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 で。その週の日曜日。

(本当に来てしまった……)

待ち合わせの駅前でそわそわとその人を待っている自分の姿が、なんかひどく間抜けなものに思えてきた。だいたい、ここまでの話が不自然なくらい順調に進んだことが、今になって恐ろしくなってきている。

 この前日、帰り際のサホに「ホッシー、明日がんばれよ!」とニヤつかれつつ手を振られたが、腕を組んで娘の帰り支度の完了を待つサホの母親の手前、俺は「あまり大人をからかうんじゃねえクソガキ」という言葉は飲み込んで、糸のように目を細めて「おう」と応えるほかなかった。

 この筆頭クソガキの態度はいけ好かないが、それはそれとして、サホの働きがなければ今回の約束も取り付けられなかったわけで。こんな子供に頭が上がらない状況になっていることも、今の俺を滑稽に見せる一因となっていた。

 そう思えばこそ、今着てる服も、予約した店も、何もかもがミスっているのではないかとすら思えてきて、尚の事人待ちの居心地悪さが増すのだった。

(何だよ……俺の方こそ、ガキかよぉ)

ほとんど意味もなく、時計を嵌めた左手を持ち上げかけた時。

「ホッシー先生!」

その人影は、当初から人の流れを外れてこちらに向かってきていたはずなのに、俺を知る人間の中でも一部しかしないはずのその呼び名で声を掛けられるまで、まさか自分の待ち合わせの相手だとは気付かなかったのだ。なぜなら――

「すみません、西口が分からなくて。少し迷いました。あの、ヒナです。ナガハラ ()()()

 嘘だ。この人が、「ヒナ先生」――?

 さらさらの髪。夏場でも白い肌の上にバランスよく並ぶ顔のパーツ、それと、線の細い身体。

 それでも、見れば分かる。今、僅かに肩で息をしながら、軽く上気させた頬で俺の前に立っているのは、白いワンピースに身を包んだ清楚系の美女、ではなく――

(お、男~~~⁉)



「おいサホ。お前、俺のことダマしたな?」

 頭が上がらないなんて思った自分が馬鹿みたいだ。俺はガキのたちの悪いいたずらに踊らされていたんだ――!

 週明けの学童保育。取っつかまえて問い質すと、サホは悪びれるでも、誤魔化すでもなく、得心がいかない、といった表情を浮かべた。

「サホがホッシーをダマした? なんでよ」

「ヒナ先生が男だったなんて、俺聞いてない!」

「はァ⁉ なんでサホが悪いみたいになってんの」

「だって……ヒナ先生はとっても美人だって……」

……おや、待てよ? 確かに「美人だ」とは聞いたが、一度たりとも先生は女性だとはっきり言われたことはないな。

「何だよそれ~~~。勘違いしてた俺が悪いってかァ~~」

「サホ、嘘はついてないじゃん。それに、ヒナ先生はほんとに美人だったでしょ?」

……そうなのだ。男だと知ったところで、ヒナ先生に対したその時の感想は、「うわ、めっちゃ美人じゃん……」であった。


 男を前にして、美人、綺麗、という言葉が頭に浮かんだことなんて今までなかった(そりゃそうだ)。

 別に、女の子みたいに見える髪型や服装なわけじゃない。さっきも言ったが、ヒナ先生は見れば誰でも男と分かる見た目をしている。

 それなのに、少し首を傾げる癖のある、眉を下げ困ったように見える笑顔は、俺の勝手な妄想の中でひまわりを背にして光に包まれていた、白ワンピお嬢さんの姿とどこかで確かに重なっていたのだ。

 ここまでの前提すら覆される想定外の事態が起きたが、まさか「やっぱ帰ります」というわけにもいかないので、「とりあえず店、向かいましょうか」と歩き出す。

 あー。俺なんで、今男と並んで歩いてんだろ。

「僕、まあまあ長いことあそこで教室やってますけど、学童さんの男の先生って、見たことないかもです」

……そういえばこの人、いったいいくつなんだろう? 恐らく、俺の方が歳下っぽいが……

「あー……こういう業界って、まだまだ女社会でしょうし……あ、ピアノの先生もそんな感じじゃないですか?」

「僕は個人でやってる仕事なので……普段はあまりそれを意識しないで済みますが。時々勉強会なんかに行って、自分以外みんな女性の先生なんてことはありますね」

「ああ、分かります、そういう、肩身の狭い感じは」

「ですね。今日お会いできてよかった。ホッシー先生にはなんだか勝手に、親近感みたいなもの感じちゃって」

……そんな親近感の持たれ方、俺は夢にも思わなかったけどな。本当に勝手だな。

「ふふ、でもホッシー先生なら、もう子供たちにもだいぶ懐かれてるんじゃないですか?」

「どうかな……今はただ俺の存在が物珍しいだけかもしれません。ヒナ先生の方がよほど……子供たちの話聞いてると、慕われてるんだなって分かるし」

「そうだと嬉しいですけど。何にせよ、こんなご時世に、男の僕を信用してお子さんを預けて下さってることは、ありがたいなって思います」

本当にそれだ。何とも世知辛いものだ。俺たちみたいなもんには、絶妙に生きづらい世の中だ。

 つい少しだけ、視線を斜め上の遠い空に向けてしまう。

「……あ。ここじゃないですか、ホッシー先生の言ってたお店」

「あ、あーはい、そうです。じゃあ入りましょう」

……俺ちゃんと、予約もしてるんだよなあ……ほんと馬鹿みてえだ。

 向かい合って席に着いた時の、何だろうなあ、この感じ。

 絵に描いたようなおっとり系。繊細とか、儚いとか、形容するならそんな感じで、物理的な力比べで俺がこの人に負けるわけはない。

 それなのに。この人は終始ニコニコと、至極穏やかな微笑みを浮かべているのに、何なんだこの――こちらに静かなプレッシャーをかけ続けてくる感じは……!

