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 ガコンッ という音に様子を窺えば、すりガラスの向こうに黒い人影が行ったり来たりしているのが見える。

 

 ああ、これは確実に遭遇してしまうだろう。

 先程目にした黒い布で包まれた足。あの人物が入ってくるのも時間の問題だと察し、焦りに加え戸惑いも増してくる。


 朝日に照らされた眩しい風呂場は扉を開けると右側にシャワーが5台並び、その向かい側に現在使っている湯、更に左側に目を向けると小さな目の水風呂ある。

 そして焦るジェノの目についたのは、そのすぐ横の白色のドア。小窓から少しだけ中が見えるのだが、恐らくあれは『サウナ』だろう。


 岩の後ろより遥かに身を隠せそうな空間に移動を試みたいが、いつ扉が開かれるか予測出来ない状況になかなか踏ん切りがつかない。

 移動した方が良いに決まってるのに、この10mが踏み出せないっ!出ろっ、でるんだジェノ!


 たった数秒で終わる筈の道のりは長く、過ぎ行く時間に白い扉を遠くに感じていった。

 飛び出した瞬間に入ってこないとも限らない。 

 それに僕、サウナは5分が限界なんだよね。


 モー銭湯の本格サウナに3分間入っただけでギブアップしたジェノは、いつ終わるかもわからない他人の入浴時間を耐え忍ぶ自信がない。 

 だって暑くて息出来ないんだもん。みんなよく入ってられるよ。

 

 そうこう考えている間に静かに扉の開閉する音が響き渡った。鼓動が一気に速まり、水音や波をたてないように岩陰で身体を抱きしめる。

 っこうなったら・・・髪を洗って目を瞑ってる瞬間に、後ろを通り抜けるしかない!  

 

 かなり無謀な作戦だが、追い詰められたジェノにはもはや冷静な判断力など残っていなかった。

 ふっふっふっ、僕の華麗なステップで黒包帯が振り返る間もなくすり抜けてやるぜ!

 

 耳を澄ませタイミングを見計らい構えをとった瞬間――

 ジェノは異変に気付く、シャワーの水音が聞こえてこないのだ。

 え、うそっ、シャワー浴びずに風呂入る気か?それはルール違反だぜ侵入者さんよぉ、湯を綺麗に保つのは最低限のマナーだ。

 ・・・あ。


 自身も部屋でシャワーを済ませていた為真っ先にお風呂に飛び込んだ事を思い出し、ジェノは頭を抱えたくなった。

 落ち着け僕、まだ終わったわけじゃない!一縷の望みが残っているじゃないか。


 黒包帯は・・・ 『女の子』かもしれないっ。

 そう、全て謎に包まれた人物のため怖さが先に立つが、半分の確率で女性の可能性もあるのだ。

 ジェノはマズイ部分を目撃してしまったらどうしようかと考えながらもそぉ~っと岩陰から覗き見て、黒い包帯を脱ぎ捨てた人物を視界に捉えた。


 浴槽の前で膝をつく小柄な身体。

 しなやか動きで両手で床に触れ、頭を低く低く、そして高く持ち上げる。褐色の肌を持つ謎の人物はユラユラ揺れたかと思うと徐に口を開いた。


 風呂に浸かることなく聞きなれない言葉を呟く姿はまるで何かの儀式。顔の前で手をクロスさせ祈りを捧げている様に見える動作を、ジェノは食い入る様に眺めた。

 風呂に入るだけで、壮大だな。いやそれよりも・・・

 あの身体は一体何なんだ――

 ジェノが最も驚いたのは行動もさることながら、黒い包帯に隠されていたその身体の方だった。 

 


 淡い光に照らされた褐色の肌には足の先まで白い文字がビッシリと書き込まれており、腰まで垂れた長い黒髪には水色や紫色の束がまばらに散りばめられている。

 性別を確認したかったのだが色々気になる要素が多すぎて集中出来ない。

 

 髪の長さから女性のように見えるが、恐らくどこかの部族出身だと思われる独特な恰好を考えると、部族特有の風習などで男性でも長髪はおかしくないだろう。

 髪の隙間からのぞく胸板は真っ平らだが、ジェノは自分の身体を見下ろし小さく首を振った。


 まだ10歳だし僕別に全然気にしてないもんね。

 そう誰かに言い訳しながら「揉むと大きくなりますよ」というマリーテアの言葉を信じ、試しているのは誰にも内緒だ。


 この歳ではよっぽど発育が良い子っじゃないと胸の大きさでは判断できない。こうなったらやはり下半身をガン見するしかないかな。

 もういっその事普通に話しかけてもいい気がする。

 

 「先入ってたんだ、ごめんね!」と言えば、向こうが気を使って出て行ったりするかも。都合よく考えだけど、案外大丈夫なんじゃない?

