プロローグ
綺麗なものが好きだ。スワロフスキーのビジューも、艶めかしい花弁に縋るようにぶら下がる朝露も、互いの補色が凶暴なまでの力技でグラデーションとなる夏の夕空も、レースの縁取りのようなレリーフのコーヒーカップも。全部全部大好きだ。出来得る事なら美しいものだけをこの目に映していたいと願う。醜いものは見たくない。しかしながら美しい物が一瞬で醜いものへと変貌してしまう事も醜さと美しさが共存できるという事も私は知っている。だからこそ、この目は移ろい、美しい物を探して見出し映すのだ。美しさを持たない私自身を満たすために。
「萌絵さんは綺麗なものが好きだから、君自身も綺麗にしているんだね」
かちゃりと控え目な音を立てて、黒川君はソーサーにカップを置いた。ウェッジウッドのナイト&デイというそのシリーズは、まるでシェルのような溝が描く陰影は美しく、細長い黒川君の指に吸いついているようで、思わずほうと溜息が零れてしまう。
「綺麗?」
「そう」
「誰が?」
「君が」
何を言っているのかしらと首を傾げると、黒川君も同じように首を傾げて見せる。口許には完璧な微笑を浮かべて。ああ、綺麗。
入学と同時にクラスメイトとなった黒川君は、とても綺麗な男の人だ。そう零すと、友人はわからないと首を横に振った。毒舌眼鏡や鬼畜眼鏡の間違いじゃなく?という友人の言葉にわたしはわからないと首を振って返した。しかし、例えこの感動が共有出来ずとも私だけが知っている彼の美しさに、知らず優越と独占欲が湧き上がる。そしてそれはとても醜い感情だと私は知っている。目にかかる黒髪は黒目が大きくていつも潤みがちな素敵な瞳を隠しているけれど、近づいて横から覗き込めばやはりそれはとても綺麗だし、バランス良く配置された鼻にはシルバーメタルの眼鏡のブリッジが乗っていて、そのフレームが落とす陰が黒川君の肌理の細やかな日焼け知らずの肌を際立たせている。絶妙な赤味を持った唇は薄く潤っていて、指を乗せたら指先にその色が移りそうだ。
「綺麗なのは黒川君だわ」
「そんなことを言うのは萌絵さんぐらいなものだよ」
「それならそれでも良いの」
「僕も年頃の男子だからね、それなりにいやらしい事を考えたりするし、スタミナに特化した丼物なんかを食べることもあるんだよ」
こう見えてもね、そう言って薄く笑う黒川君はやはり綺麗に目を細める。
「いやらしい事?」
「聞きたい?」
潜められたテノールにふわりと体が浮いてしまいそう。
「セクシーな、という意味かしら?」
「そう、性的な、という意味で」
ふふ、と黒川君の笑みが深くなる。肌理の細かい肉の薄い皮膚が完璧な笑みを湛える口元に少しだけタックを寄せた。
「じゃあきっと、そんな内側も含めて綺麗なんだわ」
ふふ、と笑うとぼおんと低い音を響かせて時計が16時を告げた。