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 朝だというのに暑い。駐車場に逃げ水ができているほどに暑い――

 そう、今は朝なのだ。

 俺の新しい職場――元は小さな保育園だったとかいう、ところどころ壁の塗装の剥げたおんぼろ園舎――を見上げると、(これも古いには古いが)建物とは明らかに年季の入り方が揃っていない看板に気休めのように「鷹良台(たからだい)放課後児童クラブ」と刻まれている。

‟放課後”児童クラブというのは「平常時は」ということである。今日はここから徒歩50歩とかからない距離にある、鷹良台小学校の夏休み初日である。つまりこれから始まるのは、学童指導員にとって、朝から晩までまともに仕事がある日々。

 何も、わざわざこんな時期に入るこたぁなかったな。

 追いつけるはずもない逃げ水を追いかけつつ、駐車場を横切って歩くだけでこめかみに浮かんだ汗を拭いながら、俺は既に後悔し始めていた。微妙に傾いてる気のするアルミサッシの玄関扉に手を掛けると無意識に溜め息が出て、空いている方の手でぺちん、と頬を叩く。

 ……初っ端からこんなげっそりしていてどうする、星野(ほしの)青児(せいじ)。寧ろこのくらいの場所の方が俺には合っているはずなんだ。もし新築ピカピカ、みたいな園舎だったらとてもじゃないが恐縮してしまって緊張でゲロでも吐いちまう――実際、新卒で入った会社のガラス張りの無駄におしゃれなオフィスには、三年ほどいても馴染めなかったではないか。

「おはようございまーす……」

まだ子供たちのやって来ない園舎の中は不気味なほど静かだ――ついさっきの決意も砕かれ、くるりと背を向けて立ち去りたくなるくらい。

(イヤ流石にそんなことはしないけどね⁉……まだ他の先生は、来てないのかな……)

玄関ホールや廊下を覗き込むようにそろそろと歩いていると、

「あら~~!」

ほぼ意味をなさない声を上げながら、髪型も身体もなんというか――ボリューミーな女性が、ドスドス、という書き文字が目に見えそうな重量感で俺に駆け寄って来る。

「ひっ!」

思わず小さな声を上げて身を引いてしまう。先程までの静寂がどこかに吹き飛んだ。

 おお。こりゃいきなり濃厚そうな同僚に出会ったぞ。

「もしかしてぇ、夏休みから入るって言ってた新しい先生ですかぁ?」

「アッはい、星野と申します。本日からよろしくお願いしまっす!」

「ふーん星野先生……なんてあだ名付けられるかねぇ」

「あ、あだ名!?」

「子供たちがねぇ、勝手にあだ名付けるのよ~。ちなみにあたしは『福ピー』」

「福ピー!?」

「『福留(ふくどめ)』だから」

ここの職員になると、子供たちからそんな舐められた呼び方をされることになるのか? いきなり、もうだいぶ雲行きが怪しいぞ。

「星野先生はこの仕事未経験?」

「アッはい、今までは普ッ通~の会社で働いてましたから」

「あら~~。この仕事は、今の夏休みの時期が大変なのに。よりにもよってこのタイミングで入ってきたの?」

「……やっぱそうです? 薄々気付いて、駐車場を歩いてくる間にも既に後悔しかけてます」

あまりに率直過ぎるかとも思ったが、福ピー先生は見た感じ俺とそう歳は変わらなそうだし、俺のこんな一言も笑い飛ばしてくれそうだと判断して、つい正直になってしまった。

「たっははははは!」

予想通りにバカでかい声で笑った福ピー先生は、直後、恐ろしい一言をぶち込んでその温度差で俺を震撼させた。

「でもぉ、本当に後悔するのはこれからだからね」

「……え?」

「もうね、ここの子供は8割方がクソガキだと思った方がいいわよ! 大人の言うことなんか聞きゃしないんだから」

「えー……」

「はぁ~、でもぉ、そんなだから、若い男の先生が入ってくれてホントよかったわぁ。取っ組み合いのケンカ止めに走り回るなんてねぇ、オバサンどもにはもう無理なのよ」

「とっっ……くみあい!?」

そんなものが、ここでは日常茶飯事なのか――?

