38番 幸せの重み(その一)
次回、第二部・合宿編、完結です☆
サクッ、サクッと砂を踏む音をさせながら、俺は神楽坂さんと砂浜を波打ち際へ向かって歩いている。
「わたし、この合宿に来られてよかった」
「そうですか」
「ええ。わたしが部長やってた頃は、こういうのできなかったし。やればよかったな。そしたら、高校時代の楽しい思い出にできたかも」
つばの広い麦わら帽子をかぶっているので、表情はよく見えないが、神楽坂さんの声は明るい。
「ハルくんとのヒミツの思い出もいっぱい作れたし。ねっ?」
「……っ! またそういうこと言う……」
「あははっ!」
こういう恋人同士っぽい会話が交わせる幸せ。
地元に帰ってしまえば、日中こうやって、人の目を気にしないで並んで歩ける機会はほとんどないだろう。
そういう意味では、茅場には感謝しないといけないかもしれない。
ちょっと悔しいけど。
思い切って俺は、さっきの悩みを神楽坂さんに打ち明ける気になった。
神楽坂さんとこんな幸せな時間をできるだけ長く過ごしたい。そのために俺は何をしたらいいのか。
それを神楽坂さん本人に聞いてみよう。
「あの……みぃたん」
「なあに?」
「みぃたん、俺と付き合って後悔してない?」
「なによ突然。そんなわけないじゃん。なんでそんなこと聞くの?」
俺は、今の状況で神楽坂さんに釣り合う男であるとは思えないこと、特に精神面で子どもなこと、それでも神楽坂さんを大切に思っていること、神楽坂さんを幸せにするためにはどうすべきか悩んでいることを話した。
神楽坂さんは暑い中、俺といっしょに歩きながら、俺の話を黙って聞いていてくれた。
「……言いたいこと、全部言えた?」
「うん、全部言えた、と思う」
「よし! じゃあ、波打ち際まで競走っ。行くよ!」
「あっ、みぃたんちょっと! ちょっと待ってよ」
神楽坂さんは急に走り出す。
わりと速い。
それなりに頑張らないと置いて行かれてしまうので、俺も彼女を追いかけて懸命に走る。
しばらく走り続けて、波打ち際に近づいた神楽坂さんはそこで走るのをやめる。
俺も後ろから彼女に追いつく。
神楽坂さんはさすがに息が上がり、はあはあ、と荒い息づかいをしていたが、はあっ!と一息入れると突然、海に向かって叫んだ。
「ハルくんのっ、バカあーーーー!!!」
え、なんで……?
それを聞いた俺は、絶句して固まる。
「……あー、スッキリした」
「あ、あの俺、何が、ばかなんでしょうか?」
神楽坂さんが苦笑する。
「うーん、まあ……言うて全部?」
「ガーン!(真っ青)」
全部って。
「ハルくんって、考え過ぎなんだよ。わたしのこと信用してないの?」
「いや、そんなわけないでしょ。なんでそうなるの? 信じてるに決まってるじゃないですか」
「いや信じてないでしょ。わたしより子どもっぽいとか、わたしと釣り合わないとか、そんなことでわたしがハルくんを嫌いになったりすると思ってるの?」
神楽坂さんは俺を睨みつけている。
その睨んだ顔もかわいいなぁ、と思ってしまう俺。
「いや、嫌いになるとかは思わないし、そう思いたくもないけど……」
「だったらいいじゃない。そのままのハルくんがいいのよ、わたしは。ハルくんは、ハルくんでいてくれればいいの」
「…………」
「今でもハルくんは、わたしを十分幸せにしてくれてるよ。これからもハルくんのやり方でわたしを幸せにしてよ。それがわたしを幸せにする方法」
そのとき急に強く海風が吹き、神楽坂さんの帽子を吹き飛ばそうとした。
俺は飛びそうになった帽子をかろうじて掴む。そして掴んだそれを神楽坂さんに手渡す。
「……ありがと。ハルくんはまたひとつ、わたしを幸せにしてくれたね」
神楽坂さんは嬉しそうに帽子を被り直す。
被り直した帽子の角度を整えながら、神楽坂さんがポツリとつぶやく。
「わたし、小さい頃から人に合わせて生きてきたの」
「……えっ」
「おばあちゃんや茅場家の人たちに、全部合わせるかたちで生きてきた。『周囲からはみ出しちゃいけない』、『わたしはこの程度で我慢しなきゃいけない』、そう自分を納得させて生きてきたの」
そう言うと、神楽坂さんは顔をあげる。
「でも今は違う。いまわたしは、もっと早く経験すべきだったことをやり直してる。ハルくんがわたしを目覚めさせてくれた。だからこれからハルくんといっしょに、いろんなことをいーっぱいしたいって思ってるから!」
神楽坂さんは、改めて俺の手を取る。
「これまでの経験とか年齢とか関係ない。本格的なお付き合いはこれが初めてのわたしだけど、ハルくん、これからもよろしくね。……大好きだよ」
手を取ったまま、神楽坂さんは軽く首を傾げ、にっこりと美しい微笑みを俺に見せた。
まったく……こんな顔されて、そんなこと言われたら。
この人には、本当に敵わないな。




