05 林道ユウカについて箕輪の証言
その日、自習のために出された課題は忘れ去られて、生徒たちは夏季休暇後に行われる文化祭について盛り上がっていた。
シュンヤがクラスTシャツを作ろうと提案したからだ。
箕輪氏も文化祭の打ち合わせならばいいか、とあまり騒がないように、と軽い注意だけして隣の教室に戻っていった。
「やっぱさ一体感って大事じゃん。先輩に発注した業者聞いたから、俺とミキで発注とかはやっとくからさ。クラTシャツとかめっちゃ青春じゃね!?」
先輩とはシュンヤが所属しているバスケ部の先輩のことだろう。
発注などの作業を自分もやるのかと勝手に決められたミキは驚いたが、悪い気はしなかったので何も言わなかった。
このところシュンヤは事あるごとにミキを誘って遊びに出たり、こういうクラス行事で一緒に作業することを提案してきたりした。
シュンヤは粗暴なところこそあるが、学年でも人気は高い。ミキのタイプではなかったがシュンヤならいいかも、満更ではなかった。
「高くはないけれどお金はみんなからカンパしてもらうからさ、一応確認しとくな」
そう言うとシュンヤは賛成のやつは挙手してくれー、と軽いノリで言った。
もちろん、そこでの正解は挙手一択だ。
シュンヤのことを普段は避けているオタクの森山や一ノ瀬たちも手を挙げている。
内心でどう思っているかは別としてクラス全員が手を挙げる、はずだった。
ユウカだけが手を挙げなかった。
いつもの無関心を隠しもしない冷めた目でシュンヤを見つめていた。
「えー、林道さん話聞いてないの〜」
シュンヤの取り巻きの1人が茶化すように声をあげた。それに追随するようにクラスの中心メンバーが口々に、話聞いてないの、ノリ悪、冷めるわ、と続けた。
「おい、林道いい加減にしろよ。お前サムいんだよ!」
そんな時、シュンヤが声を荒げた。
「ちょっ、シュンヤマジギレ? あんなの無視でいいでしょ。あいつ以外みんなで作ればいいよ」
声のトーンが本気だったのを感じたバスケ部のチームメイトである山瀬が取りなすようにシュンヤの肩に手をおいた。
しかし山瀬の手を振り払い、シュンヤは教室後方のイチカに大股で近づく。
「お前いい加減にしろって。クラスの空気悪くしてんの気づけよ。本当、邪魔だわ」
「……」
ここまで誰もユウカに直接的に何かを言ったりはしなかった。
それらはいじめではなかったし、悪意からではない、正当な行いであると誰もが思い込むようにしていたからだ。
けれどシュンヤは突発的な怒りによって一線を越えた。例えるならば彼は群れのリーダーであった。同性よりも身体的に優れ、異性に魅力的に映る容貌。リーダーの資質は年齢によって要素が変わっていく。幼い子供の群れは力によって決まり、多少年齢の上がった彼らの群れはそこに雰囲気が加わる。
しかしそこにリーダーたりえる資質は関係ない。人の群れは成熟していけばリーダーたりえる能力が必要となるのだが、幼い群れは本来リーダーたりえないものを迎えてしまう。
シュンヤもその不足なリーダーであった。彼にとって群れは彼のステージでしかない。彼を中心に動き、彼はその見返りに彼自身が楽しいと思うことを提案、実行させていた。
利己的な押し付けの他利思考はこの日、ユウカという矛盾によってあっけなく崩壊した。
その崩壊はユウカがいなくとも必ず起こりえるものであった。そうして人の群れは成熟して社会の一員となるか、そこから脱落するかが決まる。けれどシュンヤにとっての不幸はその崩壊がユウカによってもたらされたことだった。
「おい、なんとか言えよ。気持ち悪いんだよお前!」
ユウカは怒鳴るシュンヤの顔を黙って見つめる。
まるでシュンヤが何を言っているのか理解できないようで、それがさらにシュンヤの怒りに油を注いだ。
衝動的な怒りは未熟な精神を行動へと駆り立てる。
「ちょ、シュンヤ」
ミキは慌てて止めようとするが、それよりもはやくシュンヤの手はユウカへと伸びていた。
「こいつ調子乗ってんだよ。可哀想な境遇だからみんなに配慮してもらって当然とか思ってるんだ」
シュンヤはユウカの腕をつかんで引っぱり上げた。
その拍子で椅子が倒れる。クラス中の視線がそちらに向けられた。
しかし頭に血が上っていたシュンヤは関係なく、ユウカを睨みつけていた。
「な、なんだよその目は!」
先程までの威勢とは違う何か怯えたような、それを振り払うような震えた声のシュンヤにミキは驚き視線を戻した。
シュンヤはその怯えを取り繕うとするためか、よりユウカを掴む手に力を入れた。そしてユウカの体をそのまま突き飛ばした。
男子の中でも背の高いシュンヤと小柄なユウカではその体格差は明らかで、ユウカは机を巻き込んで床に倒れ込んだ。
「……」
「なんとか言えよ! 気持ち悪い奴だな。お前のせいで空気が悪くなってんだよ」
ミキは流石にやり過ぎか、と思いもしたがどこかいい気味だという思いが止める手を引っ込めさせた。
「……っ」
その時小さくではあるが、ユウカの口が動いた。
なんと言ったのかはミキには聞こえなかったが、そばにいたシュンヤには聞こえていたようだ。ユウカの言葉を聞いたシュンヤは一瞬驚愕して目を見開いたが、すぐに怒りで顔を赤く染め上げた。
「て、てめぇ」
完全に逆上したシュンヤは座り込んでいるユウカに襲い掛かった。
そこからはあっという間の出来事だった。ミキはシュンヤの右こぶしがユウカの顔面に叩き込まれたように見えた。しかしそう見えただけだったのだ。
シュンヤの拳は空を切ったのだ。拳がユウカの顔に直撃する瞬間、ユウカは首をすくめて躱し、空を切ったシュンヤの右腕をつかむと立ち上がりながらひねり上げた。
立ち上がったユウカは、シュンヤの腕をひねり上げながら彼を床に跪かせる。そしてシュンヤの背中を蹴り飛ばした。
「何考えてんだよ」
床に倒れたシュンヤを見下ろすユウカ。その横から山瀬が彼には珍しく激高しながらユウカを静止しようと二人の間に割って入る。
「……邪魔」
冷ややかな声。誰もが息をのんで状況を見守っている中、その冷静な声は場違いに感じたし、初めて聞いたユウカの声にミキたちは不思議な感情を抱いていた。
今まで、何か異質なものと思っていたこのクラスメイトは自分たちと同じ人間なのだと、その声を聞いていまさらながら初めて実感したのだ。
「い、いや、邪魔とかじゃないから? いきなり暴力とかなにしてんの。悪いのはお前だからな」
山瀬は自分よりも頭1つは小さいユウカを威圧するように声を荒げた。
しかしそんな山瀬を前にユウカは首を傾げた。
「悪い? 良い悪いではない。弱いのに噛みついてきたから教えただけ。おまえも」
「!?」
ミキには何が起きたのかわからなかった。
ただユウカが山瀬にまっすぐ手を伸ばしたようにしか見えなかった。
しかし次の瞬間に山瀬はシュンヤと同じく床に伸されていた。