婚約者さま、私とメイドをお間違えです!
「ジゼル・ド・カノーヌ‼︎ お前の悪行は全て、俺のかわいいアネットが話してくれた! 今日この場を持って、お前とは婚約破棄……」
学園の卒業パーティーで、大方の生徒たちが予想していた通り、この国の第二王子ジュリアンが、侯爵令嬢ジゼル・ド・カノーヌに婚約破棄を告げた。
婚約破棄をするか、否か。
賭けをしていた元締めの生徒は、真面目な顔を保とうと意識はしていそうだが、思い通りになったことが嬉しいのか、口元がにやけている。
まさか、第二王子が本当に馬鹿をやらかすとは思っていなかった生徒は悲痛な顔を浮かべ、儲かった生徒はさりげなく拳を握っていた。
周囲に誰もいなければ、賭けに勝ったことで、今頃、喜びのポーズを掲げていただろう。
王子は婚約者に人差し指を突き差し、あとは高らかに笑うばかりだった。
首元まで隠した見事な刺繍が施されている、真っ赤なドレスにも負けていない美貌を持った侯爵令嬢。これから、令嬢は第二王子から婚約破棄を受けることを知りながらも、悠然と口元を扇で隠すだけで、なにを考えているのかが分からない。
彼女の傍にいた大人しめの紺色ドレスを纏っている少女はおずおずと手を上げると、第二王子の言葉を途中で遮った。
「殿下。おひとつよろしいでしょうか?」
「お前はジゼルに付き添っているメイドだな? 今さら、主人を庇おうなど」
「私がジゼル・ド・カノーヌです。殿下が婚約破棄をしようとした相手は、私のメイドのレイラですわ」
周囲も王太子の奇行に苦笑しながらも、ジゼルの言葉にうんうん、と頷く。
「はぁ? なんだって⁇」
「嘘よ! だって、あんたは地味そのものじゃない‼︎ そんな顔でよくも自分が侯爵令嬢なんて言えるわね」
『図々しい女っ‼︎』と嫌悪するように吐き捨てた、王子の腕に寄り添っていたアネットの顔は、討伐前のモンスターのように変貌している。彼女に恋心を抱いていた、男子生徒たちも今日をもって心変わりをするだろう。
レイラはアネットに危害を加えられないようにする為か、ジゼルを庇うように扇を閉じると後ろへと隠す。
「……殿下方が勘違いされていただけですよ。レイラを私だって」
まぁ、そうなるように仕向けたのは私たちですけどねと内心、思いつつ、ジゼルがレイラに目配せをすれば、柔らかく微笑まれた。
*
ジゼルは鏡に映る自分の顔をみて、溜息をついた。
両親や兄姉は自分のことを世界で一番可愛いと毎日のように可愛がり、メイドたちはまるで美少女のように敬ってくれるが、母に連れて行かれた初めてのお茶会でジゼルは、ほかの華やかな令嬢たちに比べて、自分が地味で平凡な存在であることに気がついた。
家名がなければ誰もジゼルになんて、声をかけないだろう。周りの子たちがみているのは自分ではなく、後ろにある侯爵家の存在だと、幼いながらに理解してしまう。
『なんて可愛いんだ! ジゼル。お前は私達に神が遣わせた天使に違いない‼︎』
『その通りですよ、父上。僕の不幸はお前の兄に産まれてきてしまったことだ! ジゼルと結婚出来ないじゃないか‼︎』
『兄上はまだ、いいですよ。私なんてジゼルを置いて、お嫁なんかに行かなくちゃいけないんですのよ!』
『おやめなさい、あなたたち。ジゼルが一番、愛しているのは、この母なのですから』
『母上!』
自分を溺愛してくる彼らの言葉を真に受けたままで、ジゼルは年を重ねていかなくて良かったと思う。彼らの言葉を信じて、自分は可愛いのだと思っていれば、身分を笠に着た傲慢な令嬢となっていたところだった。
高貴な令嬢なのに兄姉とは違って華やかさがないことに、神が同情をしてくれたのか。ジゼルには《未来視》という特別な力を授かっていたが、この力が教会にでも知られてしまえば、聖女として利用されることは分かっていた為、このことはジゼルと家族、そして幼い頃から一緒に育ってきたメイドのレイラだけの秘密だった。
