17 元悪逆令嬢は襲われる
「覚えてくれていたんですね。秋山さん」
笑顔を浮かべた岩本がこちらに歩み寄る。
首から下げたメダルが歩くたびに胴に当たってカランっと音が鳴る。
「……おめでとう」
「?」
「……優勝した」
「あぁ、そんなことですか」
彼女は心底どうでもよさそうに、祝いなど結構ですよ、と断った。
「秋山さんと戦えると思ったのですけれど残念です」
「……」
「ですが、良かったのかもしれませんね」
彼女は穏やかな口調で話し続ける。
「あなたの試合を見学させて頂きました。どうしてあなたは本気を出さないのですか?」
岩本はさらに一歩間合いをつめてきた。
閉会式も終わり、殆どの参加者たちは帰宅を始めているのか施設内に人は少ない。廊下には私たち以外誰もいない。
「……私は本気、だった」
「ふふっ、そんな筈はありません。もしも本気のつもりならばそれは悲しいことです」
さらに一歩間合いをつめてきた。
「『私』は秋山さんにとっても期待しているのですよ。なのにあなたは不自然です。技術も経験も申し分ないのに、まるであなたは何かを我慢するように」
「……」
また一歩。
「あなたは何者ですか? とてもとても美しい刃を持っているのに、その柄はとても醜く未熟です。それでは私が今日ここに来た意味も、そしてこれからの私の希望がなくなってしまいます」
「……何を、言ってる?」
「はははっ」
私が困惑していると、まるでその見た目に似つかわしくない豪快さで岩本は笑った。
「こういうことですよ」
無挙動。
正面に立っていた岩本の手が私の頬を掠める。
遅れて、ひゅん、という空気を裂く音。
「動じないし、感じられていますよね。なのに反応はできていない。ますます不思議ですね」
遅れて頬に痛み。
岩本の手にはナイフ。竹刀の手入れ用の道具、よね。
その刃が窓から差し込む夕日で無機質な光を放つ。しかしその刃には温かく真っ赤な血が滴る。
「とても美しい朱ですよね」
岩本は先月会ったときと何も変わらない微笑みをその顔に浮かべていた。
「……何をするの?」
「殺し合いですよ」
岩本の影が動く。
タン、と鋭い踏み込みの音。
私は斜め前にその攻撃を避ける。
私がいた場所を袈裟斬りにナイフが空を斬った。
「今のは美しい動きですね。まるで斬られた経験があるみたいです」
「……」
そう言う岩本はまるで斬った経験があるような躊躇いのなさ。
「秋山さん。私は悲しいのです。剣とは何のためのものですか? 何のための鍛錬ですか? 何のためにこの精神を研ぎ澄ますのですか?」
再び岩本のナイフが襲い掛かる。
動から静。静から動の切り替わりが速い。まるでナイフだけが突然こちらに切りかかってきているようだ。
私はその一撃を上半身を捻ることで胴台に当てる。
「これが実践ならば秋山さんの腸が飛び出していました。どうでしょうか? 綺麗に線を引けたと思いませんか」
黒塗りの胴台には斜めに一本傷跡が残っている。
その傷跡はブレもない。
岩本には斬ろうという力みもなければ、人を斬るという躊躇いもないことがわかる。
「……何がしたいの?」
「? 何がと言いますか。先も言った通り私は殺し合いがしたいのです。醜い殺し合いではなく、生死の境を越えた純粋な武の比べを行いたいのです」
岩本が三度踏み込む。
今度の一撃は私の喉元を狙った突き。すでに私は壁を背に立っている。背後に逃げて距離を取ることはできない。左右に逃げればよいのでしょうけれど、私には避けた後攻撃に転じる術を持たない。避けた瞬間、岩本は突きから切り払いに変化するだろう。
浮かぶのは岩本のナイフが私を切り裂くイメージ。
けれど。
けれども。
高揚感が私の全身を駆け巡った。
おそらく岩本は正常に異常なのでしょうね。
そして私もまた異常に異常なのだ。彼女以上に。
私は避けることを止めて、岩本に向かって踏み込んでいく。
ナイフの刃が再び私の頬を掠める。
「見事です」
「ふんっ!」
喜々として目を輝かせる岩本の顔に掌底を打ちこむ。
しかしイメージした力はでていない。
岩本は掌底を耐えきると突き出した腕を引き寄せて、再び私に向かって振り下ろす。
「おーーい。秋山ぁー。そろそろ帰るよ。いつまで泣いてんのぉ」
その時、遠くから吉川部長の声が聞こえてきた。
岩本の振り下ろしたナイフは私の首元で止まった。
すぅーっと首筋をナイフでなぞると、岩本は残念そうに眉尻を下げる。
「人が来てしまいましたね。少し乱暴が過ぎたかもしれません。けれどその甲斐はあったようですね。あなたがどのような人なのか、どのような理由でそのような異様な気配を纏うのかは推測しかねます。ですが」
岩本の目が妖しい光をもつ。
「ですが、ぜひまた私たち殺し合いましょう。美しい生を喜びあいましょう」
私の頬から流れる血を彼女の舌が舐めとった。
そうして岩本は私に背を向けて歩き去る。
「岩本と一緒にいたのか秋山、ってお前! その頬どうしたんだ! 血出てるぞ」
入れ替わりで現れた吉川部長は去っていく岩本の背中を見て首を傾げた後、私の傷を見て血相を変えてハンカチを押し付けてきた。
その後、私を探しに出たっきり戻ってこない吉川部長を心配した他の先輩たちも合流して、私はさらにもみくちゃにされた。
「リリちゃんのぷにぷにほっぺに傷がぁああ」
「沁みるけど我慢してね。ばい菌入ったらダメだからね」
「本当にどうしたんだこの傷?」
「……転んだ、です」
私は先輩たちからもみくちゃにされながら、先ほどの岩本との闘いを思い返していた。
正直、岩本の言っていることはさっぱりわからないのよね。
それでも彼女と過ごしたわずかな時間は久々に心が沸き立つのを感じたわ。
はぁ、どうして私はこんな窮屈に生きようとしているのかしら。
中学に入学するまで剣道をするのを我慢していた。
ようやく始められた剣道もそのルールに縛られて。
私がずっと求めていたものはコレだったのかしら?
リリィ・バーンズだった頃からずっと求めていたものは何?
岩本の凶刃を前に私は心が躍っていた。
彼女は私を殺そうとしていた。
そこに決めごとも、縛りもなかったの。
あるのは勝つか、負けるか。生きるか、死ぬか。純粋な力比べ。
私は誰?
そうよ。
悪逆令嬢リリィ・バーンズよ!
もう何にも縛られたりなんてしてやらないわ。




