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クリーム色の柔らかそうな長い髪。
憂いを帯びて潤んだ大きな瞳。
小さな顔に完璧なバランスで配置されたパーツ。
細くて白い絶妙なラインの首と手足・・・
誰が見たって『美少女』だと口を揃えて言うだろう。そんな少女と見つめ合いながら、厄介なことになったなぁとうんざりした気持ちでジェノは目を細めた。
昨日父親に唐突に言われたお見合い話。相手はこの国有数の貴族の令嬢である、レミアーヌ・ブロンディス嬢9歳。
古くから続く由緒正しい家柄の可憐なお嬢様は、花が綻ぶような笑顔を向けてくる。
一方こちらはギリギリ貴族と呼べるか呼べないかという、比べてしまうと残念な身分の跡取り。
ジェノ・モーズリスト 10歳。
「あ、あの・・・ジェノ様のご趣味は?」
鈴を転がした様な可愛らしい小さな声が尋ねてくる。食べていたスコーンを置いたはいいが、まだ口の中がもごついて答えられないでいると、レミアーヌが慌てたように謝罪した。
こっちが見合い中にスコーンを爆食いしてんのが悪いんだから、謝んなくていいのに・・・なんか仕種がお嬢様みたいだなぁ。あ、その通りなのか。やっぱ本物の貴族令嬢は優雅さが違うね。
「あ―・・・日曜大工と昆虫採集、です」
日曜大工は別に趣味じゃなかったなと思い至り、何故かキラキラした瞳とぶつかった。
「昆虫が平気なんてジェノ様は勇敢でお強いのですね! 日曜大工も大工という事は何かをお作りするのですよね? 一体何でしょう・・・素敵な椅子などでしょうか」
「いや、雨漏りの修理とか」
「・・・雨漏り?」
「寝てる時落ちてくると本気でビビるからやってるけどさ、いくら修理しても追い付かないからもう放置しようか悩み中でさ・・・いや、です」
気を抜くと敬語が外れてしまい、そんなに育ちがよくないのが露見する。そもそも全く乗り気でない見合いに連れ出され、ジェノは辟易としているのだ。
どうせ上手くいかない縁談だし、ボロが出る前に早く終わらせた方がいい。
ジェノはしきりに雨漏りに関心を示して話を合わせようとしてくれている華やかな少女、レミアーヌを見遣った。
実際だったら必死に話を盛り上げ相手の心を掴もうとするのはジェノの立場で、ブロンディス家とお見合い出来るような価値が没落貴族のモーズリスト家にはない。
ただ今回は街で犬に襲われていたレミアーヌをジェノが助け、一目惚れした彼女の強い希望でこの場が設けられた。
いままでも度々女の子に好意を寄せられた経験のあるジェノは、確かに整った顔立ちをしている。漆黒のさらさらとした黒髪に芯の強そうな凛々しい黒目。流れるような鼻筋と、すこし肉厚な唇の左下にある黒子は色気を感じさせ、鋭い流し目に見つめられるとドキドキするらしい。
最近の女の子はませてるよな。
普通だったら高貴な家柄の、誰もが羨む完璧な美少女との縁談は一族総出で喜ぶところだ。
しかし、昨日からモーズリスト家には負のオーラが充満していた。
はぁ~っと大きな溜め息を吐き出したいのを喉元で辛うじて堪え、頷きを繰り返して聞き役にまわる。
あのアホメロスが承諾なんてしなければこんな事にはならなかったんだ!
