38 岩本エミの令和2年次鋒戦 02
エミは秋山の打突をさばいていく。
明確に、その打突すべてに意味があるのを感じる。
以前の彼女はただ早く打ち込んでくるだけだった。
どんなに素早い動き、打突でもそれには限度もある。
例えば、バトミントンのサーブは時速四〇〇キロにも到達するが、それだって打ち返すことはできるのだ。
球技はその性質上、『速さ』とは絶対的なアドバンテージ。しかし速ければ必ず勝てるわけではない。
プロ野球に於いて、令和二年現在は一六十五キロが最速であるが、その球速が記録された二〇一六年最多勝を挙げた投手の最速は一四〇キロ後半、同年の球速の中央値が一四五キロであったことからも分かる通り、『スピード』、『パワー』というものは必ずしも強さとイコールにはならない。
視認してから行動を映す、つまりは反応。その限界は〇,一秒である。
先にあげたバトミントンであれば、時速四〇〇キロのサーブが相手コートにおちるのは打たれてから〇,一秒前後。なるほど秒数としては同じで反応はできる。しかし、そこに落下地点へ走る、レシーブをするという行動も含まれると不可能と言わざるを得ない。
そこで選手たちは予測と経験を活用するのだ。
相手の視線、フォーム、思考。
それらを観察、予測して打ち返す。
低いレベルであれば、『速さ』『力強さ』は絶対的な武器になるだろう。
以前の秋山はそれらを武器として誇っていたのがよくわかった。
彼女がどのような環境でその剣を振るっていたのかはエミにはわからない。
本来ならば歯牙にもかけない、傲慢な剣。けれど、秋山は高みを目指してはいた。その『速さ』と『力強さ』の先にそれを求めていた。
惜しいな、とは思いもした。
それでは決してエミも、おそらくは秋山も目指すであろう『強さ』にはたどり着けないからだ。
秋山の打突の切れ目をついて、エミは鋭く突き返す。
世界のすべては二元的にできている。
善、悪。自然、文明。
物質、精神。
それらはコインの表裏のように区別されるものではない。
常にその境界線は揺らいでいる。片方に入れ込んだ者はそう思わないようだが。
秋山はエミの突きを躱すと、バックステップで距離を取った。
いい読みだ。
笑みが零れそうになった。
もし秋山が躱した勢いそのままに斬りかかってくれば、その胴を真っ二つにしていた。
夢幻一刀流は常にその移ろいを見極めてきた。
生と死。
その境を斬る。
一人刀を振るうだけだったセイゲンではあったが、それでもわかるのだ。
自我というのは頂を目指す上では邪魔でしかないのだ。
自我という個人はその混ざり合う二元世界の中では足かせにしかならない。
活人剣などと言った剣術家がいたがその通りだろう、とセイゲンも納得したことがあった。
剣は人を殺しもするが、殺すことで守られるもの、殺さず成長させること、そして相手を利用することもできる。
自利利他。自他一如。自他不二。
「ようやく自分を捨てられたようだ」
エミは間合いをきった秋山の姿を喜ぶ。
傲慢な少女の目の中にエミの姿が映っている。
一間の間合い。
にらみ合う。
秋山はエミのことを想っているのだ。
何を考えているのか、どう動くのか。
今この瞬間、きっと世界で一番岩本エミという少女を見つめ、想っている相手。
「えぇ、焦がれています」
岩本の中のセイゲンではない部分が、ドクン、と熱を帯びる。
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