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肥ノ国立志伝~戦国制度革命史  作者: 日野龍哉


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第3章 不退転

生成AIの力を借りながら細々とやらせてもらっております。

挿絵(By みてみん)

 豊後国、久住山麗にある某村。

 朝霧が川面を這う。水は皮膚を裂くように冷たく、透き通っている。

 龍重と空海は旅で迷ったふりをしながら、目的地にたどり着く。

 粗末な作業小屋。所々壁には穴が。だが、紙漉き道具一式は使い込まれながらも丁寧に手入れされていることが伺える。

 中では数人が黙々と簀桁を振る。一心不乱。

 親方が静かに言う。

「徹頭徹尾。」

 だが若い職人が、揺らしを微妙に変える。

 紙が薄く、軽い。

 親方の目が光る。

「余計な真似をするな。」

 若者、低く。

「売れませぬ。」

 手を動かしながらも、場が凍る。

「売るためではない。」

 厳しい口調。

「では何のために漉く。」

 平手。

 水音だけが響く。


「当たりですな。」

「縛られておるのぉ。」

「才はある。」

「その紙、軽いな。」

 出てきた若者が二人を睨む。

「よそ者は帰れ。」

「帰らぬ。」

 にらみ合う。

「任せたい。」

 龍重の突然の言葉に、職人の怒気は抜け落ちた。

「何を。」

「場を。」


「弟子はやらぬ。」

 親方が出てくる。

「奪わぬよ。」

 苦笑する龍重。

「奪う力なんぞないわな。」

「一年、預かりたい。」

 突然来た二人の妄言に親方は鼻で笑う。

「戻る保証は。」

 無いんだろう? と嘲るが、

「戻りたいと言われれば、止める手立てはないのぉ。」

 若者の目が揺れる。

 既に、若者の退路は狭まっている。親方に反論で波紋、伝統でなく異端の作り方で追放寸前。

 龍重は言う。

「失敗しても追い出せぬ。」

 若者が呟く。

「なぜ。」

「儂も追い出されかけた。」

 沈黙。若者、拳を握る。


 遠くから修験者の法螺。

 ここは大友領ながら、阿蘇系の神道勢力が強い。

 空海が低く耳打ちする。

「ここまでかと。」

 親方、最後の条件。

「寺の文を持て。」

 どうせそんなつながりないだろ、と言わんばかりに。だが、龍重は間髪を入れず、

「日翔寺住持、北天海院地空僧正の名でよいか。」

 親方、止まる。こんな地方で僧正の名を出されれば言葉にならない。

 名分と面子が立ってしまった。


「一年。」

「一年で形にする。」

 若者の決意に、龍重は微笑む。

「三年だ。」

「欲張りですな。」

「欲は伸ばすものよ。」

 二人の会話に、空海は呆れる。


「危うい橋です。」

「渡る。」

「ドケチな犬が嗅ぎつけましょう。」

「蹴とばす。」


 親方は若者を一瞥する。

「一年だ。ただし。」

 指を一本立てる。

「技は持ち出すな。」

 空海、即座に応じる。

「持ち出せませぬ。技は人の中にある。」

 親方、鼻を鳴らす。

「もう一つ。名を汚すな。」

 龍重、即答。

「汚さぬ。」

「汚せば?」

「日翔寺が責を負う。」

 親方の目が細くなる。

 寺を盾にした。

 軽い若造ではない、と判断する。

 若者に向く。

「行くか。」

 沈黙。木の葉がざわめく。遠くでまた法螺が鳴る。

「行きます。」

 親方は若者に突きつけ言う。

「戻らぬなら破門だ。」

 若者、力強く頷き、

「承知。」

「これで豊後側の面子は立ちました。」

「若い芽は折らせぬ。」

「芽は伸びます。芽も根を伸ばさせるんでしょ。」

 龍重、苦笑。


 山を下りながら、

「楮はありますか。」

「……探す。」

 空海、即座に補足。

「楮は日向から引く。」

 若者、驚く。

「そこまで。」

 いや、とっさだろうな。健が呟く。

「場は作ると言った。」

 ここで若者の中の疑いが少し溶けるが、

「……場はできているのか?」

 疑問が残る。

 ふと、荷物をまとめて出る際に、親方に言われたことを思い出す。

「軽い紙は売れるかもしれぬ。」

 作業に戻った親方が、若者の背に向けて呟く。

「だが軽い心では漉くな。」

 若者、深く頭を下げる。


「完全に喧嘩を売りましたな。」

「誰に。」

「豊後の寺にも、商人にも。」

「売ったか?」

「ええ、日翔寺、巻き込まれましたな。」

 そう言いながら怪しい笑みを浮かべる。

 生臭坊主の泡吹く姿を。

「喧嘩のつもりはないんじゃよ。ただ……。」

「ただ?」

「橋をかけただけよ。」

「よく燃えそうな橋ですな。」

 龍重、笑う。

「よく燃えそうだからとっとと渡るさね。」


 山道を下る。

 朝霧は晴れ始め、谷が開ける。

 若者が歩を緩め言う。

「名は。」

 龍重、振り返る。

「名?」

「紙に刻む名です。」

 空海、わずかに目を細める。

 親方は名を汚すなと言った。若者は“名を刻む”と言う。

 龍重、少し考える。

「日翔寺。」

 若者、首を振る。

「違う。」

 沈黙。

「誰の名で漉くのか。」

 ここで初めて龍重が理解する。

 紙の責任の署名だ。

 龍重、静かに言う。

「お主の名が良い。」

 若者、立ち止まる。

「……軽くなりますぞ。」

 龍重。

「軽い紙は遠くへ行く。」

「軽い名では?」

