メイ探偵、登場
「何よ、上田先生のあの言い方。まだ何にもわかってないのに、もう盗られたって決めつけちゃってさ」
なごみは怒っていた。もう腹立たしくて仕方ない。
「ごめんね、私のせいで……」
円香はすっかり半べそ状態だ。二人の少し後ろをどこか冴えない表情でついてきている。どうしてもそれが気になるが、どう話しかけたらいいのか、なごみはまだ迷っていた。
「そんなに落ち込まないでよ。まだ何もわかってないんだからさ」
なごみは、とりあえず円香を慰めた。
学校からの帰り道、なごみは円香と美羽を連れて商店街にある喫茶店に寄り道をした。小さい頃からあるレトロなお店で、おしゃれなカフェなどではないため、他の生徒が入ってくる心配がない。最近買い替えたのか、真新しいテレビがちょうどなごみたちが座った席の頭上にあったが、今はのんびりとテレビなど見ようという気にもならない。
なごみとしては、件の事件のせいで殺伐な雰囲気となったクラスをなんとかしたかった。今こそ学級委員長としての統率力が試される、と力が入っていた。
「だいたいさ、『いいか、このクラスの全員が容疑者だぞ』って、いくらなんでも上田先生も言い方ってもんがあるじゃん。ねえ、美羽」
さりげなく美羽に同意を求めるように話しかけてみた。
「う、うん。そう……だね」
引き攣りそうな顔で美羽が言う。
「なんか元気ないね。どしたの?」
やっとそう聞けた。
「えっ。別になんもないよ。ホントに」
さりげなく聞いただけにもかかわらず、美羽は『ホントに』に妙に力を込めて否定したが、なごみと視線を合わせたくないのか、虚に目が泳いでいる。
なんかあるの、あからさまにわかりやすいんだけどな——
今、このタイミングで様子がおかしいということは、やっぱり円香の財布に関わりがありそうだったが、何も確証がないので話を持っていきにくかった。
——警視庁によると、学校を狙った連続窃盗事件として犯人の行方を追っているということです
「ヒッ!」
そのとき、店内に設置してあった頭上のテレビから流れてきたニュースに、美羽があからさまに体をビクッと震わせて怯えた顔をしてテレビを見上げた。
「美羽、どうしたの」
なごみがそう聞いたが、美羽は返事をせずに体を傾けるようにして、頭上のテレビをジッと凝視している。
テレビから流れてきた窃盗事件のニュースは、確かにこのタイミングで聞くには最悪ではあったが、それにしても美羽の反応はやや過剰だと思われた。
「美羽?」
もう一度話しかける。美羽はやっとテレビから視線を落とし、なごみを見た。
「何かテレビが気になった?」
「あー、いやそういうわけじゃないけど。連続窃盗事件なんて、なんか怖いなあって思ってさ」
相変わらず、何か含みがあるような表情で美羽が答えた。
そのとき、カランカランという重い音を立てて喫茶店の入り口のドアが開いて、なごみたちと同じ制服を着たポニーテールの女子が入ってきて、なごみと自然と目が合った。それは同じクラスの家頭メイだったのだ。
「あら委員長。こんな小汚い店になんの用?」
先にそう言ったのは、家頭メイの方だった。
彼女はクラスではいつも一人で静かに本を読んでいて、ほとんどクラスメイトと話す姿をみたことがない。
なごみは学級委員長なので、極力みんなと仲良くしようと色々な人に話しかけるようにしていたし、家頭メイにも何回か話しかけたような気もするが、ほとんど記憶にない。声さえも初めて聞いたような気がするほどだ。
「メイ、小汚いはないだろ」
なごみが家頭メイに返事をしようとしたとき、カウンターの中からそう声が聞こえた。鼻の下に髭を生やしたこの店のマスターが笑いながら見ている。
「パパ、ただいま」
今、確かにメイがそう言った。
「えっ、ここは家頭さんちなの?」
まったく知らなかった。確かお店の名前は『喫茶店ホームズ』だった。
「そっ。ちなみに2階が事務所で3階から上がプライベートルームね」
言いながら家頭メイがカウンター席に座り、回転椅子をクルリと回してなごみたちへ振り返った。
「事務所?」
「そう。2階は探偵事務所なの。でも、ほとんど探偵の仕事はないから、パパは日頃は喫茶店がメインね」
笑みを浮かべながら、メイはチラリとマスターをみた。
「ずいぶんだな。先月だってちゃんと探偵の仕事もしたぞ」
マスターは自慢の髭の先をピンと指で撫でた。
「先月はって、1件だけじゃん。自慢するほどじゃないし」
メイが笑うと、「まあな」とマスターが照れるように頭を掻いた。
ところで、なごみが意外に思ったのは、家頭メイが思っていたよりもずっと軽やかに会話をしていたことだ。もっと、無口な感じだと思っていたので、なごみがインプットしていた家頭メイに関する情報はアップデートする必要がありそうだった。
「まさかここが家頭さんちだなんて、全然知らなかった」
なごみは改めてそう言った。
「あら、うちの家頭って名前をちゃんと喫茶店の名前にしてるでしょ? 毎日通っていて気が付かないのね。注意力散漫よ、ワトソン君」
ワ、ワトソン君? 誰? それに——
「家頭さんの名前ってどこに?」
「言われても、まだ気づかないの?」家頭メイがニヤリと笑った。「家は英語でホーム。頭は漢字読みで『ズ』」
喫茶店ホームズへようこそ——
