18
かび臭い小屋には微かに月明かりが差し込むが、一歩前も視認できない程薄暗く、床に照らされた光を求めて這いずっていた。
ツーンとした刺激臭が鼻をかすめ、身震いする寒さに身を丸める。
この匂いは何の死骸だろう。この間の猫は誰か片付けただろうか?
散乱した瓶に残った僅かな液体を必死に舐めとろうとするが、一升瓶の重みに耐えられず無様に転がってしまった。
みず・・・のみたい。
表の大きな通りは金がないと何も買えないので細道へ進み、植物が無造作に生えた林を目指す。
美味しい草がいっぱいあるのを知っていた。ただで食べ放題なのにどうしてママは食べないのだろう、苦い飲み物だけで大丈夫なのかな?
広い原っぱ。
満月の真下で手当たり次第に草をむさぼり空腹を満たす。
いつもの光景、いつもの味。普段通りの一日が終わるはずだったその日、帰り路で身体が強張り動ずに倒れ込む。
みずのみたい。・・・ママ、どこ?
もう何日も見ていない姿を思い浮かべようとするが、靄がかかった頭には何も浮かばず、震える手から細長い草がこぼれ落ちていく。
ここで寝てはいけない。野犬もいるんだ、朝まで無事でいられるはずがない。動くんだ、今すぐ!ここでは誰も――
誰も・・・助けてはくれないのだから。
「おんやぁ、これは美味しそうな肉だなぁ!」
頭上から降ってきた声と持ち上げられる身体。
最後に目にした光景は青白く真ん丸い見事な満月と、開け放たれた獣の口に並ぶ、鋭い牙だった。
ほうれん草を口に運びながら今朝見た夢を思い返し、ジェノはフッと笑みをこぼす。平和な暮らしが当たり前になり、ちょっと前の当たり前を忘れていた。
生きることに必死だった日常で非力ながらも生活し、様々なモノを得て・・・色々なモノを失ってきたあの頃。
辛い思い出が殆どの幼少期。
なるべく思い返すのを避けていたが、『人外』の者に触れ閉ざされていた記憶の扉が少し開いたようだ。
中途半端な所で終わった夢の続きに、ジェノの目元は自然と和らぐ。
元気かなぁ、パパ。
ふさふさの耳を恋しく想い、スープを飲み終えたところで午後の授業の準備に向かっていった。
「クラス分けなんだが、こっちより向こうの方がいいんじゃないか?学校や塾に通っている者と比べても、劣らないどころか抜きんでている」
三日目の夜授業を終えた後、理科講師に声をかけられた。まだ残っている生徒を気にしながら応対すると、向こうも声をひそめる。
「あーでもあの子もこのクラスですよね。僕より点数高かったですよ?」
講師は額に手を当て「あれは事情があってあっちのクラスには移動出来ないんだ」と漏らす。
事情・・・まぁ、あの授業態度では周りに迷惑がかかり、熱心に取り組んでいる生徒たちの邪魔になるのは間違いないか。
「僕基礎からしっかり習いたいんです。家で教わっていましたが、抜かしている箇所があるかもしれませんし」
そう言うと納得してくれたのか、「クラス変更したかったらいつでも言ってくれ」と微笑まれた。お腹はポッコリ出ているがなかなか男前な雰囲気の先生だ。
よかったらその腕に挟んでいる新聞を少しだけ見せてもらえないだろうか。
『王子様またもや快挙、大陸中を驚愕の嵐が襲う!』
気になる見出しに惹かれたが、講師は時計を見てすぐさま教室を出て行ってしまった。
一面にデカデカと載った見出しはもしやあいつの事なのだろうか?いや経済新聞だったぞ、11歳で載らないだろう。別の王子様かもな。
親族との集まりは滞りなく進んでいるのかな。血のつながった相手でも王族は色々と堅苦しそうで大変そうだ。
因みにこちらの状況は少々かんばしいとは言えない。
後ろの生徒達の視線が先程から突き刺さり、首の後ろが熱く感じていた。
ったく、見える所で内緒話するなよな、言いたいことあるなら言って来いよ!
