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第十二話 撹乱

「王は、今日も外出されていらっしゃいまして……」


 祈祷の間へ夕月ゆづきを訪ねてきた年配の大臣は、そう言って眉をひそめた。


亜玖利あくり様も、西の村へ行かれたきりですし……。政務を置いたままで、一体何を考えておられるのだか……」


 ぼやきながら大きなため息をつく大臣の顔を見つめ、夕月ゆづきは密かに心を痛めていた。

 覇夜斗はやとは何も語らないが、彼らが宮殿を留守にしている理由は、奇妙な病の原因を究明するために違いない。

 そしてそれは、霊力を失い、神の声が聞こえなくなった自分の立場を、守ろうとしてくれているからでもあるのだ。


(私に神託を聞くことさえできれば……)


 巫女として不甲斐ない自分に弱気になりそうな心を律して、彼女は大臣の顔を力のこもった瞳で見つめた。


「王の留守中は、私が責任を持ってまつりごとの判断を下します。何かあれば、ここへ尋ねに来て下さい」


 強い口調できっぱりと言い切った夕月ゆづきに、大臣もそれ以上何も言えず、おずおずと祈祷の間を後にして行った。

 大臣の姿が見えなくなると、夕月ゆづきは祭壇に向き直り、そこに置かれた銅鏡を見上げた。

 鏡面に映る松明の炎をしばらく見つめていた彼女は、やがて大きなため息をついた。

 前王の偽りの子であり、霊力まで失った自分に巫女である資格はない。

 それでもそんな自分を、王は守ろうとしてくれているのだ。

 それが、巫女の不在による国政の混乱を防ぐためであるということも、頭ではわかっていた。

 だが、理由はどうであれ、彼が自分のために奔走してくれているのだと思うと、彼女の胸は熱くなった。


(王の役に立ちたい)


