1番 ボーイ・ミーツ・歯科(その一)
歯医者というところは、できればあまりお世話になりたくない場所のひとつではないだろうか。
歯医者に行くキッカケというのは、十中八九は歯が痛いこと。
ただでさえ痛いのに、歯医者では歯を削って詰め物したり神経を抜いたりするから、痛いのが重なって最悪だ。
そのうえ、治療の際の「チュイーン」という独特の音とか、骨に伝わる振動とか…………あー、もう想像するだけでイヤだ!
でも、歯医者に行かなければ出会えない女性がいる、ということを男子諸君は知っているだろうか?
それが歯科衛生士さん。
この歯科衛生士さん、その九十九パーセントは女性である。なんと、看護師さんの女性比率よりも高い。
別に男性がなれないわけでもないのに、だ。
これは俺が歯医者さんで出会った、可愛らしい年上の女性歯科衛生士さんをめぐる物語だ。
☆☆☆
学校で行われた定期健診の歯科検診。
うちの高校の校医の歯医者さんは、髪の毛がスダレの五十代くらいのおっさんだ。
「はい、口を開けて……えー、右上4番がCのゼロ……右上6番マル。右上1から5番までG。左上は……3番、4番がCゼロ……。1番、2番がG0で他はG。右下行って6番、7番マル。左下は……5番、6番あたりあやしいけど、まあいいか。下は左右ともGだなぁ」
俺の口の中を覗き込んでおっさんはそんなこと言ってる。横では白衣の女性がこの言葉を記録をしている。
覗き終わると、おっさんは先端に小さな丸い鏡がついた棒を液体の入ったビーカーに放り込んだ。
「キミ、歯が汚いねー。歯磨きちゃんとしてないでしょ? 全体的に歯石だらけだよ。近くの歯医者にでも行きなさい」
そんなことを言い終わると、おっさんはもう次のヤツに「はい、口開けてー」とかやってる。
☆☆☆
今年で高校二年になった俺は、外見、性格、成績などはほぼ十人並み。これといって特徴のないごく平均的な男子だ。
趣味というほどの趣味もなく、なんでもそこそこにやってる。
何事も積極的にやるタイプじゃない。やることが強制されがちな部活動なんてもってのほか。
女の子に対しても特に積極的に動くことはないから、生まれてから女の子と付き合ったこともない。
もちろん機会があれば、可愛い子となら付き合いたいとは、人並みには思ってるよ?
ただなー、俺には中学生の妹がひとりいて、コイツが現在、絶賛反抗期中。コイツを見てると女子って面倒だな、としか思えない。
だからもし俺が付き合うなら、面倒見のいい年上の優しいお姉さんがいいな、とか漠然と思ってる。
なにせ妹ときたら俺に向かって「あんたはちゃんと歯磨かないから口臭い!」とか平気で言っちゃうヤツだ。
別にハミガキくらい、普通にしてるっつーの!
