第三話 始動 ※人物相関図
それから数日後、覇夜斗は町の中心部にある広場に建てられたやぐらの上にいた。
銅鑼の音とともに現れた若き王を目にした瞬間、人々は一斉にざわめき立った。
頭上に黄金の冠を載せてはいるものの、長い髪を垂らしたままで白装束を纏った、王らしからぬ姿をした若者に、誰もが戸惑いを覚えたのだ。
「本日より、亡き父王のあとを引き継ぎ、私がこの国の王となる」
人々のどよめきを気にすることも無く、覇夜斗はそう言い放った。
もともと彼は、民たちに自分のことを認めさせようとなど、微塵も思っていなかった。
気に入ろうがなかろうが、王となった自分に、ここで暮らす民たちは従う他生きる道はないのだ。
王として自分がするべきこと。
それは、自国民に自分のことを絶対的な君主であると知らしめること。
そう考えていた。
妹である夕月は、かなり優秀な巫女らしい。
幼い頃から、前王である父のそばで神の声を聞き、政の一役を担ってきたという。
巫女であった母譲りの人並みはずれた霊能力で、天災や戦況を占い、実質的に彼女が、これまでこの国を支えてきたのだと、宇志男も目を細めて言っていた。
「夕月様は……」
そう話す時の宇志男はいつも、嬉しそうに表情を緩ませた。
その顔を見るたび、覇夜斗は心の内で舌打ちをしていた。
(この色欲じじいめ)
夕月とは親子ほど年は離れているが、おそらくこの男は彼女に惚れているのだろう。
覇夜斗はそう確信していた。
社会が決めた隔たりや理性など、男に瞬間で忘れさせる程、夕月の美しさには惹き付けられるものがある。
それは、覇夜斗自身も実感していた。
巫女という触れてはならぬ者と知りながら、その姿を目にすれば、手中に納めたいとの欲求がかき立てられる。
夕月はそんな女だった。
改めて詳しく聞くと、宇志男は父王の腹違いの弟らしい。
王妃であった夕月の母とは、側女であった同じ女を母に持つ同母兄妹だ。
王家の血を濃く保つため、異母兄妹での結婚は許されている。
そのため、父王の妃となる者は、異母妹である夕月の母と、彼らが幼い頃から決められていたという。
つまり、許嫁がいながら、父は母にいつか迎えにくると約束していたのだ。
そう考えると、やはり父と、両親の愛情を受けながら育ってきたであろう夕月を、憎まずにはいられなかった。
ある日、覇夜斗は、宇志男と共に製鉄所が立ち並ぶ川沿いの道を歩いていた。
製鉄は、出雲にとって最大の産業だ。
渡来人によってその技術が持ち込まれ、質の高められた製品は、今や倭国中の諸国が買い付けに訪れ、この国に多くの益をもたらしている。
鉄のもととなる鋼も、以前は大陸から仕入れていたが、最近になって、その原料となる砂鉄が出雲でも採取できることがわかり、純国産の鉄が作られるようになった。
鋼を輸入に頼らなくなれたことで、原価を抑えられ、武器だけでなく、農具にまで鉄を使用できるようになったのだ。
鉄を鍛えるには大量の水が必要となるため、製鉄所の多くは川のそばに建てられている。
そこからの排水に混じった鉄が錆び、出雲の川は赤く染まっていた。
ふと、赤褐色の川から左右に迫る山に視線を移し、覇夜斗は眉間を寄せた。
「どこも禿げ山ではないか」
川の近くの山々は、樹木が伐採され、土色の山肌が剥き出しになっていた。
聞くと、製鉄する過程で必要となる炭を作るため、木々が切り倒されていると言うのだ。
「もう、木を切るな。既に切り倒された場所には、新たに船や建物の材料となる苗木を植えろ」
「しかしそれでは、製鉄が……」
戸惑いの顔を見せる宇志男に、覇夜斗はにやりと笑って見せた。
「木炭は、配下の国から税の一部として納めさせろ」
「しかし、それほどの木材を遠方から運ぶとなると……」
現実的ではないと言いたげな宇志男の顔を見て、覇夜斗は大きくため息をついた。
「誰が原木を運んで来いと言った。炭にした状態で納めさせるのだ。そうすれば嵩も減るだろう」
覇夜斗の言葉に、宇志男は、はっとして顔を上げ、納得したように手を打った。
「炭なら冬場雪深い国でも作ることができる。それにより新たな産業も生まれるであろう」
冬場、深い雪に埋もれる国の多くは、農作物を穫ることもままならず、寒さに耐えながらじっと春を待つしか無い。
その寒さとひもじさを、覇夜斗は身に染みて知っている。
だが、そんな雪国の冬でも、炭焼きならできるであろうと思ったのだ。
そしてそこに暮らす民も、炭がいつでも手元にある状態になれば、寒さの厳しい夜に暖をとることもできるはずだ。
「出雲国内の樹木は、いざという時のために育てておくのだ。急な戦で船や武器が必要になったり、災害で家屋が壊れた時、すぐに調達できるように」
山を見上げてそう言う覇夜斗の背中を見て、宇志男は何度も大きく頷いていた。
「その政へ対する勘の良さ。まさに父親譲りですな」
