15番 センチメンタル・ジャーニー(その二)
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また、評価やブクマいただいた方、本当にありがとうございます。ちょー嬉しいです☆
いよいよ物語は佳境に入りつつ、作者としてはしっかり駆け抜けていきたいと思ってます。引き続きよろしくです☆
「え、何も送ってませんよ?」
「はい?」
「あのとき神楽坂さん、宅配便のお兄さんに『荷物が誤って配達された』って言いませんでしたっけ?」
そう葛西がツッコむ。
「あー、なんと言いますか、あれは……」
神楽坂さんが言いにくそうに、モゴモゴと言い淀む。
「カマをかけたというか、何とか情報を引き出そうとしたというか……そんな感じですかね」
えーっ、あれウソなの?
神楽坂さん、これっぽっちもウソなんかつけません、みたいなカワイイ顔して、宅配便のお兄さんにカマかけたの?
「えーとですね、あのとき、さくら先生がどこに行ったのかよくわからなかったじゃないですか」
「あー。はい、そうですね」
「だから、どのくらいの期間いないのか、予定された不在なのかそれともそうじゃないのか、とかを知りたかったんですよ、わたし」
「はあ……」
「単に『最近、飯田橋さんへ荷物をお届けしましたか?』とか『どのくらいの間、飯田橋さんの顔を見てないですか?』とか質問しても、宅配便のお兄さんは答えてくれないでしょう?」
「まあ、そうでしょうね。個人情報ですからね」
「だから、間違って荷物が配送されたって言えば、最近いつさくら先生に荷物を届けたか、わかると思いまして……ああいうことを言っちゃいました。すみません」
「…………」
「言い訳っぽくなりますけど、そのおかげで、さくら先生は自分が不在になる前提で、管理人に荷物受け取りを頼んでたことがわかりました。管理人に頼むのは、不在期間がそれなりに長くなることを意味します」
「……なるほど」
「この時期に急に旅行なんてしないでしょうから、先生はおそらく実家に帰ったと考えました。いろいろ関係先に連絡した結果、その可能性が高いと確認できたので、今そこへ向かっています。以上です」
すごい。
宅配便のお兄さんが現れてから会話するまで、わずか何十秒くらいしか経ってなかったはずだ。
その短時間で、いま説明したようなことを考え、疑わしくないようなかたちでお兄さんに質問を投げかけ、その回答からさくらちゃんの行き先を突き止めたのか。
小説に出てくる名探偵さながらだ。
俺も葛西も言葉がない。
「やっぱり、アレをやったんじゃない」
ハッ、とあきれたように茅場がため息をつく。
「美沙ちゃん、前にも似たようなことやって、一時期、周りの人から避けられてたじゃない。もうやめたのかと思ったら、またやってるの?」
「今回は特別だから……だってオンケンの一大事だし」
「そういうところが気にいらないのよ。他の人はできないけど、自分ならできるとか思ってるでしょ。やめてよそういうの!」
急に茅場が大声をあげたので、周りの席の人がザワつく。
慌てて葛西が、茅場に注意する。
「茉稚、いや茅場さん、声大きい。しーっ」
「…………」
黙り込む茅場。
神楽坂さんも黙ってしまう。
気まずい沈黙が四人の間に漂う。
しばらくすると、前の席から、葛西が茅場を宥めているような小声が漏れてくる。
何を話しているのかは聞こえないが、茅場も何か答えたりしているようだ。
それに対して、神楽坂さんは黙っている。
窓枠に頬杖をついた状態で、黙って車窓に流れる景色を眺めている。
いや眺めているように見えるだけで、景色は視界に入っていないようだ。
やがて、すーっと一筋、涙が神楽坂さんの頬を流れ落ちる。
俺は動揺する。どうしていいのかわからない。
声をかけようにも、なんと声をかけていいかもわからない。
気がつくと俺は自分の座席の肘掛けを強く握り締めていた。そのすぐ隣の肘掛けのうえには、神楽坂さんの手が乗っている。
思わず俺は、神楽坂さんの手のうえに、自分の手のひらを重ねた。
強く握ったりはしない。ただ重ねただけだ。
俺はここにいるよ、とただそれだけを伝えたかった。
神楽坂さんは最初は呆然としていたが、やがて目を見開き、ゆっくりと隣に座っている俺のほうを見た。
俺はどう反応していいのかわからず、硬い表情のまま、ぎこちなく微笑んだ。
俺のぎこちない笑みを見た神楽坂さんは、なぜだか急に目尻を下げ、俺に向かってにっこりと美しく微笑む。
微笑んだはずみにこぼれ落ちた涙を指先で拭うと、神楽坂さんはおもむろに頭を俺の肩に預けた。
心地よい重みが、俺の肩にかかる。
その肩の先には、ふたりの手のひらが重なりあっている。
「……ありがとう」
神楽坂さんは、かろうじて俺に聞こえる大きさでそうつぶやいた。
「……わたしの人生、いろいろ普通じゃないんですよ。だから普通の人とは少し違った育ち方をしてきちゃいました。えへへっ」
頭を俺の肩に預けたまま、神楽坂さんはつぶやく。
「わたし、幼稚園のときに両親を事故で亡くして、おばあちゃんのうちに預けられてたの。だからお父さんとお母さんの顔も今ではあまり覚えてない。物心ついたときには、わたしおばあちゃんと暮らしていました」
幼稚園のとき?
