43
唇に押し付けられた感触に肩が震え、首に冷たい汗が浮き上がる。
鼻先に人の気配を感じ、強く瞑った瞳に更に力が篭った。目を閉じる寸前に映った星の光が脳内で瞬き、ジリジリと後ろに下がろうとした身体は、腰に回された骨ばった手によって微動だにしない。
「っ」
実際は一瞬だったのかもしれない。
しかしジェノには異様に長く感じられ、ココアが悲壮な面持ちで走り去った事にも気付かなかった。
あれ・・・?
唇に触れている、人肌の温もり。
意識が全て一箇所に集中しながら、少女は疑問符を頭に浮かべる。
『王子様とお姫様のキスは、もっと・・・』
「ごめん」
落とされた謝罪にゆっくりと瞳を開き、スッと逸らされた横顔を呆然と見つめた。一言呟いたきり無言になった青年はそっと距離をとり、気まずそうな表情で額に手を当てる。
あの女の子、帰ったのかな。
凍った空気の中、それでも小屋まで送ると告げて先を行くロッツの後を、数歩遅れてトボトボ歩いた。
好きな人と他人のキスシーンなんか見たらそりゃショックだよな。陰口を言うのではなくわざわざジェノとロッツが居る所に一人で想いをぶつけにきたのだ。それだけ想いが強かった彼女には、酷な場面だった事だろう。
今迄された事を考えると悪い印象しかない相手だが、恋する乙女の心情に同情し重苦しい溜息を零した。前を歩く背が一瞬反応して揺れるが、此方を振り返ることなく坂道を下っていく。
「ジェノ」
「え? ああ、着いたのか。送ってくれてありがとう」
熱を持った頬を両手で包みボーっとしていたジェノは、名を呼ばれて何時の間にか到着していた小屋の真横で我に返る。
小窓の明かりに照らされた綺麗な顔立ちに吸い寄せられる様に視線を向けると、先程と同じようにロッツは顔を逸らした。
「・・・ごめんな」
形のいい薄い唇を無意識に凝視してしまっていた己を自覚し、ジェノは誤魔化す様に瞳を泳がせる。何か言い掛けては飲み込む動作を繰り返した後、振り絞るように三度目の謝罪の言葉を吐き出したロッツに、ジェノは「何が?」と呟きを落とす。
「何について、謝ってるの?」
「なにって・・・それは」
「それは?」
「さ、さっきの」
煮え切らない態度の青年に一歩、また一歩と近づき、空いていた距離を埋める。不意に眼と鼻の先へ寄ったジェノに驚き、後ずさるロッツ。逃げようとするコートの裾をキュッと摘み、上目遣いで問いかけた。
「さっきって、僕に何したの?」
「っジェノ」
互いの瞳に自分が映っているのを確認できる程の近距離で、男女は見つめ合ったまま動かない。
いや、動けなかった。
青年の顔が赤らんでいるのはランプの灯が反射しているからなのか、それとも・・・
睫毛長いなぁ、肌綺麗。あ、この近さだと僕の毛穴も見られちゃうのか、それは恥ずかしすぎる。
いつもサラサラしてる髪が雨に濡れてしっとりと纏まり、それを耳に掛ける所作を間近で眺めた。爪の先まで手入れの行き届いた綺麗な手は乾燥する時期だというのに滑らかで、男性ならではの逞しさも備えている。
この手が、さっき僕の顎を持ち上げたんだよね・・・所謂あれが『顎クイ』ってやつだ。マリーテアが言ってた、『顎クイ』は女の子の夢だって。ちょっと強引な仕草と至近距離にメロメロになるんだって。
“ただしイケメンに限る”って話だけど、その点はロッツは完璧だ。うん、実際ドキドキしたしね。
「・・・キッ」
のんきな事を考えている少女の耳に、聞き逃してしまいそうな擦れた呟きが届く。
「了承無く、キスを・・・その」
「してないよね?」
「え」
目を丸くするロッツに、クスッと笑みがこぼれる。
そう、僕達はキスをしていない。
キスをしたように見せかけただけ。
小さな違和感から、そうジェノは推測を立てていた。
急に男の色香を出して近づいてきたイケメンと、軽いリップ音。パニックに陥り錯覚しそうになったが、頭の奥の冷静な部分が『これは何かが違う』と訴えていた。
「指を挟んで、角度的にキスしてるように見せかけたってところでしょ? 違う? 危うく僕まで騙されるところだったよ、もー」
頭の良い彼は瞬時に効果的な対処法を選び、ココアを追い払おうとしたのだろう。
困ったように苦笑する様子に、本当にしてないみたいだと小さく胸を撫で下ろす。
「迷ったんだが・・・いてっ」
「バーカ」
頬を掻くロッツに制裁のデコピンをお見舞いし、今回の『キス未遂事件』はチャラにしてあげる事にした。
ファーストキスを女の子を追い払う作戦で失うのは流石に嫌だけど、していないのなら別段問題はない。
「もう不用意に顎クイとかしちゃ駄目だよ、女の子皆落ちちゃうからね! んじゃお休み~」
「・・・? あごくいって何だ?」
本当にキスされていたらもっと取り乱し、こんな他愛ない遣り取りは出来なくなっていた事だろう。
やっぱり初めてはもっとロマンチックな状況で―― あれ?