「いや、俺別にそんな若くないっすよ。ご存知の通り新卒じゃないですし」

「やーねぇ。ここのオバサンたちから見たらもはや子供たちとそんなに変わらないわよ! キャッハッハハハハ!」

俺の背中を叩かんばかりに大袈裟に振り回された掌を見て、俺、そんなに垢抜けないかなあ……と軽く溜め息を吐く。

「ああでもぉ、先生結構イケメンでいらっしゃいますね。女子児童たちには人気出そう~」

改めて顔をまじまじと見られ、うっかりまた「ヒィ」と悲鳴を上げそうになる。

「そうですかね……」

「あ、でもその前に、ミキ先生が誰よりも喜んじゃいそうね。あの人、イケメン大好きだからぁ~」

「ミキ先生?」

「ここの――まあボスみたいな人よ」

「ああ……」

「やぁね~、いくらミキ先生が面食いでも、星野先生のこととって食ったりしないから、心配要りませんからね。あの人、韓流アイドルが命の清く正しいオバサンオタクだから、一般人には毛ほどの興味もないの」

「はあ……」

聞いてねえし要らねえよ、そんな情報。

「ご本人はそろそろ登場すると思うけど。あたしはおやつの買い出しに行って来るから、あとの指示はミキ先生に聞いてね」

そう言って一度背を向けかけた福ピー先生は、何か思い出したようにくるり、と再びこちらに向き直った。

「あ~。何かピンと来てなさそうだからハッキリ言いますけどぉ。イケメンってこっちは褒め言葉のつもりですけど、セクハラと取られてもアレだから、()()()()あんな話したんですからね」

「あんな話?」

「ミキ先生は一般人には興味ないって話。ちなみにあたしも、先生のこと狙う気全ッ然ないので安心してくださいね! 小学生の女の子たちみたいに、顔だけで男に釣られるほど、軽い女じゃないんで!」

言いたいだけ言うと福ピー先生はまた背を向けてしまった。そりゃ見た感じから軽そうにはとても見えねえよ、という言葉は(彼女と同じ理由で当然)心の中にしまって、重量感のある足取りを見送った。

 なんだか呆然と立ち尽くしていると、福ピー先生と入れ替わりで、今度は俺よりもいくらか歳上と思われる女性がアルミサッシをくぐってきた。

「おはようございまっす! 今日からお世話になります星野です! よろしくお願いしまっす!」

俺が深めのお辞儀をし、そして顔を上げると、その人は目の前で、拍手でもせんばかりの喜色満面の表情を浮かべていた。

「やっっだぁ~~! 児童青少年課の人から、新しい先生は若い男の方って聞いてたけど、こんなにイケメンな方だったなんて~! やだもうどうしましょう~」

彼女はついに本当に両の掌を打ち合わせだした。

「あの……ミキ先生、ですか」

「やだ私ったら名乗りもしないで。黒岩(くろいわ)美樹(みき)です~。年齢は、ないしょ♪ よろしくね」

「……はい」

「とりあえず、教室とか一通り案内するから。はい、こっちで~す」

……ここに来て既に二人の大人に出会ったが、大人でこれだ。このテンションだ。30歳が視界に入り始めた俺の気力、そして体力は一体もつのだろうか……再びの溜め息を吐きかけると、前を行くミキ先生が先程の狂喜乱舞はどこに行ったのかというしおらしい声音で話し始めた。

「ごめんなさいね。私さっきはちょっとテンションが上がってしまって……出会い頭にオバサン職員からセクハラ発言浴びせられたとか、あの……どうかそんなふうに思わないでほしいというか……私ただ、星野先生のお顔をお褒めしたかっただけで……はしゃいでおいて勝手なんだけど。警戒しないでくださいね星野先生。私、一般人の若い男の子には、男としての興味は一切ありませんから。リラックスしてお仕事してくれると、うれしいな」

