13
腫れぼったい目を濡れタオルで冷やし、鏡の前で溜息を吐き出す。
午前7時。
着替えたはいいがジェノはどうしても外に出る気がおきず、部屋をうろついた。しかしもう朝食の時間だ。みんなに心配をかけてはいけないと、気が重いまま子ザルを抱えて扉を開く。
「おはよう。よく眠れた?」
「うおっ・・・おはよう。な、何してんの?」
部屋の前にさわやかに立っているカルシェンツにジェノはドギマギしてしまい、目を隠すように下を向いた。
「ジェノ君が心配で眠れなくてね。ずっとここで待っていたんだ」
「いつから?」と聞くと「4時前から」と言われ、部屋に戻ろうかなと一瞬引いてしまう。左を見ると当たり前の様に待機している側近の執事の姿。
ベリオンさん・・・早朝から王子のわがままにつき合わされるなんて、僕は凄く同情してしまいます。キウイも同意するように「キィ!」と鳴く。
ちゃんと目の前の少年とこういうことも話さないとなー、でもその前に。
「昨日は、その・・・ごめんね」
「どうして謝るの?」
「いや・・・大泣きしたし服汚したし・・・迷惑かけたし、ごめんなさい」
「ジェノ君は何も謝ることないよ」と優しく微笑む姿に、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。カルシェンツを見ると昨日の失態を鮮明に思い出し、ジェノは顔を覆いたくなる衝動を必死にこらえた。
きのう・・・
ジャングルで遭難し次々と不可解な出来事に襲われたジェノは、人の温もりを感じその安心感から号泣してしまった。パニックを起こし泣きじゃくる背中を優しく撫で続ける感触に、しだいに心が落ち着きを取り戻していく。
ティッシュが渡され、やわらかいハンカチでぐちゃぐちゃの顔を丁寧に拭かれたジェノは暫くの間ぼーと寄りかかっていた。
「もう大丈夫だよ。怖いことは何も起こらないからね」
「どうして・・・」
どうしてここにカルシェンツがいるのだろう?
この場にいないはずの少年をみつめて『ああ これは夢なのか』と思う。
「ジェノ君のピンチには必ず駆けつけると決めていたからね、手遅れにならなくて本当によかった。・・・立てる?」
それから暗いジャングルを見えているかのように進むカルシェンツに手を引かれ、「ベリオンさんは?」と聞くと「置いてきちゃった」と笑って言われた。
ひとりでジャングルに入ってきたのか?無謀すぎるだろ。
「お化け出たんだ。それで迷ってたら木に石がぶつかって・・・ひっく、空飛んで」
「この島の精霊のせい?」としゃくり上げながら要領の得ない説明をするジェノに、カルシェンツはゆっくりと答えてくれる。
「この島に精霊は確かにいると思う。けど、さっきのは違うよ・・・あれはジェノ君の力だ」
「・・・僕の?」
立ち止まって青く見える月を見上げる少年は、どこか不思議な空気をまとっていた。
やっぱり夢の中なのかな・・・綺麗だ。
さっきまで真っ暗な場所だった風景が、すこし明るくなった様に感じる。
「君の魔法の力。その魔力をこの島に流れる精気が増幅させたのは事実だけど、あれは紛れもなくジェノ君の魔法だよ」
とてもじゃないが信じられず、「いままで何も起きなかったよ?」と話すと優しく頭を撫でられた。
「空を飛ぶ能力なのかな、でも木とかなぎ倒していたからそれだけじゃないかも」
あれが、僕の魔法・・・本当に?
