2章 英雄の卵22
「エミリシー他の皆は」
下水道にはしごを下りた頃には皆どこかに逃げていた。残っていたのはエミリシー一人。僕たちを待っていたのだろう。
「先に行ったよ。とりあえず門がある遺跡まで行くべきだってアマリアさんが。道が分かる私が一人で残ったのだけれど。少し行けば追いつくと思う」
「分かった。行こうヴィニートル。勇者が追っ手来れない今のうちだよ」
「そうだね」
下水道を走る。明かりの心配は要らない。ここに居る3人。暗がりでも十分視界が取れている。直先頭においつくだろう。
「ヴィニートル?」
「少し立ち止まってくれないかな」
僕の言葉で二人が立ち止まる。何を立ち止まる必要があるのかと言う様子だ。実際、勇者達がやってこないとも限らない。先を行く二人も心配だ。
だが今話すべきだと思った。
「エミリシー。君にどうしても聞いておかなければならないことがある」
「どうしたの。今は急がないと」
「ああ、急いで聞かなきゃならない。この書類について」
スクロールを取り出した。シャルーンと協力して、領主の書斎から手に入れたものだ。
ここには衛兵に下水道を警備させた経緯となどについて、詳細に記載されている。
「驚いたよ。僕はてっきりフューメンの名前でも書いてあるものだと思っていたから。まさかこんな荒唐無稽な事が書いてあるとは。何でも寝ている時に現れた夜の女神に神託とやらを受けたらしい。しかも、それが下水道にサキュバスが現れると。随分迷惑な女神もいたものだ」
「ヴィニートルがディマニ邸に居たのはそれが理由か。犯人捜しのつもりが。犯人は居ませんでしたなど笑えないね」
そう、笑えない。本当に神が居るというのなら。今ここに雷でも落としてみるがいい。人の手を使おうだなんて方法ではなく。堂々とその力を使うが良い。
「けどね、ふと思い出したんだよ。サキュバスの特性を。人の精を食らう化物。そして人の夢にも干渉する」
「ヴィニートル。それは無理だ。人を夢に落とすぐらいは出来るかもしれないが、サキュバスの特性はただそれだけ。その間に精を奪うことは出来ても、夢に現れて具体的な指示を与えるなんて。サキュバスの特性を超えている」
そう。サキュバスはそのような事はできない。アマリアから裏を取ったサキュバスの特性はあまりに難儀なものだった。他の生物に依存しなければ生きていけない。にも拘わらず力は人を眠らせるぐらい。夢の内容を操る事すら出来ない。それもそうだろう。通常、サキュバスに眠らされる時は死ぬときだ。その後など何の必要があろうか。
「それなら吸血鬼ならどうだろう。この町を騒がせていて、たった今僕たちを襲撃した吸血鬼なら。そんな事もできるんじゃないかい」
「何を言って」
例えばサキュバスから転じた吸血鬼だとしたら。そんな事が出来るのじゃないかと。
「初めに違和感があったのは下水道から戻ってきた夜だ。前後の記憶が明らかに繋がらない。だというのに僕はそのことに疑問を持とうとしなかった。僕に何かやったね。領主のように暗示でもかけたのかい」
「確かに。それならあり得なくはない。ここまで理性的な吸血鬼というのも珍しい。よほど上位の存在か特殊な事情がなければ。それだけで決めつけるのは難しいよヴィニートル」
これだけなら僕の妄想だ。吸血鬼を従えている個体は居る。
「なぜ森で活動していたはずの吸血犬が僕らを襲う?なぜ森で吸血鬼とぶつかるはずだった勇者がやっていた。そして、なぜティシエのことを襲わなかった。一見してティシエの事を庇い襲われたように見えたけど。その前にあいつらは足を止めていた。まるで本来襲わない予定だったみたいに。あるいは、誰かに止められたみたいに」
「だから何。それが私と何の関係があるというの」
それだけではまだ足りないか。
予想はついても、確定する証拠はない。これ以上の何かを探るには知識も時間も足りなかった。
「そんなににらみ合うなよ2人とも。フューメンに頼まれているからね、たとえ君の正体が何だろうがモンストルムには逃がすとも。安心すると良い」
そうエリクシアは言う。もしかするとフューメンを殺した犯人矢もしれないというのに。僕には理解が出来ない。エリクシアにとって、フューメンはそれほど重要ではなかったのだろうか。