僕のファーストキスって・・・まだだったっけ?
「どうしたんすかー、顔赤いっすよ?」
小屋に入った途端玄関に座り込んでしまったジェノを、ゴッデスが顔を逆さにして覗き込んでくる。足をピンッと伸ばしたまま腰をグニョンと曲げた音楽家は、気味が悪い程身体が軟らかい。
しかし考え込む少女はとくに取り合わず、「外寒かったから」とだけ言い残して風呂場へ向かった。
ちゃぽん。
鼻まで湯に浸かり、ブクブクと空気の泡を作ってまどろむ。
「さすがにクタクタだぁ」
疲れと汚れを温かな湯と共に洗い流したジェノは、軋む身体を伸ばしゆったりと湯船を堪能する。
未遂だったとはいえ心臓は大忙しで鳴り響いていたし、今日は崖から落ちてプチ遭難したりと大変な一日だったのだ。
「ぁああーっ! ジェノ氏ジェノ氏ぃ、アレじゃないっすかっ、恋じゃないっすか!?」
先程ジェノが顔を赤らめていた理由に行き着いたのか、ドタバタと扉の向こうで騒ぎ出した男に「うるさい」と冷たく言い放つ。
「ついにロッツ氏と本気の恋に発展しちゃったんじゃないすか? だから顔赤らめてたんでしょぉ~! っふぅぅうー 送ってもらうなんてラッブラブゥ!」
「ウザイ。雪男に喰われてこいゴッデス」
「報告してくるっす!」
「え、誰に?」
すりガラスの向こうで一人踊っていた男は、高いテンションのまま本当に小屋の外へと飛び出して行った。
相変わらず謎だし面倒臭い男だな。まぁいいか、放っておこう。
「それよりも」
疲れきった状態のジェノは睡魔で鈍くなる頭と重たい瞼を必死に堪え、気掛かりに思った事柄に着目した。
僕にはキスの経験は無い。無い筈なんだ。
なのにどうしてすぐに違うって断定できたんだ?
どうして・・・
『王子様とお姫様のキスは、もっとやわらかかったはずだ』
あの時、あんなものが頭に浮かんだのだろうか――
「思い出したんです」
「ほう?」
カッ カッ と小気味良い音を立て床に書き込まれていく魔法陣。
細かな文字の羅列に間違いがないか書物と見比べ、凝り固まった首をほぐす様に2回大きく回した後、長く息を吐き出した。
「いや違う。正確には忘れている何かがあるって事を、認識したんです」
修行で訪れている別空間の草原。
そこに存在する真っ白い塔の一室で、黒髪の少女と師である老婆が向かい合う形で対峙していた。理解できない不思議な文字と幾重にも重なる円形。床に座り込むジェノは一旦チョークを置き、窓枠に腰掛けるマーベラスへと視線を送る。
「過去の出来事を知る魔法とかって、ありませんか?」
お姫様を目覚めさせるのは王子様の優しいキス。
お決まりの物語に何の疑問も抱くことなく、幼子は夢中でページを捲っては胸をトキメかせていた。
王子様はなんて格好良くて素敵なんだろう。僕も王子様になりたい。可愛いお姫様を助けて、ハッピーエンドになるんだ。
『ぼく王子様になりたい』
記憶にある中で一番古いジェノの夢。
瞳を輝かせて言ったこの夢が叶う事はなかったが、特にガッカリする事もなくその後歳を重ねた。
いいや違う、叶ったんだ。
夢は実現し、心は満たされた。
何時?
