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章間話―20 メイドと執事―9

「ナタリー、顔色が良くないみたいだけど……大丈夫か?」

「え? ……そんな事……あるかもしれない……」

「馬車止めようか? 少し休んだ方が」

「いいえ。遅れて行った方が具合が悪くなりそうだから」


 私たちは今、私の生家へと向かっている道中だ。

 カナとアズベルト様の婚姻の儀が全て終了し、一段落着いたところで、二人揃って少し長めの休暇を頂いた。

 そうするに至った要因は、クーラとの婚約を知らせる為の手紙を出した事から始まった。




 結局カナとアズベルト様に私たちの関係を話す事になり、婚姻の儀の最中であったが早い方が良いからと、母に結婚を考えてる人が出来たのだと手紙を書いた。母宛だった筈のその手紙の返信が、翌々日に兄二人から届いた時には長い長い溜め息が溢れ出てしまった。

 そんな予感はしていたものの、案の定な反応に申し訳なく思いながらも、私はその日の業務終了後クーラに相談する事にしたのだ。


「家に婚約した事を知らせる手紙を書いたんだけど……」

「ん? どうした? 歯切れが悪いなんて、珍しいな」

「うん……それが……」


 兄二人から送られた返信の手紙をクーラに見せるべきかどうか悩んだが、彼にはきっと下手に取り繕うよりもそのままを知らせた方が良いと考え、見せる事にしたのだ。

 クーラはいつものように柔らかい笑顔を残したまま、文面を目でなぞっている。姿勢の良い立ち姿も、少し見上げるくらいの背の高さも、いつもきっちりセットされている髪も、見慣れている筈の彼が酷く色っぽく見えてしまうのは、好きだと自覚したせいなのだろうか。いつもと同じ筈なのに、全然いつも通りに見えないのだ。


「穴が開きそう」

「え?」

「そんなに見つめられたら。オレの顔に、穴が開きそう」


 クスクスと喉を震わせながら、手紙に落とされていた眼差しがこちらへ寄越される。たったそれだけの事なのに、目が合っただけの事なのに、胸の奥がきゅっと絞られ頬がカッと熱くなる。仕事中には無駄な動きなどないよう気を配れるのに、彼の前では挙動がおかしくなってしまうのだ。

 恥ずかしくなって俯いてしまった私に、クーラは手紙を返しながら楽しそうに笑う。


「ナタリーはお兄さん達にとても愛されているんだね」


 そこに書かれていたのは、兄がいかに私を愛しているかという事や、自分の眼鏡にかなう男でなければ絶対に認めないという事。それから直ぐにでも連れて来いという招集命令だった。


「なんか……ごめん……」


 こうなる事は分かっていたが、ものすごく申し訳ない気持ちになってしまう。もしかしたら、彼が兄達のせいで嫌な思いをしてしまうかもしれないと思うと、悲しくなってしまうし、嫌われてしまうかもしれないという恐怖もあった。


「なんで謝るんだ? 大切な家族を奪われるんだから、兄上が警戒するのは当然だろ? 覚悟の上だよ」


 そういえばこういう人だったな。

 いつも向けてくれる笑顔がいつもの通りで、強張っていた肩から力が抜けたような気がした。


「でも、ナタリーのご家族に嫌われるのは本意じゃないから、オレも気合い入れないとな! お二人の婚姻の儀が終わったら直ぐにでも挨拶に行くから、日程の調整だけしておいてくれる?」

「……いいの?」

「もちろん」

「分かった。……ありがと」


 ホッと胸を撫で下ろし、もう少し一緒に居たい気持ちに蓋をして扉へ向かう。

 明日も忙しい。

 フォーミリオでの儀式を無事に終え、明日からはオラシオンでの儀式が始まる。自分はカナの側を離れられないし、クーラもいくつか専任の仕事を任されていた筈だ。また数日は時間が取れずに過ごす事になるだろう。

 でもそれが終われば、今度は自分達の準備にかかる事が出来る。そうなれば今よりは一緒にいられる時間も増える。それまでの辛抱だからと、心の中で言い聞かせながらノブに手を掛けた。


「ナタリー」


 思ったより近くで呼ばれて、驚きつつ振り返った時だ。正面からふわりと抱き締められて、身体が固まってしまった。


「明日からまた忙しくて、ゆっくり時間取れないだろうから……少し充電させて……」

「……っ……」


 ぎゅっと力の込められた腕に反応するように、自分の鼓動が大きくなっていくのを聞いた。腕が離れて行きそうになって、無意識に彼の首へ擦り寄る。自分の手をどこに置くのが正解なのか分からないまま、遠慮がちに彼の服の端っこを握った。