「や……別に嫌とか思わなかったんで……」

「あーよかった。それじゃあ星野先生、この教室の机、拭いておいてくれますか? 私は体育館の掃除に行ってくるので。またのちほど」

そしてまた一人取り残される。除菌液で滑らせる布巾にいつの間にか腕全部の、いや何なら全身の力が載っていく。

 何なんだ、この行き場のない気持ちは。

 先生たちのセクハラ対策意識が(無駄に)高いおかげで、俺は褒められているのに「※ただしあなたに魅力はありません」という注をわざわざ付けられた感じになってるじゃないか。

 いや、分かる。労働環境の維持と向上に、努めているからこその言葉だったのだ。互いの働きやすさを大切にしている。いい仕事仲間たちではないか。少なくとも、先生たちは敵じゃないと、そのことが分かったではないか。

 ただ。俺はどうして、こんな一抹の空しさを感じる羽目になっているんだ? 肯定的な評価をされたはずなのに……これでは俺は、「※ただしあなたは顔だけです」という注の付いた、残念感漂う男じゃないか。ミキ先生も、あんな神妙な面持ちで謝ってこないでくれ。あのしおらしさが、寧ろこたえたよ。

「あ~~、もうほっといてくれよ~。自分が残念なことくらい、自分でいちばん分かってるよ~~」

「……あんた誰に話しかけてんの? ていうか誰?」

俺の魂の叫びを聞く人間は誰もいないと思った空間にとげとげしい声が響いて、俺は椅子をなぎ倒しながら床に腰を抜かした。

「!?※*〇△!?」

……神様、俺は今女児に蔑みの眼で見下ろされています。どうか俺に慈悲を。もしくは今すぐ俺を消し去ってください。

「ああ。夏休みから入るって言ってた新しい先生?」

「おはよう。星野青児です、よろしくね……ッ痛!?」

立ち上がると、どこかの角に強打した腰が悲鳴を上げた。何てことだ、絶対にあざになった予感がする。

「……立野(たての)沙穂(さほ)

「……あ、うん。えーと、サホちゃんは、何年生、ですかー?」

「3年だけど」

そう答えるとサホは唐突に俺の近くに歩み寄ってきた。

「……自分が残念っていう自己分析は、合ってると思うよ」

「なッ!?」

サホは背負っていたリュックをどん、と乱雑に傍らに置くと、俺が蹴倒した椅子を引き起こしてそこに脚を組んで座った。

「もー、しょうがないから、ホッシーのことはサホがしばらく面倒見てあげる」

「ほ、ホッシー!?」

「んー……」

サホは椅子の上から、眼をさまざまに動かして俺を一通り観察する――ふざけんな、俺は珍獣かよ。

「ホッシーは残念系男子だけどぉ、顔は結構イケんじゃん? 合格ラインでしょ」

ビシ、という効果音が聞こえそうな勢いで突き付けられた人差し指に、「このクソガキ」と口の中だけで呟く。

 クソガキファイルNo.1 立野沙穂

 俺が心の中にシッカリ書き込んだ頃には、他の子供たちも到着し始め、勝手気ままに作られる輪はざわつき、人口密度の増加により冷房の効きは低下しつつあった。



 福ピー先生の言うことは本当だった。

 一つには、初日の今日だけでクソガキファイルはNo.20くらいまで埋まった。鷹良台放課後児童クラブの辞書に、平和や平穏という言葉はないらしい。

 もう一つには、女子児童の多くは俺に対し、サホと同じような評価を下したということ。俺の場合、見た目で周囲の好感を得るのはそんなに難しくない。その自覚は昔からある。嫌な言い方と思われるかもしれない。しかしまた、「顔はいいのに勿体ないわね」と言われる残念系であることを俺が気にしているのも事実である。

 もっとも、小学生の女の子たちから見たら、若い男というだけで素点が随分と跳ね上がっているのも否定できないだろう。何なら元気を有り余らせた男子児童どもにも俺はモテる。主に取っ組み合いやチャンバラの相手として。

 そしてこれもまた福ピー女史の予言通りであったが、舐め腐った態度のガキどもに振り回され、走り回らされ、昼にはもう俺のHPゲージは赤く点滅し、警告音を発していた。すまん、ピーピーピーピー鳴られたところで俺には手の施しようがないんだ。

