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確かにジェノは日々とても暇だ。貴族特有の習い事も行っていないし、学校にも通っていない。家の手伝いをしなくちゃいけない、なんてこともない・・・
基本メロスは自由主義。
やりたくないことは強制せず、興味を持ったことに積極的に協力してくれる。
「甘すぎだ、そんなことではまともな人間に育たない」と、マリーテアを筆頭に使用人達が異議を申し立て、様々な分野の勉強や運動を屋敷で学ぶこととなった。
何故か色んなジャンルのエキスパートが揃っていたため、ジェノはメキメキと上達していく。
運動は馬術や球技にはじまり中等部から習う剣技、遠く離れた島国の特殊な武術と、僅か10歳とは思えない実力を持っている。
学力も申し分ない。
貴族だからと身分の低い者を蔑んだりしないし、勝気だが傲慢ではない性格。
他人の痛みがわかる子に育ったと周囲も満足気だ。
だが、あまりにも狭い世界で少人数の大人としか接してこなかった為、急激な変化に対する順応能力が著しく低かった。
急に自分のテリトリーに入られることや無理やり連れまわされることに、常人よりもストレスを感じてしまう。
ジェノが知恵熱を出したことで、周りはそのことに気付かされる形となった――
「ジェノちゃんに友達が出来るのはいいことだと思って何も手出しをしなかったけど・・・もともと人間不信なところがあるものねぇ。我々がもっとちゃんと手伝わなきゃいけなかったんじゃないのかねぇ」
桶でお湯を身体にかけながら、老婆が溜息をつく。
「でもオババ様、周りに言われて友人になるなんてあかんやろ。本人達だけで向き合わな、本当の友情は生まれないんやないんか?」
「それもそうなんだけどねぇ・・・精神的に不安定なところがあるしねぇ。ババは心配じゃよ」
モーズリスト家メイド長と、料理長の男が木製の壁を挟んで会話している。そしてガラガラと扉が開く音が聞こえ、新たな訪問者の声が響き渡った。
「ライヴィ、料理の支度が途中では? あと半時程で昼食でしょう。ジェノ様が心配なのはわかりますが仕事はきちんとしていただかないと」
「うおっ、ファスト! 珍しい所で会ったやんけー、お前眼鏡曇っとるで」
「存じています。・・・貴方、その訛りはなんなのですか? 地方出身ではなかったはずですが」
「今ブームきてんねん、エセ方言や。あ、ちなみに此処にいるのは坊にお粥持ってきたんや、ちゃんと仕事しとるで! まぁ、今はちょい休憩中やけどな」
「ここは粥を食べる場所ではありません。何故屋敷で待機していないのですか!」
「固い事言うなや!」というライヴィの大きな声と、「お静かに」と窘めるファストの言葉がを壁越しに聞きながら、ジェノは口元まで湯に浸かりブクブクと空気の泡を吐きだした。
あー・・・温泉最高。
どうせファストにきつく睨まれているんだろうなー、ライヴィの奴。
五日前に完成したモーズリスト家専用温泉。
通称『モー銭湯』は驚くほど広く、忠実に日本の銭湯を再現した造りになっている。(ちなみに『モー銭湯』はメイド長のオババ様が名付けたらしい)
寝込んでいたジェノにとっては今日が初風呂で、大浴場で気持ちよく汗を流す事が出来た。
露天風呂とか初めて入ったけど凄い気持ちよかったなぁ。あと滝とかあって風流だし、凄いと思う。でも、この家のどこにそんなお金があったんだろう。没落じゃなかったのか?