家頭メイは椅子から立ち上がると、かしずくように右手を胸の前に置き、頭を下げてそう言ったのだった。
「家頭? ええっと、なんだっけ」ホームズと言われても、なごみにはピンとこなかった。「美羽ちゃんたち、知ってる?」
美羽たちも首を横に振る。
「あなたたち、名探偵シャーロック・ホームズを知らないの? マジで?」
家頭メイは少しムッとしているようだ。
「ああ、海外のドラマで観たことあるあれかな。主役の俳優さんがかっこいいのよね。それが家頭さんと何か繋がりがあるの?」
やっとなごみは少しだけ思い出した。
「あのねえ……」家頭メイが小さくため息をついた。「ドラマは何年か前のものでしょ? シャーロック・ホームズは、イギリスの作家コナン・ドイルが書いた世界で一番有名な探偵小説の主人公なのよね」
「へえ。探偵小説って読んだことないけど、そのホームズさんと家頭さんに何か繋がりがあるの? それにホームズさんって小説の登場人物なんでしょ?」
なごみは最近はライトノベルにどっぷりとハマっていて、探偵小説のシャーロック・ホームズがというものがどういう物語なのか知らないのだ。
「確かに、小説のシャーロック・ホームズは創作された人物よ。だけど、実は作者のコナン・ドイルの知り合いにベル博士というお医者さんがいて、シャーロック・ホームズはその人がモデルだと言われているの。とても有名なお話よ」
メイが椅子から立ち上がり、店内をコツコツと歩き始めた。彼女の一人語りは続く。
「うちのお爺ちゃんは、イギリス人とのクォーターで、ホームズのモデルだったベル博士のお孫さんのお嫁さんと友達だった。第二次世界大戦の後、イギリスと戦火を交えた日本人の血を引くお爺ちゃんは、仕事を貰えずイギリスに居づらくなり、そのお婆ちゃんにあたる人の祖国である日本に命からがら渡ってきた。やがて帰化が認められたときにホームズを意味する家頭を名乗ることにしたの。つまり、我が家頭家は名探偵シャーロック・ホームズとは切っても切れない深い関係にあるのよ」
ふん、と鼻を上に突き出すようにメイが得意げに言う。
「ちょっと待って、ちょっと待って。ええっと、つまりあなたのお祖父様はシャーロック・ホームズのモデルであるベル博士のお嫁さんの—— なんだっけ」
ああ、頭が混乱する。
「違うわよ。シャーロック・ホームズのモデルのベル博士のお孫さんのお嫁さんの友達よ。鈍いわねえ」
「に、鈍いって何よ。ややこしいからもういいわ。頭が痛くなる」
なごみは、テーブルの上の水をクイっと一気に飲み干した。
その様子を見て、メイがニヤリと笑った。
「つまり、家頭家が今、日本で探偵事務所をやっているのは、そういうわけなのよ。そこへワトソンが誘き寄せられるように現れた。これはもう偶然じゃない、必然。お分かり?」
「ワトソン? 誰のこと?」
「あなたに決まってるでしょ、委員長」
「なんで私が、その、ワトソンなのよ」
「だって、シャーロック・ホームズに助手のワトソンがいるのは当たり前じゃない。そしてあなたの名前、村都和を逆さまに書いて読んでごらんなさい」
「村都和を逆さまに……」
なごみは手帳を取り出し、自分の名前を逆さまに書いた。
ええっと、逆さまに読むと、わとそん……
「馬鹿らしい! こんなのただのダジャレじゃないの」
なごみは思わず手帳をテーブルに放り投げた。書いて損した!
「あらまあ、さすがワトソン。やっぱり感が鈍いのね。そんなことだから、学級委員長なのにお財布事件ひとつ解決できないのよ」
ふふん、とメイが笑う。なごみはさすがにカチンときた。
「あら、ずいぶんね。じゃあ、そこまで言うあなたには、犯人はもちろんわかってるってことでしょうね」
何、この子。簡単にわかるわけないじゃない。
「もちろんよ。あんなの一目瞭然じゃないの。それに上田先生も先生ね。あれは窃盗事件なんかじゃないのに、クラス全員が容疑者だとか妙に張り切っちゃって。もうお腹を抱えて笑うしかないわ」
そう言うと、メイはなぜか美羽を見て「ねえ?」と同意を求めた。
その瞬間、ガタッと音を立てて慌てるように美羽が席から立ち上がった。
「わ、私は何も知らないよ。本当に何も知らないから。ごめん、塾の時間だから先に出るね」
美羽はそう言うと、テーブルに自分の分のお代を置いてカバンを抱えて振り向きもせずに店を出て行き、なごみは呆然とその背中を見送った。
「美羽、どうしちゃったんだろ」
なごみが誰ともなくつぶやくと、円香が突然「あっ、思い出した!」と声を上げた。
「円香、何か知ってるの?」
なごみが慌てて聞く。
「夏目漱石よ!」
「えっ、夏目漱石?」
「そうよ、夏目漱石の『吾輩は猫である』と同じなの。ベル博士のお孫さんのお嫁さんのお友達ってフレーズが」
ははっ、ちょっと円香ちゃん、今そこ……?
「それにしても、窃盗事件って物騒な話だな。なあ、明智君」
3人の話を聞いていたメイの父であるマスターがそう言った。
「そうですね。ちょっと聞き捨てならないかな」
マスターから声をかけられた喫茶店の奥のテーブルにいた男性が、のっそりと近づいてきたのだった。やたらと背の高い若い人だった。
「警視庁の明智です。その話、もう少し詳しく聞かせてもらえないかな」
そう言うと、彼はポケットから手帳を取り出したのだった。