「重くするのはお主じゃな。」

 沈黙。

 空海、横で小さく笑う。

「無責任に聞こえますが、全部背負いますよ、この馬鹿。」

「おい。……まぁ、背負わねば場は作れぬからな。」

 若者、低く言う。

「場が潰れたら。」

「潰させぬ。」

「潰れるでしょ。」

 龍重、空海を睨むが平然と、

「潰させぬように動くのが我らの役目です。」

 若者の口元がわずかに緩む。


 肥前国、長崎街道日見峠付近。山の向こうに影。

 空海、小声。

「既に伝わっていますな。」

「光輝か。」

「いえ。」

「地空か。」

「おそらく。」

 まぁ、日翔寺住持北天海院地空僧正の名を出したからな。確認とかで早馬が飛んでいてもおかしくない。

 若者、息を飲む。

「……帰れと言われることは。」

「言われるじゃろな。」

「止めるか。」

「止めぬ。」

 間。

「止めねばどうする?」

 若者ふぅと息をつき、

「私の居場所はここですよ。」

 ここで若者は完全に決断した。

 もはや引き抜きに見えるが、共犯だ。


 長与郷、川辺。

 若者が最初に水を掬う。

 指先が止まる。

「……違う。」

 空海が横から覗く。

「冷たいですが?」

 若者、首を振る。

「冷たいだけなら井戸水でしょう。だが、井戸水では作りませぬ」

 沈黙。

 久住の水は刺すように冷たく、それでも丸みがあった。

 ここは硬い。重い。繊維が暴れる。

 楮を叩く。灰汁を入れる。漉く。揺らす。

 紙らしき物は出来る。

 だが乾かすと……繊維が立つ。毛羽立つ。

 薄くしたはずなのに、締まらない。

 若者、低く。

「売れません。」

 龍重、唇を噛む。

「直せ。」

 若者、振り返る。

「水を?」

 沈黙。


 灰汁を、叩き方を、揺らしを変える。

 伝統が通じない、小手先が通じない。

 三日。五日。七日。

 山のような失敗紙。

 空海が淡々と報告。

「楮、三割消えました。」

 龍重、顔色が悪い。

「椎茸は。」

「ようやく、他の木に移せたばかり。」

 若者、呟く。

「場はあると言いましたよね。」

 刺さる。


 翌朝、光輝の使いが来る。

 書状には漢文で、

「椎茸尚未成耶。

(椎茸なお未だ成らざるや。)

 未遠而勿沈。

(いまだ遠からずして沈むことなかれ。)」

 沈黙。空気が冷える。

 わざと漢文。寺社の動向も把握済み。

「きついのぉ。」


 夜。若者の家に龍重が来ている。

 若者がぼやく。

「戻るかもしれません。」

 龍重、即答しない。

 空海も黙る。

 燭台の炎が揺らぐ。

「場は未完成です。」

「場は壊れたかね。」

「……まだ。」

「なら壊れてから考えよう。」

 若者、わずかに笑う。


 翌日、日翔寺の本堂で、地空と向かい合う。

 失敗紙の束が畳に置かれる。毛羽立ち、歪み、繊維が暴れている。

 地空は一枚手に取る。光に透か、鼻で笑う。

「煤まみれじゃの。」

 龍重も空海も目を伏せる。

 若者、拳を握る。

 地空、紙を畳に戻し、ゆっくり言う。

「炭に火もつけられぬか。」

 刺すように。

 龍重が低く、

「炭はある。」

「ほう。」

「火が弱い。」

 地空、徳利を傾けながら。

「弱い?」

「弱い火では水を変えられんでのぉ。」

 地空、笑う。

「水を変えると申したな。」

「はい。」

「川を変える気か。」

 沈黙。

「変える。」

「火も碌に着けられぬ者がか。」

 静寂。

 若者が口を開く。

「水が重い。」

 地空、若者を見る。

「誰じゃ。」

「漉き手です。」

「なら水を語れ。」

 若者、息を吸う。

「川底に泥が溜まり、流れが鈍い。繊維が締まらぬ。久住の水は、冷たいが澄んでいる。」

 地空、頷く。

「なるほど。」

 龍重を見る。

「餅を焼くとは、そういうことじゃ。」

 地空、畳を指で叩く。

「堤を作ると言うたな。」

「はい。」

「浚渫せよ。」

 空海、即座に反応。

「金が些か足りませぬ。」

「椎茸で利を取るのじゃろう。」

 徳利を傾ける。。

「紙で名を取るのじゃろう。」

 沈黙。

「なら水で信を取れ。」

 重い。

「寺は信で動くと言うたな。」

 龍重、ゆっくり頷く。

「川を清めるは功徳じゃ。」

 空海、目を上げる。

「……寺を動かすおつもりで。」

 地空、薄く笑う。

「火起こしは、風が大切でな。」

 龍重、顔を上げる。

「地空僧正。」

「なんじゃ。」

「炭は湿っておる。」

 何だそんなことか、と言わんばかりに、

「乾かせ。」

「どうやって。」

 即答。

「晒す。」

 沈黙。

「失敗を曝せ。村に、寺に見せよ。商人にもな。」

 空海、息を呑む。

「恥を晒せと。」

「火は恥から起きる。」

 若者が初めて地空を見る。

 この坊主、ただの酒臭い生臭ではない。

「煤まみれで終わるかね。それとも、黒を赤に変えるか。」

 龍重、静かに言う。

「赤に。」

 迷いのない視線に、ふんと鼻を鳴らして地空は言う。

「川へ行け。お前の場所は紙漉きの場ではない。」


 本堂を出る。

 若者は立ち尽くす。

「……私は。」

 龍重は振り返らない。

「お主は漉け。」

「川は。」

「儂が掘る。」

 空海、ぼそり。

「掘るのは村人ですがな。」

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