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 とは言うものの、俺自身、自分の行動が理解できずにいる。

 あれから、週末とか仕事の後とかに、何度かヒナ先生と会っている。ヒナ先生に呼び出されるまま断りもしないで、アラサーの男二人、飯を食いに行く。

 自分でも分からない。相手が男だと分かったなら、もう用はないと思ったのに。そればかりかヒナ先生は、自分の言動は俺への好意からのものだと――つまり俺のことが好きだと――宣言しているのだ。

 そんな男からどうして俺は、逃げないでいるのだろう。

「あの、ホッシー先生」

その人の声はいつも穏やかなのに、どうしてこうも、いっぱいに張った水面を揺らすような、並々ならない緊張感に包まれているのだろう。

「先生、今、楽しいですか」

「え……」

「僕が男だって知ったのに、それでもホッシー先生は来てくれるじゃないですか。なんか……先生が僕に、無理に会ってくれてるんじゃないかって」

なんであなたが、今更、それを聞くんだ。そう思うのに。

「無理なんかしてないですよ」

考えるより先に、口を突いて出た。

「や、あの、これはそのっ……!」

「ホッシー先生。それ僕、少しは脈アリだって、思ってもいいですか?」

「は? 脈⁉ そんなもの、あるわけないでしょう! 俺はあの日、清廉で可愛い女の子とデートできるって思ったから……ただ、ただそれだけですよ⁉」

「もう。先生、言ってること滅茶苦茶ですよ?」

その通りだ。俺が今またこの人の目の前に座っている理由の説明には、全くなっていない。

「……久し振りだったんです」

「え?」

「花が綺麗だって……美しいって思える感情。最後にそんなこと思ったのはいつだっただろうってくらい、俺は、気付いたらこんな、つまんなくて疲れた大人になってたんですよ。思い出させてくれたのはあの窓で咲いてる、ひまわりたちです。ヒナ先生のいる窓で。何言ってっか分かんねえと思いますけど、それは間違いないんです」

本当に何を言っているか分からない。話しながらも、自分の声がどんどんと細くなり、俯いた顔がサーっと紅潮していくのが分かる。

「今は、それが聞けただけで十分です」

俯いたまま視界の上端だけで盗み見る、その男の表情。

 ああ。またその、首を傾げた困り顔の微笑み。

「……でも正直言うと、少し不安なんです」

応える気もないのにずるずるとこんな生活を続けて、残酷にももしこの人を苦しめているのなら、それは本意ではないとは、少なくとも思う。

「不安って……何がですか」

「ホッシー先生、やっぱりモテるでしょう?」

「え。ヒナ先生、そんなこと心配してたんですかぁ? 俺はガキどもからも残念系って評されてる男ですよ?」

「本来モテるはずのポテンシャルがあるのに残念系、ですか……どちらかと言うと僕には、先生には何か、恋をしない理由があるように見えるんです」

「……」

テーブルに置いたままのグラスを無意識に握り締めていた手の甲の上に、水滴が流れ落ちてくる。

「……理由ってほどのもんじゃないすよ」

「……ええ」

「自意識過剰とか、嫌味とか思われるかもしれないけど、今までの人生ずっと、見た目だけだったら、周りから割と注目を集めて生きてきました。何も考えてなくて、人任せな生き方をしてきた自分が悪いんですけど、付き合ってって言われるまま女の子と付き合って、その度に、思ってたのと違うとか、つまんないとか言われて愛想尽かされたり、まあ……ダマされたみたいなこともあったし……前の会社辞めたのもさ、そういう理由もあるんすよね。良くも悪くも、俺の評判広まっちゃって。社内の女順々に食ってるだろ、とか言われれて……なんか、居づらくなったから辞めちゃいました。だから何か思想信念があって恋愛を避けてたわけでもなくて、今はただちょっと、もう疲れた、どうでもいーって感じで……でも」