昨晩の父親とのやり取りを思い返し、ジェノの頭痛は一層激しさを増す。
この縁談は絶対に断らないといけない。
どんなに相手が可愛くても、地位の高い貴族であっても、レミアーヌとは結婚できない理由があるのだから。
ジェノは・・・女の子なのだ。
世間ではモーズリスト家の嫡子と思われているし、屋敷でも跡継ぎとして育てられてきた。だが正真正銘、ジェノは『女性』だった。
五年前、モーズリスト家の当主バンズ・モーズリストの妾の子であったジェノは、母親に連れられモーズリスト家の屋敷にやって来た。
広い土地はあるものの、修繕に費やすお金のない没落貴族の屋敷は見るからにボロかった。だが、今までスラムのゴミ溜で暮らしていたジェノにとって、それは破格の暮らしだった。
「ずっとここで暮らしたいわよね? 美味しいご飯もいっぱい食べられるし、温かい布団で朝を迎えられる・・・もうあんな生活に戻りたくないでしょう? ジェノはいい子だから約束をちゃんと守るって、ママ信じてるわ。さあジェノ、いつもの言ってみて」
「・・・ジェノは、おとこのこで、バンズモー、モーズリストのむすこ、です。そして、ひとまえではぜった、い・・・はだかになりませんっ!」
「そう、そうよジェノ、よく出来たわねぇ。ジェノが男の子でいればずっとこの家にいられるのよ・・・男の子でいれば、ね。いずれ全て手に入るわ。地位も金も、新しい男も権力も。うふふふっ 早く死なないかしらね、あの人」
綺麗に微笑む母親をみて、ジェノは嬉しくなった。
まだ五歳で状況は全く理解できなかったが、残飯を漁っていた生活が一変したことも、母親の機嫌が屋敷に来てからすこぶる良くなり殴られなくなった事も・・・ただただジェノは嬉しかったのだ。
屋敷の使用人達は突然現れた親子に蔑む様な視線をよこし、母親と誰かが怒鳴りあっている事もあったが、ジェノは絶対に約束を守ろうと思った。
そして屋敷に来て半年後、当首バンズ・モーズリストが病で亡くなったと聞くと母親は乱舞して喜んだ。
その狂気に満ちた恐ろしい姿を、今でもよく覚えている。
自分の首を両手で絞めながらくるくるとダンスするように回り、泣きながら甲高い高笑いをあげる母親を、ジェノは震えながら見つめ続けた。
しかし、それから最高潮に良かった母親の機嫌は、唐突に地に落ちた。
行方不明と言われていた父親の弟、つまりジェノの叔父が7年振りに屋敷に帰って来たのだ。
その日を境に母親がまたジェノを殴るようになる。
ジェノには何が何だか分らず、ただ息を殺して自身の存在を消し、見つからないように隠れる事しか出来ない。
いつかこの悪夢が終わると信じて――
「君がジェノだね」
どれくらいの日数がたったのだろうか。
調理場の隅で芋をかじっている幼い少女に、若い男が声をかけた。
「君の存在を知ったのは昨日の夜で、見つけるのが遅くなってしまった・・・本当にすまない!」
ガバッと頭を下げた男は長い間そのままの姿勢だったが、ジェノが何も言わずにいると勢いよく顔を上げ、ジェノの身体をきつく抱きしめた。
人肌など久しく感じていなかった少女は、困惑の表情を浮かべて硬直する。
体温の高さに戸惑うジェノに、ゆっくりとした口調で男は囁いた。
「ジェノ、落ち着いて聞いてほしい。まだ理解ができないかもしれないが、ありのままを伝えるよ。ジェノのお母さん、タラナ・アーデンさんは三日前に亡くなったんだ。死んで・・・しまったんだよ。理由はー・・・いや、これは君がもう少し大きくなったら話そう。そこで、君のことを僕が引き取ろうと思うんだが、どうだろうか?」
真っ直ぐにジェノの瞳を捉えて話す男の言葉を、静かに聞く。
「・・・・・・ジェノ?」
黙ったまま反応しないジェノに不安になったのか、確認するように男は名を呼んだ。
「おにいさん、だれ?」
「っ!・・・あぁーそっかごめん! いやいやそーだよねぇ、完全に忘れてたよ」
