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16番 オンケン誕生(その二)

 分厚い手のひらで、顔ごと口が塞がれて声が出せなくなる中、反対の手で先生が生徒指導室の引き戸をガッ!と開くのが見える。


 もうダメだ……室内に、引きずり……こまれる……

 みんな……おばあちゃん……助けて……


 抵抗する力がすべて抜けて、わたしが生徒指導室の前の廊下から中に引きずり込まれようとした、そのとき。


「淵野辺先生! そこでいったい、何をなさっているのですか!」

「!!!」


 辺りの廊下に響きわたるような大きな声で、白衣の女性が職員室の前から、こちらに向けて怒鳴っている。


 わたしはもう完全に力が抜けてしまい、淵野辺先生のなすがまま、部屋に引き込まれようとしていたが、その怒声で淵野辺先生の動きは完全に止まった。


「あ、いや、あの、これは……違うんです……」

 先程までの勢いはどこはやら、先生はひどく動揺した様子で、か細い声で何か言い訳をしようとする。


「何が違うんですか! 明らかにその女生徒を生徒指導室に強引に連れ込もうとしていましたよね! 防犯カメラに証拠映像が残ってますよ!」


「えっえっ……あのー、いや誤解ですよ、ハハハ……」


 白衣のその人はツカツカと足音を立ててこちらへ近づくと、へたり込んでいるわたしを助け起こす。


「あなた大丈夫? ケガはない? 痛いところは?」

「…………だい、じょうぶ……です」

 そういうと、ホッとして気が抜けたためか、わたしの視界はブラックアウトした。


          ☆☆☆


 目が覚めると、ベッドの上に寝かされていた。


 周囲をカーテンが取り巻いている。天井が白い。

 どうやらどこかの病室の中のようだ。


 見ると制服を着たままだ。

 だとすると、ここは学校の保健室か。


 ゆっくりと上半身を起こすと、ベッドがギシギシッと音を立てる。その音が聞こえたのか、白いカーテンがシャッ!と開く。


 カーテンが開いたところに、白衣の女性が立っている。

 逆光で表情はよく見えない。


「目が覚めた? 気分はどう?」

「……はい、大丈夫です。……ありがとう、ございます」


「そう。よかった。見たところではケガはしてなさそうだったけど、身体に痛いところとか、ない?」

「はい。手首がちょっと痛いですが、問題……なさそう……です」


 白衣の女性は、たぶん保健室の先生だ。

 白衣を見ているうちに、記憶がよみがえってくる。


 職員室へ行って、数学の淵野辺先生に部活の顧問の話をしていたら、生徒指導室に引っ張り込まれそうになって――それを思い出した途端、気持ちが悪くなり、両手で口を押さえる。

「うっ……」

「……大丈夫?」


 白衣の先生がすぐにベッドに近づき、わたしに寄り添うと背中をさすってくれる。

 吐きそうになるのをなんとか堪えて、息を整える。先生は優しく背中をさすってくれている。


「……ありがとう、ございます。もう、大丈夫、です。あの、先生が、助けてくださったんですよね」


 近くで背中をさすってくれているおかげで、先生の顔が見えるようになった。


 若い女の先生だ。この学校には珍しい。

 不思議なことに、その横顔にはなんとなく見覚えがあるような気がする。……誰だっけ?


「あのバカは、さっき警察に引き渡したから安心して。今後あなたには絶対危害は加えさせない。血迷ってあれだけのことをしたのだから、もうこの学校にはいられないでしょうね。本当にバカな男」


「……もし先生が見つけてくれなかったら、今頃わたし……」

 そんなことを言ってしまったわたしに、白衣の先生はピシャリと言い放つ。


「そんなバカなことを考えちゃダメ。あなたが今想像したことは、実際には起きなかったのよ。起きなかったことを思い悩んでどうするの。……そういうとこ、あなた、昔から変わらないわね」


「えっ? 昔から、って……先生、だれ? わたしを知ってるの?」


「ふふ、あなたに先生なんて言われると、なんだかくすぐったいわね、泣き虫の美沙ちゃん。わたし、さくらだよ。飯田橋さくら」


「飯田橋、さくら?……ええっ! さくら、って、あのさくらちゃんなの? おばあちゃんのトコで、いっしょにピアノを習ったさくらちゃん?」


「ええ、そうよ。美沙ちゃん本当に久しぶり。会えてとっても嬉しいわ。まさかこんなかたちで再会するなんて。でも本当に無事でよかった……」


「さくらちゃん!」

 わたしはさくらちゃんに抱きついた。


 さくらちゃんもわたしをしっかり受け止め、抱きしめてくれた。

 わたしはあらためて、さくらちゃんにお礼を言った。


 さくらちゃんは去年、この学校の養護教諭として採用されたのだが、今年の身体検査のとき、わたしがこの学校に入ったことを初めて知ったそうだ。


 声をかけようと思ったが、なかなかきっかけがつかめずタイミングを計っていたところ、生徒との間でいろいろ問題を起こしている淵野辺先生にわたしが接近しているのを見て心配し、最近は監視していたんだそう。