茅場の家に預けられたのは小学四年だ、と言ってたが、その前にすでに両親は亡くなっていたのか……。
「うちのおばあちゃんはピアノの先生で、昔、国際コンクールで優勝した人だった。お弟子さんもたくさんいてね。でもわたしが預けられた頃は、単なる田舎のピアノ教師として、小中学生相手に指導してたんです」
今の神楽坂さんの音楽への興味はこの頃に培われたのかもしれないな。
「おばあちゃんは日頃はとても優しかったけど、ピアノを教えるときだけは別人のように厳しかった。中学生くらいの人に対してでも厳しい指導に泣いたりしてた。わたしも自然とピアノ教室で厳しく指導されていたわ」
俺は黙って神楽坂さんの話に耳を傾ける。
「わたしはおばあちゃんのことが大好きだった。どこに行くにもいっしょだったし、ご飯やお風呂や寝るときもいつもいっしょだった。ピアノのときは厳しかったけど、うまく弾けるといっぱい褒めてくれたの」
お父さん、お母さんの不在をおばあさんが一生懸命に埋めてくれてたんだな。
「今でも多少ピアノが弾けるのは、その頃の指導のおかげ。でも小学校に入ったあとくらいから、おばあちゃんの体調がだんだん悪くなった。わたしもお手伝いを頑張ったんだけど、結局どうにもならなくなった」
「…………」
「小学三年の終わり、おばあちゃんが心臓病で入院することになって、わたしはお弟子さんのひとりだった茅場さんの家にお世話になった。茉稚さんのお父さんは音楽家で、今も世界を飛び回ってるの。知ってた?」
「そうなんですか……全然知りませんでした」
それで茅場家には父親の形跡があまりなかったのか。
茅場の父親の姿が見えないことは気がついてたが、あえて聞かないようにしていた。
「わたしが茅場家でお世話になって以来、おばあちゃんはずっと入院してたんだけど、わたしが五年生のときに亡くなった。でも亡くなった原因は心臓病じゃなかった。東さんは『誤嚥性肺炎』って知ってる?」
「ごえんせい? なんですか、それ」
普通、唾液でもなんでも、気管に入れば自動的に咳がでて、異物を排除する仕組みが人間には整っている。
いわゆる気道反射というやつだ。
しかしお年寄りになると、この反射機能が衰える。
虫歯菌や雑菌が混じった唾液が気管に流れ込んでしまうと、気管の奥にある肺でそれらの菌が繁殖し、重い肺炎を起こしてしまうことがある。
これが誤嚥性肺炎で、高齢者の病死のランキング上位に入る病気だ。
神楽坂さんはそう説明をした。
「おばあちゃんは、入院後の口腔ケアが十分でなかったらしいの。だから誤嚥性肺炎になって亡くなった。そんな不幸な目に遭う人をひとりでも減らしたい。そう思って、わたしは口腔ケアを担う歯科衛生士になったの」
神楽坂さんが歯科衛生士になったのは、そういう理由だったのか。
「クラスのほとんどの子は大学に進学したけど、わたしはこれ以上茅場さんにご迷惑をかけたくなかった。だからわたしは奨学金借りて、歯科衛生士の国家試験の受験資格と教職資格がとれる短大に行ったの」
「ふん、うちの親はふたりとも美沙ちゃんを普通の大学に行かせるつもりだったわよ。美沙ちゃんなら大抵の大学は受かったでしょうに。それを断って奨学金まで借りて短大行くなんて。物好きだと思わない?」
「茉稚。言い過ぎだ」
神楽坂さんの話をいつの間にか聞いていた茅場が口を挟み、葛西が茅場の発言をたしなめた。
茅場は口は悪いが、神楽坂さんをけなしているわけじゃない。
四年制大学に受かる実力があり、大学進学資金も茅場家で持つと言ったのに、自分で奨学金を借りることまでして短大に行ったことを残念に思っている、と言いたいのだろう。
どこまでも素直になれないヤツだ。
「わたし、ひとに恵まれてるんです。おばあちゃんもそう。茅場さんご夫婦や茉稚さんもそう。これまで困ったときは必ず周囲の人たちに助けてもらえた。わたし、本当に周囲の方々への感謝しかないんです」
神楽坂さんが続ける。
「オンケンを作ろうとしたときもそうでした。顧問になってくれる先生がいなくて、とても困ったの。学校の全部の先生に当たったけど、誰もOKしてくれなかった。ああどうしよう、と思ったんです」
座席の隙間から見える葛西が、ひどく深刻な顔をしている。
それは……今、葛西が置かれてるのと、まったく同じ状況だ。
「でも、そのときもひとに恵まれた。そのとき再会したんです。さくら先生と」
再会した? さくらちゃんと?
どういう意味だ。
「どういうこと? 美沙ちゃんそれって、さくら先生に高校以前にもどこかで会ってたってこと?」
茅場が疑問をぶつける。俺と同じ疑問だ。
「ええ。わたしさくらちゃんをよく知ってたの。昔から」
神楽坂さんが答える。
「わたしがおばあちゃんにピアノを習っていたとき、厳しい指導を受けていたときに、いっしょに泣きながら指導を受けていた中学生のひとり。それが飯田橋さくらちゃんだったの」
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