33番 夜のデート(その三)
俺と神楽坂さんは、葛西たちがどこにいるのか周囲の様子を伺いながら、少しずつ別荘裏の砂浜へと近づいていった。
スマホの地図を見ながら、別荘の横の階段以外からの砂浜へのルートを探してうろうろする。
砂浜に降りられるかと思えば、途中で壁や溝で遮られていたり、こっちは行けると思えば、すごい崖になっていたり。
なかなか思ったようには砂浜には降りられない。
その度、俺は神楽坂さんに謝って別の道を探す。
神楽坂さんは優しく「いいよ、大丈夫。次の道を探そ!」と言ってくれる。
何回目かのトライでたどった道は、打ち捨てられた廃屋のような別荘の敷地に続いていた。
スマホのライトに浮かび上がったのは、草ボウボウの中に、かろうじて人が通れるくらいの細い踏み跡、あたりには壊れた家電、汚れてぐしゃぐしゃの服の山、積まれた古タイヤ、散らばる雑誌。
崩れたブロック塀には、スプレー塗料で落書き。
さすがにこのルートは無理だろう、と引き返そうとした俺を引き留め、神楽坂さんが微笑む。
「途中であきらめるのはもったいないよ。ここまで来たんだから、最後まで行ってみよ?」
「でもさすがにこんなひどいルートじゃ、行くだけ無駄だと思いますよ。きっと砂浜には抜けられないよ」
「それでもいいよ。ダメならまたハルくんとふたり、いっしょに新しい道を探せばいいだけじゃん。OKだけじゃなくてNGな道も含めて、わたしハルくんといろんなことを経験したいなー」
……ほんとにこの人は、もう。
俺と「いろんなことを経験したい」ていう発言は、いろいろと含みがありすぎ///
神楽坂さん、それって天然? それともワザとなの?
「じゃあ、先に進むことにしますか。行くのはいいけどケガしないように。みぃたん、周りにはよく気をつけてくださいね」
「はーい。何かあったら、ハルくんわたしを助けてね」
さすがの葛西といえども、俺たちの写真を撮るためだけに、こんな気味悪いところに入ってくるのはイヤだろう。
そういう意味では、ここに入るのは尾行を巻くための妙案かもしれなかった。
そんなことを考えながら、俺は神楽坂さんの手を引きつつ、細い踏み跡をたどる。
じめじめとした土のうえのコケに滑り、湿った土に足を取られながら、俺たちはなんとか建物の裏庭に脚を踏み入れる。
時ならぬ侵入者に虫たちが一斉に逃げ出し、その一部は俺の顔や腕、首などにぶつかってくる。
「うぷっ……み、みぃたん、虫とか……大丈夫?」
「まあ、小さい頃は田舎暮らしだからね。もしかしたらあなたより、虫には慣れてるかもよ」
「……それは心強いね」
周辺のわずかな明かりに照らされた裏庭には、背丈ほども雑草が生い茂り、ヘタに触れるとピンと伸びた勢いのある草の葉で手を切ってしまう。
ほぼ手探りで草の葉をかき分けつつ、続いている踏み跡をさらにたどっていくと、ようやく敷地の端のフェンスが見えてきた。
フェンスに近づくと、どうやら踏み跡の続いているあたりが、外へ通じるフェンス扉になっているようだ。
草を強引にかき分けて、なんとかフェンス際までたどり着く。
扉を見ると、フェンスと扉金具は針金でぐるぐる巻きにねじられ、簡単に開かないように固定されている。
だが扉の向こうには鉄製の階段がつけられていて、その下は……砂浜だ!