 不安が的中してしまった、もっと早く美沙ちゃんに話をしておけば怖いめに遭わせずに済んだのに、とさくらちゃんは自分を責めた。


「そんなこと言わないで。さくらちゃんのおかげで、わたしはこうして無事だったんだよ。さくらちゃん、ほんとにありがとう」


 そのとき、バタバタと走ってくる音がして、保健室に人が飛び込んできた。

「美沙っ!」

「あっ、茉記先生……あの、わたしね……あ、あれ?」

 茉記先生の顔を見るなり、わたしの目からはボロボロと涙が流れだした。

 なにこれ? 今のいままで平気だったのに……なんだか泣けてくる。


 わたしは茉記先生に抱きついて、ひとしきり泣いた。

 茉記先生は黙ってわたしを抱いていてくれた。


 わたしがようやく落ち着いた頃、さくらちゃんが茉記先生にお詫びするとともに、簡単に事情を説明した。


 茉記先生は最初険しい顔をしていたが、加害者については今後厳正に対処することになるだろう、あらためて学校の然るべき者からご説明する、というさくらちゃんの言葉にいったんは納得したようだった。


 その後、そのまま茉記先生といっしょに帰宅した。


 翌日、茉記先生の心配をよそに、わたしは普通どおり学校に行った。

 昨日のことはまったく話題にもなっていなかった。


 それどころか、そんなことがあったことは生徒には知られていないようだった。


 後で保健室にさくらちゃん、いやさくら先生を訪ねて聞くと、校長先生からこの件は一切口にしないように、という強い指示がなされたとのこと。


 淵野辺先生は直ちに無期限の自宅待機となったらしい。


「淵野辺は気が弱いから、美沙ちゃんに近づくことはないと思うけど、今後はひとりで帰ったりしないようにね。何かあったらすぐ警察にでもなんでも通報すること!」


 その後は、さくら先生と積もる話に花が咲いた。


「あーあ、それにしても部活の顧問の話は、結局ゼロからの再スタートになっちゃったなぁ……」

「なにそれ。顧問の話って?」

 わたしは新たな部活動を立ち上げようとしていることをさくら先生に話した。


「ふーん、それは困ったわねぇ。養護教諭は基本的に顧問にはなれないけど……わたし的には顧問になるのは全然OKだから、その前提で学校と交渉してみる?」

「えーっ、さくらちゃん、じゃなかったさくら先生、いいの? そんなことできんの?」


「まあ、淵野辺の件については学校側に責任あるから、それを盾に交渉されると、学校側としては立場が弱いよね。ちょっとわたしから校長先生に話をしてみるわ」


 そんなやり取りから約ひと月。

 その間、校長先生が茉記先生にお詫びと説明に来たり、淵野辺先生が教師をやめて遠くの実家に帰ったというウワサがあったりしたが、それもようやく忘れられた頃のこと。


 わたしが昼休みにクラスで友だちとおしゃべりしていると、さくら先生が息を切らしてハァハァ言いながら、教室の入口に立ち、室内を覗き込んでキョロキョロしている。

 誰か探してるのかな?


「さくら先生、どうしたの?」

「あっ美沙ちゃん、見つけたっ! じゃなかった、神楽坂さん! OKだよ! OKが出たよ!」


 大声で叫ぶさくら先生が、最初何を言っているのかわからなかったが、さくら先生が部活動の顧問になることが認められた、ということがわかった途端、わたしは彼女に飛びついた。


 新しい部の名前は「音楽研究部」と決まり、顧問を飯田橋さくら先生、部長がわたし、活動スペースは社会科資料室と決まった。部員はわたしを含め七人。

 わたしたちは、意気揚々として活動を開始した。


          ☆☆☆


「……オンケン誕生にそんなドラマがあったなんて。全然知りませんでした」

 葛西が感慨深げに感想を述べる。


「そんな話、美沙ちゃんから聞いたことなかった。そんなの聞いたら、似たような状況に置かれてる今の部長として超プレッシャーじゃん! もうやめてよー……」

 茅場が胃のあたりを押さえて、具合悪そうにしている。


「きっと大丈夫だよ。さくら先生のことだもの、なにかいい知恵持ってるよ。だから、まだ起こってないことを想像して不安になるのはやめよう!」


 神楽坂さんがそう言うと、明るい未来が拓けてくるような気がするのが不思議だ。


 俺たちの乗る列車は、目的地の駅まであと少しのところまで来ていた。

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