「けれど、せっかくだ。可愛い弟子のためだ。助け船を出そうじゃないか。
「君たちのことは良く聞いているよ。エミリシーは人間に強い恨みを持っている。フューメンと出会う前。彼女は同族を皆殺しにされている。ユマノの化物殺し、勇者などの手によって。唯一生き残ったティシエのことを大切に思っている一方、フューメンすらも憎悪の対象であった。ティシエちゃんの方はともかく。災難な事に、君は相当ひどい目に遭ったそうだね。
「現にフューメンに保護される経緯として、村を1つ滅ぼしたとして、追われていたとある。これは直接聞いたのではなく、勝手に書斎を調べたのだけれどね。これを知ったら君たちを殺しかねないと思っていたのだろう。
「何にせよ。これで動機が見えてくる。何事もなくモンストルムに逃げられるはずだったというのに、わざわざ領主のことを、自分を餌にしてまでたき付けた。そこで衛兵を皆殺し。その後、町を配下に襲わせるつもりだったのだろうけれど。ヴィニートルが居たからそうもいかなかった。きっと今頃ワンちゃんは勇者が殺しているだろうね。
「どこで吸血鬼にされたのかは知らないけれど、ティシエちゃんのことを眷属にしていない辺り、どこかのタイミングで襲われでもしたのかな?それなら確かこの辺りを拠点としていた吸血鬼が居たはずさ。人間よりも化物の血を好む変わり者で、名前は確か」
「分かったもう良い。私が裏切り者よ」
エリクシアの言葉は彼女にとって首元に刃を突き立てられているかのようだっただろう。もっともエリクシアは手助けだという。確かに剣に手をかけていない。対処は僕に任せるという事だろうか。
「僕は無意味に命を奪われる恐怖を知っている。けっと化物だろうと人だろうと、それは同じだと思うんだ。だからもし、君がこの町の人々を殺していたなら僕は君を射殺さなければならなかった」
びくりと、彼女が体を震わせる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「町の人々は無事よ。だって消耗されては困るもの。私の狙いはあなたよ、ヴィニートル」
「僕?」
突然の言葉に思考が止まる。それは想像もしていなかった。
「そちらの。エリクシアの言っていたことは概ね正しいわ。だけどね私が一番恐怖していたのはあなた。下水道から逃げ延びた後のこと、完全に消したはずが記憶が残っているとはね。私はあなたを襲いそして返り討ちに遭ったのよ。あなたの中に居る恐ろしい何か、王のような風格の力。それが、もし私たち化物の敵となったなら。そう考えると震えが止まらない」
僕の中にある。きっとそれは化物の王。竜種の魂。いまだ卵のままの竜。そしてエリクシアが倒した親竜の魂。それを感じ取ったとでも言うのだろうか。
僕だって殺されかけた時のことをよく覚えている。しかし、今や僕がその恐怖そのものとはパッとしない。
「なるほど。君は見たんだね。ヴィニートルの中身を」
「ええ。力そしてその精神、化物の味方となるなら良い。だが簡単に人の方へと転じかねない。乾ききった空の器。理由があれば世界すらも壊す危うい男」
「ヴィニートルはそうはならないさ」
人の事を散々な良いようだ。誰がそんなに邪悪なものか。
「フューメンが死んでしまったのは残念だけれど。それでどうするの。私を斬って捨ててみる」
「僕の事を散々言っていたのはこの際良いとして。僕は君を助けたいと思っているんだ。フューメンさんの事はエリクシアには申し訳ないが、殺したのは勇者だ。そのここに来る前に人を殺したところも僕は見ていない。それなら、これ以上人を襲わないと誓ってくれるなら。僕は君を守ろう。依頼ではなく君の友人としてだ」
苦虫を噛みしめたように顔を歪ませる。
「クッ……分かったわ」
「良かった。エリクシアも良いかい」
「ああ。ヴィニートルに任せるさ。真相を暴いたのは君だからね。元より私はフューメンに託されている」
「それじゃあ先に進もう」
少し釈然としないまま。きっとエミリシーの中では、思うところがあるのだろう。僕だってそうだ。勇者がいなければフューメンが死ななかっただろう。だが吸血犬が襲わなければともおもうのだ。それでも進もうとした。
「そこに居るのは誰だ」
僕らはランタンの強い明かりに照らされた。




