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令和2年全国高校総体剣道女子団体決勝戦【中堅編開始】  作者: 目黒市
次鋒編

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73/90

29 元剣客は渇望する

 岩本エミは防具を外してひとつ息をついた。

 それは落胆の溜息だった。

 秋山リリ。

 あの不思議な剣術を使う少女とならば、欲していたモノを得られたかもしれないのに。


「ここまで、ですね」


 エミは竹刀を竹刀袋にしまう。

 監督やチームメイトたちはそれで察したようで、補欠だった生徒が準備を始める。


「私の我儘で申し訳ありません」


 準備運動を始める補欠部員である先輩にエミは頭を下げる。


「気にせんでいいよ。三中には岩本がいないとダメだなんて舐められるわけにいかんからね」

「ありがとうございます」


 本来なら許されるようなことではないかもしれないが、エミは自分の判断で試合への出場を決める権限を持つ。それが剣道部への入部条件だった。

 最初は否定的だった監督や他の部員たちも共に練習をする中で、エミの実力を認め、そしてそれが故にその権利を認めるにいたった。

 

 練習であれば誰であろうと相手を選ばずに剣を結べる。

 しかし勝負という真剣の場では、相手を選びたい。

 真剣勝負なのだから。

 それは命のやり取りであって無為に行えるものではない。


「それにしても疑問なんだが、あの秋山ってのはそんなにいい選手なのか? 確かに動きとかは中学生離れしているように見えたけど」


 先ほどの補欠部員が問いかけた。

 なかなか試合に出ない岩本が選んだ相手。どんな相手かと興味を持って観戦してみても、全国レベルを知る三中剣道部の部員からすれば並レベルでしかない。


「そうですね。早いだけ。あれは剣道ではありません。チャンバラですね。我儘で傲慢な剣です」

「お、おう」


 普段は温厚で口調も穏やかなエミには珍しい痛烈な批判に先輩も戸惑う。


「ですけれど、そうですね。あの方ならばもしかしたら」

「もしかしたら?」

「……」


 何かを言いかけてエミの視線は宙を迷い。


「いいえ、なんでもありません。そうですね、先輩の仰る通り彼女は私の戦うべき相手とは違ったのかもしれません」


 そう言ったきりこの話題はここまで、というようにエミは口と目を閉ざす。

 訊いた部員もそれ以上は何も言えず準備運動へと戻っていく。


 閉じた瞼の裏に様々な剣士の姿が思い浮かぶ。

 

 岩本エミとして幾人かの剣士を見てきた。

 有名なところで言えば、同学年でありながら天才と呼ばれ中学剣道界を現在進行形で圧巻している春風ヨウコ。

 彼女の剣は小学生が対象の全国大会で初めて目にした。

 まるで相手の心が読めているかのような不思議な剣。たしかに彼女は天才であり、今のところ世代最強の選手だろう。

 けれど。


「違います」

 

 首を振る。

 彼女はダメだ。

 春風は剣士でない。

 それ以外の剣士たちも、エミの求める純粋な剣士はいなかった。

 

 剣とは与えられるものでもない。剣士としての才とは決して天賦のものではないのだ。

 人のもとにあらねばならない。

 生きていく中で磨いていくものでなくてはいけない。

 父の加楽斎。


「……っ」


 いいえ、違う。セイゲンとしての父、加楽斎。

 エミは度々起こる記憶の混同に首を振る。

 

 加楽斎は剣によって神と人とに繋がりを持とうとした。

 不安に揺れる人としての心を救おうとした。それはつまり俗世での欲を捨て解脱に至るということ。その工程として剣を振るいその摂理の探求に努めることを主体にした。

 そのように剣とはあくまで手段に過ぎないのだ。

 振るうのは人である。

 過去には学術を用いて人とは何か、という根源に至ろうとしたモノたちがいた。哲学者と現代のわれわれは呼ぶ。

 文章を使って人の心の動きを解しようとしたモノたちがいた。それを純文学作家と呼ぶ。

 人とは常に何かに向かって深く進んでいく本能を持っている。

 その何かは人としての本質。

 だというのに私たちは自分が誰かを知らない。

 命綱もなしに崖を登っていくのが人生だ。

 それを知らない人間がこの時代には多すぎる。

 セイゲンとしての人格が憤りと不信感を倦む。

 

 観客席に目を向ける。応援している人以外のほとんどが手元の携帯端末にその視線を向けている。

 発達した情報は人に不安を感じさせる時間を失わせた。ふとした瞬間にその足場を不安に感じてもすぐ新たな情報が覆い隠す。

 

 セイゲンにとって剣とは人生を生きていくための櫂だった。


「だというのに」

 

 岩本エミの部分にはそれの理解が及ばない。

 小学校を卒業して、今は中学生。卒業すれば高校、大学と進学していくだろう。

 どこかの会社に就職するかはわからないが働いて生活費を稼がなくてはならない。そして母のように誰かと出会って結婚して子供を産み育てる。

 そして祖母のように、穏やかな日常を過ごし家族に見送られるのだろう。

 そこにセイゲンや授業で習った文豪や哲学者たちのように本質を求めることへの欲求は存在しない。

 なのにセイゲンとしての記憶がエミを不安に駆り立てる。

 どうしてこんなにも不安なのだろうか。

 

 幼き日から始まった岩本セイゲンという剣客と、現代の少女岩本エミの精神的共同生活は明確な分離や融合も果たすことなく、不安定な天秤を大きく左右に揺らしながら均衡を求めて、その上皿に乗せる何かを求めていた。


 そんな中に現れたのが秋山だった。

 彼女からはエミの中にあるセイゲンの部分と同じ何かを感じたのだ。

 そしてセイゲンとしての記憶がエミに駆り立てる。

 闘争という欲求。


「わかりません」


 現代に生きるエミという少女の人格は理解ができない。混合してしまっているからこそ理解ができない。


 人を斬りたい、という欲求。

 そして穏やかな水面のような精神。

 相反するふたつがセイゲンの中で同時に存在する理由が理解できない。


 しかしきっとわかるのかもしれない。

 真剣勝負の果てに私たちは理解し合えるかもしれない。

 そうすれば岩本エミは遂にひとつの岩本エミとして歩めるかもしれない。


「残念です」


 けれど秋山リリはそれを果たすには未熟な相手だった。

 深い失望が再びエミの心を覆いつくす。

 

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