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『帰郷』 一

 街道に沿って続く墨色に塗られた板塀が不意に途切れる。

 小さいが立派な冠木門の前で少女は立ち止り、鞄に手を入れる。組紐の飾りがついた錆色の鍵を挿し込み、力を入れて開けた。

 騒々しい音を立てながら戸を開かれれば、微かに残った朝靄のせいでぼやけた視界に平屋建ての日本家屋と庭が映った。うず高く積もった色とりどりの落ち葉や花弁。灰色に風化した雨戸を締め切った窓。まるで廃屋のようなさまの家。

「結構荒れてるわね」

 誰に聞かせるとも無く、月はぽつりと呟いた。


                     閑章 『帰郷』     一


 同じようにして玄関を開け、ひんやりとした土間に足を踏み入れた。土埃がきらきらと舞うそこは、外とは別世界の様な暗い空間だった。

 暗い室内にためらい無く足を踏み入る、靴を脱ごうか一瞬考え靴下ごと脱いで畳に上がる。

「どうせ汚れるのわかりきっているし」

 呟く独り言も家中に響くかのように思える。静寂が立ち込め、廊下を歩む音もやたらと響く。ねじ込み式の鍵を開け雨戸を片っぱしから開け放つと、新鮮な空気が部屋の中に溜まった古い空気を押し流していくようだ。

 すべての雨戸を開け、ついでに襖も開け放ってしまうと月は満足したように頷き、奥の部屋に向かった。白くくっきりと足跡が残ってしまう畳の上を苦笑しながら歩き、ぺたんと仏壇の前に正座する。無言で軽く手を合わせでから静かに口を開く。

「ただいま。母さん、父さん、おじいちゃん」




「よし」

 ハタキを片手に気合いを入れた。しっかりとハンカチを口元に当て、一部屋ずつ回る。天井からは絶え間無く綿埃や蜘蛛の巣が降ってくるため、視界は程無く真っ白に染まった。

 全ての部屋が終る頃には月も全身にも嫌と言うほど埃を浴びていた。縁側に行き軽く叩くが、もうもうと煙にも似た埃が舞い上がり、黴臭い空気が漂うだけで効果は見られない。ため息をつき、奥の台所へ向かい、水道を捻った時点である事に気が付いた。

「そういや水道止まっているんだった」

 仕方なく元通りに蛇口を戻してから裏庭の井戸へ向う。

 明らかに錆び付いている井戸のポンプを微かな期待を込めて押してみる――――――が、やはり動かない。月は早々に諦めて塀の途切れた部分へ足を向けた。

 そこには神社近くの川の支流の一つにあたる小川が流れていて、幅は無いが勢いがありよっぽど豪雨の後でもない限りは常に澄んだ水があるのだ。

 膝をついてしゃがみ込むと、ためらう事無く手で水を掬い顔を洗う。タオルで拭いた後、澄んだ水の中にタオルを放り入れ、軽く絞って髪を拭った。本当なら全身に浴びてしまいたい所だったが、現在の季節が晩秋である事と、着替えを持参していない事実が月を思いとどまらせた。

「ここは変わらないわね」

 眼の前には長細い石を渡した簡単な橋があり、その先には鬱蒼とした竹林が広がっている。絶え間なく黄色い笹が振ってきて、水面を鮮やかに彩る。

 過去の光景が鮮やかに蘇り、月は思わず微笑んだ。

 バケツに水を汲み入れ庭木をぬって家へと戻る。

 納屋から持ち出してきた古新聞を細かく裂き、ブリキのバケツに入れた。十分に湿り気を帯びた事を確認してから取り出し、軽く水気をきって畳に撒いていく。

 全ての部屋に撒き終った後、それを集めるかのように畳を箒で掃いていく。

 ざっざっと箒が通るたびに、その場から長年の塵が掻き出されていく。枯れ草と土が混ざったような匂いが部屋中に満ちた。

 十分に埃を吸った古新聞はまとめて犬走りに落とす。秋特有の明るい空を眺めて一つ伸びをすると、箒を雑巾に持ち代え又部屋へと引き換えした。

 硬く絞った雑巾で黄色に変色した畳に膝をつき、力を入れて拭く。

 埃を吸い込んだ畳は乾燥していて直ぐに雑巾の水分を奪ってしまうため、月は何度もバケツと畳を往復した。

 水に濡れた畳は本来の艶を僅かばかり甦らせ、木目の美しい床や柱からは焦げたような匂いが立ち上ってくる。




 床と言う床、柱と言う柱、すべてをすっかり掃除し終える頃には、陽は中天へと昇っていた。

 痺れるように痛む膝を曲げ伸ばしながら屋外へ出ると、まぶしさに一瞬眼が眩む。ちかちかと白い星が目の前に踊り、血の気が一気に引いた。どうやら夢中になりすぎて、知らないうちに頭に血が上っていたらしい。

 空を見上げ、予想より上にあった陽を見て驚き時計を見る。時刻は正午近かった。

 もう一度空を見上げて、薄墨色の瞳を細めて位置を確認し、腹具合に余裕がある事を確かめてから、作業を続行する事を決定する。

 川を何度か往復して、雑巾をすべて洗ってしまった後、汚れた水を庭へとぶちまけた。

「枯れ山水っというより、あばら家の庭ね」

 感想をしみじみと呟く。箒やバケツなどを納屋へ持っていくと、そこで熊手と鎌を見つけた。

 しげしげとそれらを見つめ、庭掃除をしよう、と決心する。

 通常、朝から掃除をしている人間は考えもしない発想だろうが、意外にも熱中しやすい一面を持つ少女はいそいそと庭へと向かって行った。

 門の辺りから深く生い茂った草をざくざくと刈っていく。初めの頃は要領がつかめずに手間取ったが、直に慣れると次々に枯れかけた雑草を刈っていった。

「痛っ」

 手を引き指先を見ると、小さな深紅の血玉ができていた。どうやら枯れた草で切ったらしい。口に含もうとしたが、泥がこびり付いているため止めた。

 しゃがんだまま見渡せば、表の庭はほとんどの草が刈られていた。

 立ち上がり、熊手を持ってくると、落ち葉と一緒に枯れ草を一箇所へ丁寧に寄せていく。




 再び小川で手を洗い、靴を履いたまま縁側から身を乗り出し腕を伸ばして鞄を引き寄せる。

 秋晴れの空の下、使った布類はすべて竹の物干し竿に月の手で干され、生き物のようにはためいている。月は縁側に座り、持参した鞄から水筒と弁当箱を取り出し、遅めの昼食を摂り始めた。

(そういえば、私。あの日もこうやって縁側で一人で座ってた)

 不意に昔の記憶が甦ってきた。

 両親と生家を失った、あの日の事を。

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