「ホッシーお昼一緒に食べようよー」

「あ、私も私もー」

「あぁ? 何だお前ら、飯の時間までつきまとってくんじゃねえ」

しっし、と手で追い払うフリをすると、女の子たちはきゃーっと騒ぎながら俺を囲んで勝手な席順で座った。少し離れたところで、福ピー先生とミキ先生が「やっぱり星野先生、人気ですねぇ」とニコニコ話し合っている。

 やかましいよ。

「ホッシーお弁当それなのぉ?」

輪の中の一人が、コンビニの菓子パンとおにぎりを口に運ぶ俺にばかでかい声をかけてくる。

「バカ言え。『手作りは愛情!』みたいな幻想を、学童指導員が率先して押し付ける社会なんざ、終わってんだろ。この手抜き昼飯はな、俺からお前らのお家の方とな、社会へのメッセージなんだよ」

気だるげで粗雑な口調と、言っている内容の壮大さのギャップが可笑しかったのか、女の子たちはまたきゃーっと盛り上がる。

「でもぉ、ホッシーの場合は単なるフセッセーでしょ?」

「う」

「お弁当どうの以前に、どうせ家でも自炊しないでしょ」

「うるせえな。コンビニうまいから、いいだろ」

「てかさホッシー」

喧しさを切り裂いて、妙に明瞭な声を投げ込んできたのはサホだった。

「お弁当作ってくれる可愛い彼女とかいないわけ?」

サホの方に振り向くはずみで、固くなりかけていたのを無理に噛みちぎったメロンパンのかけらを丸呑みしてしまった。

「っんぐ……は? 何なの」

「動揺しすぎ。それいないってことでいい?」

また、きゃーっと喧しさが戻る。

「やっぱり、顔がいいだけじゃダメなんだ」

「ホッシー、モテなさそう~」

またガリガリとメロンパンを噛みちぎりながら、女の子たちの輪から顔を背ける。

「お前らー、今時『彼女いないの?』って質問はセクハラだかんなー。親御さんにチクんぞ」

とは言いつつ、今度こそはメロンパンの隙間から溜め息が漏れる。

 実際、顔がいいだけではモテない。

 だからと言って自分の何を変えようという気もない、それが俺のよくないところなんだろう。自分に対する危機感みたいなものすらも、気付けば失っていた。まあ転職はしたが、どちらかと言えば前の会社を逃げるように辞めたというだけだ。

 ああ俺、いつの間にこんな疲れた大人になっていたんだろう。

 ふと、ここの窓から見える景色を今初めてちゃんと見ていると気付く。

 まず夏の真昼の空の青さに視界が滲んで、次に駐車場の向こうに見える家に目がいく。ここから見えているのは恐らく家の側面部分だろうが、プロヴァンス風というのだろうか、白い外壁に緑の屋根の可愛らしさは十分に分かる。

(あ、ひまわり)

直感的に、その花を意識した。

 それは二階の小さな窓だった。かぎ編みというのか、精緻に作り込まれた模様の、真白いレースカーテンを背にするようにして、鉢植えの中に鮮やかな黄色が咲き乱れていた。

 どんな人が、住んでいるんだろう。

 どうしてか目を離せないほど、興味を惹かれていた。

 こんなお部屋の持ち主は、白いワンピースにでも身を包んだ清楚系の娘さんに違いない。そう思えば、どこからか風に乗って、オルゴールの優しい旋律さえ聞こえてくる気がした。

「ちょっとホッシー、何ボーッとしてんの」

「あーあーあ。少しの間くらい黄昏させてくれよ。だいたい勤怠記録上、今は昼休みなんだよ」

「はぁ? タソガレと昼どっちなのよ」

ガキにやけに冷静なツッコミを入れられようと、俺はもう動じないぞ。戦場のような業務の間隙に、こんな健やかな癒しを見出してしまったのだから。クソガキどもよ、今ならば多少の無礼は許そうではないか。

「……ホッシーってまじ変な奴」

ふん、と鼻を鳴らすようにして、サホは立ち上がった。

 え? 俺今鼻で笑われた?

 やっぱ撤回。俺にそんな寛大さはない。許してたまるか、この筆頭クソガキめ。

 取り巻きの下級生たちに囲まれながら去っていく背中に、心の中で悪態をついた。

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