いつ僕の夢は叶ったんだ?
王子様になどなれるわけがないのに、何故かそう断言できる。
だって、王子様のキスでお姫様は眼を覚ましたのだから。
これはきっと、消滅した記憶の欠片。
「ジェノや、眠った記憶を無理に起こすのはやめなされ」
尊敬する師の言葉にきつく瞼を閉じたジェノは、「でも・・・」と口篭る。
魔道書が頭上で漂うように浮遊し、次の瞬間天井に張り付いた。
記憶にない記憶の断片に意識をとられ、心の乱れを制御できない。
まだまだ未熟だなぁ僕は。此処で修行を始めて少しは力を制御できる様になったってメロスに手紙を書いたばかりだっていうのに、こんなんじゃ笑われちゃう。
「幼少期の記憶など覚えている者の方が少ない、忘れるのが普通じゃ。自然の摂理と言ってもいいだろう。何がそんなに気にかかるのかね?」
「上手く言えませんが・・・忘れたのではなく『欠落』しているような、何かに無理やり『閉ざされている』ような、そんな感覚があるんです」
「・・・ふぅむ、ジェノの記憶はちと厄介だからのう、慎重にいかねば」
「え?」
「ところで今回急に思い出したようじゃが、何かきっかけがあったのかい?」
「えっ!」
チョークを持つ手が不自然に揺れ動くのをもう片方で押さえ込み動揺を隠すも、勝手に朱色に染まる頬はは誤魔化せず、浮上し続ける書物も止められない。
「おやおや女の子の顔になったねぇ、これは詮索は野暮ってもんかえ?」
「ちっ違います! 何もないですよ、本当に何もっ」
年頃の少女の必死な訴えが塔に響き、老婆は皺くちゃな顔で微笑む。
のどかな修行の日々がゆっくりと、しかし着実に過ぎていった。
「ちょっと聞いてるの!? ロッツ様は皆のものなのよ! ロッツ様を返しなさいっ」
のどかなのは修行の場だけだな、安息の地が僕には少ない。
昨日のキス騒動から一夜明けた今日、食堂横にある今にも崩れそうな赤レンガ塀の裏側で、4人の少女が対峙していた。
「ロッツは彼自身のものであって別に皆のものではないでしょ。勘違いも甚だしいね」
一歩外に出れば睨まれ絡まれるボランティア生活にも大分慣れ達観したように鼻で笑うと、足元にカビの生えたパンを投げつけられた。
昼食をとるやいなや呼び出しをくらい、待ち受けていた令嬢達に罵声を浴びせられている状況に辟易しつつ、飛んでくる腐った肉をゲーム感覚でかわす。
「お黙りなさい! ロッツ様の様な高貴な御方には貴族である私がふさわしいのよ」
ロッツの怪我が既に施設中の人間に知れ渡っており、朝から貴族や女性陣からの視線がずっと痛かった。
最初はその事を責められいたのだが、いつの間にか話題が『お嫁さん候補は私だ!』に変わってきている。
「ちょっと、あたくしの方がロッツ様には相応しいわ! 貴女は恋愛事には興味ないと仰っていたじゃない」
「それは1ヶ月前の話ですわ。私はロッツ様と初めてお会いになった際、まるで雷に打たれたような衝撃を味わいましたの。きっと運命の相手なのですわ、そうに違いありませんの!」
「何よ、私だってっ」
元気だなぁ、良い所のお嬢様ならもっと慎ましく振舞った方が良いんじゃないの? ほら、遠くで男子達が怯えて青褪めているよ。あぁ、この子達はロッツにしか興味ないからいいのか。
「確か2人共、婚約者がいらしたわよね? 言いつけてもよろしいのかしら」
「それは・・・っ、それとこれとは別ですわ!」
「そうです! ロッツ様がお相手ならお父様も喜んで承諾しますもの、直ぐに婚約なんて解消されますわ」
えっ、婚約者がいるのにロッツを追いまわしているの!? そんな簡単に婚約解消なんてできないんじゃ・・・
「ッキィャヤヤァァアア―! うっ腕に、腕にぃい」
女の子達の会話に衝撃を受けつつヘドロ状の物体を避けると、跳ね返った汁が着飾ったドレスへと飛び、悲鳴が鼓膜をつんざいた。
「大丈夫ですの!? まあ大変ですわっ、早く別のドレスに着替えましよう!」
「あぁぁんもうっ! コレお気に入りだったのに・・・もうこんな汚れた物着れませんわ、最っ低!」
