表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/17

男谷精一郎信友(実在の人物)

※男谷精一郎は歴史上の実在の人物です。物語上では、あくまでフィクション上の人物として描いています。


※下記は史実上の男谷精一郎信友を元に(私情も少しはさんで笑)まとめたものです。






本名:男谷精一郎信友 号は静斎。


人となり:色白・小柄。よく笑い、怒ったところを誰も見たことがなかったとか。温厚でひたすら優しい雰囲気。ただ己自身には極めて厳しく、克己心に長じ、誰もがその精一郎の人間性を尊敬し、御手本としたとのこと。


生月日:1798年2月4日。


※寛政10年だと1月1日にあたる。正月生まれ。

直心影流十三代宗家

最終的に下総守三千石に任官



好きなもの:剣術だけでなく、槍術、柔術、弓術、馬術、水術、とあらゆる武芸を極める超人ぶりを見せ、他に軍学、砲術にも長け、国内外の書物や武芸書、城図面などあわせて数千冊以上は所有していた凄まじい読書家でもあったとか。その読書・学問好きは剣術と双璧を為すほど熱心な取り組みだった。


また絵画や書もたしなみ、書画共にかなりの腕前だったにも関わらず、他人に自慢することも無く、精一郎が書や絵画の達人だったことを知る人は少なかったとも。


ちなみに自身の書に押印した中に「読書撃剣」というものがあったそうで、剣術と学問・読書は共に大切であり、いわゆる「文武両道」を推奨していたわけです。江東区・亀戸天神の「八百萬神」の碑は精一郎の書によるもの。また変わったところでは投網が好きで、魚獲りを楽しむ姿もよく見られたとか。




嫌いなもの:

極めて温厚な性格で、相手の身分を問わず言葉遣いからして至極丁寧。徳の高い人格者だった精一郎にとっては、嫌いなものはその反対を行くような人間の愚行の数々だったはず。また後述しますがプライドに徹底的にこだわらない、不思議な一面をもった人でした。剣神、剣聖と呼ばれるようになったのも当然かも(剣聖、との呼び方は明治以降)。







キャラクター概要解説:


寛政10(1798)年、あの勝海舟の父・勝小吉の従兄・男谷忠之丞二男として誕生。幼名は新太郎(後年、誠一郎 → 精一郎)。


喧嘩・博打・吉原通いと、下手なヤクザ・チンピラが震え上がったという有名な勝海舟の父・勝小吉。彼は精一郎より四歳年下ながら、ティーンの頃には一緒になって、浅草近辺で散々喧嘩三昧の日々を送ったのだとか。後に「剣聖」とまで呼ばれるようになる男谷精一郎とはいえ、若い頃は人格者でも、徳の高い剣客でもなんでもなかったようです。


ただ、剣の修行は若いうちから極めてストイックに取り組み、「地獄道場」と当時有名だった四谷の平山行蔵の道場に入門(勝小吉も入門)。


平山は武器・武具とともに寝ているような、常に戦国時代に居る様な変わり者。しかしその実力は確かで、横綱・雷電為右衛門と力比べの勝負で三連覇するほどの膂力の持ち主だったとか。


当然こんな師匠についた精一郎のその修行は苛烈を極めたといいますが、精一郎はじっと我慢・修行の日々。やがて平山の道場でも認められるようになり、精一郎24歳のころ「御府内兵法名人番付」が刊行されたときには平山門下の四天王、そして「東西の関脇」としてその名が記されるほどだったとか。


……しかし運の悪いことに、平山行蔵の道場は閉鎖の危機に。

平山行蔵は外国勢力も盛んなこの時期、外国を打ち払うための、徹底防備の建白を幕府に提出(平山は他にも将軍家治を非難するような書まで大胆にも提出して処分を受けたことも)、結果として平山は道場をたたむことになったのです。


 ただ、この平山行蔵の「外国勢力への危機感」や、お上に対して伝えるべきことは伝えるという幕臣ながら保守的にならない方向性は、後年講武所を立ち上げる精一郎の人生に大きく寄与していたのは間違い有りません。

特にあの勝海舟に「剣術ではなく蘭学、航海術を学びなさい」と精一郎が説いたことは、後の日本国の行方すら決定付けた、とさえ言えるでしょう。その意味で、平山行蔵もまた、偉大な剣客・人物だったのです。


その後、平山行蔵自身のススメも有り、精一郎は直心影流十ニ代・団野源之進の道場に入門。このとき、精一郎と直心影流の流れが出来るのです。直心影流はその二代目に「初代」の剣聖・上泉信綱が居ます。その同流派の中に、精一郎が加わるというのも面白く、また何かの御導きがあった、と思わずにはいられません。


団野源之進もまた素晴らしい人物で、堅実な道場経営・教育方法等で有名な剣客。精一郎も二十歳前後までには団野に認められる実力者になっていたようですが、同時に前述のごとく、勝小吉と喧嘩に明け暮れていた時代でもあったわけで、人格者となっていくのは、団野源之進の跡を継ぎ、直心影流十三代道場主として活躍するころなのでしょう。