ロビーを通り過ぎる際もあちこちのグループがジェノに目を止め、なにやらこそこそと話し出す。気にせずに自室に入るが、ルームメイト達との微妙な空気感に溜息が零れた。
黒包帯と行動を共にし周りから注目を集めることになったが、それはまだ良かった。誰と一緒にいようとジェノの勝手だし、皆関わり合いになろうとしないだけで平和だったのだ。
それが崩れたのは二日目の昼休み明け、二階掲示板にでかでかと張り出された順位表が原因だった。
初日最後に行ったテストの順位が30位まで発表され、廊下に人だかりが出来ている。気になったので黒包帯と覗きに行くと、順位の横に名前が書かれた紙がデカデカと張ってあった。名前の横には点数と年齢が記されており、ジェノの予想通り上位は12歳の者が大半を占めている。
だが、
「あ、2位」
上から2番目の位置に自分の名前を見つけ、驚きつつ周りを見渡す。
確かに簡単な問題で自信はあった。しかし塾生も高得点をとるだろうと踏み、上位だとは思わなかったのだ。
皆調子悪かったのか?3位の者と点差がかなり開いているが、難しい問題は無かったように思う。
ざわつく子供達は口々に「ソーズが落ちた!」「上の誰だ?」「牙城が崩れたな」「あいつ3位なんて初めてじゃねぇか?」と囁き合っている。
なにやら不穏な空気が流れもう一度順位表を見直すと、ジェノの名前の下にソーズ・パローニャという名前があった。
周りの反応からすると、こいつが普段一位なんだろうな。
うーん、こうやって発表されるのってなんかむず痒い、個人的にこっそり教えてほしいものだ。
今回のテストの一位の座にはジェノより3点高いスフレさんが堂々輝いた。名前なのか苗字なのか、『スフレ』とだけ書かれた人物は11歳らしい。11歳が12歳を押しのけトップだからか、顔が曇っている子もちらほら見える。
「スフレって美味しそうな名前だよね」
「なぜ美味しい?スフレ食べないで」
「え、スフレ食べたことないの?」
本当に石のみを食べて生活しているのかと驚くと、隣にいる黒包帯は「スフレ食べたの?ジェーのん怖い!」そう言って自分の身体を抱きしめた。
「え、なんで怖いの・・・スフレ嫌いなのか?」
「スフレ、スフレ好き!」
「・・・・・・うん?」
これはちゃんと会話が成立しているんだろうか。
新しくできた不思議な友人と意思疎通を図れている気がしない。
「おい、邪魔だ」
唐突に発せられた声に振り向くとジェノの横の人集りが一斉に割れ、ゆっくりと数人の男子が割って入って来た。
「楽しみっすね!」
「どうせ結果はわかりきっていますがね」
「俺今回は名前ある気がする!」
「お前はどうでもいいわ、ソーズ君のを見に来たんだから」
そのグループは騒がしいが、反対に先程まで煩かった生徒達が静まり返っていた。赤毛の男子生徒を中心とした集団を見て、即座にその場を離れた生徒も数名いる。
何だ?こいつらが現れた途端皆大人しくなった。それに随分顔色も悪いぞ?
「これで何回連続の首位でしたっけ?」
会話しながら掲示板の前に辿り着いた少年達はうきうきと順位表を見上げ、
「小テストも合わせると今回で25回―・・・」
赤毛の少年の言葉が途中で切れた。
数秒間順位表を眺めた後、周りの少年達が困惑した表情で傍に居る仲間に目配する。その光景を見て、ジェノは大体の状況を察した。
真ん中にいる赤毛の少年は黙ったまま掲示板を見続け、微動だにしない彼を気遣うように取り巻きが声をかける。
が、反応はない。
面倒な事になりそうだ、さっさと行こう。
黒包帯の腕をとりその場を離れようとした間際、赤毛の少年の「誰だ」と呟く声が聞こえた。
それを受け「おい誰だよこいつら!」「なにか手違いがあったんじゃないですか」と取り巻き達が順位表を指さしながら騒ぎ出し、ジェノは速足に階段を降りる。
あの赤毛少年、絶対『ソーズ』って奴だ。そういえばあいつら、昨日教えてもらったいじめっこ集団じゃないか?
「くそっ、面倒臭いな」
「どこ臭い?」
振り返るときょとんとした黒包帯がのんきにジェノの匂いを嗅ぎだし、驚いて逃げたら鬼ごっこが始まった。
おいっ僕はそんな臭くないぞ、嗅ぐんじゃない!それに今はこんなことしてる場合ではない。
「はぁっはぁ、僕とスフレって人は今後面倒臭い事になるかもってこと!」
「スフレ臭くない」
そう言ってクンクンと自分の腕を嗅ぎだした黒包帯の姿に、ジェノは目を見開き先程の会話を思い出す。
あ・・・こいつもしかして。
「黒ほ――ごほごほっ!あー、君の名前聞いてなかったよな。なんていうの?」
「スフレの名はスフレだ」
両手に持っている石をカチッカチッと打ち鳴らし足踏みを始める黒包帯に、ジェノは「うそぉっ!」と叫び声を上げた。
一位・・・こいつ一位のスフレなのか!?