ギャンギャン響く金切り声に耳を塞ぎ、ほんのちょびっとの汚れを視認してジェノは更に眉間に皺を寄せた。
いやいやいや、そんな汚れよぉ―――く目を凝らさないと気付かないからな? もう着れないってアホか。でも貴族だから本当に今後着ない可能性が高い。
「捨てるなんて勿体無い事しないでせめてバザーとかに出しなね」
「あんたのせいよ! 避けてんじゃないわよっ!」
「わー 見事な逆ギレ」
突き出した針金やひび割れたレンガが見るからに危ない、誰も近づかない壁の裏。そこと令嬢達に挟まれ人間的当て状態だったジェノは、理不尽な台詞に噴出しケラケラと笑い出した。
「そりゃどんどん近づいて来る方が悪いよ、跳ね返ってくるに決まってんじゃん! あははっ、自業自得でしょ」
「全然当たらないんだからしょうがないでしょ! えいっ」
残飯攻撃は激しさを増し令嬢側有利と思われたが、周囲の予想に反してジェノの服や肌が汚れる事は無かった。
「なんっなのよもう! どうして3人同時に投げてるのに当たらないわけ!?」
当たらない。いくら投げても当てられない。
汁一滴すら掠らない驚きの光景は、「まるで残飯が彼女を避けているかのようだ」と見物人から感嘆の声が漏れる程だった。
まぁ、魔法で絶対に当たらない様に操作してるからね。実際危ない時は残飯の起動を変えてるんだよ。便利な能力だなぁ本当。
先に令嬢達のひ弱な腕が悲鳴を上げ、ゴム手袋が悔しそうに地面に叩きつけられた。
うおっ、スコップ投げてきやがった! 普通なら怪我するぞおい、まぁ僕には当たらないけどさ。
心が折れた令嬢達は攻撃の手をやめ、最終的には腕までゴム臭くなった彼女達の方が被害が大きいという結果に終わる。
「はあっ、はぁっ・・・腹が立ちますわ! 誰かホース持ってきてちょうだい、冷たい水をかけてやるわっ」
「息乱れてるよ大丈夫? 運動不足なんじゃない? 普段からもっとトレーニングしなよ、筋肉は決して己を裏切らないからさ。そのプヨプヨとした二重顎も解消されるよ」
「う、ううぅぅうっうるさい! 私は太ってなどいませんわっ、色白だから膨張して見えるのと、ほんのちょっぴりお肉が柔らかいだけよっ」
「ああ、マシュマロボディってやつね」
「いい!? 貴女より私の方が3日も早くロッツ様に目をつけていたの。つまり私の方が想いが強いという事よ!」
「そうよ遠慮して身を引くべきだわ! ロッツ様には私の方が早くアプローチをかけてたんですもの」
「その理屈だとさ、君より先にロッツに惚れてる子が居たら譲らなくちゃいけなくなるよ? きっと昔からモテ男だよ、モテモテ人生まっしぐらのモテ人間だよ? 生まれた瞬間から片想いしてるとか言う子がいてもおかしくない程君たちの大好きなロッツ様はモッテモテだよぉ~・・・そう考えると面倒臭いなあいつ」
余裕のあるジェノは彼女達の息が整うのを待ちつつ、話題の中心人物である青年の顔を思い浮かべた。少女達を虜にして狂気に走らせるその魅力について、改めて考えてみる事にする。
まずルックスは素晴らしく良い。
ただイケメンと言うだけでなく、嫌味の無いスッキリとした顔立ちに滲み出る知的さと、全てを見透かさすような涼やかな瞳に一目で心を鷲掴みされる子が多い。
『爽やか界から襲来した魅惑の貴公子』
そうキャンディちゃんが命名していた。さすがにコレは意味わからない。
たとえ泥に塗れていても清潔感が漂い、常にスマートな印象を他者に与える事ができる。という謎の才能を持っている青年は、きっとマイナスイオンを発しているに違いない。
ああ・・・カルシェンツも引くほど馬鹿な事をやっても、常にキラキラした金粉の様なものを振りまいている様に見えるもんな。ロッツも奴と同じ側のファンタジー世界の住人という事か、そう考えると何か納得。
「ロッツ様がモテるのは当然でしょ! 普通の殿方とはオーラが違うもの」
あー、本人は多分意図せずやってるんだろうけど、たまに妙な色気を出すもんね。
