19 剣客は仇討ちに助力した
人の魂、六道巡り流々廻々。
武勇を誇りとする少女の魂が日の本へと至り、魂に刻まれた業を手に入れた。
物語はそれよりも数百年と刻を戻す。
寛永十一年。
徳川三代将軍による治世が行われた時代。
荒木又右衛門保知と言う剣士が義弟の仇討ちに助太刀し、これを成功せしめた。
それを鍵屋の辻の決闘と呼び大衆の人気となったそうだ。
時を同じくして下総国の本行徳村と呼ばれる河岸場で、少女が壮年の剣士と共に仇討ちを成功させたことを知るものはいない。
その仇討ちはひっそりと行われた。
本来仇討ちは厳格な法の下で行われるものであったが、ここで行われたのは非合法の仇討ち。
地に伏しているのは辻本兵衛三郎。土浦藩藩士であったが、些細な揉め事から殺人を犯し脱藩。その後は殺人、盗みを繰り返しながら生活していた極悪人であった。
その辻本を見下ろす少女。
少女の手には先ほど辻本の命を奪った匕首が握られていた。強く握りしめているためか、その細い指は白く、微かに震えていた。その手を傍らの剣士が優しく包み、その手から匕首を取り上げた。
「あぁ、あ」
少女の目は辻本を見たまま涙が流れた。
その涙は少女がこれまでに失ったすべてだった。
家族、友人、女としての生。
それらが辻本から奪われたのは三年前のことだった。しかし今、ようやくこの手で仇を討ったことで改めて少女は失ったという事実を取り戻し、少女の涙はとめどなく流れた。
剣士はその少女を黙って見つめていた。
笠で隠れその表情を窺うことはできない。男にしては小柄ではあるが、その立居住まいからは巨木の如き安定感を覚える。剣を握る者であれば一目でその剣士が只者ならざる実力を持つことはわかるだろう。
少女から目を外して、剣士は静かに目を閉じた。
充足感が剣士を満たしていた。
少女の仇討ちへ助太刀することになったのは、偶然であった。剣客として武者修行の旅をしていた時に一時その道のりを共にした。
そこで少女の仇討ち旅を知り、剣士はその助太刀に名乗りをあげたのだった。
少女の悲痛な境遇に胸を痛めたからではない。辻本という男の悪行に義憤が駆られたからでもない。
ただ生きたかったのだ。
剣士の父は天下分け目の戦で刀を振るった。
剣士の兄は大阪の戦に参加し命を散らした。
しかし剣士はそれらの時代に生きることはできなかった。
一族のだれよりもその剣は冴えた。
けれど、剣士はただただ道場にて木剣を振るうのみ。
乱世は戦人を産み、その生を疾走した。剣士はその乱世の落とし子だった。だというのに乱世は先立つの英雄たちによって終焉を迎え、泰平の世を築いていた。
鳥は飛ぶために生き、桜は色づくために生き、商人は商いのために生きる。
ならば剣士はなんのために生きるのか。
腰に差した刀を撫でた。
人を斬ったのはこれが初めてだった。なんの感慨もない。満たされなかった何かが埋まると思ったのだが、結局は何も埋まりはしなかった。
「ミフユ」
剣士は涙を流す少女に声をかけた。
少女――ミフユはまだ幼さを残す顔を剣士に向けた。
「約束は覚えております」
「本当によいのか?」
「……はい。私にはもうどこにも行くところはありません。あなた様こそ」
ミフユの目には先ほどまでの喪失感は消えていた。
「名を言っていなかったな。岩本セイゲンだ」
「セイゲン、様」
その名前を確認するようにつぶやいた。
「セイゲン様。ミフユのような女モドキでよろしければ妻としてお仕えいたします」
剣士――岩本セイゲンが助太刀するための条件。それは彼の妻となる、ということ。
「俺も大層な人間じゃあない。ただ妻として傍におればよい」
「ミフユはもう」
ミフユは目を伏せた。その手はすっと自身の下腹部をなでた。
「そのようなことを俺は求めていない。何もお前が気にすることはない。俺とて、いや気にするな」
「……はい」
セイゲンは歩き出した。その背中を追うようにミフユも歩き出す。
宵の口。
二人の人影は木々の中に消えていった。
ただ後の世の我々が知りうるのはこの日、巷を騒がせていた悪漢が何者かによって斬り殺された、という事件の資料のみ。
そこに居た岩本セイゲンという剣士、並びにその妻となったミフユという女のことは誰も知らない。




