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第十一話 語られなかった現実

 腹の底を探るような老人の鋭い視線に、覇夜斗はやとは一瞬言葉を失った。

 それからしばらく、二人の間には張りつめられた糸のような時間が過ぎた。

 しかしふと、覇夜斗はやとの口元に笑みが浮かび、鼻が小さく鳴った。


「私は、医学に頼るつもりはない」


「ほう」


 覇夜斗はやとの口から出た言葉に、董丹とうたんは、愉快気に顔をほころばせ、うわずった声を上げた。


「かと言って、神に全てを委ねるつもりもない。いざ、困難に直面した時、それを乗り越えるためには、己が動くしかないのだ」


「神託を絶対とする、出雲の王らしからぬお考えですな」


 董丹とうたんは腕組みをして、一層愉快そうにそう言って笑った。


「今の出雲にとって信仰は、権力者達が責任逃れをするための都合の良い言い逃れに過ぎない。その日その日を必死に生きている民たちは、神にすがる前に知恵と体を使って困難に立ち向かっている。彼らにとって神とは、すがるものではなく、最後に救いを求めるものなのだ」


 いつしか覇夜斗はやとは、出雲へ来た当初抱いていた疑念を口にしていた。

 厳しい自然環境と常に向き合う故郷では、彼もそうやって生きていたはずだった。

 だが、この国で国王として過ごす内に、自分自身もそのことを忘れかけていたことに、この時気が付いたのだった。


「全ての責任を巫女に背負わせて、その哀しみの上に成り立つまつりごとなど、長く続くはずがない」


 覇夜斗はやとは絞り出すようにそう言って、膝の上で拳を握りしめた。

 その言葉には、己への自戒の念も込められていた。

 彼自身も、渡来人を納得させるためとの大義名分のもと、知らず知らずの内に神託に責任を委ねていたのだ。

 つまりそれは、夕月ゆづき一人に重責を背負わせていたということに等しかった。


「これからは巫女に代わって、王である私が責任を持って物事を判断し、この国を導く。そのためにも少しでも多くの情報が欲しい」


 熱のこもった目を向けてそう語る王の話を、董丹とうたんは、真剣な面持ちでうなずきながら聞いていた。

 やがて、ふっと表情をほころばせた老人は、ため息混じりに言った。


「父上もかつて、同じようなことをおっしゃっておられましたのう。本当に不思議な程、あなた方親子は良く似ておられる」


 再び父に似ていると言われ、面白くなさそうに舌を鳴らせた覇夜斗はやとの前で、董丹とうたんは胡座を組み直すと、腕組みをした手を袖の中に入れた。


「さて、あなた様の覚悟のほども伺うことができましたし、そろそろ本題に入りますかな」


 態度を改めた老人につられて、覇夜斗はやとも背筋を伸ばしてその場に座り直した。


「まず、これだけは先に申し上げておきます。残念ながら、この病に特効薬はありませぬ」


 董丹とうたんが口にした事実に、覇夜斗はやとは眉をひそめた。


「不治の病……」


 小さくそうつぶやく覇夜斗はやとに、董丹とうたんは目を閉じて何度もうなずいて見せた。


「そう、不治の病。そして、この病は人の息を介して感染していく病です。そのため、被害が広まらぬよう、患者を隔離する必要があります。そのためには、この病の特性を見誤ってはなりませぬ」


「特性?」


「その昔、大陸ではこの病は美人病と呼ばれ、若い娘を家から出さないことで、感染を防ごうとしたことがありました。しかし、結局、家から一歩も出ることを許されなかった娘たちも病に倒れたのです」