短い付き合いの中でジェノの感じた彼がモテる理由の一つが、しかめっ面した時に出す『フェロモン』である。
まさか女性に付きまとわれ嫌そうに逃げている時の表情が女性陣のハートを射抜き骨抜きにしているとは、夢にも思っていないだろう。
パリッとした清潔感のある男から不意に漂う艶かしい色香。
あれ心臓に悪いんだよな・・・男の色気に当てられてドキッとするし、何か見てはいけないものを見て逆に凝視してしまう、みたいな。ロッツが不機嫌でも付き纏われるのはきっとコレが原因に違いない。
でも僕は笑顔のロッツの方が魅力的だと思うけど。
「貴女のようなビンボーなボロ雑巾が高貴なロッツ様に纏わりついて自分で恥ずかしくならないの!? 品位を落とすっていい加減気付いたらどうなの!」
「キーキー喚いて汚い言葉を吐いている君には品位があるの? 万が一君達に品があるというのなら高貴なロッツ様の品位もちょっとやそっとじゃ落ちないから安心だね。まぁ僕は超音波発生器の様な君達に品というものを一切感じないわけだけれど」
「はあ!? 私は貴族なのよ! あんたなんかとは生まれが違うの、選ばれた人間なのよっ」
「そう、私達は世界に選ばれた特別な存在なの。ボランティアの連中とはどうあがいたって埋まらない差ってものがあるわ、さっさと理解して小汚い小屋に帰りなさい!」
欠伸を噛み殺しながらチラリと周囲を見渡すと、数人だった見物人がかなり増えていることに気付く。遠巻きに眺めている男子達は心配そうに顔を見合わせたりしているが、止めに入ってくる様子はない。
野次馬も多くなってるしそろそろ水でもぶっ掛けて帰ろうかな、僕もそんなに暇じゃないし。
助けたい気持ちはあるが、相手は貴族の令嬢3人。
自分の保身を考えて尻込みする者達に対して特に責めるつもりもなく、ジェノは溜息を付いた。
次の瞬間――
「見苦しいったらないわね。貴族の小娘って馬鹿しかいないの?」
「ん?」
「っな!?」
誰もが他人任せで動こうとしない中、颯爽とジェノの前へと進み出た人影が3人と向かい合った。
「あ、ごっめ~ん頭おかしい教育しか受けてないから気づかないのよね? 自分達がどんだけ醜くてドブネズミの様に意地汚いかって・・・可哀想を通り越して哀れな人達」
不意に現れた人物にジェノは目を丸くし、自分を庇う様に堂々と立つ細身の背中をマジマジと見つめた。
「キャンディちゃん!?」
「知ってる? ジェノちゃんってとっても頭がいいのよ、ボランティア仕事の合間に勉強もちゃんとしてるの。顔もブスなあんた達なんか比較にならないくらい可愛いし、酸素の薄い山中で男性より動ける身体能力を持ってるの。脱帽するしかないわよね」
「いきなり何ですの貴女っ!」
「所作も一見大雑把で大胆だけどたまにハッとする程綺麗でね、本当に庶民の出なのかなって疑っちゃう時もあるくらい・・・ねぇ令嬢の皆さん、すっごく気になってる事があるんだけどね、答えてくれる?」
お気に入りだと言っていた真っ白いロングコートに身を包み、スラリとした長身でジェノを令嬢達から隠した少女は、大きな瞳を瞬かせながら可愛らしく首を傾げた。
「家柄しか取り柄の無い無能なあんた達が、どうしてジェノちゃんに勝てると思ったの?」
「・・・は?」
「どこで勝負できると思えたの? 顔? 才能? 性格? 女としての魅力? そんなわけないよね、だって全敗だもんね。スペックが違うなって最初に気付くよね普通。ねぇねぇロッツ様に振り向いてもらえるって本気で期待してたの? そんな喚くしか能のない猿みたいなあんた等が、本気で? ふふっ嘘でしょ、面白~い・・・ねぇ、どうして?」
「――っ!!」
「わー真っ赤かぁ! お猿さんの顔マネ似てる~。良かったね、無能なんかじゃなくてモノマネ一つ出来ますって言えるね、やったじゃん! まぁ、あたしは恥ずかしくてそんな間抜けな面晒せないけどね、あははっ」
おいおいおいキャンディちゃん煽り過ぎでしょっ、これはヤバイんじゃないか?
