「サンタなんていない」と少女は言った。
「サンタさんなんていないもん!」
吐く息の白い、十二月の夕暮れ。
公園の脇を通り過ぎようとした中学校の冬服に身を包んだ少女は、幼い叫び声にふと足を止めた。
真っ白なマフラーを口元まで上げ、柵越しに公園の中を見る。
ランドセルを背負った幼い女の子が、同じくランドセルを背負った同年代とおぼしき子供の集団に何か叫んでいた。
「サンタさんなんていないんだよ! 全部嘘だよ!」
きょとんとした顔で子供たちはお互いの顔を見合う。
その様子を見るに、彼らは普通にクリスマスプレゼントの話でもしていたのだろう。
しかし、この年頃の子供にサンタクロースを全く信じない者はいない。
彼らは一斉に女の子の言葉を否定しにかかった。
「サンタさんはいるよ! 俺、プレゼントもらってるもん」
一人の男の子が言うと「わたしもー」「僕もー」とその言葉に次々と同意した。
それには耳を貸さず、女の子は言い張る。
「嘘だよ! プレゼントなんてもらったことないもん!」
「あ、もしかして……」
一人の男の子が意地悪く笑った。
「おまえ、サンタさんに嫌われてるんじゃねーのー?」
サンタさんはいい子にしていないと来ない。
言わずと知れたクリスマスのルールである。
それを何度となく言い聞かされてきた子供たちは、女の子を囃し立てた。
「サンタさんっていい子にしてる子にしか来ないんだよ!」
「信じてないからサンタさんに嫌われてるんだ!」
「悪い子だから来ないんだー!」
「違うもん。いい子にしてるもん……」
さっきの勇ましさはすっかり鳴りを潜め、女の子は蚊の鳴くような声でつぶやいた。
ぎゅっと肩紐を握り締めて俯くその頬には、不格好に皺の寄った絆創膏が貼りつけられ、その上に透明な滴が一つ二つと滑り落ちた。
それを冷たい目で一瞥した少女は公園に足を踏み入れ、子供たちが囃し立てる輪の中に割って入った。
「な、なんだよオバサン!」
「文句あんのかよー!」
小学生特有の生意気な口調で言ってはみるものの、冷ややかな目をした制服姿の中学生に怯えていることは火を見るより明らかだった。
「サンタなんていない」
不意に少女は、それだけ言った。
あとは静かに小学生の包囲網を見回している。
呆気にとられた小学生たちが、静かに佇む少女を見上げていると、公園内に設置されたスピーカーから音楽が流れ出した。
お手てを繋いで帰る時間を知らせる曲。
それを聞いた子供たちは条件反射のようにそわそわとしだし、次々と「もう帰る!」と走り去っていった。
●○●○●○●
音楽が止み、静寂に満ちた公園に残ったのは、年の頃の違う少女二人だけだった。
「君は帰らないの」
少女が抑揚のない声で問いかけると、女の子は俯いて頭を振った。
「……お母さんが、これからお仕事なの。お母さんが行ってからじゃないと、おうちに帰っちゃダメなの」
「そう」
少女は真っ白なマフラーに顔を埋めた。
しばしの沈黙ののち顔を上げ、女の子の頬を指差す。
「その絆創膏は?」
「怪我、しちゃったの」
絆創膏の下には、赤黒い痣が覗いている。
少女の目が、一瞬だけ鋭くなった。
長い指を伸ばし、慎重な手つきで絆創膏を剥がす。
「お姉ちゃん?」
女の子は戸惑ったように剥がされる絆創膏を見ていた。
少女は静かに言い聞かせる。
「絆創膏は、意味ない。冷やしたほうがいい。そうしないと痕が残る」
「そうなの?」
知らなかった、というように目を見開いた女の子の頬に、少女は白い手のひらをあてがった。
手袋をしていなかった手は余程冷たかったのか「冷たっ!」と女の子は飛び上がる。
それでも熱を持った患部にその冷たさは心地よかったのか、次第に目が細められていった。
「ありがと、お姉ちゃん!」
少女の手も温かくなった頃、嬉しそうに女の子はお礼を言った。
少女はそれに答えることなく、そっと指を引っ込めた。
「じゃあ」とつぶやくと、来たときと同じように、静かに公園を後にした。
●○●○●○●
「サンタさんなんていないもん……!」
まるで数日前に巻き戻ったような錯覚を覚えながらも、少女は立ち止まった。
いつしかと同じように公園を覗いてみれば、あのときの少女が叫んでいる。
ただ違うのは、今日がクリスマスイヴだということと、雪が降っていること。
そして女の子が一人きりだということだった。
きっと女の子の友達はいそいそと家に帰り、暖かい家で聖夜を祝い、プレゼントを心待ちにして騒いでいるのだろう。
両親から「いい子にしてたね」と微笑みかけられ、美味しいご馳走を前に目を輝かせていることだろう。
少女はマフラーに手をかけて、女の子の元へ歩み寄った。
「赤い服を着て空飛ぶトナカイに乗った、いい子にプレゼントをあげる白い髭のおじいさん」
少女は静かに呟いた。
女の子は目を見開いて少女を見上げる。
大きな瞳には透明な膜が張り、水面が薄暗い街灯に揺れていた。
「そんな人は、どこにもいない」
女の子が俯く。
その拍子に、公園の冷たい砂に温かい滴が染み込んだ。
俯いた女の子の視界に、白い手のひらが現れた。
女の子の涙を受けとめ、そのまま小さな頭を引き寄せる。
温かい。
「っう、うわああぁぁあん!」
女の子は泣き崩れた。
少女の制服に縋り、顔を押しつけ、その温かさを感じながら。
泣いて、泣いて、泣いて――。
驚いたように、自分の首に巻かれたマフラーを触っている。
「サンタなんていない」と少女は言った。
「だから私が君にプレゼントをあげる。誰よりもいい子な君のことを、私はサンタなんかよりずっとよく知っている」
●○●○●○●
「サンタなんていねぇよ!」
幼い男の子の叫び声に、公園の脇を通り過ぎようとした彼女はふと足を止めた
数人の子供に囃されて、それでも負けじと怒鳴っている男の子。
もう女の子ではない少女は数年前のことを思い、懐かしそうに微笑み――。
真っ白なマフラーをたなびかせ、公園に足を踏み入れる。
「サンタさんなんていないんだよ」と少女は言った。