もちろん女湯と男湯に分かれているが『混浴風呂』もあるそうで、「今度水着で入ろう」と皆で話し合う。
敷地内の中央付近に沸き出た為モーズリストの者しか使ってないが、充分お金を取れるレベルである。このまま家の者達だけで使うのは勿体無い気もするが、知らない人が出入りするもの抵抗がある。どうしたものか。
「それにしても、傍にいながら忍者は何をしていたのだか・・・」
「彼らは外敵からの護衛が仕事で、内面のケアはまた別なのではなくて?」
「お、マリーテア嬢もいたんか! ・・・てかニンジャってなんや?」
温泉に浸かりながら男子湯と女性湯に分かれたモーズリスト家の使用人達が楽しそうに会話していた。
「いつも俺達の近くを飛び回ってるぜ! まっ 見えないだろうけどなぁ」
「・・・? なんやそれ神林、妖精かなんかか?」
ふぉっふぉっふぉと老婆が笑い、ジェノはザバッと立ち上がった。
「妖精! やっぱりいるよね」
「ふぉ!? ・・・ジェノちゃん、居たのかい?」
振り向いたメイド長の老婆の声に、壁を挟んだ向こうでガタガタと何かが崩れた音と、慌てたライヴィの声が響く。
「えっ、坊そこにいたのか?いつから!?」
「え・・・最初から」
はぁ!? と驚く男に「方言取れてますよ」と冷静なつっこみを送るファストと、「お静かになさって!」と注意するマリーテア。
・・・僕が「ここ」にいないと思ってたのか。
だから本人を前に『ジェノの話』が出来たのかと、納得がいった。
「てか、オババ様は一緒に入ってきたんだから僕がいること知ってるでしょ」
「ふぉっ! こんな歳になると何も覚えてなくてねぇ、髪洗ってる間にすっかり忘れたよぉ」
「しっかりしてくれやー」と水音を立てるライヴィに謝罪しながら身体を洗い終えた老婆はゆっくりと湯に浸かり、目を閉じて歌いだす。
うお、オペラ!?オババ様凄い上手い、何者だよ!
おのおのが色々な音を立てている様子を想像し楽しんでいたジェノに、スイーと近づいてきたマリーテアは、優しくジェノの濡れた前髪を掻き上げた。
「ジェノ坊ちゃん・・・熱が下がって良かったですね。この一週間、心配でたまりませんでした。我々の不注意です」
申し訳ありませんと謝る彼女に笑顔で首を振る。
元々僕が精神的に強くないだけだ。
それに、ここ一週間ゆっくりしたおかげで大分心にゆとりが出来た。
今ならあのカルシェンツのスキンシップ攻撃を軽やかに避けられる気がする。
待ってろよ美少年、温泉に入って力を蓄えたNewジェノを見せてやるぜ!
女湯の巨大な湯船の中。
正面の富士山の絵を眺め、少女は熱く闘志を燃やした。
カッ コッ!
跳ねる黄色い球を目で追いながら、仁王立ちしたメロスの説明をジェノは受ける。
「いいか? こうして腰に手を当てて、胸を反らせて一気に―― 飲む!」
瓶に入った牛乳を一気飲みするメロスの後ろでは、カンバヤシ対オババ様の対決が行なわれていた。
いいなぁ、僕も卓球やってみたい!