「誰ですか。私の可愛いお嬢さまのお心を悩ませているのは」
いつの間にか、自分の背後にいたのか。
ジゼルはレイラの気配を全く、感じなかった。メイドは膨れ面をしているジゼルの頬を人差し指で、楽しそうに突いてくる。
もしも、ジゼルが適当な名前でも出せば、相手を排除しに行きかねない。
レイラが一緒に鏡に映っているだけで、灰色だった世界が色づいたようだ。侯爵令嬢といえば、ジゼルよりもレイラのような美貌を持った者を思い浮かべる者が多いと思う。
ジゼルの趣味はジャンルを問わず本を読むことだが、最近、メイドたちの間で流行っているんですと、レイラには内緒で貸して貰った本が数冊、ある。
どの話も不幸せだった主人公が高貴な令嬢の悪事を暴き、恋人と幸せになる話だった。
『今までヒロインをいじめてきた侯爵令嬢が、婚約破棄をされるシーンが清々しいんです!』
『この悪役令嬢の外見、レイラ様に似てませんか? そんなところも私たちには人気で、いえ、レイラ様にいじめられてるとかはなく、お嬢さまをいつも一人占めして悔しいといいますか』
『お、お嬢さま! レイラさまには絶対、言わないでくださいね』
メイド達が話す『悪役令嬢』にレイラが似ているという言葉に、ジゼルは笑いながらも納得してしまった。
レイラは艶やかな金色の髪に、ブルートパーズの瞳を持った煌びやかな人でメイド服を着ていなければ、レイラがジゼルの主人だと思うことはないだろう。
実際、レイラの家格はジゼルよりも上なのに、何故か、自分のメイドとして仕えるようになった。
まず、レイラのジゼルに仕えたいという申し出に両親たちの顔は真っ青になり、逆の方がいいんじゃないか? と提案したが、あっけなく却下をされた。せめて、話し相手はどうだろう? と譲歩をしたものの、レイラは決して、頑なに首を縦には振らなかったのだ。
レイラの父にも好きなようにさせてやれと言われたらしく、しぶしぶ、ジゼル付きのメイドとして雇われることになったのだ。
何故、侍女ではなく、メイドがいいかと思った理由は侍女の服が可愛くないから、らしい。
実際はレイラの立場としては、家族からみればメイド服を着た客人。ジゼルにとってもメイドというより、家族に言えない話しも出来る理解者だ。
「私、ジュリアン様に『悪役令嬢』にされて、婚約破棄をされてしまうみたいなの」
第二王子のジュリアンは一応、ジゼルの婚約者だ。
自分を含めた彼の婚約者を決める為のお茶会で、ジュリアンには関係ない令嬢かと思われたのか、彼の態度は最初から最後まで冷ややかなものだった。
それでも、王家とカノーヌ家の婚約は結ばれた。
自分が平凡だと分かって以降。ジゼルは読書や刺繍好きな令嬢としか接していないし、華やかなパーティーに行くことはほぼないので、派手好きなジュリアンと接する機会はほぼない。婚約者なら王家に赴いて妃教育をする義務があるが、教育も何故か、王家から家庭教師が来て学んでいる形だ。
ジゼルでさえ、茶会以降、ジュリアンに会わないことはおかしく感じる。自分たちが婚約を続けているのは、なにかしらの事情があるのだと、ジゼルは両親に婚約のことを問わなかった。
「悪役令嬢?」
「レイラはメイドたちや民衆の間で流行っている、婚約破棄のお話を読んだことはない? 真実の愛の前に『悪役令嬢』は断罪されてしまうのよ。私、平凡な顔をしているから、きっと舞台に上がる前に笑われてしまうわ」
ジゼルが未来視で視た光景は、通う予定の学園の卒業パーティー。そこで可愛らしい令嬢を傍らに置いたジュリアンが、自分に婚約破棄を突きつける姿だった。
ジュリアンを想う気持ちなんて全くないのに、彼への恋心から令嬢を危ない目に遭わせたとされ、知り合いのいない国外へと追放されてしまうのだ。
