2章 英雄の卵16
「家の私兵に聞いたところだと、普段は野犬が出てくるのが精々なんだけれどね。今はこの辺り一帯が閉鎖されているの何でかわかる。ここには今、化物が住んでいるの。あなたが行っていた吸血鬼とは別のね」
「そうですか」
呆れてものも言えないというのはこんな状態を指すのだろう。
雇われている僕は断るわけにもいかないだろうけれど。そうでなくとも領主の娘であるこの人に意見できるわけもないが。
「守るのにも限度があるからね。間違っても化物の前に飛び出さないでくださいよ」
「分かってるわよ。馬鹿じゃないんだから」
どうだか。彼女は化物を狩猟用の翼を傷つけた鳥か何かと勘違いしているとしか思えない。獣だって時には人に牙を剥く
あるいは僕の実力をそれほどまでに評価しているのか。
なににせよ、正体不明の化物なんて質が悪い。
まだ吸血鬼を相手にしろと言われる方が気が楽だ。それならフューメンからいくつか弱点を既に聞いている。その正体不明が矢が効かない化物だったら尻尾を巻いて逃げ出すはめになるだろう。
「それやめにしないかしら。さっき髪を結っている時は、もっと砕けた口調だったじゃない。よそよそしくて嫌いだし、わざとらしくて嫌いだわ」
「なるほど僕は嫌われていたから、使い走りにされていた訳ね」
「それは違うわ。あなたを紹介して貰ったのは元々絵の為だもの」
「なるほど、僕はまんまと衛兵に乗せられてしまったと」
「別にうそはついてないわ。私が絵を描く間の護衛。実を言うと初めからその予定だったのだけれどね」
「うわあ。ひどい嘘だ。絶対に、衛兵達は真剣に護衛を選んだって言うのに」
護衛なんだか、被写体なんだか。領主様に話を聞くつもりが、これではお嬢様の子守だ。子守と言っても、僕の方が年下だろうけれど、なんだかな。
「ほら、気をつけて。山道ほどじゃないけれど、この森だって足下に気をつけなきゃ危険だ。足を取られて顔をぶつけるぐらいなら笑えるけれど。化物に追われて転けたなんて、つまずいた石を破壊しにしなければいけなくなる」
こうも間抜けな声を出されては張り合う気にもなれない。変わり者だろうと、領主の娘には変わりない。これが終わったら彼女にお願いでもして貰う事にしよう。
「して、お嬢様、一体どんな目的でこの森林に。薬草や果実、キノコ。確かに領主が管理するだこの価値がある森みたいだけれど、その化物が壊してしまえば台無しだ。僕としてはさっさと退治しておけと言いたいところだけれど、どうせ戦うなら森の外までおびき出した方が良かったんじゃないのかい」
さては、この盛りに手頃な化物がでるという話だけ聞いて、なにも考えていないな。
「お嬢様」
「私の名前はシャルーン。お嬢様じゃないわ」
お嬢様ではあるだろう。絵を描くためだけに衛兵に手紙を出す人が、君以外に居るものか。他に居たなら頭がおかしいと取り押さえられる事だろう。
「そんな事を言ったって君は領主も娘じゃないか」
「そうよ。この森にやってこれているのも私が偉いから。絵を描いてていられるのもわたしが偉いから。ヴィニーを呼び出せたのも私が偉いから。従っている理由だってそうでしょう。偉い私がやめろと言っているのだから、直ぐにやめれば良いのよ」
「はあ、分かったよシャルーン。頼むから迷子になってくれるなよ。1人残された僕は、どんな顔をしてディマニウォールから逃げ出すべきか決めかねてしまうから」
「ハイハイ。それよりもこの森でしょう。多少暴れたぐらいでなんともならないわよ。木が倒れようと大地が剔られようとね。まあ森の木よりも巨大な化物の中の化物に暴れられたら困ってしまうけれど」
どこまでが真実だか。山々の巨大樹とは違う、低木の森だ。恐ろしさいよりも心地よい。エリクシアが暴れたら容易く崩壊しそうだ。
「ドラゴンとかかい」
「あるいは古の巨人とか。案外気が合うじゃない」
そんなのが出てきたら僕は1人でも逃げ出さなきゃならないだろうね。
「シャルーンはどうして絵を。僕からしてみれば全く分からない世界のことでね。絵の具を使った鮮やかな絵を見たのは初めてのことだったよ」