指の付け根に溜まる水滴が、火照った肌にちょうどいい。

「ひまわりの花を見つけた時、あの花の持ち主はどんな人だろうって窓越しに想像した時、初めて自分から、誰かに近付きたいと、そういう気持ちに突き動かされた……」

俯いたままの頭の上に、ふふ、とくぐもったような笑い声が降る。

 ……いや、俺、何口走ってんの⁉

「ってホラね⁉ 理由というほどのものじゃないでしょう? 俺はつまんねえ男だから、こんな大したことない話しかありません」

「つまらなくなんてないですよ」

「っ……!」

気化しようとする雫と、温もりのないガラスで冷えた手の甲に、生温かい重みがのしかかる。水滴を拭うように俺の手の甲の上を滑るヒナ先生の指先に、顔を上げようとした動きは封じられた。そんなに飲んだつもりもないのに、一気に意識が手元に集中して、先生の指の動きから目を離せなくなる。

(やっば、ヒナ先生の、手……なんか、すべすべ……あ、さすがピアノの先生って感じ? ……いやいやいや、そ、そうじゃなくてッ!)

「若い子たちは、単に刺激が欲しいだけですよ。僕はホッシー先生よりは少しだけ大人ですから。平穏な日々をくれる誠実な方は、僕には十分魅力的に映ります。ダマされやすいのだって、根が優しくて真面目だからじゃないですか?」

「……俺のこと、買い被りすぎですよ。俺は見ての通り、ガサツで気の利いたことも言えない、残念系で……」

「ホッシー先生が、自分に自信がなさすぎるだけですよ。僕だって最初は、あなたの見た目に惹かれて近付きたいと思ったけど、でも先生が外見だけの人間だなんて、ちっとも思ってないです。こうして何回も会って話す度に、また会いたい、もっとこの人のことを知りたいって……そう思わされている時点で、つまらない男だなんて、そんなわけがないです」

そんなの、ヒナ先生、俺だって――

 先生が今までどんなところで生きてきて、どんな景色を見てきて、何に喜んで――傷付いて――何を大切だと思うようになったのか。そんな話を、いつか、ヒナ先生の口から聞いてみたい。

(ホント俺、なんでこんなこと、思うようになったんだろう。マジで自分が理解不能)

でもこんなこと、言葉にしたら目の前の男を調子に乗らせるだけだから。

 俺はもぞもぞと手を動かして、ヒナ先生の指から逃れた。


 夏休みの学童保育は戦場の最前線みたいなものだ。お盆の休みは一時の休戦だと分かってはいても、末端の一兵士でしかない俺はただありがたくそのお恵みを享受した。遊びに行く元気も相手もなく、休みなら文字の通りに休んでいたい、とほぼ布団の中にいた。家族に会うのすら億劫で、忙しいから、と見え透いた嘘を吐いて実家に帰らなかった。お盆なんだから、学童は休みだろうよ。

 突然会社を辞めたと思ったら、「大学、教育系だったし研修受ければ支援員の資格取れるから」とか言い出して学童指導員になった俺のことを、親だって心配してないわけじゃないのは分かってる。だからこそだ。会えばいろんなことを訊かれたり、言われるのは目に見えてて、想像しただけで疲れた。

 たぶん俺の心に巣食っているのは、いい大人になって、今更あの人たちとちゃんと話すことへの戸惑いだ。

 かつての俺は、サホや鷹良台の他の子供たちと同じく学童保育に通っていた。そうじゃなかった子供に比べれば、そりゃ面と向かって母や父と腹を割って話す時間もなかった。まあ、今まさにこうしてそれを言い訳にも使ってるけど……でも悪いことばかりじゃなかったって、それだけははっきり言える。

 ここよりは田舎だし、今よりは時代も古いし。学童に預けられてる子供って、たぶん何となく可哀想って目で見られていた。俺自身、学童はそれなりに楽しかったし、親しい友達もいて不満もなかったが、帰り道、学童の方に曲がる俺たちは、手を振りながら真っ直ぐ街の方に帰っていくクラスメイトたちから、ちょっと浮いてるって思うこともあった。