「サホちゃんたちから聞いてますよ。ホッシー先生かっこいいって、女の子たちはみんな喜んでるんだーって」

……あいつ、俺のいないところでは素直に俺のこと褒めてんのか?

「ホッシー先生よく言われるでしょう? イケメンですね、とか。ミキ先生や福ピー先生にも言われませんでした?」

「あー……まあ……でも男としての興味とか好意があって言ってるわけじゃないって、執拗なくらい釘刺されましたよ。セクハラ対策とか気にしてるんだって分かってるんですけど、なんとなく傷付きはしますね」

「なら僕は、初めに断っておいた方がいいかもしれませんね」

力なく苦笑した俺に、ヒナ先生は微笑みの表情を崩しも、声を震わせることもせず言い放った。

「僕の言動は全部、ホッシー先生への好意からのものですよ」

「はっ? え? はぁぁ⁉」

いきなり、何言ってるんだこの人は――⁉

「生徒さんたちから話は聞いてましたが、こうやって正面からお顔見させてもらうと、本当に思ってた通りというか、それ以上にかっこいいお方なので……正直ドキドキしちゃいましたよ、僕は」

「なっ……何言ってるんですか⁉ 唐突に!」

「唐突じゃないですよ」

静かで、抑揚がないのに、迷いなく確実に言葉を置いていく、そんな口調で遮られる。

「は……?」

「ホッシー先生は僕の顔を知らなかったんでしょうけど、僕からは先生の姿、小さくですけど窓越しに見えてたんですよ。だから偶然にしろ気まぐれにしろ、あんなふうに連絡先までくださったこと、正直嬉しくて……」

なんてアンフェアなんだ。こちらもヒナ先生の正体を知っていたら、今頃俺はこんな所にいない。

「あの、ホッシー先生」

「は……はい」

「最初に僕を見た時は、正直どうしようって戸惑ったんじゃないですか」

「それは……あの、すみません……」

「分かりやすく狼狽えられていたので。こちらが申し訳なくなったくらいですよ。いいんです、どうやら勘違いされているらしいことには気付いてたんですが、僕の方が、それを利用した感じになってしまったので」

「……」

「すみません。でも、こうでもしないと、せっかくのチャンスなのに、先生は僕に会ってくれないだろうって思ったから」

 好意……? ドキドキした……? 利用した……?

 言葉がただの音声になって、俺の身体をすり抜けていく。この人とは手を伸ばせば触れる距離で対峙しているのに、まるで言語の通じない異星人と会話しているみたいだ。

 ……いや、違う。たぶん脳が、理解することそれ自体を拒んでいる。

 だってこんなの、こんな急に言われても受け入れられるわけない。

 何より受け入れられないのは、男にこんなこと言われてもうれしいはずもないのに――熱くなる顔、頭の中に痛いくらい響く自分の心臓の音。そんな反応が何らかの感情に起因しているなんて、断じてそんなはずない。これはただ、あまりに訳の分からないことを続けざまに言われて、頭が混乱しているだけだ。

 フォークの先から、サラダに紛れる名前も知らない草が逃れていく。金属が陶器にぶつかる不快な音。それすら、俺の意識の遥か遠くで鳴っているような気がする。



「ちょっと。ホッシー、まだヒナ先生と付き合ってないの?」

小学生が使うには少々狭い廃保育園の体育館。ドッジボールに興じる、子供たちの足音が起こす風は生温い。

 その足音に紛れ、サホが俺の耳元に寄ってあの頭に響く声を発する。当然、彼女も先程まで試合に参加していたはずなのに、壁に寄り掛かるように立っている俺の隣にいつの間にかいる。

「……んだよ。お前、何サボってんの?」

「ちがーうぅ。サホはただ、外野に出てきただけだもん」

「……それ、飽きたからわざと当たって早々に出てきたんだろ。やっぱサボってんじゃねえか。つーかお前敵チームだろ」

「それを言うなら、最初に外野に出る役買って出たくせに、内野に戻る気すらないホッシーも、サボりじゃん」

「俺は、お前らみたいな元気なガキじゃなくて、疲れたアラサーなの。お前らに合わせて全力なんか出したら死ぬ。こんくらい許せ、大人は、上手く手ェ抜く能力も求められんの。お前はガキなんだから、ホラ、さっさと試合に戻った、戻った」

「ちょっと、話逸らして誤魔化さないでよ。サホがあそこまでしてあげたのに、ホッシーはどうしてそうヘタレなの!」

 そんなこと、言われてもなあ。全て勘違いだと知って俺が悔いるやら混乱するやらの状態だと分かっているはずなのに、サホはまだ、手柄は自分にあると思っている。勝手なものだ。もう誰も彼も。俺の周りには、勝手な人間しか現れないことになっているのだろうか。

 俺たちの間に、ボールがコロコロと間抜けな速度で転がってくる。ラインを僅かに越え、俺の側の外野で止まったボールを、サホはちょい、と引き寄せて出鱈目に内野に投げた。偶々当たったらしい男子が「ホッシーマジ使えねえ!」とブチ切れながら外野に走り出ていく。サホは、五秒前まで俺と話していたことなど忘れたかのように、こちらに一瞥もくれずに自陣に戻っていった。

 勝手だ。みんな、みんな。

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