 巫女としては能力を失ってしまったが、せめて王の留守をしっかり預かろう。

 揺れる炎を見つめながら、固く握った拳を胸に押し当て、彼女は改めて心にそう強く誓うのだった。






 病人達が過ごす小屋を後にした覇夜斗はやとは、村のおさの屋敷を訪れていた。

 おさの屋敷は村の中心部にあり、建物は大陸の様式を取り入れた、僻地にしては贅沢な造りのものだった。

 前もって王が来訪することを知らされていなかったおさは、慌てて彼を玄関口まで出迎えた。

 そして、覇夜斗はやと亜玖利あくりを座敷に招き入れると、下女達に酒や料理を用意するよう命じ、自らは彼らの正面で身を屈め、床に額を擦り付けた。


「先ほど、村はずれの小屋で病人達の様子を見てきた」


 覇夜斗はやとの言葉に、おさは思わず顔を上げて、目を大きく見開いた。


「王自ら、あのような場所に?」


 驚きの表情を見せるおさに、覇夜斗はやとは眉をひそめた。


「お前は、あの場所へ行ったことがあるのか?」


 厳しい顔つきで問い返され、おさはばつが悪そうに頭を掻いて彼から目を逸らした。


「いえ……、とても人が寄り付くことなどできない、汚い場所だと聞いておりますので……」


 王が足を運んだ場所を、自分が訪れていないことに気まずさを感じたのか、おさは語尾を濁らせてそう答えた。

 だが、覇夜斗はやとの怒りを煽った理由は、それとは別のところにあった。


「あそこが劣悪な環境であると知りながら、放置していたのか?」


 冷たい視線とともに、腹に座った低い声を投げかけられ、おさはびくりと身を縮めた。


「あのような場所で過ごす病人達の心情を、お前は考えたことがあるのか」


 声を荒げる王の前で、おさは再び上半身を床に伏せて、身を小さくした。


「お前の話では、若い娘だけがかかる病と聞いていたが、それも誤った情報だったようだな」


 覇夜斗はやとが苛立ちを声色に込めてそう言うと、おさは弾かれたようにまた顔を上げ、額に脂汗を滲ませた。


「噂ではそう聞いておりましたので……」


「!!」


 おさの言葉を耳にした瞬間、覇夜斗はやとは立ち上がって彼のそばへ近付くと、襟元を掴んで強引に立ち上がらせた。

 鼻先が触れ合う程の距離に迫る血走った双眸に、おさは「ひい!」と声を上げて全身を震わせた。


「来い!」


 襟元を掴んだまま、覇夜斗はやとおさを座敷から引きずり出した。

 座敷の外では、酒や料理を手にした下女達が列を作っていた。

 覇夜斗はやとは片手でおさの襟を掴み、もう一方の手で彼女らを押しのけて廊下を突き進んでいった。

 彼が行き過ぎた後には、黄色い叫び声と、食器の砕ける音が響き渡った。


「どうか! どうかお許しを!」


 泣いて懇願するおさの声も耳に入れず、屋敷を出た覇夜斗はやとは、村の中心を貫く大通りをずんずんと大股気味に歩いていった。

 通りを行き交う村人達は皆、何事かと目を丸くしながら、白装束姿の青年に引きずられていくおさを見送っていた。





 村はずれの小屋へ辿り着いた覇夜斗はやとは、乱暴に木製の引き戸を開け放ち、室内へおさの体を投げ込んだ。


「ひい!」


 うつ伏せに倒れたおさは、目の前に広がる血と汚物にまみれた床に驚き、慌てて身を起こした。

 だが次の瞬間、むせ返るほどの悪臭に吐気を覚え、戸口の外へ身を乗り出して激しく嘔吐した。

 胃の内容物が出尽くすのを見届けた覇夜斗はやとは、今度は男の襟首を掴み、再び室内に引き入れた。

 中では、病人達が虚ろな瞳で、じっと彼らの様子を見守っていた。


「その目でよく見てみろ!」


 そう言って、覇夜斗はやとは布を、おさの口元に押し付けた。

 おさはそれで口と鼻を押さえながら、刺激臭に涙を流しながら室内を見渡した。

 すると、濁った彼の瞳に、力なく横たわる無数の人々の姿が映った。

 噂では若い女特有の病と聞いていたが、そこにいる病人の多くは、老人や幼い子どもであった。


「己の目で確認しようとせず、噂だけを頼りにするから、重大な過ちを犯すのだ」


 怒鳴るように言い放たれた覇夜斗はやとの言葉に、おさは腰を抜かしてその場にへたりこんだ。

 言葉を失い、呆然とする男を尻目に、覇夜斗はやとは外に向かって片手を振り上げた。

 それを合図に、戸口から亜玖利あくりが室内へ入ってきた。


「神より神託がくだった。これより、審神者さにわである亜玖利あくりがそれを伝える。心して聞け」


 神託が下されると聞いて、我を取り戻したおさは、戸口の方へ向き直って亜玖利あくりに深く頭を下げた。

 室内にいる病人達も、力の残された者達は起き上がり、身を伏せて床に額を擦り付けた。

 ひれ伏す人々をゆっくりと見渡した美しい少年は、大きく息を吸い込んで唇をきつく噛み締めた。


「神は、この病に侵され、ここで絶望の内に命を落としていった病人達の哀しみに怒りを覚えていらっしゃる。ここにいる者達が、最後の瞬間まで人としての尊厳を持ち続けられるようにならなくては、この病は村だけに留まらず、いずれは出雲全体にまで広まってゆくであろう」