「あの愚か者が将来、私のお嬢さまに手をかけるということですか?」
「レ、レイラ?」
しまった、とジゼルは思う。真っ赤な唇は美しく弧を描いているが、レイラは怒っているときほど、優しく微笑む。
自分を労わるように、そっと両手を顔を包みこんだ手のひらの温度がひんやりとしている。
「お嬢さま。私も一緒に学園に通います」
驚いたジゼルが目を瞬きしたのは、自分の入学と共にレイラが学園を卒業するからだ。
「えっ、でも、レイラは」
ジゼルがいい終わる前に、レイラは瞳を両手で覆ってしまった。
「私がお傍にいる限り、お嬢さまには綺麗な世界だけを見ていて欲しいんです」
*
「ジゼル……っと、レイラ様もいたんですね」
読書会でジゼルと一番、仲のいい辺境伯の令嬢サラは浮かべた笑顔をレイラがいたことで、あからさま顰めた。
「あら。私が一緒にいたら、駄目なのかしら?」
「……駄目じゃありませんけど。ジゼルをお借りしていいですか?」
サラに耳打ちをされたジゼルが、レイラを上目遣いでみると何故か、顔を背けられたが、珍しく、素直に頷いてくれる。サラは笑うと、そっと、レイラの耳がほのかに染まっていることを教えてくれた。
レイラに許可をとったふたりは、学内にあるカフェへと向かう。サラはジゼルの分まで紅茶を頼んでくれると疲れたようにテーブルに寝そべった。
「サラ。行儀が悪いわよ」
「……あんた、よくあの人と一緒にいられるわね。寿命が何年か縮んだ気分だわ」
「大袈裟ね。レイラは優しい人だわ」
「ジゼルにはね。やっぱり、ジュリアン様は婚約破棄をするつもりよ。殿下はアネットにゾッコンみたいだけど、あの女が他の高貴なご令息たちにも迫っているのを知らないのかしら」
「サラの相手にも?」
サラの婚約者は騎士団長の子息だ。裏表のない性格で、引っ込み思案なジゼルでも話しやすい。
「ええ。ただジゼルから、あの人からのテストだとも聞いてるから、私はあいつになにも言ってはいないわ。筋肉バカだから、早々にアネットから見切りをつけられたみたい」
婚約者を悪く言いつつも、アネットの色香に騙されなくてよかったと安心していることが、サラの口調からも分かる。
「あと……」
「私なら大丈夫だから、続けて?」
言い淀んでしまうサラに、ジゼルは続きを促した。
「やっぱり、殿下はジゼルをレイラ様だと勘違いしてるみたい。まぁ、私たちのクラスは少ない人数だし、自己紹介なんてせずとも初めから皆、知り合いじゃない? 私からしてみればアネットはともかく、どうして、ジゼルをレイラ様だと勘違いをしているのか分からないわ」
給仕が運んできた紅茶に礼を言うと、ジゼルは一口、含む。サラになら構わないだろうと、自分たちの行動をジゼルは話した。
「わざと、ジュリアン様やアネット譲の前でレイラのことを『ジゼル様』ってお話してるの。あと、レイラが目立つからじゃないかしら。事情を知らない生徒からも、男女問わず、レイラへの恋文をたくさん貰っているもの」
「それでも、普通、婚約者の顔を覚えているでしょう」
ジゼルの顔を見て、サラは呆れたように溜息を吐いた。
「幼い頃に一度、会っただけだし。レイラにも不快な思いをしてまで会う必要はないって言われていたから」
「……過保護ね。今から、卒業パーティーが楽しみだわ」
*
今までジゼルだと思っていた侯爵令嬢がレイラだと教えられても、第二王子はジゼルの言葉に納得していないようだ。
「じゃあ、その女は誰なんだ! 王族侮辱罪で牢に入れてやる‼︎」
ジュリアンの言葉に、レイラは噴き出した。低い笑い声が会場内に響き渡る。
「王族侮辱罪? まだ、私が分からないんだな。牢に入るのはお前の方だよ、ジュリアン」
「な、なんだと‼︎」
「ジュリアン様。レイラは『レイ様』です」
まだ分かっていないジュリアンに、ジゼルは告げる。
