2章 英雄の卵23
エミリシーの動き1つに注視していた僕は。無数に枝分かれする道の1つからやって来た彼らに気がつかなかった。
不意にかけられた声色はどうにも聞き覚えがあった。
「そこに居るのは誰だ」
さえない様子の中年の衛兵。名前は知らない。けれど、彼とは何度も話たことがある。この町に来て何度も世話になった男だ。
「おじさん衛兵」
「何だよおじさん衛兵ってクソガキが。何をやってんだお前」
「何って。何というか。えっと、護衛、かな」
元より僕は隠し事をしていたつもりはないけれど、今はどうしようもなく間が悪い。何せ半人間の僕とエリクシアだけではなくここにはエミリシーが居るからだ。
咄嗟に、彼女を遮るような立ち位置になったのは仕方のないことだろう。
さえないおじさん衛兵と、その他数名を連れてゾロゾロと。抜剣したままこちらを見ている。彼らに動揺が広がり。振り返るとそこには臨戦態勢のエミリシーが居た。
擬態は解け、泥のような闇の中から、山羊のようなツノが露わとなる。衣服すらも形を変え、開放された扇情的な衣装に。肌からは生気が失われ。青ざめて見える。
先ほどまで人に見えていたものが、急に化物に変われば驚きもしよう。彼らの視点からは、僕とエリクシアだって疑わしいに違いない。
実際当たらずも遠からずである。
「待て、エミリシー。それをやったら、僕は君を討たなければならなくなる」
僕の言葉は彼女に届かない。その動作は至って自然で、思考の挟まらない程の速度で行われた。
彼女は行動に敵を殺すという事が染みついているということか。
とにかく。彼女を止めなければ。
全てが台無しになる。そんな確信があった。
「エリクシア、待ってくれ」
僕が止めに入ったのはエミリシーではない。既に上段に構えているエミリシーだ。
エリクシアは言った。フューメンの頼みだから、彼女を助けると。だが、それより優先されることがある。
元はと言えば、わざわざユマノまで竜を斬りに来たのだ。生粋の化物殺し。良やその対象は人すらも。彼女が考えるバランス。ライブラとしての使命。その分水嶺がきっとここなのだ。
止めなければ瞬く間に切り捨てられる。
わずかに硬直するエリクシア。もし僕が彼女と師弟という関係を築けていなかったなら。その剣は既に振り抜かれていただろう。
衛兵達と、エミリシーの間に割って入る。何をしようとしているかはわからない。けれどこうしていれば衛兵もエミリシーも戦いづらいはずだ。
「そこを避けてヴィニートル。さもなくは諸共殺すわ」
彼女の身の回り、影が立ち上がったように、実態を持って蠢く。それは鋭利な刃物のような形へと。人を殺すための武器となる。
その実態は彼女の血液。
力を使い、更に人から外れていく。
瞳は紅く暗闇に浮かび、獣のように牙が伸びる。それがサキュバスでありながら吸血鬼。エミリシーの正体だった。
「君にこの話を時点で、僕は皆を助けると決めている。その中には衛兵も、君も。人も化物も関係無い。僕は平等に救われるべき命を助ける。だから君は矛を収めてくれ」
少しのためらいの後、血液の矢が引き絞られる。僕の願いを聞きとどめるまでは、僕との関係は足りなかったらしい。後悔が募り暗然とする。こうしていたら違ったかも。もっと彼女の事を知っておけば。そんなもしもが脳裏をよぎる。
そうして彼女を殺す覚悟を決めた。
「待って」
戦場と化したその空間に、不釣り合いに幼いその声は、明瞭に響き渡る。状況を把握できず御しも出来ない衛兵達。激情するエミリシー。そのどちらも手を止めるには十分な余白となった。
「ティシエ。どうして戻ってきたの?」
この状況で唯一エミリシーを説得出来るかもしれない存在。
僕の幼い希望がやって来たのだった。
「アマリアさんその2人は。カリカ、ポカどうしてここに」
先に行ったはずの2人は人数を倍に増やし。引き返して来たみたいだ。
そしてその新たな2人は僕にとっても、関係のある人物だ。
「町は今、あの化物だらけで。咄嗟に隠れる場所がここしかなくて」
エリクシアが少し考える。
「きっと勇者がやって来る前に遭遇したんだろう。もし町を吸血鬼が襲っているなら、町全体からもっと悲鳴が聞こえてくる。勇者が来たことで、町を襲うはずだった戦力を勇者の足止めに当てたんだな」
少し前に、森で出会った姉弟カリカとポカ。丁度、衛兵のおっさんから受けた依頼で助けたことは記憶に新しい。森でも襲われ。またしても吸血犬と遭い。しかも逃げた先でもトラブルとは。つくづく運のない姉弟である。