 さっきよりも抱きしめる腕に力が込められて、鼓動がますます早くなっていく。身体が信じられないくらい熱くて、頭がふわふわした。

 それでも、彼が同じ気持ちでいてくれた事が嬉しい。少しでも長く一緒に居たいと思ってくれていた事が、自分が思っていたよりもずっとずっと嬉しかった。

「名残惜しいけど……」と言って離された手は、頬を僅かに掠めて離れていった。彼が触れたところ全部が熱い。ドキドキと暴れたままの心臓に手を当てながら、とても眠れそうにないなと思いながら部屋を後にしたのだった。




 あれから一週間程が経ち、今日がその日だ。クーラを家族へ紹介する為、朝から共に馬車に揺られている。

 胃がキリキリと病み気分が優れない。家族の、特に兄二人がどんな態度に出てくるかが読めないだけに、胸の中には不安しかなかった。そんな風に顔色を悪くする私の隣に移動してくると、クーラがそっと手を握ってくれる。


「大丈夫。そんなに心配する事ないよ」

「……ええ……そうね」


 そうして実家に辿り着き、二人を迎え入れてくれた家族は至っていつも通りで、拍子抜けしたというか私の不安は杞憂に思われた。

 のだが、夕飯の直前、クーラが兄二人に別室へと呼ばれて行った。一緒に行こうとした私を止めたのは、味方と思っていた母だ。余程不安そうな顔をしていたのだろう。母はクスクスと笑いながら「大丈夫よ」と言い切った。


「余程彼の事が大切なのね」


 そう穏やかな笑みを浮かべて嬉しそうに話す母には、多分もう私の気持ちはバレている。隠したくなかったから、恥ずかしすぎて顔が沸騰してしまいそうだったが頷いて見せた。


「実はね、少し前にアズベルト様とカナリア様からお手紙を頂いたのよ」

「え!?」

「あと、クーラさんご本人からも、ね」

「ええ!!」


 二人からの手紙には式に参列してくれた事への礼と、クーラとナタリーの普段の仕事振り、そして彼がどれほど優秀な執事でナタリーの事を大切に思っているかが書かれていたと言う。

 クーラの手紙には、本来先に父へ結婚の了承を貰いに行かなければならないところを順番が逆になってしまった非礼を詫びる旨が書かれており、その後は延々とナタリーの魅力やどこに惹かれたか等が物凄い熱量で認めてあったと言う。

 もちろんその手紙は二人の兄も目を通している。その二人が唸る程だったらしい。


「だから私たちは何にも心配してないわ。あの二人は……そうね、少し拗ねてるだけだから、放っておきなさいな」

「でも」

「大丈夫。取って食べたりしないから」


 そう言って笑う母を信じ、この家のメイドと三人で夕飯の準備に取り掛かる。そうして準備が整った頃、帰宅した父と改めて顔合わせを済ませ、みんなでテーブルを囲んだ。

 自分が生まれ育った場所に自分の大切な人がいる。その事に少しの気恥ずかしさと嬉しさ、幸せを感じながら終始和やかな雰囲気で食事をし、母が淹れてくれたお茶を飲んで、と、いつもと同じく常とは少し違った日常を過ごした。


 帰る間際、クーラを呼び止めたのは父ではなく二人の兄だ。


「クーラ。約束は必ず守れ」

「はい」

「ナタリーの事、くれぐれもよろしく頼む」

「もちろんです」


「私のセリフが無くなった」と少し寂しそうな父と、可笑しそうに笑う母にも別れを告げ、私たちは馬車で帰路につく。

 二人の兄が気を悪くするような事を言っていなかったのか気になっていたのだが、クーラが教えてくれたのは、幼い頃から現在に至るまでの私の様々なエピソードを延々と語られたと言う、ある種の拷問かと思われる内容だった。

 色んな意味で恥ずかしい思いをしたのだが、彼は非常に有意義な時間だったと満足そうだ。幼い頃の黒歴史を色々と知られてしまったのは羞恥に耐えないが、自分の家族が彼を受け入れてくれて結婚の事も喜んでくれたのは素直に嬉しかった。


「だから大丈夫って言ったろ?」

「そうね。……色々と気を回してくれて、ありがとう」

「執事としても、男としても当然の事をしただけだよ」

「……私、貴方に見初めて貰えて良かった」


 そう言って笑ったらクーラが隣で固まってしまった。口元を覆ってそっぽを向いてしまったから、気を悪くさせたかと思ったけど、耳が赤かった事と、握られた手が異常に熱かった事から、そうではないと結論付ける。

 その後馬車の中は静かだったけど、居心地が悪いどころか幸せな気持ちでいられたのだから、やっぱりこの人に見初められて良かったと言う私の見立ては間違いでは無かったと思う。



 後日、クーラの生家にも二人でお邪魔し、婚約の報告をした。

 こちらでも歓迎してもらい祝福の言葉をもらった。

 やらなければならない最重要事項の一つを無事に終えられて、二人でホッと胸を撫で下ろす。

 婚約期間は約半年。それまでにやることは沢山ある。


 ひとまず山場は乗り越えられたと安堵したのだが、兄との約束が半年間クーラを中々に苦しめる事になるのだが、私はその事を全く知らなかったのだった。


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