「はぁ⁉︎ 兄上は亡くなったと母上が言っていたぞ?」
ジゼルのメイド。レイラの正体は王が唯一、寵愛している伯爵令嬢が産んだ一人息子だ。
王は自分の母が定めた隣国の令嬢と政略結婚をしたが上手くはいかなかった。その理由のひとつに、王には恋人だった女性がいたからだ。
王は自分の味方だった友人たちの『恋人と別れ、隣国から花嫁を迎えいれろ』という言葉にも反発していたが、経験が足りず、老獪な貴族たちを抑えられなかった。
ただ、彼らにも多少の情はあったのかもしれない。
貴族たちの譲歩として、王の恋人は側室としてなら、王宮で過ごすことを許された。
本当は皇后にしたかった伯爵令嬢が側室となってしまったこともあり、王の憤りの全ては迎えた花嫁に向けられる。
悲劇だったのは政略結婚でも、花嫁が王に恋してしまったことだろう。国を挙げての豪華な結婚式をし、皇后となった彼女は王の無関心な扱いに、恋敵を殺めることを決めた。
伯爵令嬢が先に子を宿した聞いたときも、彼女はすぐには行動に移さず、側室を殺す計画を長年、腹の内に隠していた。
ジゼルが初めて、未来視をしたとき、王の側室が皇后の手によって殺される姿が視えてしまう。自分の勘違いだと思ったジゼルは、それでも日に日に不安を拭えなかった。仕えるお嬢さまの顔色が悪いことに気がついたメイドはすぐ、ジゼルの父に報告をした。父から悩みでもあるのかと投げかけられたジゼルは、他人が聞けば戯言にしか思えない話を口にする。
ジゼルの言うことならなんでも信じる父から、王に話が伝わったことで、暗殺者は秘密裏に処理をされた。皇后の耳には仕事がうまくいったとしか、聞かされていないはずだ。ただ、今後の安全の為にも、母と共にレイラは別邸で暮らすはずだった。
レイラの母が一言でもお礼を伝えたいと侯爵家に訪れたとき、ジゼルを一目見て、レイラは気に入ったらしい。彼女を自分の婚約者にしたいと王に告げたが、既にジゼルは第二王子ジュリアンの婚約者になっていた。
メイドなら彼女の傍につきっきりでいられる、と考えたレイラは王にジゼルのメイドになりたいとわがままを言い、王も息子を預けるなら侯爵家が安全だろうと、『レイ』は『レイラ』と名前を変えて、侯爵家で身を隠すことになった。
まさか王もレイラが本当にメイドになっているとは思わず、彼の姿を見たときには驚きを隠せなかったようだが。
「詳しい話はあとで聞く。連れて行け」
「な、なにするのよ! 離しなさいよ!」
「貴様ら、俺を誰だと思ってるんだ!」
レイラが控えていた護衛騎士に顎で示すと、騒いでいたふたりを連れて行ってしまう。
未来視が外れたことに、ジゼルはそっと息を吐くと、ふいに手の暖かさに気がつく。隣をみれば自分を安心させるように、レイラが自分の手を握ってくれていた。
*
鏡には今日もレイラが楽しそうに、自分の髪を結いている姿が映る。
「……レイラ様」
「レイラ」
「レイラ。王室に戻らなくていいの?」
「だって、私はお嬢さまのメイドだもの」
「でも!」
レイラはジゼルの瞳を、柔らかな両手で塞いでしまう。
「言ったでしょう? ジゼルには綺麗なものだけをみて欲しいって。もう少しで城の掃除も終わるはずだから。そのときは、一緒に帰りましょう?」
目隠しを外されれば、そこにはレイラの綺麗な顔しか映っていない。ジゼルが拒んだとしても、レイラは自分の思い通りに行動するだろう。
「私はレイにずっと目隠しをされるほど、弱くはないつもりなんだけど?」
初めて、ジゼルが呼べた名前に、彼は年相応の微笑みを見せる。
「それでも、あなたを守りたいと思うのが、私の恋だから」
数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや下にある評価を頂ければ、嬉しいです。