「エミリシーもうやめて。もう良いよ。人の慰み者として隠れ住み、辛いことも沢山あった。けど私はそんな事よりもあなたの事の方が大切だわ。屈辱がなんだと言うの。モンストルムに逝けば仲間が居る。失った物は取り戻せないかもしれない。けど、これ以上失い続けるなんて絶対に嫌。今あるエミリシーが一番大切なの。だから、こんな国なんて逃げ出して、みんなでモンストルムにいきましょう」
彼女たちは2人で生きてきた。僕やエリクシアが何を言ってもその言葉は彼女らにとって価値がない。うわごと妄言と変わらないだろう。きっと信じられるのは2人だけなのだ。
だからこそ。ティシエの言葉は。エミリシーを止めるだけの力があった。
家族だって。一度失えば帰ってこない。何もなくなる痛みは僕が何より知っていた。きっと彼女たちも。
「分かった。ティシエ。行きましょうモンストルムへ。帰りましょうあなたの元へ」
エミリシーの姿が人間の
暗く湿って悪臭のするこんな場所だったけれど。彼女達の間には確かな愛と友情があった。
「そういう訳なんだ。出来れば見逃して欲しいのだけれど」
エリクシアはそう言って、衛兵達を見る。唖然としていた彼らだが。どうやら何日も探していた化物が見つかったとなると、黙ってはいられない。足を震わせながら後ずさりするもの。今にも飛びかからんとするもの。周りの判断をうかがう者。反応は様々だが、少なくともこちらと会話をして見流そうとする者は居ない。
一人を除いて。
「おい、狩人の坊。領主様には会えたのか」
「会えたよ。直接話すことは出来なかったけれど、目的は果たせたし。シャルーン。領主の娘とは良い友人となれたと思う。恥ずかしながら友人と呼んでくれる人が出来たのは初めてでね。その人が暮らす町は壊れて欲しくない。故郷を失う辛さは分かっているつもりだから」
「お前達を逃さなきゃ。失うような事になると?」
「場合によっては」
ここで衝突が起これば、最悪勇者が追いついてくる。
外の吸血犬を、エミリシーがどれだけ用意したか知らないが。勇者。グラブリーと名乗った男なら全て斬って捨てるだろう。
エリクシアと僕。が衝突すれば被害が出ることは間違いない。追手がでないよう対処も必要だろう。エミリシーだっていつまで大人しいかも分からない。状況は静かに緩やかと、しかし最悪へ、刻々と近づいている。
「おじさん。俺はよく分からないけどさ。狩人の兄ちゃんはいい人だろう。助けてやってくれよ」
「衛兵さんお願いします。ヴィニートルさんが悪い人とは思えません」
カリカとポカがそう訴える。僕とは関係無かろうに懸命に僕のために訴える姿はとても温かい。今、報いる事はできないけれど、この恩はきっと忘れない。
「おじさん、おじさん、うるせえな。俺はまだまだ若いわ」
「隊長それはないって。あの子たちが言うように十分おっさんだぜ」
衛兵でコントを始めないで貰いたい。こちらは案外切迫している。というか
「あんた……隊長だったのか。全くそうは見えないけど」
「やかましい。分かった。見逃す。どうせ戦って勝てやしないしな」
「隊長。そりゃねえよ。俺は妹を化物に殺されてんだ」
「それは、あの少女に見えるヤツに殺されたのか」
「そりゃちげえけどさ」
「そうだ。俺も母を、言葉も通じねぇ人間に殺されてる。関係無い他人を殺して俺が満足するとでも。あいつらは穏便に去ってくれると行っているんだ。眠る竜の尾を踏むことはねぇ」
さえない男だと思っていたおじさんだが、確かにこの人達の隊長らしい。彼がなだめ、一旦危機は去った。僕たちは争いたい訳ではない。血は流れない方が良い。
彼は不真面目な衛兵だったかもしれない。けれどこの場で、とても冷静だ。だからこそ衛兵隊の長なのだろう。
「おじさん、出来ればここであったことは誰も話さないで欲しいのだけれど。お互いのためにね。僕たちも困るし。上の人に何をされるか分からない」
「何が起こっているのかもよく分からないし、話したって誰も信じないさ。化物が人を助けたなんてな。幻覚でも見たことにされるのがオチだ」
この人は僕やエリクシアが人ではないことに気がついている。僕の村みたいに燃やされないと良いが。コレばかりは僕には分からない。勇者達と出来れば出会わないと良いのだが。
おじさんが僕に近寄る。彼に敵意はない。
カリカとポカを彼らに預け、無事地上に送り届けるよう頼んだ。
握手をしてお互いを送り出す。
「ヴィニートルさん。お達者で」
「カリカこそ。ありがとう」
「おじさんもありがとう」
「命が惜しいだけだよ。じゃあな狩人」
お互いの無事を祈り、僕たちは急ぎ門へと向かった。