 決意を固めてタイミングを窺っていたジェノは、浴場に響く呪文の様な羅列に理解出来る単語がたどたどしく混じっていることに気が付いた。

 

 「神」「大地の母」「天の導き」「精霊」いくつか聞き取れる言葉から、やはり祈りを捧げていたのだろうと判断できる。

 邪魔しちゃ悪いし祈りが終わってから―― って急に入ってきた!

 

 豪快に浴槽に浸かる水音と、遠慮なく近づいて来る気配にジェノは鼓動の激しい心臓を押さえながら声を発した。


 「ちょっ待って、あの」


 「―――っ!?」


 バッシャーン!

 突然響いたジェノの声に驚いたのか大きく影が飛びのき、その直後激しい水飛沫が上がりうめき声が耳に届く。

 えっ、ビックリして盛大にこけたんだけど!僕のせい?僕のせいかな?ごめんよ黒包帯。


 「だ、大丈夫!?」

 立ち上がろうとした瞬間、お風呂場につんざく様な叫び声が反響し、心臓が一瞬止まる。


 「神様っ!!」


 「うへっ?」


 突然のセリフに完全に固まったジェノからは岩の向こう側の光景は視認出来ないが、黒包帯がお湯をバシャバシャと叩き興奮しているのが感じられる。

 「風呂、神様、降臨!」と次々に単語を叫ぶ声にジェノの思考は停止し、普通じゃない状態の相手に恐怖を覚える。

 足踏みを繰り返し訳のわからない言語を捲し立てる黒包帯の声は、低く掠れている。

 

 え・・・えっ、何を叫んでるの?何で暴れてるの!?この子絶対ヤバい奴だ!

 落ち着いた状況であったなら、神を信仰し祈りを捧げ終えた直後に誰もいない場所から声が響き「神様だ!」とテンションが急上昇した黒包帯を理解出来たのだが・・・この時ジェノは追い詰められ、全く余裕がなかった。


 怖い恐い嫌だ!逃げられないっ、怖いこわい!

 「神様、どこ!」背後まで迫った声に、喉がヒュッと音を鳴らした次の瞬間。


 ドオォォ-ン


 バッシャーンッ


 背後で爆音が鳴り響いた。

 パラパラとジェノの頭に大量の水滴が降りかかり、身体を竦める。


 「何っ!?」


 「ビュグリョーガァ!」


 驚いた声が二つ重なり、岩の方を振り返ったジェノの目に理解を越えた現象が飛び込んできた。

 風呂半分を遮断するかのように巨大な水柱が立ち並び、視界を完全に覆われているのだ。突如出現した三本の水柱は風呂のお湯で出来ているようで、浸かっていた水かさが減っている。


 な・・・にこれ、何でいきなりこんなのが?

 天井近くまである水柱は頂上でパシャパシャと水を跳ね飛ばしているが、崩れることはなく渦を巻きながら形を保っていた。


 ジェノは呆然と立ち上がり岩陰から完全に出ていたが、もはやそんなことはどうでもいい。

 見えない岩の向こう側から「神通力!」と興奮した声が聞こえ、黒包帯の大体の位置を把握する。

 

 「神通力?」


 「風呂の神様、力、バーンッ!」


 はしゃいだ声音を聞きながら、ジェノの頭は徐々に冷静さを取り戻していった。言葉を聞く限り、この水柱は黒包帯がやったわけじゃなさそうだ。では、一体これは何なのだろう。

 

 『風呂の神様が神通力で水柱をつくった』

 黒包帯の主張はこうだが、そんな事があるとは思えない。 

 通常のスピードよりもゆっくりと落下する丸い水滴を手のひらで受け止め、ジェノは天を仰ぐ。

 ひとつ考えられるとしたら・・・


 「僕か」


 焦りと恐怖が一定量を超えたのか、ジェノが無意識で身を守ったのか、おそらく両方だろう。

 ジェノの『魔法』が発動してしまった。

 どうやって柱の形を保っているのかわからないし、ジェノの意思でも解除が出来ないが、今までにも自動で発動した事は多々ある。

 

 へぇ、こういう事も出来るんだ。なんか上手く操れれば『水使い』とかにもなれそうじゃない?

 使い方次第では思っているより用途がある能力なのかもしれない。そう考え、幾分か緊張の解れたジェノに笑みが浮かぶ。


 ズバシャッ


 「うおっ!」

 油断しているところに突如「神通力、欲しいっ!」と浅黒い腕が突きだしてきて悲鳴を上げた。


 ――はぁ? 

 うそだろ・・・マジかこいつ!普通突然出現した不可解な水柱に腕突っ込むか!?

