39 令和2年先鋒戦
本日2話目の更新です。
暗闇の中、獣は変わらず人間を狙う。
春風と林道の勝負は振り出しに戻り、どちらかが有効打を決めた時勝負は決着を迎える。
春風の耳は未だ耳鳴りが続いている。林道は春風を警戒するように少しづつ間合いを詰める。
林道が威嚇するように踏み込みをおこなう。
そのたびに彼女たちの世界に赤い花が咲き誇る。
風もない暗い森の中にそれ自身が光源を持つように赤い花がくっきりと浮かび上がる。
林道の殺意は種としての殺意から、個人への殺意と変わったのを春風はその花で感じた。
春風には林道の怒りがわからない。
なぜ彼女はこんなにも簡単に他人へ害意を向けることができるのか。どうしてここまでの殺意を自分に向けてくるのか。
何もわからない。
2人は名前以外何も知らない。
彼女たちの17年の人生で2人が出会ったのはわずか10分にも満たないわずかな時間でしかない。
人生はまだまだ続くのだろう。
その中で林道と春風が三度出会うことはあるのか、ないのかもわからない。
今日が2人にとって交わる最後の時かもしれない。
けれど、これまでの道のりはこの日、この時、この相手と戦うためにあったのではないか、と2人は感じていた。同じことを目の前の相手は感じているという確信もあった。
林道にとって春風はとても憎らしく、妬ましい。
春風にとって林道は恐ろしく、相容れない。
きっと林道は他人を受け入れることはないし、春風が林道を理解できることもない。
どちらが勝っても世界は変わらないし、何も変わらない。
今日と同じ明日がくる。
しかし。
しかしわずか10メートルの試合場の中にいる少女2人には違う。
それは若さの特権か、またはこの時までの命を燃やすように生きてきたからこその権利だろうか。
5億数百万平方メートルのこの地球、その地球に住む80億の人間。
わずか100平方メートルの試合場の中、2人の少女はまるでそれがこの世界のすべてであるように向かい合う。
いやそれは真実なのかもしれない。
有史以来。
人間個人の力が届くのはわずかその程度のものなのだろう。
そして常にだれかと向き合い続ける。
それは母であり、友であり、伴侶であり、子である。
あなたであり、それに対するは私。
今、必要なのは対するあなたであり、それに対する私だけなのだ。
「ふぅー」
林道の口の隙間から息が漏れる。
筋肉に力が入る。
彼女が今まで喰らった獣が、相手が熱となり細胞1つ1つを沸き立たせる。
常時の春風ならばその感情を視ることができただろう。
しかし『無形の一撃』を警戒する春風はその両目を閉じている。唯一の頼みの綱である聴覚は先の林道の攻撃でつぶされた。
林道の動きを残された僅かな聴覚で拾うことは可能だ。けれどそれをすることは視覚ではなく、聴覚で林道の殺気を拾うことになるだけ。
ただ為す術もなく暗闇の中獣に狩られるのを待つ哀れな非捕食者にすぎない。
林道はもう仕留めることに決めた。
研ぎ澄まされた牙のような一撃を春風に落とす。
これでこの苛立たしい時間を終わらせる。
左足の親指に力が入る。
目の前の人間を一撃で仕留める。
放たれる寸前の弓矢のように、真っすぐ春風へその身体は飛びかかる力をため込む。
対する春風は不思議と焦りはなかった。
視覚を塞ぎ、仲間の声を頼りに獣を見つけ一本先取できた。
しかしその耳も獣によって塞がれた。
正直もう春風に残された手はない。
けれど後悔はなかった。
それだけこの3年間は春風にとって充実したものだった。
やれることはやりきった。そしてこの場において出し切れた。
獣の殺気の前に何もできずに倒れてしまった4年前とはもう違う。今も暗闇の中でこちらをうかがう獣は恐ろしく、そして怖い。だが戦うことができた。
「……くない」
本当に満足だ。
「……たくない」
きっと仲間たちも笑って迎えてくれる。
私が負けても、仲間たちも強い、チームとしての負けが決まったわけではない。
「……けたくない」
おそらくもう林道はこちらを狩ろうとしている。その牙をこの暗闇の向こうで研ぎ澄ましている。
いや、もう解き放とうとしているかもしれない。
けれど春風にはもう何も残っていない。
「負けたくないっ」
なのに、春風の心は渇きを訴えるように、強く強く勝ちを欲する。
「春風っ‼」
何度も、何度も、何度も、何度もその声を聞いた。
いつだってその声は怒っていたり、不機嫌だったり、呆れたように自分の名前を呼ぶ。
けれど、いつからだろう。
「春風っ‼」
その声の中に、願いにも似たような響きがあることに気づいた。
その響きが春風の心を波立たせる。
その人の声を聞くと、負けたくない、勝ちたい、と思うようになった。
勝て、と願うようにその声はいつも自分の名前を呼ぶ。
「春風っ、勝つんだ。勝て春風っ‼」
その声だけははっきりと聞こえるのだ。
耳鳴りの中でも、多数の観客の喧噪の中でも、林道の殺気の中でも。
その声は春風の中に何かを灯す。
それは小さな火だった。
プロメテウスの火が春風の中に灯される。
暗闇の中で怯えるだけだった人は、火を手に入れることで文明を築き、闇を侵略していった。
その明りが春風の中に灯される。
「私は負けないっ‼」
「いけえぇ、春風っ‼」
その小さな火は無数に咲き誇る赤い花を燃やして広がる。
闇を照らすように。
闇の中に潜む獣を炙り出すように。
「はぁああああああああっ!」
獣が飛び出す。
そう、この大いなる大地に築かれた文明という名のハリボテを否定するために。
「やぁあああああああっ!」
人は火を手に迎え撃つ。
無慈悲なる大地に、新たな物語を紡ぎ歩き始めるために。
春風と林道。
2人の飛び込み面が交差する。
相打ち。
喧噪に包まれた体育館が一瞬で静寂へと変わる。
審判の旗が上がるのはどちらか。
それはどれだけの時間か。
永遠にも感じるような間。
しかし2人にはもうわかっていた。
春風は振り返り、選手席で心配そうにこちらを見る彼女を見て涙を流した。
読んでいただきありがとうございました。評価、ブックマークしていただけると嬉しいです。次回で先鋒編は終わりです。