顔面を真っ赤に染めた令嬢と楽しそうに笑うキャンディの構図に、ジェノは戸惑いを隠せない。
「そうそう、良い所の無いあんた達の唯一と言っていい長所をあたし知ってるわよ。教えてあげよっか? それはね、『男を見る眼がある』ってとこ」
至近距離から飛んでくる残飯からキャンディを守るように魔法を使い、重力で当たらないように操作する。不自然な角度で地面に落下していく残飯に誰もつっこみを入れないのは、怒りで余計な事に考えが及ばないからだろう。
「ロッツ様は素敵よね、あたしも本気でそう思うわ。地位やルックスがあれだけ良くてもひけらかしたりしないし、貴族以外にも気を配ってくれる。性根の腐ってない貴族ってあたし初めて会ったわ、色んな意味で高嶺の花ってやつよね」
「ふんっキャンディー・エンバー、貴女がロッツ様に媚売って袖にされたって知ってるんですからね!」
「振られた分際で出しゃばってくるなんて馬っ鹿じゃない?」
「意地汚いのはそっちよ」
悔しそうに唸っていた令嬢達がなんとか気持ちを持ち直し反撃へ出る。以前からキャンディーがロッツに惹かれていたのは知っていたが、振られたなんて話は聞いていなかったジェノは大きく瞬きを繰り返した。
「そうよ、あたしは相手にされなかったわ。きっぱり振られたの」
えっそうなの!?
平然と振られた事を告げるキャンディに「ほぉーら、みなさい」と勝ち誇った様に鼻を鳴らす3人。しかし余裕な態度を崩さない少女は周囲の男性陣が溜息を付くような美しい笑みを浮かべ、凛とした声で言葉を紡いだ。
「とっても可愛いあたしじゃなくてジェノちゃんを選ぶなんて、見る眼あるわよね。だからこそ、あんた達が選ばれる事なんて3回生まれ変わっても絶対無いのよ。クスッ、残念だったわね!」
そう言い放った直後「逃げちゃお!」とジェノの手を引き、キャンディは走り出した。
野次馬が増えてきた事でジェノもそろそろ動こうと考えていた為、逆らわずにその場から脱兎のごとく退散する。
あまりにも俊敏な動きと行動に理解が追いつかず、令嬢達が文句を言った時には既に生意気な2人の姿は消え失せていた。
「ジェノちゃんやっぱり足速いね! ふふっ、あの子達また猿みたいに騒いでる、笑える~」
「キャンディちゃん、どうして僕の事助けにっ」
「嫌いなの、群れると途端に威勢が良くなって大口叩く奴等」
だいぶ距離をとった事を確認し後ろを振り返ると、手を繋いだままの少女が無邪気な笑顔でウインクを寄越す。
「あの子達普段一人だと他人の意見をばかり伺う大人しいタイプなの。ジェノちゃんと一対一で対峙したらきっとまともに喋る事すら出来ないビビリよ」
集団で一人を相手する時は途端に強気になるのだと呆れた表情で語る少女に、「僕のせいでキャンディちゃんも・・・」と申し訳なさでジェノは俯いた。
本来貴族であるジェノはいいが、何の後ろ盾も無いキャンディは今後色々と大変だ。
平民が貴族に口答えしてただで済むとは思えない。権力を振りかざした彼女達の攻撃はきっと大きな爪痕を残すだろう。この場にいない家族にまで被害が及ぶ可能性は充分に考えられる。
まさか助けに入ってくれると思っていなかったキャンディに対し、申し訳なさから謝罪した。
「平気よ、あたし反感買いまくってるから。とっくに令嬢やその他の子達から嫌われてるの。だから何かあってもジェノちゃんのせいじゃないわ。それとね、あたしと仲良くしてくれる女の子ってジェノちゃんしかいないのよ」
「へ? そうなの!?」
「何故か女の子には昔から嫌われちゃうの、ふふっ」と可愛い笑顔を見せる少女に、そういえばグループ分けの時にも何やら揉めていたなと思い出す。
たまに女の子数人と隅っこで楽しそうに会話していたが、あれはもしかして言い争いをしていたのか? 仲良さ気に見えていたけど、実は笑顔で相手を煽って嫌味を連発していたのかもしれない。
