お見通しの道
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
「あなたがどこを歩き、どこの角を曲がってここまで来るのか、私にはよくわかります」
とある作品を読んだとき、このようなフレーズに出くわしてね。つぶらやくんも知っているかと、ちょいと投げてみたんだよ。
もし、これが初見あるいはほとんど面識のない相手から発せられたら、こいつストーカーか? と疑うところだろう。
しかし、これが自分のよく知る相手。家族、友達、仲間などから発せられたら、どう思うだろうか?
自分のことをよく知ってくれていると喜ぶ……なんていうのは、幼いか心が純粋な人の反応だと思う。
お前が何をしているかなど、いちいちしらされるまでもない。だってお前、予想に反するようなことしないだろう? つまんねえやつだ……と。
友達にはなれるだろうが、その先の親友、恋人なんかへステップアップするには難しい存在だろう。後の立場の面々は多かれ少なかれ、相手をおもって悶々とする要素がなきゃ成り立たない。
よく言うと謎、悪く言うと疑惑。はっきりしないことは不安を招くが、それは退屈とは縁遠い感情といえる。
安定と不安定のどちらが続きすぎても、人間は鈍るし飽きもする。答えがはっきりしない宙ぶらりん状態だからこそ興味をひかれ、あわよくば自分に都合よいほうへ動かしたい……それが魅力につながるのやもしれないな。
逆に魅力がないやつは、どうなるか?
いいやつ、と評することはできる。しかしそれが心根のいいやつなのか、どうでもいいやつなのかは判断がむずかしい。もし後者ととられたら……なにをされてしまうだろうね。
僕が以前に体験したことなのだけど、聞いてみないかい?
昔の僕は「いつも通り」に強いこだわりを持っていた。
物心ついてほどなく、かつて住んでいた一帯が大きな災害に見舞われてね。さいわい家族そろって命を拾ったものの、ほぼゼロか今の住まいでスタートだ。
これまた幸運にめぐまれて生活は安定してきたものの、僕のいわば「はじめて」の生活風景は永遠に失われてしまったわけ。
再び、このようなことが訪れるんじゃないか……当時の僕は、それが何より怖かった。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日がずっと続いてほしい。
そのために僕ができる願掛けが、登下校で同じ道を通り続ける、ということだったんだ。
はじめて作られた登校班で通った道筋。僕は何年もかたくなに、そこを利用し続けていた。
例外は道路工事などで、やむなく進路を変更されてしまうときくらい。それ以外は黙々と同じルートでもって、学校の行き来を続けていたんだ。
そうしてもう数百日、あるいは4桁ほどは日数が経っただろうか。
クラスメートのひとりにさ、先に話したようなことを言われたんだよ。
「お前がどこを通って、どう帰るのか、知っているぞ」とね。
はあ、アホじゃねえのお前? ととっさに返したけどね。
彼が帰る道は、私のものといささかも交わらない反対方向。それを知ったと、わざわざ教えてくるあたり、こいつは何が言いたいんだ? というのが正直なところ。
「あのな、お前もいきなり突っぱねないでもうちょいよく聞け。いつ『俺が』なんていったんだ?」
「そういや、いってなかったな」
「ありていにいうとな……この教室、だな。今日くらいは別の道を通らないと帰れないと思うぞ。オレ、この手の気配にはちょっと敏感なんでな」
またイタい症状でも発症したのか……と、このとき私はたいしてまともに取り合わなかった。
授業時間もまたいつも通り、平々凡々と過ぎ去っていき帰る時間となる。
もちろん、いつも通りの道を歩いて私は帰っていく。
校門を出て、すぐ右折。最初の交差点を左に曲がってしばらく歩き、田んぼの合間に横たわるあぜ道を渡って……。
と、歩いているうち、ようやく私は自分の異変に気が付いた。
目線が低い。
気づいたのはあぜ道横を流れる用水路ぞいを歩いている時だった。
いつも見下ろし気味な水路のフェンスを、今日の私は見上げている。特に意識してかがんだわけでもないのに。
ただ身体が縮んでいるのとも違う。靴や服は変わらず、身体へフィットしたままだ。こいつらもまるごと、小さくなっているのだろう。
――このままだと、帰れない。放っておいたらカエルかバッタみたいになっちまう。
まだ家まではだいぶある。この調子でたどり着けたとしても、いったいどれほどの背になっていることか。
彼の言っていたことが思い出されてね。いまいちど同じ道を通って、学校の教室まで戻っていったんだよ。
その途中でちくいち確かめていたんだが、教室が近づくたびに私の背はどんどん元通りになっていき、教室へ着いた時には完全なものに戻っていた。
そして今度は、数百日ぶりに別のルートを使い学校から家へ帰ると、なにごともなく玄関をくぐることができたというわけさ。
翌日、彼にはお礼をいったが、このようなことはこれからも起こりえるとも、教えてくれたよ。
変わることをよしとしない気持ちは分かる。しかし、それはこの世の誰にとっても読みやすく利用されやすいから、ちょくちょくフェイントをはさむ気持ちでも、変わったことに手を出せとね。