 亜玖利あくりが語る神の言葉に、誰もがじっと耳を傾けていた。

 そんな人々の様子を、覇夜斗はやとも腕組みをして、静かに見つめていた。


「またこの病は、病人の息によって空気中に放たれ、鼻や口から体内に入る。生気の弱まった者達の体を好むので、病に侵されたくなければ心身を健全に保て」


 この時神託として人々に伝えられた内容は、覇夜斗はやと亜玖利あくりに語らせたものだった。

 この病が神の祟りによるものであると信じている人々にとっては、神の言葉として伝えた方が受け入れられやすい。

 そのため、覇夜斗はやとは、あえて審神者さにわである亜玖利あくりに語らせたのだ。


「わかったな。あれほどの屋敷を建てられる財力があれば、ここを改善し、村人に十分な食事を与えることも可能であろう」


 覇夜斗はやとに脅すような強い口調でそう言われ、おさは一層身を小さくした。





 病人達が過ごす小屋の環境の改善と、村人の健康管理の徹底をおさに誓わせ、覇夜斗はやと亜玖利あくりと共に小屋を後にした。

 村の中心地に向かって歩き始めた彼らの後を、病人の看護をしていた女が走って追いかけてきた。


「出雲国王様」


 呼び止められ、振り返った彼らの前に、女は息を切らせて駆け寄って来た。


「ありがとうございました。これで病人達もこれからは人らしく過ごせます」


 そう言って笑顔を見せた女の顔は、明るい空のもとで見ると意外に若く、亜玖利あくりと年頃が変わらないと思われるような少女であった。


「いや。すべて神が語られたことだ。我々はそれを伝えに来ただけだ」


 礼を言われ馴れていない覇夜斗はやとが、居心地の悪そうな顔をしてそう言うと、少女は口元に手を当てて、くすくすと笑った。

 その顔を見て、覇夜斗はやとは胸に痛みを感じた。

 明るく、一見健康そうな彼女だが、自らも病に感染していると言っていた。

 この少女も近い将来、他の患者のようにやせ細り、苦しみながら黄泉の国へ旅立って行くのだろう。

 表情を曇らせ、物思いに耽る覇夜斗はやとの様子に、少女の顔からも笑顔が消えた。


「神は、この病を治すすべは教えてくださらなかったのでしょうか」


「……」


 突然、確信を突いてきた彼女の問いに、覇夜斗はやとは思わず息を呑んだ。

 少女自身も患っているこの病が、不治であると伝えるべきか一瞬悩んだのだ。

 だが彼には、偽りの期待を彼女に持たせることはできなかった。


「残念ながら、この病を患った者は、いずれ神のもとへ導かれる」


 苦し気に覇夜斗はやとが口にした真実を、少女は落ち着いた様子で受け止め、せつな気に微笑んで見せた。


「そうですか……」


 それから視線を遠くに向けた彼女は、つぶやくように言った。


「そうだとしても最後まで、絶望ではなく希望を持って生きたいですね」








 それから数日後、覇夜斗はやとは再び董丹とうたんのもとを訪れていた。


「真実は、いかがでしたかな」


 思い詰めたような表情を浮かべて、以前と同じ場所に腰を降ろした彼に、老人はそう言って白磁の器を差し出してきた。

 無言のまま、器を受取った覇夜斗はやとは、しばらくその中で波打つ茶を見つめていた。


「人の噂というものが、いかにいい加減なものであるかがよくわかった」


「……」


「おそらく、あの病は大陸から渡って来たもので、最初に感染したのは、渡来人を相手にしていた遊女あそびめ達だったのだろう。だから、若く美しい娘特有の病であるとの噂が広まったのだ。遊女あそびめには器量の良い者が多く、村娘達とは違って化粧を施し、美しく着飾っているからな」


 淡々と語る覇夜斗はやとの言葉を、董丹とうたんは何度もうなずきながら聞いていた。


「その後、村人達の間にも感染していったのであろうが、あの病の初期症状は、発熱や咳など風邪に似ている。そのため、抵抗力の弱い老人や子どもが命を落とすことがあっても、特殊な病の仕業であると気付く者は少なかったのだろう」


 そう言って、いったん器を座卓に置いた覇夜斗はやとは、胡座をかいた膝に頬杖をついて少し遠くを見つめた。


「そして、病にかかった患者に現れる身体的な特徴が、誤った噂をさらに助長させた」


「……」


「痩せて、肌は蒼白になり、瞳は暗闇の猫のように大きくなる。それが、人伝えされる内に、美人の条件と重なり、美人特有の病と噂されるようになったのだ」


『美人がかかるのではなく、感染した者が美人になる』


 前回、ここを訪れた時、董丹とうたんが口にした謎の言葉の意味はこれであったのだ。

 これらの症状が若い娘数人に現れれば、人々の記憶に色濃く残り、若く美しい娘特有の病として認知されていく。

 やがてはそれが、真実のように語られて本質を見失っていくのだ。

 今回の病に対しても、噂を信じて誤った判断を下していれば、収束させるどころか、拡大させ、更に犠牲者が増えていたかもしれない。

 覇夜斗はやとはこの時、己が下す判断の責任の重さを、改めて身に染みて感じていたのだった。

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