「ジェノちゃんはね、あたしの唯一の女友達だから! あたしの加勢なんかなくてもジェノちゃんならへっちゃらだと思ったんだけど、腹が立ったから乱入しちゃった」
「っ! キャンディちゃん・・・助けてくれて本当にありがとう!」
男友達の多いジェノにとっても、目の前の少女は唯一初めて出来た女の子の友達だった。
「どういたしまして! あ、あんな所にキノコが沢山あるよ」
今迄女性陣から敵意を向けられ続けたジェノにとってキャンディの行動や発言は何より嬉しく、身に刺さる様な寒さも心がホカホカしているおかげであまり感じない。
「ストレス発散したかっただけだから気にしないでね」
清々しい表情の少女に、本当に他意はないのだろうと思えた。
男子と遊ぶのとはまた違う女子同士の友情の心地よさに、ジェノは顔を綻ばせて大きく頷いた。
心の中であの3人が何か仕掛けてきたら絶対力になろうと誓い、そのまま2人は仲良く薬草探しに繰り出して行った。
「ねぇねぇ、ちょっと聞いてもいーい?」
「ん、何?」
寒さでピリピリする指先を吐息で温め木の根付近を調べていると、隣にしゃがんだキャンディが顔を覗き込んできた。クリクリした大きな瞳が純粋な色を湛え、ジェノの真っ黒な眼を真剣に見つめる。
「ジェノちゃんて、本当にロッツ様の事好き?」
「ふぇ!?」
「なんかね、違うなって思うの。乙女の直感? 2人は仲が良いけど・・・ジェノちゃんから恋するオーラを感じないっていうか――」
ぅおっふ・・・マジか、乙女の直感凄すぎるだろ。
えぇ~と、これは認めちゃ駄目なやつだよね。付き合ってるフリしてるのは内緒だし・・・キャンディーちゃんは友達だけどロッツも大事な友人だし。
侮れないわー、恋する女の勘って。
「ロッツ様はジェノちゃんの事大好きなんだなって疑いようもないんだけど、一方通行な感じがして・・・勿論付き合ってるって言っても好きの度合いが違うだろうし、片方がベタ惚れって事もあると思うけど、見てて不憫になってきちゃってさ」
「あ、あの」
「ジェノちゃんしか見てないロッツ様を振り向かせられる可能性が低いのはわかってるけど、あんまり焦らしてるとあたしが横から掻っ攫っちゃうからね! ちゃんとロッツ様の愛情に応えてあげてほしいの」
「う、ぅん」
「ジェノちゃんは愛情が見えにくいタイプって事なのかな? 本当に好きならあんな素敵な人手放しちゃ駄目よ。身分の差なんて気にしないでガンガン行かなくちゃ!」
「は、はぃ」
少女の思いもよらない言葉に俯いたジェノは、キュッと唇を噛み締めた。
ロッツが僕の事を好き・・・?
僕しか見ていない?
ロッツの愛情って・・・つまりそれって――
ロッツは完璧に彼氏(仮)になりきっていて、キャンディちゃんを騙すくらい偽恋人の役作りをしていたという事か!
ぐっ、それにひきかえ僕は・・・
ロッツは哀れまれてまで本気で熱演しているのに、僕はだらだらと日々を過ごしていただけだ。
何と、何ということだっ、なんということなんだ! 面倒でも一度引き受け了承した以上本気で遂行すべきなのに、キャンディちゃんに指摘されるまでその事に気が付かないなんてっ、自分が許せない!
「キャンディちゃん、僕行かなくちゃ」
「え、どこに?」
「ロッツに対し湧き上がるこの想いをっ、伝えに行って来る!」
「そ、そっか! ロッツ様凄い喜ぶよ、後で報告よろしくね~」
驚異的な瞬発力で走り出したジェノを、強固な友情が新たに芽生えたキャンディが両手を振って送り出す。
そしてジェノは走った。坂を飛ぶように滑走し、時間帯でロッツの行動を推測して彼が居るであろうトイス家専用ハウスへと足を向ける。
仮拠点だというのにボランティア陣営の建物より大きい真っ白な施設を前に、深呼吸を三回繰り返しブザーを鳴らした。
そういえば自らロッツを訪ねるの初めてだな、いつも向こうから小屋に来てくれてたし・・・くっ、やっぱりロッツにだけ行動させて僕は何もやってきてなかったんだ。これじゃあガールフレンド(仮)失格じゃないか!
