25 林道の令和2年先鋒戦
お前にだけは絶対負けるわけにいかない。
ユウカは目の前の敵を睨みつける。
春風ヨウコ。4年前に戦った相手。よく覚えている。山にも、ガッコウにもいない初めて見る敵だった。
ユウカの最も古い記憶は山の記憶だ。
父親と2人、山奥で生活をしていた。
父である男は母を、そして娘であるユウカを愛してはいた。しかしそれは一番ではない。男が一番愛していたのは剣だった。
だから男は妻を交通事故で亡くした時も、本当に嘆き悲しんだのはその事故で剣道の道が閉ざされたことだった。
山に籠もった理由をユウカは知らない。しかし男は常に剣を振るうことのできない自分自身に絶望し、そして呆気なく死んでしまった。
1人残されたユウカはただ山奥で呆然としていた。幼い子供には何もすることができなかった。
夜になると暗闇の向こうからこちらを窺っている気配を感じた。姿は見えないが何かしらの獣の気配が常にした。
その理由は子供でもわかった。
餌として見られている。
ユウカは姿の見えない捕食者に恐怖した。
けれど、それと同時に悲観し絶望して死んでいった哀れで情けない自分の父親の姿を思い出した。
あんな風に死ぬのは嫌だ。
死にたくない。
生きたい。
生きたい。
生きたい。その言葉だけがユウカの内面を支配した。
そうすると、暗闇の向こうからこちらを窺う捕食者が放つ靄のようなものに気づいた。
それは彼ら動物が放つ殺気のようなものだった。
強い意志の塊。
それは彼らの鋭い爪のようにユウカへ襲いかかり、その小さな体を押さえつけようと蠢いていた。
その靄を感じた瞬間に、それは自分にもあるものだ、とユウカの身体の奥底に眠る、それこそ、何万年と昔に失われながらも人の奥底に眠っていた野性が呼応した。
暗闇を睨みつける。
殺してやる。
コロシテヤル。
奥歯を噛み締めた。自分の身体から溢れる気配が暗闇の向こうから発せられる気配を蹂躙するのを感じた。
いつの間にか暗闇の向こうの気配は消えていた。
それからの数年。ユウカは様々な気配を山の中で感じた。それが野性の世界なのだ、と幼いながらに感じていた。
言葉など必要ない。
静寂の中に、様々なやりとりがあった。
ある日、強力な獣がユウカの気配を突破して襲いかかった。
手近に落ちていた枝木で応戦した。獣が威嚇するように後ろ足で立ち上がる。その背丈はユウカの2倍はあった。
太い丸太のような前足を頭上に掲げて威嚇している。
一瞬恐怖がユウカを襲う。しかし、すぐに下腹部に力を入れて自身の気を強く獣に当てる。獣はそのユウカの気に負けまいと咆哮をあげた。
ユウカの全身の毛が粟立つの感じた。この獣は山の主なのだろう。その沽券が逃げるという選択肢を消し去っていた。
戦うしかない。
ユウカは手近にあった木の枝を拾い上げる。
獣との闘いはわずか数分に満たない時間で決着がついた。
倒れたのは獣。立っていたのはユウカだった。
ユウカは感謝とともにその獣を食した。自身の血肉として、その獣を尊敬するが故の食事。
食せなかった部位は他の動物や虫たちの糧となった。
そして時が経つとその場所に草が多く茂っていることに気づいた。
その瞬間だった。
ユウカは自然と一体となった。
この星の一部であることを強く自覚した。
雄大なそのサイクルの一部。
命の輪廻の1つなのだ。
その瞬間。
ユウカは林道ユウカとしての自我よりもヒトという生き物である、という自我が強くなった。
山から下りてからは虚無だった。
誰もが意味のない言葉を並べる。言葉に何の意味があるのだろう。
本心を偽って、並べ立てられる虚言。
街並みもただ虚構にすぎない。
人間の社会は孤独だ。
山にいた頃は、『私』という自我はなかった。けれどより多くのものと繋がり、より大きなものと一体となっていた。
ガッコウというナワバリで出会ったクラスメイトたちは哀れだった。
ウサギやネズミのように弱い。なのに自分が弱いということも知らず、虚言を並べ立てて意味のない言葉を言い合っている。
山で弱い生き物はユウカに逆らうことはなかった。
それはわかっていたからだ。
誰が自分を食べるもので、自分が彼女にとっての糧である、という真実。
オスの1人がユウカに手を出した瞬間。
ユウカは決めた。
この虚構の社会を私が山に変える、と。
その際に出会った工藤カズサは不思議な人間だった。
人間らしく嘘をついている。
けれど、それが真実なのだ。
あの女は全部が全部嘘。喋る言葉から、表情、態度、存在、すべてが嘘。なのに工藤にとっては真実なのだ。
おかしな人間。
「私があなたの言う山を用意してあげすね。ふふっ」
工藤は信用ならないが、その言葉に乗っかることにした。
そうして剣道を始めた。
皮肉なことに、それは父親であるあの男と同じ道を歩むということだった。
その剣道の試合。
案の定、山と同じように気を相手にぶつけると、弱い獣よりも鈍い反応しか示さない。
どんなに弱い獣や虫であろうと、殺気に対して行動を示す。抗いようがない、とわかっても潔く死ぬか抗うかする。
それなのに人間はただ茫然と立ち尽くしているだけ。
こんなの簡単に殺せる。
やはり工藤の言葉は信用ならない、と思っていたところで出会ったのが春風ヨウコだった。
ユウカは試合場を挟んで春風を見た瞬間に強烈な憎しみを感じた。
春風という人間の放つ存在感と言うものだろうか、それがユウカの厭う人間らしさにあふれていたからだ。
どこまでも孤独。
どこまでも虚構。
きっとこいつは山で感じた一体感というものとは程遠い、対極の存在なのだろう。
絶対に殺す。
ユウカは自身の気を全力で春風にぶつけた。
こいつには絶対に負けたくない。