見つめると返ってくる淡い微笑みに、あれほど波立っていた心が嘘の様に今では静まっている。
もう怖くないし、まぁいいか。
どう進んだのか、突然視界がひらけ海が見えた。
ジャングルを抜けたことまた泣きそうになりながら歩を進めると、小さな明りが見え二人は駆けだす。待ち構えるメロスの胸に飛び込んで再度号泣し、マリーテアが入れた温かいミルクを飲んでいる内にジェノはいつの間にか眠りにおちてしまっていた。
その間ずっと横でライヴィが土下座をしていたのだが・・・あれなんだったのだろうか。
朝食を食べ終え一息つき、気になっていた事を向かいに座るカルシェンツに聞いてみる。
「何故か今回はすんなり島に入れたんだ。いつもの嵐が嘘の様に起こらなくてね。でも私とベリオンだけで他の者は帰らせた。あんな大所帯じゃせっかくの旅行が台無しだから」
「いつも思ってたんだけど、そんなに出歩いていいの?王子様が動き回ったら危ないし、怒られるんじゃ・・・」
「契約でね。王位を継いであげるかわりに、私の行動に一切口を挟ませないことになっているんだ。ちゃんと国王自らと交わした誓約だから何も問題ないよ」
継いであげるって・・・国王がそれを望んで、カルシェンツが仕方なく了承したってこと?おそらく、僕が想像している以上にこの少年は凄い人物なのだろう。
まぁだからといって何が変わるわけでもないけどね、怒られないならいいや。
「海で遊ぼうジェノ君!水着も持ってきたんだ、ジェノ君もあるよね?地平線まで泳ごうじゃないか」
「力尽きて死ぬわ。遊ぶのはいいけど泳ぐのはヤダ・・・あっちいこう」
水着は困る、色々な事情でNGだ。
まだ子供だが仮にもジェノは『女の子』である。男子用水着は恥ずかしすぎて着れるわけがないし、持ってる女子用水着もまだカルシェンツの前で披露する勇気がない。
ジェノの指さした方向を見て、カルシェンツが不安げな顔をする。昨日遭難したジャングルだから、色々とジェノのことを気遣っているのだろう。
「明るければ大丈夫だよ。安全な道行くし、怖くないから昨日みたいにはならない」
「・・・そうだね。何かあっても絶対に私が守るし」
「そうならないよう気を付ける。今日暑いし洞窟行こうぜ、涼しいんだ」
笑って承諾してくれたカルシェンツとジェングルの横を進んでいくと、何度か足が滑り転びそうになった。
ここら辺一帯沼地があるんだっけ、足下気を付けよう。・・・そういえば、昨日のお礼をちゃんと言ってなくないか?
振り返ると楽しそうにニコッと笑う少年が手を出してきた。
ああ、転ぶと危ないもんね。
このくらいのスキンシップにはすっかり慣れてしまったジェノは、手をとりモゴモゴとしゃべる。
「あの、昨日は本当にありがとうな。カルシェンツのおかげで助かった・・・僕のせいで服、その、濡れただろ?ごめんな弁償するから、ちょっと待ってほしい」
「今・・・・・・なんて言った?」
「え、弁償?」と聞くと「違う、弁償はしなくていい。その前」と低い声で返された。
急に変わった雰囲気にジェノはビクつくが、カルシェンツは下を向いて「もう一回言って」と促してくる。
「服僕のせいで・・・濡れただろ?」
「違う」
「助かった」
「惜しい、その前!」
「昨日はありがとう?」
「違う、そのあとっ!」
掴まれた手が痛いのと、カルシェンツが詰め寄ってくるのがすごく怖い。
なに、なんなの?何でそんな目が血走ってんの!?
