第十七話 偽らざる想い
翌日の早朝、王都へ戻った覇夜斗は、討議の間へ大臣達を集めた。
突然の王からの招集命令に、集められた者達は何事かと不安気な顔を互いに寄せ合い、落ち着きのない様子で座していた。
やがて王が戸口に姿を現すと、彼らは慌てて押黙り、身を屈めて待ち構えた。
ひれ伏する男達の間を通り抜け、上座に腰を下ろした覇夜斗は、室内に視線を一巡りさせて大きく息を吸い込んだ。
「審神者の亜玖利が死んだ」
開口一番、言い放たれた王の言葉に、一同は一気にざわめき立った。
「すぐに新しい審神者を探さなくては」
「しかし今、国内に適任者はいるのか?」
「媛巫女様との相性もある故、誰でも良いという訳にはいかぬぞ」
早速、大臣達は四方の者同士で顔を見合わせながら、亜玖利の後継者について議論し始めた。
そんな彼らの様子に、覇夜斗は拳を握りしめ、必死に苛立ちを抑えていた。
ここにいる者達にとって審神者など所詮、政務上必要な道具のひとつに過ぎないのだ。
幼い頃から国のためだけに生きてきた亜玖利の死を、誰一人悼む者がいないことが無性に腹立たしかった。
「新しく審神者を据える必要はない」
次に王から発せられた言葉に、大臣達の動きが止まり、その視線が一斉に上座に向けられた。
「これから、政の最終判断は、王である私が下す」
前方を見据えて強い口調で覇夜斗がそう言うと、室内はより一層大きくどよめいた。
「神に代わって王が?」
「そのような事、民が納得するのか?」
眉間に皺を寄せ、口々にささやき合う男達を前に、覇夜斗の苛立ちは頂点に達していた。
次の瞬間、彼は怒りで震える手を腰に伸ばし、剣を一気に抜き放った。
「!!」
大きな物音がして男達が再び上座に目を向けると、そこには片膝を立て、俯いた姿勢で床板に剣を突き刺す王の姿があった。
顔を覆う髪の合間から覗く鋭い眼光に、大臣達は言葉を失い、全身を震わせた。
「私には夕月と同じ王家の血が流れている。出雲へ来るまでは、神事を司る者となるべく修行も続けていた。お前達はそんな私の言葉を、神の声として聞けぬと申すのか」
覇夜斗の気迫のこもった声に、大臣達はあわあわと口を動かしながらたじろいだ。
「神に頼るばかりで問題に向き合わなければ、我々は何も成長しない。だからいつまでも、渡来人からも軽視されるのだ」
「……」
「これからは問題が起きれば現地に赴き、実体を把握した上で解決策を皆で探る。恐れるばかりではなく、場合によっては渡来人の持つ知識も利用してやれば良いのだ」
神に判断を委ねることを常としてきた大臣達は、戸惑いの表情を露にして息を呑んだ。
これまでにも自分達が判断してきた案件はあった。
しかしその場合でも、表向きは神託であるとされていたため、例え結果が思わしくなかったとしても、自分達が責任に問われることはなかったのだ。
「もう、信仰には頼らないということですか……?」
しばらくして一人の大臣が、恐る恐る王に尋ねてきた。
弾かれたように覇夜斗が向き直ると、男は目をきつく閉じて縮み上がった。
男の言葉には、自分達が責任逃れをする口実として、信仰による政を残したいとの想いが滲み出ていた。
他の者達も同感のようで、王と勇気ある質問をした男の様子を息を呑んで見守っていた。
「そうではない。本来、神とは全てを委ねるのではなく、努力の果てに救いを求めるものなのだ。人智を尽くしても解決できぬ時は、夕月の舞が人々の心を救ってくれるはずだ。あの者にはこの先、配下の国々にも赴き、信仰によって民の心をまとめることに尽力してもらうつもりだ」
想像もしていなかった王からの回答に、大臣達は今度は一気に顔を青ざめさせた。
「媛巫女様を配下の国々へ?」
「そのような危険な事……」
「夕月様の身にもしもの事でもあれば……」
これまで巫女は、神殿の深層部で多くの家臣に囲まれ、大切に守られてきた。
それは巫女自身の身を守るためでもあったが、同時に奥に潜めさせることで彼女らを神格化し、民の信仰心を高ぶらせる目的もあったのだ。
その巫女を人々の前に積極的に晒せば、民の心をまとめるどころか、王家の、ひいては中央の求心力の低下に繋がりかねないと大臣達は危惧したのだ。
「勿論、各地を訪問する際には私も同行し、全力であの者の身を守る。納得できぬと言うのなら、お前達も共に来て夕月の舞を目にする民の反応を見ればいい。百の御託を並べるより、あの者の舞が一瞬で人々の心を惹き付ける、圧倒的な力に驚くはずだ」
有無を言わさぬ覇夜斗の強い口ぶりに、大臣達は反論することもできず、ただ一様に不安気な表情を浮かべていた。
「媛巫女様を配下の国々へ?」
大臣達と同じ言葉を口にして、董丹は目を見開いた。
「それはまた、大胆なことを」
ひとしきり驚きの表情を見せた老人は、やがてくくくと声を殺して笑い始めた。
肩を震わせながら茶を運んできた老人の前で、覇夜斗は胡座に組んでいた足を崩し、壁に背をもたれかけた。
宮殿では神経を張りつめていることが多い彼だったが、ここでこの男と言葉を交わしていると、妙に心が落ち着くと感じていた。