だいたい、口の臭いが気になるほどの距離まで俺の近くに寄ってくることなんてないクセに。
妹の「口臭い」発言は、絶対俺に対する根も葉もないイヤガラセだ、と思っていたのだ。
だから担任の先生に「授業が終わったら、保健室の飯田橋先生と面談してくるように」と言われたとき、俺はまさか、歯の話での呼び出しだとはまったく思っていなかった。
「二年C組の東 陽町です。担任の浦安先生に言われてきました」
そう言って保健室を訪ねたとき、飯田橋先生は机上の大きめのモニターに見入っていたが、すぐに俺に気づいた。
「あら、東くん来たのね」と先生は言うと、イスごとクルリと振り向き、自席の前の丸イスを示して、「じゃあ、こっちに座って」とにこやかに迎えてくれた。
保健室の飯田橋さくら先生は、俺たち生徒の間では男女問わず割と人気がある。
たぶん二十代後半から三十歳前後で、この学校では比較的若い。
先生目当てに保健室に通ってるヤツもいるくらいで、単に若いだけでなくサバけたところもあり、話をしっかり聞いて的確なアドバイスもしてくれるキレイなお姉さんだ。
シンプルな白いブラウスに黒のタイトなスカート、その上に養護教諭を示す白衣というスタイルがデフォ。
しかし自己主張を隠しきれていない胸、それとメリハリのある、だが丸みを帯びた腰回り、そして黒のストッキングがオトナの女を感じさせる。
まだ独身で、男の存在を感じさせる言動もないらしく、同僚の男性教員にも彼女のファンが多いらしい。
体育でちょっとしたケガでもしなけりゃ飯田橋先生と話す機会なんてないのだが、今回はそんな先生と面談して来いという話なのだから、年上のお姉さん好きの俺的にはいろいろアガる。
俺が丸イスに座ると、先生は机の上のマウスとキーボードを操作して何やら調べ始めた。
やがて画面が固定され、先生は「ちょっと待ってね」と言いながら、その画面に表示された数値や文字を目で追い始めた。
俺が画面を横から覗いてみると、上のほうに俺の名前や生年月日などが表示され、その下に身長、体重などの項目と数値が出ている。
どうやらこれは、先日の健康診断の結果のようだ。
「えーと、東くん。今日来てもらった理由を浦安先生から聞いてる?」
「いや、なんにも。ただ飯田橋先生のところへ行ってこい、って言われたんで来たんですけど……」
「チッ! ウラヤスー、オメちっとはマトモに仕事しろって、いつも言ってんだろうがっ! んにゃろー」
なんかドスの効いた小さい声で、浦安先生に毒を吐くのが聞こえた気がするんだが。
飯田橋先生は……にこにこしてるし、そんなこと言うはずないよな……?
俺の気のせい?
「そっかー。あのね東くん、今日はこの前の健康診断についてお話しするため来てもらったんだ」
「あー、はい、そうなんですか」
「うん、そうなの。それでね東くん、キミ、おおむね健康には問題なさそうなんだけど、コウクウに問題があってね」
コウクウ? 航空?
はて、俺には飛行機関係の親戚や知り合いはいないのだが……。
「クチという漢字と、ニクヅキに空という漢字の二文字でコウクウ。簡単にいうと、口の中ってことね」
口腔。漢字テストで出題されたら、まず読めないな。医学用語かな。
漢字の読み書きに気を取られている俺に、飯田橋先生は俺に憐れむような表情を向ける。
「東くんの場合、上下の歯全体に歯石がみっしりついていて、そのままだと歯槽膿漏になったり、最終的に歯が抜けてしまったりする可能性があるの。だからしばらく歯医者さんに通って、歯石を取ってもらってほしいの」
え、そうなの?
たしかにスダレの歯医者には歯をキレイにしろって言われたけど、そこまでヒドイとは思わなかったな。
俺、ヤバいじゃん。
別に歯が痛かったりはしないんだけどなあ。
飯田橋先生が机の引き出しを開けると、引き出しの中は輪ゴムでとめた封筒の束でいっぱいだ。
先生はその中からひと束を取り出すと、その束のひとつひとつの封筒をチェックして「あ、あったあった」と言いながら、一通の封筒を抜き出す。
封筒の表には俺の名前と「担当医先生 御侍史」と書いてあって、封筒には封がされている。
「御侍史」って何だ? なんて読むの?
知らない言葉だ。
読めなくて意味もわからない漢字に戸惑っている俺に、飯田橋先生はその封筒を手渡す。
「どこの歯医者さんでもいいから、歯医者さんに行ったらこの封筒を受付に渡してね。この中には東くんの歯の状況と、やっていただきたい処置について書いてあるから」
と、先生はにっこり微笑みかけてくれた。
おおぅ、この微笑みを脳裏にしっかり刻みつけて、後でいろいろナニかに使おう。
「じゃあ帰っていいわよ。よろしくね」
と言うと、飯田橋先生はおもむろに机のほうに向き直った。
面談は終わりらしい。
俺は先生に挨拶すると教室に戻った。
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