第5話:『「悪役令嬢」という称号、謹んでお受けしますわ』
静寂が、パーティー会場を重く押し潰していました。
リリアナ様が床に崩れ落ち、セドリック殿下が怒りに顔を歪める。その光景を、ドラクロワ帝国の皇帝アラリック様が、まるで退屈な余興でも眺めるような目で見下ろしています。
「……ええい、黙れ! 黙れ黙れ黙れッ!」
セドリック殿下が、ついに理性の糸を切らしました。
彼は腰の飾剣を抜き放ち、その切っ先を震えながら私へと向けたのです。王族が、非武装の令嬢に剣を向ける。その瞬間に、彼の『王位継承者』としての資質は完全に死に絶えました。
「エレノラ・フォン・ロスタール! 貴様は我が婚約者のリリアナを侮辱し、あまつさえ国家の経済を混乱させるという大罪を犯した! これは明白な国家反逆であり、不敬罪だ!」
殿下の叫びに呼応するように、周囲を囲んでいた近衛騎士たちが、一斉に鞘から剣を抜き放ちます。
金属の擦れる不快な音が、会場に響き渡りました。
「近衛騎士団! 何をしている、その『悪役令嬢』を捕らえろ! 逆らうようならば、その場で切り捨てても構わん!」
リリアナ様が、涙に濡れた顔で醜く口角を上げました。
そうだ、殺してしまえばいい。自分を追い詰める『数字』も『事実』も、その持ち主ごと消し去ってしまえば、また元の『幸せな世界』に戻れる。……そんな、子供じみた幻想が彼女の瞳に透けて見えます。
「……『悪役令嬢』、ですわね」
私は、向けられた剣の切っ先を、扇でそっと横へ退けました。
一歩、また一歩と、私は自分を包囲する騎士たちの方へ歩み寄ります。
死を恐れぬ私の足取りに、訓練されたはずの騎士たちが、気圧されたように後ずさりました。
「殿下。わたくしをそのように呼んでくださること、心より感謝いたしますわ。……ええ、謹んでお受けいたします。わたくしは確かに、この国にとっての『悪』なのでしょうから」
「ふん、ようやく自覚したか! ならば大人しく――」
「ですが、殿下。わたくしを一人捕らえることの『コスト』、計算できていらっしゃいます?」
私は立ち止まり、優雅に、首を傾げて微笑みました。
「わたくしがロスタール公爵家、および提携している全商会と結んでいる契約の中には、一つの特別な条項がございますの。……『クロス・デフォルト(連鎖破綻)』。ご存知かしら?」
「くろす……なんだと?」
「簡単に申し上げますわ。もし、わたくしが不当に拘束、あるいは生命の危機に晒された場合、わたくしが管理するすべての債権は『即時一括返済』が要求されるという契約です。……これは、王宮だけでなく、今わたくしを囲んでいる騎士の皆様、そのご実家である貴族家すべてに対しても有効ですわ」
騎士たちの手が、目に見えて震え始めました。
「近衛騎士団第一隊長、ボルマン卿。あなたのご実家は、先月の冷害で損害を出した際、わたくしの商会から金貨五百枚の融資を受けていらっしゃいますわね? ……わたくしがここで捕らえられた瞬間、あなたのご実家には『明日の朝までの一括返済』が要求されます。できなければ、領地は没収、ご家族は路頭に迷うことになりますわ」
「なっ……!?」
「第二隊長、カイル卿。あなたも同様です。お父様の賭博で作った借金、わたくしが買い取って利子を凍結して差し上げていましたけれど……わたくしに何かあれば、その恩恵もすべて消え失せますのよ?」
騎士たちの間に、戦慄が走りました。
彼らが握っているのは、私を殺すための剣ではありません。
自分たちの生活を、家族の未来を切り刻むための刃だったのです。
「何を怯えている! 行け、行かんか!」
セドリック殿下が狂ったように叫びますが、騎士たちは一人として動きません。
彼らはもう、殿下の『騎士』ではない。
私の『債務者』として、支配されているのですから。
「……醜いな」
背後から、皇帝アラリック様の低く、冷徹な声が響きました。
彼は私の肩を抱き寄せ、セドリック殿下を冷笑します。
「自分の無能を暴力で隠そうとするとは。セドリック、貴様には王冠よりも、道化の帽子の方が似合っているぞ。……エレノラ、もうよいだろう。こんな腐り落ちた国に、君の慈悲は勿体ない」
「ええ、陛下。仰る通りですわ」
私は、ゆっくりとセドリック殿下とリリアナ様に向けて、最後の手向けを口にしました。
「わたくしは今日、この国を去ります。……ですが、わたくしがこれまで国を支えていた『契約の鎖』は、これから皆様の首を絞める『死刑台の縄』へと変わるでしょう」
私は、手にした扇を床に落としました。
それが、この王国との、完全なる訣別の合図。
「悪役令嬢としての最初の仕事ですわ。……皆様、どうぞ明日からの『地獄の取り立て』を、存分に楽しみになさって」
私たちは、呆然と立ち尽くす人々を残し、悠然と会場を後にしました。
背後で、誰かが力なく剣を落とす音が響き、それが崩壊の序曲のように聞こえましたわ。
第5話、お読みいただきありがとうございます。
「私を捕らえるなら、国ごと心中する覚悟はおありかしら?」
これこそが、エレノラ・フォン・ロスタールの真骨頂。
経済という見えない鎖で、最強の騎士たちすら無力化するカタルシス、味わっていただけたでしょうか。
「悪役令嬢」の看板を背負い、ついに国を捨てるエレノラ。
彼女が去った後の王国に、どのような絶望が訪れるのか……。
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次回、第6話は『夜会の終わりに、世界で最も高貴な「迎え」を』。
ついに舞台は隣国へ! 皇帝アラリックがエレノラに用意した、最高の「報酬」とは?
どうぞお楽しみに!