男は頭を抱えたかと思うとジェノの身体をヒョイと持ち上げる。
「僕はメロス! メロス・モーズリスト。君の叔父、ジェノのお父さんの弟だよ、よろしくねジェノ」
「お、じ?」
「そう叔父! 仲良くしてねー。僕たち二人は最後のモーズリストの血筋、つまり家族だ!」
「ママは?」
「んー、お母さんはモーズリスト家の血は入ってないからねぇ、アルジャンネさんの子供もダメだったし・・・いやでも全然大丈夫だから安心さ! 僕が付いてるよ、二人なら乗り越えられる。ね、ジェノ!」
「?・・・うん!」
全く意味はわからなかったが、なんとなく楽しくなって力強く頷いたことを覚えている。
これが後にジェノの『新しい父』となる、メロスとの出会いであった。
そして五年後の現在。
「なんで断らなかったんだ!?」
「いやぁ、勢いにおされちゃってさー」
「ばれたら大変なことになるってわかるだろう!」
「いやぁ、ぶっちゃけ女の子だってこと忘れてたんだよね――あはは」
「・・・は?」
「いやぁ、うっかりうっかりー」
「・・・・・・」
「あれ、ジェノ?」
「・・・・・・」
「ちょっごめん、ごめんてジェノ! そんな恐い顔しないでっ、許してお願いこの通りです!」
やはり昨日の会話は頭が痛くなる。
まぁ帰ったらメロスに3つお願いを叶えてもらう約束したし、何がいいか今の内に決めておこうかな。
お見合いからの帰り道。アイスを片手にのんびりと歩き、少女は欲しいものを考える。
お見合いはというと、言いたいことは我慢せず口に出すタイプのジェノは潔く頭を下げ、キッパリと断りの返事をした。
理由はいろいろ思いついたのを並べ立て、少女が目をパチパチさせて驚いている間に、
「でも今日は楽しかったです。レミアーヌちゃんにはもっと素敵で高貴な殿方が相応しいと思うから、陰ながら応援してます!では、僕はこれで」
そう言い放ってだだっ広い会場を足早に後にした。
今になって反芻してみると、「あれ?もしかして結構ひどいこと言った?」と思わないでもないが・・・まっ、いっか。
後ろから響く蹄の音に振り返ると、大型の馬車が通って来た細道を通り、こちらに向かってくる姿が見える。
おっ、豪華な馬車だなぁ。
うちは迎えの馬車を寄越さないどころか護衛の一人も付けやしない。いくら使用人が少ないからって、僕は一応跡取りの立場だよな? うちはホントに貴族なのだろうか。最近本気で心配になる事がある。
勢いよく横を駆け抜けた大型馬車は10M程行ったところで突如急ブレーキをかけ、ジェノの前で派手に停車した。街でさえ滅多にお目に掛る事の出来ない、貴族特有の豪華馬車だ。一目で位の高い家柄のものだとわかる。
うっわぁ白馬だ! しかも二頭っ、かっこいー!
御者が颯爽と現れ扉に手を掛け、青と金を主な配色とした煌びやかな馬車からブロンドヘアーの美少年が軽やかに降り立った。
なんか王子様みたいの出てきた!
白馬に乗った王子、いや馬車に乗った王子様か。すっげーな、めっちゃキラキラしてるぞ。短時間に完璧な顔二人も見るなんて目が腐りそう・・・いや潰れそうだ。
一瞬レミアーヌちゃんが追いかけてきたのかと思ったけど、こいつは一体誰だ?こっちに来るから僕に用があるんだよな?
同い年位の少年を呆然と眺め、ジェノは首を傾げた。
うーん、こんな目に痛そうな煌びやかな知り合いは存在しない。
輝きを放つ見事な金髪に黄緑色の瞳を持つ美少年は、目の前に立つとよく通る美声で声高々に言い放った。
「そこのお前、レミアーヌを振るとは気に入った! 特別に私に付き従うことを許してやってもいいぞ! お前は運がいいな。嬉しいだろう、喜べ!」
・・・うれしくねぇ――よ!!
人生初小説となります。
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