 まともな神経をしていればまず近づく事なく、逃げ惑ったとしてもおかしくない状況だ。理解の範疇を超えるモノに躊躇なく手を入れる思考。


 「やっぱ普通じゃない!」


 「いない、神様の声聞いた」


 「あのさ、危ないから離れた方がいいって」


 「神様いた!」

 

 神様じゃねーし・・・ちょっ、頭突っ込もうとするな!


 「あー、はいはい神様ですよ。とりあえず手を引っ込めてほしいな、この力全然使いこなせてないんだ。わかるか?き・け・ん・だ!」


 もうやけくそで言うと、「危険わかった」とあっさりと腕が水柱から引き抜かれ、拍子抜けしてしまう。


 「神様会いたい」


 「神ってのは目に見えないものだから無理無理。探しても会えないから大人しくしててくれ、そこ動くな」


 「わかった!」


 え・・・わかったの!?

 それからのんきな低音の鼻歌が響きジェノは戸惑った。先程の激しい動きや言動が嘘のようにおさまり、向こう側からは一切の動きが感じられない。パシャパシャという水柱と聞いたことのないメロディを一通り聞き終えた後、我慢しきれずに「何してるの?」と声をかけた。 

 

 「風呂入るしてる」


 「いや、そうじゃなくて・・・まあ、そうなんだけどさ。あー君ってさ、男の子だよね?」


 「オスだ」


 「えっと、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」


 「わかった」


 えっ、本当か? 

 さっきから素直に言う事を聞いてくれるが、ジェノの事を本当に『神様』だと思っているのだろうか。

 もしそうなら風呂場から出てってもらえるんじゃ・・・いや待てよ、脱衣所で鉢合わせる可能性もあるし、行動を把握出来ないと危ないかもしれない。

 考えた結果、一つの妙案が浮かぶ。


 「後ろにさ、白いドアがあると思うんだけど・・・それに入って目を瞑っててほしいなー、なぁんて」


 

 この『サウナに閉じこもっているうちに外に出よう作戦』は思った以上に上手くいった。


 なんの疑問もなく「僕がいいって言うまでそこにいて」という言葉に「わかった」と嬉しそうに黒包帯は従い、サウナへ入って行った。警戒しながらも脱衣所に飛び込み着替えを済ませ表に出る。

 やった、やっと出られた!今回は魔法に助けられたなー、もっと練習頑張ろう。

 

 極度の緊張から解放され、ジェノは大きな脱力感に襲われる。三階ロビーのソファに座り水分補給をしていると、強烈な睡魔に襲われそのまま寝ころんだ。

 眠いしだるい。力使ったせいかな?身体、うごかな・・・

 思い瞼に逆らわず瞳を閉じ、ジェノは深い眠りへと落ちていく。

 

 一瞬何かが頭を過ったが、ぼーっとした頭ではもう何も考えられず、それは暗い底へと沈んでいった。



 

 「――ねぇ、どうしてこんな所で寝てるの、大丈夫?」

 耳元で甲高い声が響き、覚醒する。どうやらロビーで眠りこけ、そのまま起床時間を迎えたようだ。数人しか見あたらないところを見ると、寝起きのいい子しかまだ起きていないのだろう。


 首を傾げ見つめてくる少女にお礼を言うと、はにかんだ様に笑い離れて行った。頬を染め友達らしき少女とこちらを見てキャアキャア言っているのを不思議に思ったが、ジェノは何か別の事が脳裏に引っ掛かっていた。


 何だ?眠る前も何か思ったはず・・・朝飯の支度か?次の授業の準備か?

 胸が異様にざわつき落ち着かない。

 

 スタッフが朝食の時間を告げに階段を上がって来るのが見え、階下のお風呂の映像が頭に浮かんだ。

 とても大事な事を忘れている様な――


 『僕がいいって言うまでそこにいて』

 『わかった』


 頭の中で再生された会話に、気付いたらジェノは走り出していた。


 なんということだっ!

 僕はどれくらい寝ていただろう?どれくらい時間が経ったのだろう。あそこにいるわけがない、いないはずだ!


 トイレに起きたのが4時半、それから色々あったがもう一度寝たのが恐らく一時間後。そして起床時間が7時半。

 ジェノはもつれそうになりながらも階段を駆け下り、あの場所を目指した。

 

 普通ならいるはずがない。おかしいと感じれば出るだろうし、暑かったら我慢できずに飛び出すに決まっている。

 そう、普通なら――


 あの子は普通じゃないんだよっ!