「ロッツ君いますか?」
「・・・・・・・・・少々お待ちください」
直ぐに男の使用人が顔を出したが、ジェノをチラリと見た後に無表情で奥へと引っ込んだ。バタンと閉ざされた扉と言葉を発するまでの間に、いささか不安を感じる。
そういや女の子が訪ねてきてもロッツって会わなそうだもんな。貴族令嬢ならまだしも平民の場合追い返されるかも・・・せめて名乗っておけば良かったかな。ジェノが来た事がロッツに伝わればいいが、使用人の無表情を思い返すと難しいかもしれない。
んー出直すか? でもこの罪悪感に苛まれた胸の内を早く軽くしたいしなぁ。
「珍しいな、ジェノから此処へ来るなんて驚いたよ。待たせてすまない、寒かっただろう」
そうこう考えているとカーディガンを羽織ったお目当ての青年が姿を現した。名前を聞かれなかったのは、確認するまでもなく先程の使用人がジェノの名を知っていたからだったようだ。
そりゃそうか、一応僕って彼女だもんね。
「さあ中へどうぞ、紅茶でも入れよう」
「ううん、外で話したい事があって・・・あれ、ロッツ風邪引いてる?」
品の良いベージュの淡いカーディガンに身を包んだ青年の声は少し擦れ、顔色も昨日より白く見える。雨の中洞窟で遭難するはめになったのだ、体調を崩しても無理もない。それに加え足に怪我を負っていたのを思い出し、ジェノは慌てた。
「ごめん、また今度にするよ。ロッツが元気になるまで邪魔はしないから。あの、足大丈夫?」
「問題ない、今から出かけよう。俺に用があって来てくれたんだろう?」
「でも」
今日は部屋でゆっくりするつもりだったのかもしれない。もっと配慮すべきだったと反省する少女の手を、普段より高温の青年の手が包み込む。
「15時になったらジェノの所に行こうと思っていたんだ、今日は俺達がペアになる番だろう? 喉が少し痛いだけだし、移さないようにマスクするからさ」
安静にしたほうがいいと帰ろうとするも、黒い毛皮のコートを執事から手渡された青年は建物を出て来てしまう。頑なに戻ろうとしないロッツに「もー!」と頬を膨らませると、マスク越しでも彼が微笑んだのがわかった。
何故か機嫌の良い相手にジェノは根負けし、帰すのは諦めて当初の目的を遂行しようと気持ちを切り替える。
「それで、ジェノは何処へ行きたいんだ? 昨日北側を調べた時よさ気な木の実を」
「デートしよう」
「――へ?」
切れ長の眼がゆっくりと見開かれ、グレーの瞳が少女を見て揺れる。
ピタッと動きを止めたまま微動だにしなくなったロッツに近付き、ジェノは上目遣いに見つめた。
「ねぇ、デートしよう?」
「っ!」
キャンディちゃんを手本に小首を傾げてみたが、ちゃんと恋人らしく出来ているだろうか。角度はこれでいいのか? もっとか? うっ、首が痛い。
「ジェッごほっ・・・ごほっごほっ!」
「っ大丈夫? やっぱり戻」
「デ、でっデート? とは一体」
「デートはデートだよ。ほら、僕達は所謂恋人関係というやつですし、デートをしてもおかしくないわけですし、その・・・どうですか?」
人をデートに誘うなんて初めてだ。
指をモジモジさせて緊張の面持ちで見上げると、不自然な角度で空を見上げるロッツの姿があった。
「嫌?」
マスクで隠れた口元を片手で覆い、一向に此方を見ようとしない相手を「ねぇねぇ」と突く。
「行きます」
風邪が酷くなってきたのか耳まで朱色に染まっているロッツを心配しつつも、ジェノは了承を得られて華が咲いた様に笑った。
「くっ・・・可愛い」
恋する呟きは熱を冷ます冬の空気に溶け込み、何処へ行こうか悩む暢気な少女の耳に届く事はなかった。
次回 『ロッツ、初デートでテンパる』の巻。
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