「私が絵を愛しているから。それ以外に理由が必要で」
それは。何というか。
「分かった。もう少しちゃんと説明するわ」
「頼むよ、シャルーン」
素直を頼むと、直ぐに気を良くする。高慢ではあるが、こう素直なところがどうにも見捨てがたい。
「ご存じの通り私たちの一族は、代々このディマニウォールを治めているのだけれど。そうね、わたしの兄なんかは今も、古くさくカビの匂いがする部屋でそのための勉強をしているところでしょう。勉強と言っても今頃は補佐官の者達とお酒でも飲みながら談義をしているところだろうけれど」
土地を治めるか。僕には全く縁遠い話だ。もしあの村で老いて朽ちるまで暮らしていたとしても、村長になることなどあり得ないだろう。
「それじゃあ。シャルーンのそれも勉強の一環」
「初めはね。けど今は違う。王宮に飾られていた一枚の絵。感動は。あなたにも見せたいぐらい。私はあれを見たときに確信したの。この絵を超える作品を書くために生まれて来たんだって。芸術家としてね」
芸術。確かに彼女の部屋にあった絵は、とても上手で。僕なんかじゃ何年経っても描けないだろう。それこそ芸の極致がなせる技術。
そんな彼女が魂を奪われた作品。どんな絵なのだろうか。
あるいはその絵に描かれていたのが、エロくて強く顔の良い青年だったのだろうか。それが箱ものと戦っていたのかも。例えばゴブリンとか?それとも竜?
うん、我ながらどう考えても駄作かな。
「へー。それじゃあ。そのために僕のような人を探していたのかい」
絵のことは分からないけれど、村長のつまらない話よりは。ごく稀に村にやって来た、旅の詩人や語り部の英雄譚の方がずっと良い。絵だって机の上の果物よりは、森の木々からもぎ取られた瞬間の方がよほど美しいということか。
「まさか、一朝一夕で描けたら私は世界一の天才でしょうね。これはその練習みたいなもの。色々試してみないとね」
大した人だよ。人と化物が戦っている所を直接描くだなんて、正気じゃない。
「何、自分が最高の絵の題材になれると思った。あなたも悪くないけれど、ちょっと青年というよりは少年顔すぎるのよね。もっと屈強でたくましく、エロティックじゃなきゃ。年と実力が足りないわ。それこそドラゴンでも打ち倒せるぐらいにね」
とても失礼な事を言われた気がする
年を重ねていないのも事実だが。
そんな英雄は物語の中にしか居やしない。何せあの勇者ですら、どれ1つもみたしていないだろうから。
「そんな人はどこにも居ないよ。大体、君だって僕とたいして変わらないだろうに」
僕の知る限りその条件に最も近い人はエリクシアだろう。絵のモデルとしては間違いない。その絵なら僕も少し欲しい。
「私は良いのよ。天才美少女画家なんて名乗った方が、普通の画家より箔が付くもの。ちょっと馬鹿っぽいけれど」
「ああそう。素質はあるんじゃないかな。シャルーンなら」
その肩書きは出来上がる絵と一体どんな関係があるのだろうか。
「だからねヴィニー。そんな私にでるとして選ばれたことを感謝すると良いわ」
実際ありがたいとも。君がいなければ領主の屋敷に忍び込まなければならなかったかもしれないからね。
「シャルーンは凄くて偉いな。ありがとう」
「真面目に聞きなさいよ」
本当に凄いと思っているよ。僕と違ってとても前向きだ。
それはそれとして。嗅ぎ慣れた獣の匂い。
強者が故か。子の化物は狩りの腕はおざなりらしい。
「くるよ。向こうから僕たちを見つけてくれたみたいだ」
僕たちの倍以上もある巨躯。頭部の角は鋭利で、周囲の木々を切りつける。あの複雑な形の角で突かれれば、人などたちまちバラバラになってしまうだろう。
「ひい。何よあの図体。効いてきたよりもずっと恐ろしい」
「突っ立っていないで逃げるか絵を描くか何かしたら」
頭部を禍々しい外骨格覆われた大鹿が、僕たちの前に姿を現したのだった。
良いね。賛否感想お持ちしております。
読み終わったら、星マークの評価をよろしくお願いします。何卒。




