第7章 大村軍侵攻
なお、この文章を書くにあたり、生成AIを利用していることを前もって明記します。
朝霧は低く、峠を呑んでいた。
物見の息は白い。
「大村、八百!」
龍重は空を見た。風は東。
「日見峠五百。二百は桜馬場。」
空海が目を細める。
「速いですな。狼煙が無ければ間に合っておりませぬ。」
「速いなら、止める。」
峠は狭い。
両脇は急斜面。道幅は馬二騎が並ぶのがやっと。
農兵が鍬を振るう。
竹を切り倒し、斜めに打ち込む。笹を束ね、地面に伏せる。斜めに切った竹杭を泥に隠す。泥に水を混ぜる。
糞尿を桶に溜める。
「全部使え。」
美しくはない。
だが戦だ。
「精兵八百だぞ。」
若い家臣が笑う。
「五百の農兵など、蹴散らせ蹴散らせ。」
先鋒が峠へ入る。霧が薄くなる。道が細い。竹柵。
「押せ!」
突く。ぶつける。
竹がしなる。後列が押す。足元で笹が滑る。転ぶ。
崖上から石。鈍い音。悲鳴。斜面を転がる音。
「盾を出せ!」
だが道が狭い。密集する。糞尿が飛ぶ。目に入る。
吐く。
「卑怯者!」
「戦に卑怯も糞もねぇ!」
農兵の叫びは震えるが、一歩も退かぬ。
龍重は前に出ない。少し後ろ。
「近づけるな。」
農兵が竹槍を突く。
竹は折れる。折れても新しく、また突く。
火をつけた竹束を投げる。
乾いた笹が燃える。煙が峠に溜まる。咳き込む。
視界が揺れる。
「水を!」
桶の水が泥に変わる。滑る、転ぶ、押される。叫び声。
「突破せよ!」
後方から怒号。八百の圧。
押し込めば勝てる。だが道は一本。
倒れた兵が障害物になる。
踏み越える。さらに石。
焦りが広がる。
「出てこぬか!」
農兵たちは出ない。
投げては退く。突いては引く。峠の奥へ。追うと柵。柵を越えると泥。泥を越えると落とし穴。深くはない。
だが止まれば上から石。
日見峠が敵になる。
三刻。日が昇る。
峠は臭い。血と糞と煙。
龍重の横で空海。
「削れております。」
「まだ足りぬ。」
虎の子の弓隊を出す。
「近づいたら撃て。」
曲射。鎧の隙間、首筋。悲鳴。
大村側が一瞬引く。
そこへまた石。
また糞尿。
「押せ!」
大村は再び来る。
竹槍が折れる。折れた先で刺す。
刀で切られる。農兵が「おっかぁ!」と叫び倒れる。
だが後ろからまた出る。誰も逃げぬ。
自分の峠だ。
三日目。
兵糧を開ける。
「まだ持つ。」
だが空気の流れが変わった。
「たかが農兵に。」
農兵ではない。土木兵だ。峠が敵だ。
「回り込めぬか。」
斜面は急峻。甲冑などを脱げばできるか……転落。骨折。さらに怒り。
怒りが広がる。
「強行せよ!」
全軍突貫。
押し込む。前列が柵に張り付く。
後列が押す。密集。
後列の一人が叫ぶ。「戻れ!」
だが前は聞こえぬ。後ろは押す。
八百は、己に潰され始めていた。
「今じゃ。」
長与側。二丈弱の太竹で叩く。槍ではない。叩き潰す。
狭い。下がれぬ。
崩れる。後方が止まる。前方が倒れる。
連鎖。八百が詰まる。
龍重は石を拾う。
ただの石。
「急ぐな。」
速さは武器だが、速さは刃でもある。
農兵が叫ぶ。
「押せ!」
押し返す。竹槍で突く。
火の竹を投げる。煙が逆流する。風が変わる。
北風。煙が大村側へ。咳き込み、列が乱れる。
「押し戻せ!」
峠の入口まで押す。
完全追撃はできぬ。皆、限界だ。
「止まれ。」
空海が言う。
「逃がしますか。」
「追えぬよ。限界じゃな。」
生きて戻るほど、大村の蔵を削る。
殲滅の余力はない。
時間。時間が勝ち。
大村側は大げさに伝令が徒で触れ回る。
「退け。」
