に目を奪われ、彼らが寄り添ってここに住まうことに、何の懸念も抱いていなかったのです」


 炉のあとを見つめながらそう語る宇志男うしおの表情には、苦々しい想いが滲み出ていた。


「しかし、彼らは徐々に自分たちの置かれている状況に不満を抱き始めたのです。もちろん、我々も彼らの功績を労い、それなりの報酬を与えていたつもりでした。事実、当時ここには、大陸風の華やかな建物が建ち並んでいたのです」


 覇夜斗はやとはしばし目を閉じて、町で見た近代的な建物が立ち並ぶ情景を、この場所の風景に重ね合わせてみた。

 きっと、当時、ここには美しい建物が軒を連ね、その間に巡らされた道を、着飾った渡来人達が横行していたのだろう。


「やがて彼らは、まつりごとの場に、自分たちを参加させるよう要求してきました。同時に彼らは、巫女の占いに頼るまつりごとではなく、この国を武力をもって諸国を抑える国にするべきであると主張してきたのです」


「……」


「彼らの思想に危険を感じた前王は、その要求を退けました。すると、そのことを不服に思った彼らは、鉄製の武器を手に、反乱を起こしてきたのです」


 そこまで語ると宇志男うしおは、重く口をつぐんだ。

 しかし、語らずとも覇夜斗はやとにはその先の出来事が容易に想像できた。

 おそらく、渡来人の攻撃に迎え撃つために、前王である父は兵をあげたのであろう。

 それにより、この村は壊滅したのだ。

 とはいえ、最新の武器を自ら作り出すことができる彼らとの戦いは、苦戦を強いられたであろう。

 それは、両者ともが多大な犠牲を伴う、惨い戦いであったに違いない。


『大規模な製鉄所と、そこで働く者たちの住まう村が作りたい』


 今朝、そう陳情していた新羅の男へ対する覇夜斗はやとの答えは、いつしか決まっていた。


狗奴国くなこくが呉に支援されているという噂も、既に耳に入っていらっしゃるでしょう。出雲国としてではなく、倭国の民として、彼らに必要以上に武力を与えるわけには参りませぬ」


 そう言って、宇志男うしおは背を向けたまま、再び歩き始めた。





 宇志男うしおはその後も、さりげなくこの国の状況と、王としての心構えを覇夜斗はやとに説いていった。

 通常であれば、このようなことをされれば反感を抱くのだが、なぜかこの男に対しては素直に耳を傾けてしまう。

 そのことを面白くないと思うものの、不思議と嫌な気はしなかった。

 そうしてこの国の置かれた現状が見えてくるほどに、いつしか王として成せることはないかと真剣に考え始めている自分に驚いたりもしていた。


 出雲へ来て約半年が過ぎ、仕事にも慣れて生活が落ち着いてきた頃、覇夜斗はやとは謁見の間へ宇志男うしおを呼び出した。


「母をここへ連れてきてくれ」


 覇夜斗はやとの発した言葉に、宇志男うしおは息を呑んで彼から視線を外した。

 そんな様子に疑念を抱きながらも、覇夜斗はやとは言葉を続けた。


「親子であることを公表できないというのならそれでもいい。だが、せめてそばに置いてやりたいんだ」


『大国出雲の王となられるお方が、このような名もないやしろの出生では統治に支障がある。本日をもって、あなた方には親子の縁を切っていただかなくてはなりませぬ』


 初めて故郷で対面した時、宇志男うしお覇夜斗はやとたち母子おやこにそう言った。

 その時は激しい憤りを感じた覇夜斗はやとだったが、王となった今なら、その言葉の意味も理解できた。

 王となる人物は、その体に流れる血も重んじられる。

 相応の身分を持った母から生まれていなければ、民からの信用が得られず、統治にも支障があるのだ。

 実際、民に対しては、覇夜斗はやとの母は、大国の媛であるとされていた。

 しかし、心も体も弱い母を残してきたことが気がかりで、たとえ親子であることを公表できないとしても、いつかは母を出雲へ呼び寄せたいと思っていたのだ。


「あなた様の母上は……」


 目を伏せた宇志男うしおは、そう言いかけて唇を噛み締めた。

 男のただならぬ様子に、覇夜斗はやとはにわかに胸騒ぎを覚え、眉を寄せた。


「母上は、海へ身を投げて亡くなられました」


 宇志男うしおが発した信じられない言葉に、覇夜斗はやとは思わず立ち上がり、男の襟元を掴んで締め上げた。


「嘘をつくな! そのように言って、私に母の事を諦めさせるつもりか!」


「嘘では……ございませぬ……」


 首を絞められ、顔を歪ませた宇志男うしおは、苦し気にそう言って咳き込んだ。

 その顔から真実であると悟った覇夜斗はやとは、突き飛ばすように宇志男うしおから手を離した。

 宇志男うしおはそのままの勢いで背中から壁にぶつかり、うなだれて激しく息をついた。


「嘘だ……」


 覇夜斗はやとは拳を握りしめ、力一杯奥歯を噛み締めた。

 母の性格を思えば、予想できないことではなかった。

 愛する男に捨てられた母にとって、その男に生き写しである自分は最後の希望だったのだ。

 しかし、その唯一の希望をも奪われ、生きる気力を完全に失ったのだろう。


『いつかきっと迎えにくる』


 そう言って、二度と訪れなかった男のように、息子が戻ることも叶わないと絶望して。

 次の瞬間、覇夜斗はやとの怒りはある人物へと向けられていた。


「王!」


 謁見の間から飛び出して行く覇夜斗はやとの背後から、叫ぶような宇志男うしおの声が響いた。

 だが彼はその声に振り向くこともなく、憎しみの対象がいる部屋へ大股気味に歩みを進めて行った。

 外廊を歩く侍女や侍従に肩をぶつけながら、憤怒の形相を浮かべて歩く王に、誰もが言葉をかけることさえできず怯えた表情で見送った。





「王! どうされました?」


 突然現れた王に、祈祷の間の入口で待機していた侍女が叫び声をあげた。


「どけ!」


 覇夜斗はやとは戸口に立ちふさがろうとする侍女の懐を掴み上げ、外廊側にその体を投げ捨てた。


「王!」


 騒ぎを耳にして、祭壇に向かって祈りを捧げていた巫女達が一斉に彼の方に振り返った。

 居並ぶ巫女達の最前列では、夕月ゆづきが目を見開いて彼の顔を見ていた。

 大きな足音を鳴らせて室内に入ってきた覇夜斗はやとは、巫女達の肩を掴んでは後方に押しのけ、一直線に祭壇に向かって行った。

 神聖な祈祷の間のあちこちで、女達の黄色い声が響いた。


「なにを?」


 女達を押しのけ、正面に立ちふさがった兄を見上げて、夕月ゆづきは声を震わせた。

 その怯える表情を目にして、たがの外れた覇夜斗はやとは、怒りに任せて彼女を床に押し倒した。

 そうして彼女の上に馬乗りになった彼は、細い両手首を押さえ付けて自由を奪った。

 夕月ゆづきを羽交い締めにする王の様子を目にして、巫女達が再び叫び声をあげた。


「俺の母も昔は巫女だったのだ。だが、お前の父親に身を穢され、二度と巫女には戻れなくなった。それなのに、その男にも捨てられた。今度は俺がお前を無茶苦茶にしてやる」

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