いやいや、テスト破いてたぞ!それにあの授業態度やこの語学力でトップの成績は絶対ないと思う。
「でも人は見た目によらないって言うしなぁ」
ボソッと呟くと、黒包帯は不思議そうに首を傾げた。
「あ~人じゃないんだったっけ、お前」
「そう、スフレ人ちがう」
まだ鬼ごっこが続いていたのか、楽しそうに中庭に駆けて行きながら彼は叫んだ。
「地底人だよ!」
地底人・・・
『人』って付いているから人間なのではないだろうか?ちょっと人種が違うくらいで、あまり僕と違わない気がする。
三日目になってもずっとそんな事を考えていたジェノだったが、その理屈だと『宇宙人』も人間という事になると気付き、考えるのを止めた。
別に何だっていいや、悪い奴じゃないし僕らと大して変わらないって事にしよう。
流石に尻尾には驚いたが、だからといってどうするでもなく、ジェノは黒包帯改め『スフレ』と普通に仲良くなった。殺しかけた相手に命の恩人だと懐かれているのは凄く心苦しいのだが、風呂でのことはあまり覚えてないと言われ、風呂神様の件はぐだぐだに終わってしまったのだ。今後も彼にはとにかく沢山謝ろう、ごめんなさい。
「知ってるか?ソーズを落とした奴って基礎クラスらしいぜ、しかも11歳!」
「聞いた聞いた!凄いわよね、二人もいるんでしょ?ソーズ荒れてるらしいわよ」
「そりゃそうだろうなぁ、あいつここでは常にトップで王様気取りだったもん」
「ざまぁーみろ!成金のくせに俺達をバカにしやがって、もっと痛い目みればいいんだ」
「上には上がいるってことね、少しは大人しくなってほしいわ」
トイレから出ようとしたところで、前でたむろしている子達の会話が耳に入りドアにかけた手を止めた。どうやら塾生の様だ。
おっと、これはもしや陰口というやつか?本人を目の前にしては言えない愚痴や悪口の言い合い。いや、それよりトイレの前で噂話するなよなぁ、邪魔だし迷惑この上ないぜ。
「スフレって本当にあの黒い変な奴なのか?全然頭良さそうに見えないぜ」
「それよりジェノって子は貴族なんでしょ?やっぱ育ちがいいと学校行ってなくても勉強出来るのね」
「家庭教師ってやつだろ、生まれが良いと得だよなぁ本当」
まぁ否定はしないけどね、良い暮らしをさせてもらっているのは事実だ。僕も昔は毎日羨んでいた。苦労せずにご飯食べられる奴らいいなぁって。何もしなくても親が食べ物出してくれるなんて恵まれてるよな。ちゃんとした布団で寝て病気になったら看病してもらって、野犬に命を狙われる心配をしなくていい生活。
人間は平等じゃない。生まれた瞬間から優劣は存在するし、不満を持つのは当然なんだ。僕は運が良かっただけ。貴族になったのは己の力じゃないからなぁ。
でも知らない所で他人に好き勝手言われるのは微妙な気分だ。うーん、僕は極力陰で悪口とか言わないようにしよう、言うなら褒め言葉がいいよね。
散々言い合った後に遠ざかって行く声に耳を澄ませ、ジェノは『集団』になるとやっぱり凄いんだなぁとしみじみ思いドアに寄りかかった。
今までカルシェンツとずっと二人でいたから分らなかったが、なにやら人数が増えると大変なようだ。派閥や立ち位置、上手く立ち回らないとハブられるという小さな子供の社会。
どう考えてもかったるいし関わりたくない。
「・・・カルシェンツの奴元気かな」
眩しい金髪が頭に浮かび、懐かしい気分に襲われ溜息が漏れる。三日目に入ってから頻繁に自称大親友の存在を思い出し、ジェノは落ち着かない気分になっていた。数日前に別れたばかりなのにこんな気持ちになるのは、事あるごとにあった彼からの接触が合宿に入ってから一切途絶えたからだろう。
どうしたんだろう、おかしいよな。
鬱陶しいほど来ていた手紙も未だに届かず、もしや彼の身に何かあったのではと考えてしまうのだ。
合宿所だから手紙出せないのか?いや、王子様の権限があればどんな所にも出せる筈だ。手紙を書く暇がないほど忙しいとか?