ちなみに男谷精一郎信友の他の剣客と比較して優れている点に、その「破格の出世」があります。最終的に三千石「下総守」にまで登りつめますが、結果として「天保の改革」の水野越前守に認められたことが一番大きかったはずです。


武芸好きな水野は、多数の剣客を集めて試合をさせていたのですが、その中でも精一郎は余りにも強く、小十人組から御徒頭に一気に出世。この頃既に、水野から「天下一の武人」と賞賛されていたというのですから、その力量が判ろうというものです。

その後、御書院番・御徒頭と順調に出世、そしてペリー・黒船の頃には講武所設立の建白書を提出。幕臣に武術・砲術などを訓練する施設作りに奔走、講武所剣術師範役として全国に知れ渡る剣客としてその名声を不動のものとしました。ちなみに下総守となるのは死去数年前で、彼にとっては、最高の栄誉だったでしょうね。






キャラクター概要解説:剣客として



実際、男谷精一郎信友はどれほど強かったのか。


幕府崩壊の直前には病気で死去していた年代ですから、幕末の頃に脱藩浪人として大活躍、という「志士」の年代ではないんですね。勝海舟の25歳年上ですから、そういった「幕末の志士」ではない。また戦国時代も経験していないし、結果として男谷精一郎信友は生涯「ただのひとりも」切り殺した人間はいなかったようです(十代に喧嘩で叩きのめした相手は多数いたでしょうが)。


彼の圧倒的な強さは、道場にありました。実戦は弱かったのだろう、道場で強くたって本当は弱かったのでは、という論調は強く有りますが、しかし男谷精一郎の強さは「どこまで強いのか判らない」とまで当時言われるほどの無敵の強さ。


当時の剣術界は他流試合を広く禁止していました。あるとすれば命がけの道場破りか、公式には認知しない私闘のようなもの。その理由はやはりプライド。職業でもあった道場経営において、先生の地位にある人間が、他流派に負けるわけにはいかないのです。また免許制度ももったいぶったものばかりで、秘密主義が極めて多かった。

しかし、男谷精一郎は「他流試合」を大いに推奨。自らどんな相手でも三本勝負に立ち合ったといい、その他流試合・道場破りに対し、無敗状態で長年相手をいなし続けたといいます。


それは、最初の一本をかならず取り、二本目は負けて相手のプライドに花をもたせ、三本目はまたきっちり勝つというもの。この二勝一敗をどんな相手にも可能だったといいますから、精一郎がどれほど強かったか想像できるでしょう。またその勝ちっぷりも「見事」な一本ではなく、ふわっとした、ほわん、とした優しい打ち込みだったようです。羽目板を踏み抜いて、相手を壁まで吹き飛ばして失神させるような荒業ではなかった。ただ、どんな相手もその「優しい」打ち込みを避けて勝ちを得る事は絶対に不可能だったわけで。見方を変えれば、相手の怒りを買うような、無用な打ち込みを精一郎は避けていたわけです。


男谷精一郎の道場は、当時国内三大道場と呼ばれた「千葉、桃井、斉藤」を遥かに越える力量を持っていましたが、あの有名な千葉周作も簡単に精一郎に打ちのめされたようです。しかし対戦が終わったあと、その千葉周作の修行の進み具合と鍛錬の程を精一郎は絶賛し、これからも貴殿の修行に期待しております……と周作を褒め、逆に嬉しそうな顔で千葉周作は帰って行ったとか……まあ、それくらいの格の違いがあった、というわけです。


また新撰組の近藤たちも男谷道場に練習に行ったことが何度かあったようです。ただ、年代はずっと上の精一郎は近藤や沖田と直接立ち会うことはなく、男谷道場の「練習生」に、近藤たちは散々にやられて帰ってきたとか……まあ、精一郎は優しく微笑みながら、近藤勇に賞賛の言葉をかけたという話もあります。



精一郎としては「くだらないメンツにこだわるあまり、同流にとじこもってプライドを重視するような愚かな考え方では駄目だ。外国勢力が今まさに日本国に侵略しようというとき、国内すべての剣客が強くなるべきで、細かいことなどどうでもよい」と、プライドやメンツにこだわらない、極めて広大無辺なモノの考えができた人だったようです。講武所設立しかり、勝海舟を導いたこともしかり。「剣術なんてやってる場合ではない、蘭学をやりなさい、航海術を学びなさい。この国を行末を左右するような、大きな人間になりなさい」と説いたのも同様の考えから、でしょう。


男谷精一郎信友は、幕臣で、坂本龍馬や新撰組のような派手なエピソードはありません。まあ言ってみれば、警視庁のお偉いさんのようなお堅い地位にあったのも事実なので、小説やドラマ、漫画にはなりにくい人物です。