「くらえ― トルネードスピンッ!」
そう叫びながら放たれたカンバヤシの打球は、コンッと軽い音と共にあっさり返される。
「――っ! ボールが跳ねない、だと!?」
バウンドするはずの球は、台に当たるとシュルシュルと回転し、静かに止まった。
「秘儀・・・『シュルっと転がって、跳ねないよボール!』じゃ」
「技名だっせぇ! でも凄いやんかオババ様、どうやったん?」
崩れ落ちる神林にドヤ顔のオババ様。伝授してくれとはしゃぐ審判役のライヴィ。
『のんびりスペース』に造られた卓球コーナーは賑やかで楽しそうだ。
激しさを増す卓球対決に早く混ざりたくてソワソワするジェノだが、異様に銭湯・温泉マナーに厳しいメロスはなかなか解放してくれない。
「風呂上がりの最初の一杯は絶対こうしなくちゃいけないんだぞー。ほら、ジェノもやってみな」
僕もトルネードスピン打ってみたいのに・・・むう、お風呂上りにこんな面倒なマナーがあるなんて聞いてない。
ジェノはうんざりしながらもとっとと終わらせようと腰に手を当てたところで、視界の端に映った光景に二度見した。
「ねぇメロス・・・あれはいいの?」
「あれ?」とジェノの指さす方にメロスは振り向き――
ソファに寝そべってコーヒー牛乳をちびちび飲んでいる銀髪で眼鏡をかけた執事の姿を捉え、硬直する。
「んー・・・ぅんん。いやー、ファストはさぁ・・・うん、まぁ」
「注意しないの?あれ一杯目だよ」
僕見てたもん!と告げるとメロスは大量の汗をかき始めた。
やっぱりメロスはファストのこと苦手なのかな?でもよく一緒に行動してるし、会話にもファストの名前出すこと多いから嫌っては絶対ないよな。
「そういえばジェノは、カルシェンツ君のことどう思ってんだ? 熱を出しちゃうほど、その、あー・・・嫌いなのかな?」
散々目を泳がせ言い訳を考えていたメロスだが思いつかなかったのだろう、あからさまに話を変えてきた。
しかも振る話題がそれってどうなのよ。
「ファストはマナー守らなくていいの?」
「上級者になると許されるんです! ほら、ジェノは見習いの身だからさ、基礎を大事にしないと」
「風呂上がりの上級者ってなんだよ。皆どうせ適当じゃん」
まぁ、マナー講座は退屈だったからいいけどさ。
少し考えるポーズを取った後、ジェノは頭を掻いた。
「んー別に嫌いじゃないよ。色々びっくりして疲れるし苦手だけど、真っ直ぐにぶつかってくるところは清々しくて印象は良い。ただもう少しペースを抑えてくれると有難いかな」
正直な気持ちを話す。
どちらもちゃんとした友人がいなかった者同士、そう簡単には関係を築けるはずがないのである。
強引に押しかけてきたから意地で「友達にならない!」と言い張っていたが、体調を崩したジェノを心の底から心配する少年に嘘は一つもみられず、純真に自分を思ってくれる存在をこの寝込んだ一週間で冷静に受けとめることが出来た。
安静が必要なジェノに、毎日しつこく会っていたのが嘘だったかのように手紙とお見舞いの品を預けていくだけの少年。
実際に部屋まで会いに来たのは、容体がだいぶ落ち着いた四日目の夕方だった。
「元気になって本当に・・・っ本当に良かった」
そう息を詰まらせるように囁いた少年は、静かに果物を剥いて少し談笑した後、病み上がりの身体に触るといけないからと手をそっと握っただけで帰って行った。
王子様だしうつるのを警戒して会いに来なかったのか?
そう一瞬思ったが、ジェノの前に姿を見せなかっただけで食事の用意や看病に必要な物を用意したりと、屋敷の中で必死に動いてくれていたのだという。
「近くに私がいると知ったら落ち着いて休めないかもしれないから、私の存在は黙っててもらえないだろうか」
一介の使用人に頭を下げる姿は毅然としていて凛々しく、神々しい光を背に輝いていたとマリーテアは語った。
皆も「格好良かったで!」「素晴らしいお姿じゃった」「少し見直しましたかね・・・」と口々に絶賛していた。
「王子様だけどちゃんと筋を通すカルシェンツ君は、いい子だよね」
そう言って目を細めて笑うメロスをみて、自分は彼のことをまともに『みて』いなかったのではないか・・・しっかりとカルシェンツという少年と、向き合っていなかったのではないか?と思い至る。