 首を傾げる覇夜斗はやとの顔を見て、董丹とうたんはまたくくくと笑った。


「美人がかかるのではなく、感染した者が美人になると言えばわかりやすいですかな」


らさずに、はっきりと言え」


 病にかかった者が美人になると言われ、ますます謎が深まった覇夜斗はやとは、答えを問いただそうと迫った。


「どうぞ、その目で現状を見て、真実はご自身で見つけてください」


 しかし、老人はそう言って、それきり何も語ろうとはしなかった。





 董丹とうたんの元を訪れた日から数日後、覇夜斗はやとは、少数の兵を引き連れて西の村へと向かった。

 陸路を歩いて村の境にある峠に差し掛かると、先に偵察のため派遣していた亜玖利あくりが、一行を出迎えた。

 董丹とうたんから息を介して感染うつる病であると聞いていた覇夜斗はやとは、同行の兵らに鼻と口を布で覆うよう命じていた。

 そんな彼らの姿を目にして首を傾げる亜玖利あくりにも、覇夜斗はやとは事情を説明して布を手渡した。

 亜玖利あくりに案内され、一行は峠を下り、村の中心部へと向かった。


 海に面したこの村には、村の規模に不釣り合いなほどの大きな港があり、大陸から訪れる船の停泊場として賑わっていた。

 港の周辺には、積荷を保管するための倉庫や、異国から来た船乗り達が利用する宿が軒を連ねていた。

 道すがら、宿らしき建物の前を通りかかった時、窓の格子越しに白く細い手が現れ、彼をいざなうようにしなやかに揺れた。


「お兄さん、ちょっと寄って行かれません?」


 ひらめく手の主の方へ目を向けると、薄暗い建物の中に、着物の襟元を大きく開いた若い女の姿があった。

 その身なりから察するに、旅人を相手にする遊女あそびめのようだった。

 目の前を通りがかった白装束姿の青年が、まさかこの国の王であるとは夢にも思っていない様子で、女は彼に向かってしきりにしなを作って見せた。

 王都の遊女あそびめほど垢抜けてはいなかったが、抜けるように白い肌をし、細い首筋がなまめかしい、それなりにいい女であった。


「寄って行きたいが、今は先を急いでいるのでまたな」


 覇夜斗はやとが苦笑しながら手を振ると、女は「あらん」と甘い声を出し、残念そうに眉を下げた。

 だが、次の瞬間、女は彼らに背を向けて激しく咳き込み、慌てて懐から出した布で口元を覆った。

 女は背で隠そうとしていたが、隙間から覗き見ると、その布は血に染まっていた。


「王、あの女も……」


 そんな様子を見て、亜玖利あくりが眉をひそめて、覇夜斗はやとの耳元で囁いた。


「ああ、そのようだな」


 初めて患者を目にした覇夜斗はやとは、一瞬息を呑み、しばらく間を置いてから、小さくつぶやいた。

 遊女あそびめになる女には、不遇な身の上の者が多い。

 あの女も、家族の生活を支えるため、故郷を離れ、ここで身を売っているのかもしれない。

 だが、不治の病に侵された彼女は、もう二度と故郷に帰ることは叶わないであろう。

 そう思うと、先ほど女が見せた笑顔も儚く感じられた。


「あの女を店先から降ろし、離れに隔離するよう、宿の主人に伝えてきてくれ」


 ふと、思い直した覇夜斗はやとは、亜玖利あくりにそう告げた。

 彼女をあのままあの場所に置いていれば、新たな感染者が出る可能性がある。

 これ以上、不幸な患者を出す訳にはいかないのだ。

 まだ病の特性はわかりきっていないが、人の息から伝染うつるのならば、外との接触を断たねばならない。

 覇夜斗はやとの思いを汲み取った亜玖利あくりは、大きくうなずき、宿の中へ入って行った。




「やはり、若い女特有の病なのか」


 用件を済ませて宿から戻ってきた亜玖利あくりに、覇夜斗はやとは問いかけた。

 先ほど初めて目にした感染者も、噂どおり若く美しい娘だったからだ。

 だがその問いに対し、亜玖利あくりは大きく首を左右に振った。


「いえ、確かに当初は遊女あそびめ達の間で流行り始めたようですが、今はそうとも限らないようです」


「?」


「私が調べた限り、老若男女に関わらず、患者は存在しています」


 村のおさが訴えてきた内容と異なる亜玖利あくりの報告に、覇夜斗はやとは顎をさすりながら首を傾げた。


「とにかく、患者の様子をご覧になってください」


 亜玖利あくりはそう言って手のひらを広げ、覇夜斗はやとを前方へと導いた。





 覇夜斗はやとらは、亜玖利あくりに続いて、村はずれに建てられた粗末な藁葺き屋根の小屋へ足を踏み入れた。

 土の上に藁が敷かれただけの地べたには、病にかかった患者達が所狭しと寝そべっていた。

 あちこちで、激しく咳込む音が響き、彼らが吐き出した血と放置されたままの糞尿の臭いが室内には充満していた。

 骨と皮だけにやせ細った患者達は、気だるそうな瞳で、覆面をした訪問者達を見つめていた。


『どこが美人病だ』


 あまりの悪臭に、覇夜斗はやとは、思わず布の上からさらに手で鼻を塞いだ。

 亜玖利あくりの話によると、症状が重くなり、立てなくなった患者達を、村人が徐々に空き家であったここへ連れてくるようになったという。

 不衛生極まりない環境の中、彼らはここで、ただ死を待ち続けているというのだ。

 覇夜斗はやとは、少しずつ移動しながら、患者達の顔色や症状を注意深く観察していった。

 おさは若く美しい娘だけがかかる病と言っていたが、ここを見る限り、むしろ老人や幼い子どもの方が多いと思われた。

 ふと、部屋の隅に目を向けると、患者の世話をする若い女の姿が見えた。

 華奢な体付きをした女は、咳き込む患者の背を摩り、優しく声をかけてしきりに励ましていた。


「これで鼻と口を塞げ。お前まで感染うつるぞ」


 無防備に患者と接している女の様子が気になり、近付いていった覇夜斗はやとは、そう言って彼女に布を差し出した。

 見慣れない男に声を掛けられ、女は一瞬驚いた表情を見せたが、しばらくすると、せつな気に微笑んだ。


「ありがとう。でも、私も患者ですから、それは不要です」


 改めて見ると、彼女も先ほど見かけた遊女あそびめ同様、美しい要素を備えていた。

 黒目がちで潤んだ瞳、透き通るような白い肌、細く長い首筋……。

 次の瞬間、何かに気が付いた覇夜斗はやとは、彼女が背を摩っている患者と女の顔を見比べた。

 そして再度、室内に横たわる患者の様子を、一人一人確認するように凝視していった。


「……そうか。そういうことだったのか……」


 確信を得た彼は、その場に仁王立ちし、両手の拳を強く握りしめた。

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