怒号。兵は散る。峠を抜ける。
背中に石。だが追撃は浅い。
振り返る。農兵が立っている。
血と泥。だが崩れぬ。
八百は退く。峠に残ったのは、怒号ではなく、息の音だった。
日見峠は残る。
夕暮れ。峠は静か。
死者を運ぶ。農兵が泣く。仲間を抱く。
龍重は頭を下げる。
「よく守った。」
歓声はない。
だが目を逸らさぬ。
村長が言う。
「若、峠は守った。」
若い衆が言う。
「逃げぬと決めておった。」
老婆が手を合わせる。
僧が経を読む。
血の匂いが風に混じる。
龍重は峠を見下ろす。
「速き水は、削り、濁る。」
空海が横で小さく笑う。
「澄むまで待ちましたな。」
遠くで狼煙が上がる。
まだ終わらぬ。
だが、村落の目は変わっていた。
恐れではない。
信。農兵が八百を止めた。
卑怯も使った。泥も撒いた。
だが守り切った。
日見峠の夜は冷たい。
しかし、長与は沈まなかった。
「若!」
薄汚れた物見が駆け寄る。
「飯盛にて敵兵糧隊、焼き討ち。二十名全員帰還!」
どよめき。
空海が額を押さえる。
「人手が少ないのに何を。」
「相手の蔵をさらに削った。十分じゃ。」
この一撃も響く。
桜馬場、三重、外海、そして神浦城。
「本河内と地空僧正、上手くやるじゃろうなぁ。」
峠の上で、夜が落ちる。
勝ったのではない。守った。
それだけ。だが……信は、峠を越えた。
峠の夜が冷え込む頃。
本河内邸。光輝は算盤を弾いていた。珠の音は一定。乱れない。
「退いたか。」
報告は簡潔だった。
「日見峠にて三日膠着の末、撤退。兵糧隊一部焼失。」
光輝の指が一瞬だけ止まる。
「兵糧。」
「飯盛にて焼き討ち。二十名、無事帰還とのこと。」
算盤の珠が、ひとつ大きく弾かれる。
「……やりおる。」
怒りではない。認識だ。
八百を動かすには銭が要る。兵糧が要る。関銭の上げ下げだけでは足りぬ。
長与は峠で止め、さらに蔵を削った。
「退路を削りおったか。」
家人が問う。
「追撃は。」
「浅い。」
光輝は小さく笑う。
「追えば武勇。追わねば計算。」
視線が庭へ向く。武勇は銭を減らす。我慢は銭を残す。
「信太は後者だ。」
勝ったのではない。
持たせなかった。
それが商いには一番効く。
「関所を緩めよ。」
家人が驚く。
「今、でございますか。」
「締めすぎれば、こちらが詰まる。」
塩がある。紙がある。峠もある。
止め続ければ、商流が細るのは大村側だ。
「銭は流してこそ銭だ。」
珠が軽やかに戻る。
光輝は静かに呟いた。
「儂が握ったつもりで、握られておるやもしれぬ。五十一は……まだ揺れておるな。」
同じ夜。
日翔寺。
地空は徳利を置いた。
「退いたか。」
小僧が頷く。
「峠守り切り、兵糧隊焼き討ちとのこと。」
地空は鼻で笑う。
「煤は払えたかの。」
失敗紙の山を思い出す。
川を浚い、塩を干し、峠を守る。
「水は濁るが、澄む。」
堂内の灯が揺れる。
「寺に来る文は。」
「増えております。長与の采配、見事と。」
地空は片目を細める。
「人は勝ちに寄る。じゃがな。」
徳利を傾ける。
「守りに寄る。」
攻めは一瞬、守りは記憶に残る。
峠を守った。それは信になる。
「本家はどう出る。」
小僧は答えられぬ。
地空は笑う。
「締めれば折れる。緩めれば流れる。」
杯を置く。
「龍朋は守りの男。焦れば硬くなる。」
そして低く。
「半歩、じゃな。半歩遅れた守りは、半歩踏み込んだ攻めに崩れる。」
風が寺の戸を鳴らす。
遠く、まだ煙の匂いが残っている。
地空は阿弥陀に背を向けたまま呟いた。
「盤は、広がった。」