たかが二日会っていないだけで大げさだとわかっているが、急に何もなくなると凄く気になる。
「もう・・・なんなんだよっ」
明日も何も届かなかったら、こっちから手紙出してみようかな。
部屋に戻ると、ルームメイト達がなにやら騒いでいた。5人で円をつくり、興奮したように話している。
「なにかあったの?」
ジェノが声をかけると少年達は一瞬静まり返り目を見合わせるが、「これ見てみろよ」と輪の中に入れてくれた。
ぎこちないが、別にジェノをのけ者にしようとは思ってないようだ。良かった、部屋に居づらいのは嫌だからな。
床に座り覗き込むと、そこには1部の新聞が置いてあり、他国の戦果情報や世界的に見たこの国の情勢等が記されてある。
あ、これ先生が持ってた・・・
『地雷を強制的に不発弾に変える装置を開発。億単位の人間の命を救う』
すでに特許を取得し、戦地や被災地に導入が完了。
第三王子の功績は止まることを知らないと評価され、大きくカルシェンツの写真も載っているが意図的に避け続けたのだろう、後ろ姿で写っていた。
それでも姿勢が美しく、気品を感じさせるのが憎い。
「凄いよな!俺達と同い年なんだぜ、カルシェンツ様は」
「この間も新しい薬開発して難病の人救ってたし、医者や科学者並みの頭なんだろ?」
「それ以上だって、なんたって天才なんだぞ。ここ数年でで飛躍的にこの国は先進国に近づいたって父ちゃん言ってたもん」
「学校や教育の現場も取り仕切ったりしてるんだよな、まだ俺達と同じ子供なのに」
「ただの子供じゃねーもん!もはや偉人だよ」
「神様だって崇めてる団体もあるぜ」
次々にこれが凄かった、あれは人間業じゃないと話す少年達を眺め、ジェノは動けなくなった。
地雷、薬・・・教育?なんだそれ、僕はそんな事何も知らない。
よく知っているカルシェンツの話題なのに、少年達の情報を何一つ知らないという事実。
僕はいつも一緒にいるのに、あいつの事・・・。
唐突に苦いモノが込み上げ、喉に何かが詰まったように息苦しい。
「皆詳しいんだね、この歳で経済新聞なんて読むの?」
苦しい胸を見て見ぬふりして質問すると、お父さんの話をした子が「塾生なら大体の奴が読んでる」と答えてくれた。
「はじめは興味なかったけどソーズの影響でな」
「ソーズ?赤毛の子だよね」
「うん、あいつ王子様の大ファンでさ」
その言葉に「えっ、カルシェンツの!?」と驚くと、「呼び捨てになんかしたら酷い目に合うぞ!」と窘められた。
どうやらソーズという子がカルシェンツが活躍するたびに騒ぎ、それを見ていた周りも徐々に興味を持ったようだ。
彼等は自分たちと変わらない歳の子供が、大人や世界を驚かせ認められていることを誇りに思っているらしい。塾だけでなく学校でも話題に上る王子様は、今や子供達の憧れの的だ。
「俺らも尊敬してるけど、ソーズは最早心酔してると言っていい」
「崇めてるよな、あれは。記事とか全部スクラップしてるし、いずれ下で働くのが夢なんだって言って猛勉強してる」
「王族に近づくのは容易じゃないし、特にカルシェンツ様の下で働くなんて夢物語だ。あいつの家成金だから上級貴族のパーティには行けないし、良い学校に入らないと近づく事さえ出来ないよ」
まだまだ続く会話に、ジェノはトイレに行ってくると言ってその場をそっと離れた。少年達の話をこれ以上聞いていられなくなったのだ。
外の空気を吸おうと中庭に出ると、昼間とは随分雰囲気が変わっている。照明が柔らかく緑を照らし、大人な雰囲気に包まれる。
砂利を踏みしめベンチに腰掛けると、ジェノは深呼吸を繰り返し気持ちを宥めた。
落ち着け・・・僕がカルシェンツの活躍をあまり知らないのは当然だろう。
彼自身をちゃんと見ようと思って、噂やそういった情報は入れないようにしたんだし、カルシェンツの方も僕の前じゃ『王子様』や『天才』といった部分を出さないようにしてた。
わかってる、僕の方が本当の彼を知ってるんだ。
あんな新聞なんかで遠くに感じる必要なんかない。あの子達はカルシェンツに会ったこともないんだ。
・・・なのに、なのにどうして――
こんなにも悔しいんだろうか!
「今、何してるんだよっ」
重く吐き出した声は澄んだ夜空に溶けて行き、ジェノは頭を掻き毟った。
なんだこれ、すっごくもやもやする!
『一番近いのは自分のはずだ!』
これが一種の独占欲であると、経験の少ないジェノは気付けない。
カルシェンツの隣にいる事が『当たり前』になり、順調に距離が近づきつつあるという事にも、まだ考えが及ばない少女。
明日も早いし、そろそろ帰らなくちゃ。
美しく輝く月を見上げ、心を落ち着けてジェノは立ち上がった。
ああ、満月だ。あの時の月に似てる。
あの夜、僕を救った月に・・・。
今朝見た夢の映像と重なり、「何か良い事でも起こらないかなぁ」そう呟いた瞬間――
「こんばんはジェノ君」
真後ろから聞きなれた美声が鼓膜を揺らし、少女はゆるりと瞳を見開いた。
お読みくださり、ありがとうございます。




