37 秋山リリの令和2年次鋒戦 03
わかったようで、わからないことなんてたくさんある。
わかっているつもりで、わかっていなかったことだってたくさんある。
この世界はとても、とっても便利よね。
スマホに知りたいことを入力すれば、すごい時間と労力をかけてたどり着く場所の景色だって数秒で見られるのよ。
だけどどんな絶景だろうと、この小さな画面越しに見てもそれはわかっているつもりで、何もわかっていないことなの。
さっき、工藤が偉そうにそれはそれは偉そうにご高説してくれたことも、そうよね。
言われなくたってわかっているわ。
私は我儘な悪役令嬢なのだもの。
わかっているの。
けど、わからないわ。
顔を上げる。
武道場の壁面に設置された大きな姿見。そこに映る私と目が合う。
『他人は自分を映す鏡、ね』
誰もいないのだから、前世の言葉を使う。
「あら、まだ誰かいるの?」
不意にかけられた声。
道場の入り口に見知らぬ女子生徒が立っていた。
誰だろう?
「生徒会の見回りよ。もう下校時刻すぎて、あら、あなた泣いているの?」
「……気にしないで」
生徒会を名乗る生徒はどうやらお節介な性格らしいわ。
ハンカチを片手にこちらへ駆け寄ってくる。
「……?」
この人誰だっけ? なんだか懐かしい気持ちになる。
「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
その女子生徒はじっと見つめる私を不思議そうに見つめ返す。
「……どこかで会った?」
その問いかけに女子生徒は一瞬目を丸くした後、おかしそうに笑った。
「ふふっ、初めまして、この学校で生徒会長をやらせてもらっているの。全校集会とか登下校のときに校門で挨拶しているから、見覚えはあると思うわ」
「……生徒会長」
「剣道部ということは工藤ちゃんのお友達よね」
「……工藤」
「工藤ちゃんは剣道部の創部とかでよく生徒会に出入りしているから顔見知りなのよ。面白い子よね」
「嫌い」
「あら、喧嘩したの? 泣いていた原因もそれなのかしら」
「うん」
気づくと頷いていた。
不思議な人だわ。初対面、でいいのよね、なのになんだか安心する。
彼女の手が優しく私の頭を撫でた。
「工藤ちゃんは口は悪いし素直ではないけれど、優しい子だと思うわ」
そんなことあるわけない。
わけない、けれど、否定はできない。だってわかっているから、私はここにいる。それに春風や松笛もそうなんじゃないかしら。
絶対に認めたくはないけど。
むすっと膨れる私を生徒会長は嬉しそうに見つめている。
「……あなたは、他人なのに優しい」
思わず呟いていた。
この人も強いわ。
私の言葉に、生徒会長は目を丸くして、それから微笑む。
「私は他人に優しくなんてないよ。今だって生徒会長だから、校内に残っている生徒へ下校を促しているだけだよ」
「涙……拭いてくれた」
「泣いている人がいれば、誰だってそうするよ」
迷いなく答えた生徒会長だったが、首を振る私に考え直して再び口を開く。
「うーん。きっと私が優しくされたいからかな? いいえ、違うわね。私ね、本当は何もやりたいことがない空っぽな人間なの」
空っぽ?
「夢とか目標もないし、なーんにもないのよ」
何かが吹っ切れたように生徒会長は両手を広げる。
私は呆気にとられてしまう。突然気でも狂ったのかしら。
「ふふっ、ごめんね。私も溜まっていたのかもしれないね。だけどね、私本当に自分でやりたいことも何もないの。あなたは剣道、よね? やっぱり勝ちたいとかかしら? みんな何かあるのよ。恋人がほしいとか、いい大学に行きたいとか、アイドルとか、本当に心から尊敬するの」
羨ましそうに遠くを見つめる。
「幼稚園の時に気づいたかな。周りの子がお花屋さんとか、ケーキ屋さんと夢を語るけど、私は何も答えられなかったんだ。それでもいつかは夢ができると思ったの。なのに、そんな夢はなかったわ。人生で一度しかない青春なのに私の青春はいつまでも鈍色のまま」
「生徒会は?」
生徒会なんてめんどくさそうなことを、しかも生徒会長ということは立候補よね。生徒会長をしようなんてやりたいことがない人の行動とは思えないけれど。
「そうだよね。私が生徒会長をしているのはね」
ふふっ、と微笑む。
「あなたみたいに夢ややりたいことがある人を応援したいから、かな。気づいたのはつい最近なんだけどね。私は夢や目標が欲しかったわけじゃないんだ。それに向けて努力したり、目を輝かすあなたたちがとても美しくて綺麗だと思っていたのよ」
この人もよくわからないことを言うのね。
「わかんないよね。頑張るものを持たない私は、頑張るあなたたちを応援してあげたいって思ったんだよ。だから生徒会長になったの。あなたが私を優しいって言ってくれたのはある意味で私のためなの。まぁ、私にできるのはあなたの涙を拭いてあげることだけだけどね」
答えになったかな、と生徒会長は言うと立ち上がった。
「さぁ、もう下校時刻過ぎているからね」
「……うん」
道場を出ていこうとする生徒会長に声をかける。
「……名前。私は秋山リリ」
「秋山ちゃんね。私名前覚えるのは得意なのよ。私の名前は……」
生徒会長が去って、私は制服に袖を通して学校を後にする。
ああいう強さもあるのね。
あの人の在り方に私はとても好感を覚えていたわ。
とても、そう、とても心が晴れやか。
もう小さく見える校舎に向かって、一礼する。
きっとまだあの人は誰かのために仕事をしている。
ありがとう。
あなたはやっぱり私を助けてくれるのね。
ワコ。
「私の名前は菅井ワコだよ」
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