「カ、カルシェンツ?急にどうし――」
「そう、それっ!」
抱き付いてきた少年にジェノは逃げようとするが遅かった。何故か唐突にテンションが上がったカルシェンツに締め上げられる。
「ちょっ、痛いし恐し近い!離れろコラッ」
「無理っ!」
無理っておい!どういうことだよ、いいから離れろー
理由を尋ねるとキラキラと光る黄緑色の瞳で見つめられ、満面の笑みで叫ばれる。
「初めて私の名前呼んでくれたっ!カルシェンツって!!」
ん?そうだっけ?いやいやそんなはずは――・・・あるかも。
ぼんやり思い返してみると確かに、カルシェンツ本人の前で名前で呼んだことが無いことに気付く。いつも「おい」と「お前」で会話を成立させていた気が・・・いや、とにかく離れてくれ!なんか胸がドキドキして苦しい。
「手紙にも私の名前は書かれてなかった」
「ベリオンさんへの手紙にはカルシェンツの名前書いた気がするけど」
「ジェノ君ベリオンにも手紙書いてたの!?ベリオンの名前はあっさり呼ぶなんてずるい! 許せない!」
理不尽に睨みつけてくるご主人様に対し、遠くで可哀想なくらい首を振ってあたふたするベリオンさんに心の中で詫びる。
申し訳ないベリオンさん。今度お詫びに肩叩き券10枚プレゼントします。
そして何故かその肩に乗ってる『子ザル』を見つけた。
え?キウイそこで何してんの・・・まぁいいか。
確かにあれだけ会っておいて名前を一度も呼ばなかったのは、自覚がなかったとしても酷い。今回は全面的に僕が悪いな。きっとずっと気にしながら呼ばれるのを待っていたのだろう。可哀想に思え、ジェノはよしよしと優しく頭を撫でる。
「ごねんな、カルシェンツ。許してほしい・・・」
「許す!」
「早いな」
更に勢いよく抱き付かれ―― ズルッと足が滑った。
後ろに倒れる身体。
あ、これはまずい。
「ジェノ君!」と叫ぶ声に衝撃に備え、きつく目を閉じる。
ドンッ がっ、という衝撃音が聞こえたが、予想していた衝撃や痛みがいつまで経ってもこない。うっすら片目を開けると、間近に歯を食いしばっているカルシェンツの苦悶の表情が見えた。
うーん、こういう表情してても美しいな、なんなんだこいつ。
あまりに整った顔の造りに嫉妬を覚えるが、今はそんなこと考えている場合じゃなかった。
自分の状態を確認し、ジェノは硬直する。
ジェノの頭の部分に木があり、どうやら頭をぶつけるところだったらしい。それを防ごうとカルシェンツが右手で木を押さえ、左手でジェノ体を支えている。そのまま片膝をついた状態でカルシェンツは歯を食いしばって耐えているのだ。
「動かないでっ、落としちゃう!」
「落としてもいいよ?」
「地面が泥でぐちゃぐちゃだよ」
うわ、それは嫌だな。
だが駆けってくる執事の姿を目の端にとらえ、安堵した。なんとか服が泥まみれにならずに済みそうだ。
というか、さっきからもの凄くいい匂いがする。なんだろう、花?そういえば昨日もこの香りに包まれていた気が・・・カルシェンツの香水なのだろう。僕この香り好きだなぁ、落ち着く。
悠長にしがみ付いていたジェノだったが。
「まずい」
少年がぽつりとこぼした言葉に「え?」と聞き返した瞬間、膝をついていた足がズルッと滑ったのがわかった。
伸ばされるベリオンさんの手。
ジェノを守るように頭を抱きしめるカルシェンツの腕。
待ち構える泥まみれの地面。
もう一度衝撃を覚悟する―― が、またもやそれはいつまでも訪れなかった。
あれ・・・どうなったんだ? ベリオンさんが間に合ったのか?
「ジェノ君っ!」と呼びかけてくるカルシェンツの声で目を開けると、困っているような笑っている様な、微妙な顔が覗き込んでいる。
「ベリオン、体重かけてゆっくり降ろしてくれ」
周りを見てジェノは驚愕に目を見開き、あんぐり口を開けた。カルシェンツと共に2Mほど地面から浮き上がりながら、ふわふわと漂っているのだ。ベリオンの困惑した表情が下にあり、腕をそっと掴まれ徐々に後下していく。
「浮いてる・・・」
「やっぱり浮く魔法なのかな、ジェノ君は」
これまでどんなに力を込めてもうんともすんとも反応しなかった魔力が昨日と今日、立て続けに発動したことにジェノは驚きを隠せない。
一体、どうなっているんだ!?