ただ、その強さと共に併せ持つ、その神の如き人格や徳の高さ、広く未来を見通せる見識の深さ。それらは多分、長い日本の歴史の中でも極めて珍しく、伝説の剣聖「上泉信綱」と並び称されるのは当然でしょう。武蔵も卜伝も一刀斎も「剣豪」だとは思います。その強さは伝説的なものはあり、歴史にその名は刻まれて居ますが、「剣聖」と呼べるかどうか別だと思います。もちろん強さだけなら、剣客・剣豪としてなら「剣聖」でも良いのでしょうが……上泉信綱や男谷精一郎にある「徳の高さ・神々しい人格、人間性」が彼らにあるかどうか……? と、わたしは疑問に思います。




 



キャラクター概要解説:プライドにこだわらない精一郎



小説やドラマ、漫画として取り上げられるには、やはり「かっこよく」なければならない。バッサバッサと何人もの不逞浪士を切り倒し……なんてシーンは極めて小説的です。その意味では、男谷精一郎信友は「かっこよい」場面は少ない人物です。いや、むしろ「かっこ悪い」と思えるようなエピソードも残って居ます。


精一郎は親類が居たという秩父の山々を歩くのが好きでした。

あるときなどは秩父の山中で、狼が数十頭襲ってきたのを、すべて討ち果たした、とのエピソードも残ります。


さて、そんな精一郎が大好きな秩父の山道を歩いていたときのこと。

そこは細道で、一方は切り立つ崖。一方は急流を下に眺める谷。人間ひとり以上通れる幅は無い。そんな、三尺ばかりの狭い細道を歩いていたときのお話。


その細道の向こうから、三人ほどの武士が歩いてくる。三人とも深編笠で木刀背負い。一見して逞しい剣術修行者風でした。

この細道に精一郎が半ば以上踏み込んでいるのを判っていて、この三人は「馬鹿者退れ!」と怒鳴りつけた。こうなると双方どちらかが相当な距離を下がらなければならない。


精一郎は「いかかであろう、互いに抱き合ってからだをかわせばこの細道を通行できましょう」と三人に言った。


しかし三人は「黙って退け! それが嫌なら我々の股をくぐって通れ!」

明らかに喧嘩を売ってきているのが判った精一郎。


「そうしましょう」と精一郎は三人の股をくぐって、振り返りもせずにスタスタと細道を歩いていったとか。


しかし後日、この剣術修行者風の男が男谷精一郎の名声を聞いて、信友の道場に入門にやってくる。すると、道場の奥の奥に座っている、天下一の大先生が、あの股をくぐった意気地の無いあのサムライ……それを見て、ぞおっと、顔が青くなったとか……。


こんな類の逸話は他の剣客にもあるので、なんとなく作り話のように聞こえますが、幾つかの同様の証言も有り、ほぼ実話のようです。たとえ細かい点に違いはあったとしても、男谷精一郎信友と言う人物が、こんな人間だった、というのは判りそうなエピソードですね。






キャラクター概要解説:物語「東菊花は世界を救う」内の精一郎



ここまでお読みいただいた方は何となく想像できるでしょう。史実の精一郎は、捨て子を保護したとか、精信慈悲院を設立した……というのは、わたしの作り話です。捨て子たちに囲まれて生きていた、というのは現実ではありません。


ただ、真実の男谷精一郎信友は、捨て子やみなしごのために、というよりは、前述のように「この日の本の国を外国勢力から死守するために」奔走した人物です。ただ幕臣ゆえに坂本龍馬や西郷隆盛、桂小五郎のように大胆不敵・神出鬼没の大活躍をしたわけではありません。その行動は「公務員」であるその範疇で、必死になって取り組んだ結果です。それら一連の行動は、道場閉鎖に追い込まれた師匠・平山行蔵への思いも含まれていたはずです。



彼が、何を残し、何をこの国に残したか……といえば、顕著であるのはやはり「勝海舟」を世に送り出したことです。勝海舟の存在は幕府内だけでなく、倒幕勢力に対しても多大な影響をもたらし、幕末~明治初期においては、彼なくしては日本の夜明けはなかったことでしょう。


また、信友の右腕とも言われた島田虎之助、恥を忍んで撃剣興行を主催し、職をなくした士族達の救済に当たった一番弟子の榊原鍵吉、捕方を殺害した「お尋ね者」の坂本龍馬を殺害し、戊辰戦争を戦い抜いた今井信郎。大東流合気柔術の達人・武田惣角(榊原鍵吉の弟子)……数多くの弟子に与えたその影響は計り知れません。



1864年7月16日卒。


最新鋭の武器類を背景に、長州や薩摩の軍隊が幕府、そして自ら設立した講武所を崩壊させるのをその目で見ることなく……天に召されたのは幸運だったのかもしれません。




参考文献:ふところ手帖 子母澤寛 中央公論社 昭和五十年 他


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