 それでも、居場所を1つでも2つでも多く持っていることが、俺の救いになっていた。単なる逃避だって言われるかもしれないけど、家とも学校とも違う、少し羽目を外せる場所……って思ってたのは俺の方だけで、指導員になった今なら分かるけど、俺は随分、学童の先生たちに苦労をかけてきたもんだ。そんなガキの頃の俺を、先生たちは、今の俺と同じ、「ふざけんなクソガキ」と言いつつも、学校の先生とも、親とも違う、押し付けじゃない温かさで、見守ってくれてた。

 思い付きで突発的にこの仕事を選んだように、自分でも思っていたけど、こういうところにちゃんとした理由があったんだろうと、余計なことをウダウダと考える時間がある故に気付く。

『正月の休みには帰るから』と、罪滅ぼしのような一文を送信して、またゴロン、と転がって窓の外に目をやった。

 日当たり不良な安アパートの窓からじゃ、何も見えやしない。

 訳も分からないまま慣れない場所で駆け抜けてきて、やっと一息つけるのは嬉しいはずなのに。

「ひまわり、見れないのが寂しい」

 ……いやいやいや、俺何言ってんだ⁉

 自分の呟きに驚愕して、横たえたばかりの身体をがば、と起こす。

 やっぱり人間、考える時間がありすぎるってのはよくないよ。



 3、4日ばかりの休息の後、俺は再び前線に戻った。

 おやつの空き袋を回収し、俺は季節外れのサンタクロースみたいにポリ袋を担いで歩いている。この一コマを日常だと思える程度には、俺もこの場所に溶け込んだらしい。

(あ)

窓の前で、ほんの少し歩みを止める。

 初めてここに来た時と同じ、レースカーテンのかかる窓に咲く金色たち。それも、俺の日常になったことは違いないんだけど。

 お盆も過ぎた今、ひまわりの花が俺の心にもたらすのは癒しだけではなかった。

 ひまわりは夏の花だ。夏が終われば枯れる。

 当然の摂理でしかないのに、いつか芽生えていたこれは――

 焦燥。

 この焦燥は間違いなく、あの男――永原日向に結び付いているんだけど、どう扱うべき感情なのか、それをいまだに、俺は定めかねている。

 俺はあの人みたいに、これは好意だって――恋愛感情だって、断定することができない。

 だってヒナ先生が男だったこと自体、俺にとっては本来大大大事故だったのだ。決して簡単に踏み越えることのできない一線が、見えないけれど確実に俺の目の前に引かれていて、たぶん過去とか価値観とかアイデンティティとかそういう、これまた目に見えない何かが俺の身体を雁字搦めに羽交い絞めにしている。

 向き合うことから逃げて、分からないままにしておくことで自分を守ることしかできないくせに、自分とヒナ先生を繋ぐものが無くなることに――俺は今恐怖している。

 いっそ、何も考えない人任せのままでいればよかった。こんな欲を持ってしまったために、ただの疲れた大人だった俺は、ずるくて、醜い大人に成り下がった。

「ちょっとホッシー、聞こえてた?」

「※△*□$~~!?」

俺の思考を切り裂いた声に、俺は背中のポリ袋ごと引っくり返る。

「サ、サホか……急に話しかけんなよ。危ねえだろうが」

「急じゃない。何回か話しかけたのに、全然気が付かないから」

腰を抜かした俺を、サホが呆れかえった顔で見下ろしている。ああ、何だろうこのデジャヴ感……溜め息と共に、小さな手が差し出される。女児に助け起こされるアラサー男、いとダサし(涙)

「で……何だ?」

「だからぁ、今日、ヒナ先生の誕生日だねって! 言ったの!」

「へ……?」

「……ちょっと。その顔、まさか今知りましたって感じ?」

おいおい、何だよ、それ。

「てかホッシー、ま~だヒナ先生と付き合ってなかったの?」

サホの声が、再び遠くなっていく。

 あの人、俺の戸惑いなんてお構いなしかのようにあんだけグイグイ来るくせに、そんな大事なこと、教えてくれなかったのかよ……!


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