03 林道ユウカについて箕輪の証言
ユウカを引き取ったのはタカユキの兄、コウイチロウとサチコ夫妻。
突然すぎる弟の死と、想像することもできない生活を送ってきた姪っ子に夫婦は強く心を痛めていた。
コウイチロウたちに引き取られた後もユウカが言葉を発することはなかった。
心療内科での診察も受けたが、おそらくは長い1人での生活から失語症のような状態にあるのではないか、という診断にとどまった。
文字の読み書きに関しても忘れている部分が多くあり、学校への復帰も引き取られてから1年経った、ユウカが中学2年の時だった。
ユウカが通うことになったのはK県内の市立行幸南中学。
当時行幸南中学で教員として勤務していた箕輪クミ氏が当時のユウカについて語ってくれた。
「林道さんの転入に関しては保護者からも心配の声は多くありました。長いこと社会生活から離れていた子であることと、心因性の失語症というのも心配の要因でした」
しかし本人の学習意欲の高さもあって、編入時の試験では学内でも上位の成績を出していた。
問題行動もなく、抵抗の声はあったものの手続きは滞りなく終わった。
「第一印象は普通の女の子だな、と。何年も1人で山奥に住んでいたと聞いてもっと普通とは違うのかと思っていました」
箕輪氏は棚からアルバムを取り出して広げて見せてくれた。
卒業アルバムのクラス写真。
1人の少女を指さす。
他の少年少女たちと何1つ変わらない。見ただけではこの少女が6年もの間を山奥で1人生きてきたとはわからない。
筆者がふとそのアルバムの違和感に気づいたとき、箕輪氏の顔に陰が差した。
「見た目は普通の子でした」
他のクラスの生徒たちは皆とまでは言わないが、クラスの大半が笑顔である。しかしユウカのクラスは誰も笑っていないどころか、欠席者が多かった。
ユウカが転入した日からクラスがおかしくなった。
箕輪氏が抱いたような感想を級友となる子どもたちも持った。
噂だけが先行していた特異な少女。
しかし目の前にいるのは自分たちと何も変わらない普通の少女。むしろ小柄で地味な少女。
さらには喋ることもなく、無表情な少女。
「いじめ、と言えばいいんですかね」
どこか恥じ入るように箕輪氏は口を開く。
どこにでもあることだ。
社会に出たって、必ずある。それを直接的に行うのが子供、間接的に行うのが大人なのだろうか。
「たまたま同じ年に生まれた子供を何人と1つの部屋に閉じ込めれば、合う合わないはでてくるわ。それは私たち大人もよ。教員同士だって配属された学校によってはあったわ」
言い訳を並べるように言葉を並べる。
「もちろん許されるものではないけれど、どうしようもありませんよ。私たちが何を言ったって変わりはしません。大人でさえそうなんですから」
当時のユウカがクラスでどのようなことをされたのか、それを知るすべはない。
なぜならば当時のクラスメイトは誰もその時のことをしゃべりたがらないからだ。中には現在引きこもり誰とも会いたがらない者までいる。
筆者は尚もその日の出来事を箕輪氏が語り始めるのをじっと待った。
箕輪氏は溜息を吐くと、静かに目を閉じた。
「私は直接目にしたわけではありません。だからこれから話すのは幾人かの生徒への聞き取りで教えてくれたことの継ぎはぎです」
林道ユウカという少女のこれまでを取材していく中で、『その日』が重要なことであるのは明確であった。『その日』が来なければ林道ユウカという少女はおそらく表舞台に出てくることはなかったはずだ。
そして今、『その日』のことがここで語られる。
「それは林道さんが転校してきて2か月経った6月のことでした」
読んでいただきありがとうございます。当分は時間もありますのでこまめに投稿していきます。また読んでいただけたら、と思います。