38 令和2年先鋒戦
本日もお昼にもう1話投稿予定です。そちらも読んでいただければ嬉しいです。
春風は残った左耳に意識を集中する。
まだ林道は間合いの外。
しかし、その間合いの外から林道がにじり寄ってきているのを感じた。
ドン。
踏み込み音。
その波形が正確な林道の居場所を浮き上がらせる。
しかし、すぐに別の場所から踏み込み音。
翻弄するように、林道の影が暗闇の中を動く。
「くっ」
場所を探るために林道の音に集中していた影響か。目を瞑った状態の春風の脳裏に真っ赤な薔薇の幻影が浮かび上がる。
その真っ赤な薔薇が真っ暗な試合場の中に咲き誇る。林道が春風を翻弄するように動くたび、花は増えていく。
「薔薇……じゃない」
春風はそこでそれらが薔薇ではない。奇妙な花であることに気づく。
花びらと呼ぶには細い花びらが輪生状に咲き誇る。細長い茎に鮮やかな赤い花をつけるその様はとても異様で不気味に見える。
それらがまるで春風の精神を蝕むように咲き誇っていく。
「喰らってやる!」
その群花から一頭の獣が躍り出た。
牙をむき出しに、その鋭い爪で春風に襲い掛かってくる。
春風はその獣を打ち払うために打って出た。
「馬鹿っ!」
工藤の声がそこでようやく春風の耳に聞こえた。
しかし春風の剣は止まれない。
獣に当たった瞬間。
その獣はまるで霧散するように消えた。
そして思わず目を開いてしまう。
「貰った!」
霧散した幻の中から獣ではなく林道が春風に襲い掛かってきた。
春風の打ち終わりを林道の竹刀が打ち抜いた。
「コテありっ!」
審判員の旗が3本上がる。
勝負は一瞬にして振り出しに戻った。
開始線へ戻るために目を開いた春風は選手席に座ってこちらを心配そうに見ている工藤たちへ視線を向ける。
歯痒そうな表情をした工藤の顔。
「ニナさん」
3年間。
春風にとってこの試合は勝っても負けても最後の試合になる。
まさか本当に工藤は宣言通り最初で最後の公式戦で全国大会決勝まで引っ張て来てくれた。
4年前の中学の個人戦。
林道に負けた、いや殺された自分は部屋に閉じこもっていた。
他人が怖くて、外が怖くて、自分の内に閉じこもることを選択した。
正直今もそれは変わらない。他人は怖い。
感覚が視えるからこそ怖い。
林道のような殺意。他人の悪意。そんなものが世界にはあって、それらは人の皮を被って平然と社会にいる。春風以外の人たちも同じようにこの社会に生きている。けれど『それ』が視えるのは自分だけ。とても強い孤独だった。
そこから工藤は連れ出してくれた。
口も悪いし、ガサツ。人の頭をすぐに叩く。我儘で気分屋。デリカシーもない。こっちのことなんておかまいなし。
高校3年間の思い出にロクなものはない。
「けど、楽しかった」
たくさん泣いて、たくさん話して、たくさん練習して、たくさん喧嘩もした。
どれもくだらないことで、きっといつか時間の中で忘れて消えていってしまう事柄だ。
でもきっとそれは結晶のように自分の中に残るのだろう、と春風は思えた。
だから最後は勝って終わりたい。
勝って、笑って終わりたい。
一緒にここまで来た仲間のためにも。そしてこれからの自分のためにも。
春風は強い決意とともに前を向き、竹刀を構えた。
「……」
林道は春風の気配が変わったことを感じとる。
他人なんてものは林道にとっては存在しなかった。
林道の世界には自分と自分以外のすべてでしかなかった。
林道の人生は約半分が山での生活だった。
1人で生きてきた。
彼女は自分が自然の一部であると体感していた。
心の根が自分という個人を超えて大きな何かに繋がっているのを常に感じていた。
しかし林道は人間の社会に於いてどこまでも孤独だった。人間の集団で生きることをしてこなかった彼女は他人を慮ることも、自分を偽って他人に合わせることも知りえなかった。
竹刀を構える。
目の前の春風の喉元に剣先を向ける。
まるで自分を否定するかのような力を振るう敵。
それが林道にとっての春風だった。
自然という巨大な何かに繋がりを求めた林道。対して春風は人間とのつながりの力。今も目と耳を封じられても尚、春風は他人とのつながりを持っている。
――あぁ、それが妬ましくて、私は羨ましいのか。
林道は、大いなる意思のもとではなく、自分自身の感情として春風に牙をむく。
「ショウブっ!」
審判が試合を再開させる。
読んでいただきありがとうございました。評価、ブックマークしていただけると嬉しいです。連勤中のため少々忙しくて、駆け足気味になってしまっております。後日大幅な改稿をするかもしれません。