目を細めてそう言う宇志男に、覇夜斗は背を向けたまま、面白くなさそうに「ふん」と鼻を鳴らした。
宮殿に戻った覇夜斗は、夕月のいる祈祷の間を訪れた。
宮司となるべく修行をしてきた彼には、霊力を見極める力がある。
大国出雲を陰で支えてきたという巫女が、どれほどの霊能力を有しているのか。
自分の目で確かめたいと思ったのだ。
辺りはもう闇に包まれ、祈祷の間の入口に近付いて行くと、そこからは松明の橙色の光が漏れて揺れていた。
光とともに、くぐもった女の呪文を唱える声が小さく聞こえてくる。
戸口に見張りとして座っていた侍女が、王が近付いて来たことに気付き、夕月にそれを伝えようと立ち上がった。
だが覇夜斗は、そんな彼女の肩を掴んで止めた。
そうして室内に足を踏み入れた瞬間、彼は金縛りにあったように体の自由を奪われた。
祭壇に向かって両手の指を組み、呪文を唱える夕月の全身からほとばしる、凄まじいまでの霊気に圧倒されたのだ。
白い帯を巻いた額から大量の汗が吹き出し、それが頬から首筋へと流れている。
彼女が舞うと、その雫も宙に舞い、炎に照らされて光の玉となった。
激しくも優雅に、白い腕が弧を描き、体が回転すると細い腰に長い黒髪が纏わりついた。
そのあまりに美しく、妖艶な姿は、覇夜斗を魅了し、思考を停止させた。
巫女の舞は徐々に激しさを増し、それに合わせて奏者達の奏でる笛や太鼓の音も大きくなっていった。
やがて、旋律と舞が絶頂に達した瞬間、叫ぶような声をあげて夕月はその場に崩れ落ちた。
すかさず、そばで控えていた審神者らしき男が駆け寄り、倒れた彼女の口元に耳を寄せた。
聞き取れない小さな声で彼女は何かをつぶやき、それを聞いた男は大きく頷くと、戸口に向かって駆けて来た。
そこに立つ覇夜斗に、一瞬驚きの表情を見せた男は、思い直したように彼に深く礼をすると、再び走り出し、外廊の闇へと消えて行った。
審神者とは、巫女の口から神の言葉を聞き、民に伝える役割を持つ男だ。
おそらく、まだ年若いあの男は、夕月から聞き取った神託を、民に伝えに行ったのだろう。
男が去って行くのを見計らったように、背後に控えていた巫女たちが夕月のそばへ集まり、彼女の身を起こしてその場に横たえさせた。
夕月は気を失っているのか、目を閉じたまま、ぐったりと巫女たちに身を委ねている。
激しい祈祷で、乱れた髪が汗に濡れる頬に貼り付き、着物の襟元も少し乱れていた。
だが、その姿さえ、この世の者でないと思わせる程に美しく神々しかった。
そんな夕月の姿を目にして、覇夜斗は自分の中で高ぶってきた感情を抑えられず、思わず祈祷の間を後にした。
そのまま自室に戻った彼は、床の上に大の字に寝転がり、呆けたように天井を見つめた。
松明の炎がほのかに照らし出す天井を見ていると、そこに夕月の白い首筋が浮き上がって見えた。
その残像を消し去ろうと、彼は目をきつく閉じて頭を振った。
「どうかしている」
覇夜斗は何度も拳で自分の額を打ち付け、そうつぶやいた。
翌日、夕月が覇夜斗に面会してきた。
昨夜の乱れた様子が嘘のように、髪を梳き、着物の襟元は整えられていたが、そこはかとなく立ち上る色香は、覇夜斗の心をまたしても乱した。
「父の葬儀を行いたいと思っております」
まっすぐ覇夜斗を見つめ、張りのある声で夕月はそう言った。
「やりたければ、勝手にすればよかろう。式に立ち会うくらいならしてやる」
乱れた心を見透かされぬよう、覇夜斗は彼女から目を逸らし、わざとぶっきら棒に答えた。
そんな覇夜斗の態度に、夕月は不安気に顔を曇らせた。
「あなた様にも、父上の魂を鎮めるため、祈りを捧げていただきたいのです」
夕月の言葉に、覇夜斗は、鋭い視線を妹の方へ走らせた。
「はん。会ったこともない男のために祈れと言うのか」
「会ったことはなくとも、あなた様の父上ですよ」
声を荒げて言う覇夜斗に、夕月も少し声を張り上げて言った。
その瞬間、覇夜斗は腰に挿していた剣を鞘から引き抜き、夕月の首元に突きつけた。
「お前にとってはそうかもしれんが、私はその男に対して憎しみしか抱いていない」
血走った兄の瞳を、夕月も怯えた様子も無く、目に力を込めて見つめ返していた。
「お前に対してもそうだ。何の苦労も知らずにぬくぬくと育ってきたお前を、私は憎んでいる」
憎悪に歪ませた顔を夕月の鼻先まで寄せ、覇夜斗は絞り出すようにそう言った。
「……何の苦労も知らないのは、あなたの方だわ」
しばらくして、緊迫した空気を打ち破り、夕月が小さくつぶやいた。
「なに……?」
思いがけない夕月の言葉に、覇夜斗は、さらに怒りを込めた瞳で彼女を睨みつけた。
「父と私が、どのような想いでこの国を守ってきたか……。あなたは何も知らないくせに」
そう言って噛み締められた唇は、怒りに震えていた。