「考えてみれば、むしろこれまでの方が不自然であったのだ。審神者の口から神託が語られるだけで、巫女に霊力があるかどうかなど民には確かめようがなかった。だが、ひとたびあの姿と舞を目にすれば、誰もが神がかり的な力を感じずにはいられまい」
「言葉は偽れても、持って生まれた崇高な佇まいは、他の者には偽りようがありませぬからなあ」
そう言って董丹は大きくうなずき、ゆっくりと茶をすすった。
「それと同時に、媛巫女様に役割も与えられたというわけですな。これで媛巫女様も、巫女として誇りを持って生きられましょう」
笑みを浮かべて言う老人の言葉に、覇夜斗は安堵のため息をついた。
大臣達が口にこそ出さなくても、いまだ彼の考えを承服しかねていることは肌で感じていた。
だがこの老人は、誰よりも彼の想いを真に理解してくれている。
この時、改めてそう感じられたのだった。
「……で、現人神となられた媛巫女様とあなた様とのご関係は、これからどのようになられるのですかな」
「……」
不意に老人は、心を見透かすような鋭い視線を投げかけてきた。
「お父上のように、巫女を続けていただきながら妃に迎えられるのですか?」
「……いや」
覇夜斗は老人から外した視線を、薬草が積み上げられた部屋の隅に移した。
「民が求めているのは、神聖な存在である巫女であろう。父が妃に巫女を続けさせていた頃、民の信仰心が薄れ、国が乱れたと聞く。それでなくとも今は、突然現れた私に王位が移り、王家に不信感を持っている者も少なくないはずだ。夕月にはこれまで通り、妹として力を貸してもらう」
「ふむ」
やはり、この老人には何もかもお見通しなのだ。
彼が夕月に特別な感情を抱いていることにも、おそらく以前から気が付いていたのだろう。
納得しかねるという表情で腕組みをする董丹を横目で見て、覇夜斗は面白くなさそうに小さく舌打ちをした。
「近い将来、周りの者が世継ぎについて口出ししてくるでしょう。その時あなた様は、王としてどのような判断をされるのです?」
「……」
「他の女性を妃として迎えるか。側女との間に子をもうけるか。それとも媛巫女様との間にもうけた御子を、母を偽って育てられるのか……」
覇夜斗は、思わず言葉を失った。
父や紫乃が味わった苦しみを思えば、夕月以外の女と形だけの結婚などしたくない。
かといって、幼い頃からひたすら父を待ち続ける母の姿を目の当たりにしてきただけに、側女を持つ気にもなれなかった。
ましてや、夕月や亜玖利のような、実の親を知らされない子を自らが生すなどあり得なかった。
だからこそ彼は、どんなに欲しても、いまだ彼女の全てを手に入れてはいないのだ。
頭では王として世継ぎを残す事も、使命のひとつであると理解していた。
だが今の彼には、これらの選択肢の中から、納得できる策を見いだすことはできなかった。
「いずれ私は、巫女の力に頼らずこの国を治める王になる。その日がくれば、正式に夕月を妃に迎えるつもりだ」
しばらく考えを巡らせた彼だったが、結局は先日、夕月に伝えたことと同じ内容を繰り返すしかなかった。
「誠実で偽りのない生き方をしたいという、あなた様のお考えは大変ご立派です」
膝に置いた拳を震わせる王をいたわるように、老人は優しく語りかけた。
「しかし、そのために一番大切なことを偽らねばならぬとは、何とも皮肉ですな」
「……?」
顔を上げ、目で答えを促す覇夜斗に、老人は悲し気な笑顔を見せた。
「あなた方が愛し合っていらっしゃるという事実です」
夕刻、董丹のもとから王都へ戻った覇夜斗は、政務を終えると神殿にある夕月の寝所へと急いだ。
西の村で共に過ごして以来、覇夜斗は、度々彼女のもとを訪れるようになっていた。
勿論、世間には二人の関係は禁秘であったが、彼女付きの侍女達は承知しているため、彼が姿を見せると黙って部屋を後にしていった。
「おかえりなさいませ」
覇夜斗の顔を目にしたとたん、夕月はそう言って嬉しそうに瞳を輝かせた。
少女のように無邪気に喜ぶ様に、覇夜斗は込み上げる愛しさを抑えきれず、彼女の体を強く抱き寄せた。
「覇夜斗……?」
突然厚い胸に頬を押し付けられ、夕月は戸惑いの声を上げた。
「いったい、どうなさったの……?」
普段と様子の異なる彼に、理由を問う彼女の口を、覇夜斗の唇が塞いだ。
この日の口づけは荒々しく、いつものように甘いものではなかった。
そこから彼の言い知れぬ怒りと悲しみを感じとった夕月は、そのまま身を委ねて全てを受け止めることにした。
「夕月、俺はお前を愛している」
苦し気に絞り出された覇夜斗の言葉に、夕月は胸元で小さくうなずいた。
「この想いは、お前にちゃんと伝わっているか?」
その問いに答えるかわりに、夕月は黙って彼の体を強く抱き返した。
「例え妻と呼べなくとも、この想いに偽りなどない」
吐き捨てるようにそう言い、覇夜斗は自分のこめかみに拳を押し付けた。
夕月が顔を上げると、そこには赤く染まった彼の双眸があった。
「ちゃんと伝わっています。わかっていますから」
彼の頬を両手で包み込み、言い聞かせるようにそう繰り返す夕月の瞳も涙で濡れていた。
「私たちにとっては、この国こそが愛する我が子。そう思って大切に育てていきましょう」
彼女が口にした切ない決意に、覇夜斗は悔し気に唇を噛み締めた。