「なんとか砂浜に降りられそう?」
「ここまで来たら、行くしかないです……よっ」
ぐるぐる巻きの針金の端を探し、めちゃくちゃにねじられている端を逆にねじって緩めていく。
「痛っ!」
「ハルくん、大丈夫?」
途中、針金の先端で指を傷つけ、思わず傷口のある指先を口に咥えるが、血の混じった唾を吐き出すと、俺は作業を継続する。
長い時間をかけて、ついに針金をフェンスの扉から外すことに成功した俺は、指の傷の恨みを晴らすように、フェンス扉を内側から外側へと蹴りとばす。
三度目の蹴りでついに抵抗を諦めたフェンス扉は、ガシャーン!という音を立てて、外へ向けてその口を開いた。
「……それではどうぞ、お姫さま」
「うむ。くるしゅうないぞ、ハル王子(笑)」
先に鉄製階段に立った俺は、神楽坂さんに手を差し伸べる。
神楽坂さんは俺の手を取って、階段へと歩を進める。
舞踏会の階段をふたりして降りるかのように、俺たちは手を掲げつつ、一段一段慎重に階段を降りる。
そしてついに俺たちふたりは、砂浜へと降り立った。
「ハルくん、ありがとう。傷は大丈夫?」
「まあなんとかね。みぃたんが最後まで諦めるな、って言ってくれたおかげで、なんとか砂浜にたどり着けましたよ」
遠くのほうを見渡すと、砂浜の少し先のほうに松の木が何本か生えているところがある。
目を凝らすと、その後ろのかさ上げされた土台のうえに、見覚えのある広いベランダの建物が建っている。
あれが合宿所の別荘だろう。
帰り道のメドもついたな。
俺と神楽坂さんは手を繋いだまま、砂浜を歩き始める。
海に向かって風が吹いていて、心地いい。
ざざーっ、ざざーっという波の音と、足元からのさく、さく、さく、いう歩みの音が混じりあう。
俺も神楽坂さんも、ただ黙って歩いている。
とても静かだ。
砂浜に降りたあたりと別荘との中間まで来たところで、神楽坂さんは急に立ち止まる。
「どうかしましたか?」
「ちょっと一休みしませんか? この辺にいっぺん座りましょう」
「ああ、はい、わかりました」
俺はコンビニで買ったレジャーシートを袋から出すと、その場に敷く。
シートは思いのほか狭くて、ふたりがギリ座れる程度の広さだった。
「ありがとう……よいしょ、っと。ハルくんもどうぞ」
まず神楽坂さんがシートの左半分に腰を下ろし、右側の空いたところをパンパン、とたたく。
「お邪魔します……」
神楽坂さんの身体に触れないよう気をつけながら、俺はシートが空いている右側の、できるだけ端のほうに腰を下ろそうとした。
「もう少しスペースを空けますね」
神楽坂さんがさらに左に寄ってくれて、座るスペースを広げてくれる。
「ありがとうございます。よっ……と」
なんとか俺もシートに腰を下ろした。
と、そのとき。
「うわ、やっぱり狭ーい! もう少しハルくんのほうに寄ってもいいですかぁ?……えいっ!」
神楽坂さんは一度広げた右のスペースを一気にゼロ距離に――つまり俺の身体にぴったりと密着する感じに――縮めた。
同時に俺の左腕を両腕で抱え込み、左肘を両膝の間にホールドした状態で、俺の左肩にあごを乗せてくる。
「あっ、あのっ、みぃたん?! これは……」
「ハルくん、これで……わたしを……感じてもらえる、かな?」
左耳にそんなことをささやかれて、俺の背骨にゾクゾクとした電流のような快感が走る。
神楽坂さんが放つ甘い香りが、鼻腔をくすぐる。
左の二の腕には、魅惑のふくらみが強く押し付けられ、左肘は膝と膝との間で身動きができない。
左腕を少し動かそうと身じろぎした瞬間、どこかに触れてしまったのか「あんっ!」と神楽坂さんが悩ましげな声をもらす。
そして、恥ずかしそうに俺の肩に顔を押し当てる。
……こ、これでは、身動きがとれん。
俺の顔のすぐ左に、神楽坂さんのぽぉっと上気した顔がある。
「みぃたん……」
「ハル……ハルマチくん」
俺は、神楽坂さんの顔にくちびるを寄せていこうとして――
そこに高らかに響きわたる、スマホの呼び出し音とバイブレーション!
俺は驚いて、そのまま固まる。
鳴ってるのは俺のではない……神楽坂さんのスマホだ。
その着信音を聞いたとたん、神楽坂さんはガクッとうなだれ、「この着信音は……はぁぁぁ……」と全力でため息をついた。
その後、彼女はしぶしぶ俺の左腕を手放すと、のろのろとポケットからスマホを取り出し、画面を見て、再度のため息とともに通話ボタンを押す。
「…………はい、わたし……ん……ええ……はい……わかったわ。じゃ」
むっつり黙り込む神楽坂さん。
「あの……、誰からですか?」
「……ちーちゃんよ。もう二時間はとっくに過ぎてるのにいつまで外にいるの、早く帰ってきなさい、だって」
ハッとしてあらためて時計を見ると、たしかに予定時刻を三十分も超えている。
茅場も我慢を重ねたが、さすがにこれ以上は待てなかったのだろうな。
俺たちはすぐに立ち上がると、そそくさとシートをたたみ、早足で別荘の建物を目指した。