 そのことをよくわかっているジェノは冷や汗が止まらない。黒包帯の信仰心がどれ程のものかは知らないが、すんなり従った事が今は恐ろしい。彼に常識は通用しないのだ。もしもまだ入ったままなら、約二時間蒸され続けた事となる。


 サウナ好きのカンバヤシなら大丈夫だろう、しかし彼はまだ11歳の子供で体力も少なく身体も出来ていない。危ない状態に陥っている可能性は非常に高い。


 右の脱衣所に入り扉を開る間際、黒い布が垂れ下がった籠に目が留まり、震える手で白いドアを引いた。


 「・・・ごめんなさい」


 モワァッと息苦しくなる熱気に包まれた部屋の隅で、ぐったりと転がっている少年はピクリとも動かない。急いで表に出そうと抱きかかえると、目を閉じたままいやいやをするように僅かに首を振られ、ジェノは唇を噛み締めた。


 「もういいから!もうっ、出ていいんだ。――っ、ごめん!」


 医療の知識は無いが、とりあえず水を飲まして冷やした方がいいと考え、隣にある水風呂に浸ける。

 

 急に冷やすのってどうなんだ、身体に悪いのか?誰か呼んだ方が・・・でもまず水飲ませてっ、それからえっと―― 落ち着け!これは脱水症状だ。確か塩分とった方がいいんじゃなかったか?

 頭を支えながら少しずつ水をかけ、脱衣所の冷蔵庫から塩分高めのスポーツドリンクを取ってきて飲ませたところ、これが効いたのか呼吸が随分と落ち着き、表情が柔らかくなった。


 「良かったぁ、大丈夫か?」


 無言で僅かに頷いた少年に「ごめんっ、本当にごめんな!」と謝罪を繰り返し、目の前でゆらゆらと揺れている黒いモノにするりと頬を撫でられ、ジェノは目を見開く。

 少年の瞑っていた瞼がうっすらと開き、うつろな紫色の瞳がジェノをとらえた。


 「ありがとう、苦しい無くなった。君のおかげ」


 「っ、ちが!」ゆっくりと腕を擦られ、言葉が切れる。

 この状況は僕のせいなのだ。

 感謝される立場じゃないと歯を食いしばり、気付くのがもっと遅かったらと思うとぞっとする。

 

 「神様いない・・・」囁くような声音に胸が痛み、頭を撫でると静かに微笑まれた。

 はじめて少年の顔をちゃんと見たが、なんて魅惑的なのだろうと無意識に溜息が零れる。

 

 首の途中で白い文字は途切れ、滑らかな褐色の肌は見惚れてしまう独特な美しさがある。切れ長の目は潤み、筋の通った形のいい鼻の下には、つい目が釘付けになるぽってりとした赤い唇が乗っている。艶っぽい雰囲気に自然と頬が熱を持ち、ジェノはドギマギしてしまった。


 なんだこの色気は・・・フェロモンが凄まじいな。

 『フェロモン』なんて言葉初めて使ったけど、目が離せないほど強烈な色香を発する少年は間違いなくフェロモン使いだ。


 これで11歳か?この子、やはり普通じゃない。

 ジェノの腿を撫でながら移動する固く冷えたモノに触れ、もう一度「ごめんなさい」と深く謝罪したあと、ジェノは意を決してずっと気になっていたことを聞いた。


 「さっきから僕を撫でているコレ・・・なに?」


 きょとんとした表情で黒く冷たいモノを顔の近くでゆらゆらと動かし、不思議そうに少年は答える。


 「尻尾」


 理解が追い付かず、ジェノがきつく目を閉じ「しっぽ・・・」と呟くと、楽し気に笑いながら黒包帯は黒く蛇の様な尻尾を振ってみせた。


 「そか、人間無いだっけ?尻尾」


 「・・・しっぽ」


 普通じゃない普通じゃないと思ってたこの子はどうやら――

 人間じゃ、なかったようだ。




 ホールの真ん中の席は半径10m程人が寄り付かず、完全に孤立した島状態になっていた。

 ジェノの正面に座る人物は脅威の回復力を見せつけ、今日も堅そうな石にかぶりついては周囲の視線を独占している。

 

 「美味しい。ジェーのん、おかわり!」


 「いやいやいや、外に転がってるやつどれでもいいのか?食用の石なのか、それ」


 「しょっぱいより甘いのにしてね、ジェーのん」


 「わっかんねーよ、違いなんてあったのか!?」

 

 てか『ジェーのん』ってなんだ。あだ名か?あだ名なのか?

 そんなのはじめてだぞ・・・ちょっと嬉しいじゃないか。

 間違いなくジェノも変人の仲間だと周囲に思われたところで、賑やかな朝食は幕を閉じた。


 「ジェーのん、命の恩人、よろしく!」

 真っ黒い包帯から覗く濃い紫の瞳が無邪気に細められ、ギュっと両手を握り締められる。



 塾合宿二日目。

 人間の集団行動を学ぶはずが人外に懐かれ、孤立しました。


お読みくださり、ありがとうございます。


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