親友になりたいという熱い想いに対し『考えさせて下さい』とそう言いながら、面倒だと放棄していた自分に気づき、ジェノは深く反省した。
彼にもいけないところはあったが、ジェノにもダメな部分があったのだ。これから少しづつでも、ちゃんとカルシェンツと接してみよう。
ほんのちょっとの心の変化だが、停滞していた二人の関係が確実に動き出す、大きな変化であった。
「まぁ今回の事はちょうど丁度良いし、少し友人関係構築は休憩といきますか」
ぽつりとつぶやいたメロスは、首を傾げるジェノに目を輝かせて囁く。
「約束したもんね」
笑顔のその言葉の意味をジェノは三日後、身を持って知ることとなった。
入道雲がこれでもかと存在感をアピールする青空を仰ぎ、ジェノは黒々とした目を眩しげに細めた。
「あっつー」
四月に入ったばかりなのに、まるで夏みたい。
滴り落ちる汗を拭いたいが、両手いっぱいに持った果物が邪魔をしてかなわない。
「大丈夫ですかジェノ様?もう大分見えてきましたよ、あと少しの辛抱です」
「平気ぃー、めっちゃとれたね!」
生い茂る草をかき分け数歩先を歩くファストが、「そうですね」と優しく微笑む。二人きりだとよく笑ってくれるファストに、ジェノは少しどきどきしてしまった。
歳はメロスと同じだと言っていたが、もっと若くみえる。
七三に分けている髪を崩せば18歳ぐらいで通るだろう。
綺麗な顔してるよなぁ、まるで彫刻みたいだ。
太陽に反射し煌めく銀髪や、フレームの無い眼鏡越しにみえる濁りのない金色の瞳は、世の女性陣の心を鷲掴みにして放さない。
まだ子供らしく天使の様に可愛いカルシェンツとは違い、大人の色気を湛えた『魅惑の美青年』といった感じのファストは、街で女性たちを虜にし破格の安値で買い物をしてくるらしい。
「あいつは血も涙もない男だ! 男は顔で選んじゃいけないぞー」
と大げさにメロスが騒いで蹴られていたのを思い出す。
そうこう考えているうちに別荘に到着する。
痛いほどの日差しから逃れる様に急いで別荘に駆け込むと、抱えていた水々しい果物をテーブルに無造作に置き、冷たいジュースを一気に飲みほした。一息ついて早速遊びに行こうとドアに向かうと、「お待ちを」と心地良い美声に呼び止められる。
「日差しが強いので、ちゃんとコレ被ってくださいね。あと日焼け止めと、水分もコマメにとるように」
世話を焼くファストに擽ったそうに返事をかえし、ジェノは窓の外に広がる海を眺める。
白い砂浜 青い海 緑のジャングル 黒く深い谷底
僕は今本当に・・・ 無人島にいるんだ!
ファストの持ち物である別荘がある時点で『無人島』ではないのかもしれないが、ジェノ達が来るまで人間が誰一人存在しない島だったのだから無人島でいいだろう。
波打ち際に迷いなく突っ込み飛沫をあげてみると、砂浜で火照った足が瞬時に冷やされる。
つめたー!水着でくればよかったかなぁ、泳いだら気持ち良さそう。
振り返り全体が真っ白で塗られた建物を見て、更にその奥のジャングルに目を留めた。
一人じゃ絶対帰って来れなかったぞアレ。
無理やり食料探しに同行したものの、有能な執事の足を引っ張っただけの気がして、落ち込みながら少女は押し寄せる波を蹴り返す。
密集したジャングルは昼でも薄暗く感じ、けたたましい鳥の鳴き声は平常心を奪っていく。
迷いなくズンズン進んでいくファストは頼もしく、一切不安を覚えなかったジェノは改めて有能な執事に感謝した。
この島にきて早一か月半。
大自然のあまりの雄大差に、ジェノはただただ圧倒される毎日である。
『約束したろ? 旅行に連れてくって』
レミアーヌ嬢とのお見合いの際に要求した願い。
すっかり忘れてたな、そういえば言った気がする。こんな綺麗な島でのびのび過ごせるなんて思わなかった。メロスも結構やるじゃん、見直したよ!
まあ、この島の持ち主はファストらしいけどね。
ただの執事のはずだが、何故こんな島を所有しているのか?とても不思議だが詮索はしない。
うちの使用人は変わっているからな、まぁいいや。
せっかくの海・山・森、全力で楽しもーっと!
うきうきと波打ち際を裸足で駆け回り、島生活を満喫し楽しむ。
ただひとつ、この島に来てから『一度もカルシェンツと会っていない』という事だけが、心に引っ掛かっていた――