そして何でキウイはベリオンさんの耳をずっと齧んで遊んでいるんだ・・・?お願いだからやめてあげろ。
洞窟に行かず引き返したジェノ達は別荘でくつろいでいた皆に起こった事を説明し、まだかなり早いがテラスで昼食をたべる事にした。魔法はババ様が調べてくれるらしい。魔法は殆ど解明されていない事柄だからかなりの時間がかかるそうだ。
「大体、一つの種類の魔法しか使えないものなんだ。火属性、水属性、土属性、ジェノ君は浮いたりできるから風属性なのかな?でもあの時も今回も風はぜんぜん感じなかったんだよね、私にはまだなんとも言えない・・・魔法は奥が深いから」
「無属性というのもありますしね。ほらジェノ坊ちゃん溢してますよ」
「無属性って?」
シチューを食べながらカルシェンツとマリーテアの魔法講義に耳を傾ける。
「例えば『瞬間移動』や『未来予知』などが無属性だよ」
ああなるほど、属性に分類出来ない能力か。
「ちなみにライヴィは雷属性、おババ様が無属性で旦那様はよくわかりませんが魔法を使えます」
そう言って掃除をはじめるマリーテア。
昨日より別荘の中が雑然として散らかっているのが目につき、誰かが暴れたのか?と首を傾げた。
「12人中4人も魔法が使えるなんて、モーズリスト家は恐ろしいな・・・」
「いいえエンジェル、正確には5人です。ファストが一番強力な魔力の持ち主ですわ」
「え、そうなの?ファストが魔法使えるなんて、僕聞いたこと無いけど」
「これは他言無用にお願いします」
チーズケーキを目の前に置かれ、ジェノは嬉々として頷く。
口止め料のケーキを貰っては黙っているしかあるまい、とても美味しそうだ。ちゃんとベリオンさんの分も用意しているマリーテア、さすが抜かりがないな。出来たメイドだ。
カルシェンツが「エンジェルは止してほしい」と抗議しているが、それは無理というものだ。もう完全に定着してる。
あとモーズリスト家は10人だぞカルシェンツ。12人って・・・恐ろしい事を言うな。
そのあと海でビーチバレーをしたり、砂でお城作りをした。
波で崩れるのが勿体ない出来栄えのお城に使用人達は子供の様にはしゃぎ、夜はバーベキューでは宴会状態になる。
そして次の日は洞くつ探検や川下りで遊び、子供達は無人島生活を心の底から満喫していった。
湖に足を浸し休憩していると、隣で寝ころんだカルシェンツが器用に草笛を吹いている。今機嫌良さそうだし、あの『恐怖の手紙』の事聞いてみようかな。
「あの頃の事は、心がドロドロしていてとにかく辛かった記憶しかないんだ。ジェノ君に会ったら嘘みたいに治っちゃったけど・・・あの手紙で嫌な気分にさせてたら、ごめんね」
「ううん、僕は平気だけど・・・カルシェンツの事が心配だっただけで」
むくっと起き上がったカルシェンツから目を離さず、タイミングよく飛び退くと抱き付きに失敗した腕が空を切った。
来ると思ったもんね!毎度毎度抱き付かれてたまるかっ、変にドキドキして心臓に悪いんだよ!
「何で避けるのっ!」
「何でいちいち抱き付くんだよ!」
「ジェノ君のいけず」
何だいけずって。変な言葉使うな、これみよがしにいじけるな。
そしてベリオンさんは写真を撮らないで下さい!
その日の夜はカンバヤシ特製の花火を堪能し、すごく盛り上がった。
キラキラ光る花火に負けないくらい王子様も輝いており、なんだかジェノは眩しく見え思わず視線を逸らした。
ごくたまにカルシェンツを見たり触ったりすると胸が疼くことがあるが・・・なんなのだろうか?
楽しい日々というものはあっという間に過ぎていく。
カルシェンツが島に来た日、ジェノが遭難した日から5日が過ぎた頃・・・ジェノの魔法が判明したと、ババ様が皆を広間に集めた。
「結論から言うとジェノちゃんは・・・無属性じゃ」
「風属性じゃないの?」
積み重なった分厚い本を撫で、ゆっくりと頷くババ様。何故か蝋燭4本しかない室内はすごく暗い。周りに人がいないと耐えられないぞ。
みんな固唾をのんでババ様の次の言葉を待つ。
「おそらく間違いないじゃろう」と、しっかりとジェノの瞳を見つめ、ババ様は口を開いた。
「無属性魔法、ジェノちゃんの能力は――」
読んで下さり、ありがとうございます。
のろのろペースで物語が進み、申し訳ないです。