2章 英雄の卵15
領主の娘。シャルーン・ディマニの噂話など、気の利いた事前知識があれば、彼女と実際に会話した感想なんかを言えたかもしれない。
残念ながら僕はこの街に来たばかりで。街の酒場で情報を集めるなんて暇もなかった訳だが。
まあ想像で話すことは出来る。
金の髪に整った顔。令嬢あるいはお姫様?いいや、きっと彼女は姿を見せることなんてあまりないだろう。少し話しただけで分かった。彼女の中には1つ明確な熱意がある。絵画という炎を熱く滾らせている。きっとそんな人の事をこう呼ぶんだ。
芸術家と。
「お嬢様」
「何、ヴィニートル」
「その恰好は何ですか」
「良いでしょうこれ。町一番の仕立屋に作って貰ったドレスよ。羊のものよりもずっと薄くてね。舞踏会で着るようなものよりも動きやすいの。今の季節だと少し寒いけれど、今日はとっても良い天気だから」
確かに可愛らしい服だ。装飾がちりばめられながら、少しの風でたなびくほど軽やか。金と白が風と陽光に照らされている。ショールを上から着ていなければ、肌すら透けそうで、清浄の中に僅か妖艶さすら感じる。僕は今まで見たこともないぐらい華やかだ。
レーシャ、エリクシアや、サキュバスの2人など。様々綺麗な女性を見てきたと思ったけれど、これはまた種類が違う。
エリクシアの病のようなまでの神秘的な白さともまた違う。透き通るような白い肌。振り返ると陽光に煌めく金の長い髪。大きな目と自信にあふれた笑顔。少し小柄なのがまた可愛らしい。それでいて、重い絵を持ち運ぶための筋肉がつき健康的だ。町の外周に暮らすあの姉弟や僕の村人達と違い肉付きがよく、かと言って肥え太った体でもない。
一度だけ見たことがある、軍の騎士に近い体格だ。同じ貴族だからなのだろうか。
貴族にだって、彼女のような人はそうは居まい。なにせ僕が一瞬見惚れるぐらいなのだから。
「どうしたの。私の体に見惚れちゃって。良いのよ、もっとまじまじと見ても。あなたは高貴な血を見たことがないでしょう。私たちはこの地を蒔かされてから新参者ではあるけれど、代々ユマノに使えている。長い歴史の中で、知恵も武も美も磨いてきたわ。あなたでも、そう見れるものでは」
血か。そんな事考えたこともなかった。ただ子を成すのではなく、選ばれ脈々と受け継がれてきた歴史。大層価値があるものなのだろう。
ただ。それとこれとは話が別だ。
「いえ、そうではなく。今すぐ絵を描いていた時の服に戻してください」
「どうしてよ。これすっごく高かったのよ。あなたの見窄らしい服なんかよりもよっぽど。出来ればもっと豪華絢爛名服装が良かったわ、あなたの幼顔でも絵になるもの」
「今から森の中に入るんだぞ、草原にピクニックとかじゃないんだから、そんな恰好で歩けるわけがないだろうが」
「ちぇ。分かったわ。待ってなさい。ぎゃふんと言わせてやるんだから」
戻ってきた彼女は絵の具が張り付いた、羊毛のローブとケープ。狩りには心許ないが、この前森で出会った姉弟、カリカの服装とあまり変わらない。
吸血鬼が居る森に入るにはあまりに危険だと言ったら、街の裏門方面に領主が直接管理する森があるそうだ。森と言っても薬草や果樹などが生やされた管理された森らしく。周囲の森とは川だの街道だので物理的に距離がある地形らしい。
獣は状況によって生息地を変えるもの。だからなんだというのが狩人の意見なのだけれど、化物狩りを決行するという決意は揺らがないみたいだった。
吸血鬼が居る居ないにかかわらず、化物を見世物にしようだなんて気が進まない。
「お嬢様、失礼するよ」
床に転がっていた、何かのリボンを拾い上げる。彼女の髪を三つ編みにして1つにまとめ上げる。よく姉の、レーシャの髪もこうしていた。
これなら髪が邪魔になることはないだろう。
「あら、案外器用ね」
早々拙いが。気に入ってくれたらしい。
僕たちの姿を写す銀の板にはしっかりと金の髪が映り込んでいる。銀に輝いているが、ただの金属の板とは違う。何かと聞けば鏡だと言う。
確かに鏡というものは見たことがある。村長が儀式の際に持ち出していた。だがそれはもっと小さく重く濁っていて同じものには思えなかった。
「全く。あなたじゃなければ今頃首が飛んでいるところよ。不相応な言動、言葉遣い、そして私に直接触れようだなんて」
「そう思うなら、使用人にでもやらせれば良い」
「生憎、私専属の使用人は全て解雇してしまったの。それでもこの家には何人も人が仕えているけれどね」
「何でまた」
「いくら貴族と言っても顔料は高いの。宝石や希少な植物なんかお金をいくら積んだって手に入らないものだってある。例えばそれあなたが持ってきたその石、それだけで3はくだらないわ」
3……一体いくらなんだ。銅貨3枚といえば市民は1日分の食事に匹敵する金額だが。まさか銀貨3枚。恐ろしい。何と無駄なお金の使い方なんだ。このの部屋のものを売り飛ばせば村の1つや2つ救える野田はなかろうか。
「前から気になっていたのだけれど。その手の痣はなに」
僕の右手を指さして尋ねる。
僕が竜と混ざったあの日僕の右手には竜の鱗のような痣が焼き付いた。手の平にあったはずのそれは何時の間にか大きく広がり。僕の手を覆う程になっている。
手袋をして隠していたものの、弓を扱うときはどうしても感覚が鈍ってしまう。鎧を纏った射手のようには上手く行かなかった。
「何というか。何だろうね鱗なのかな」
黒く変色したそれは、以前よりも頑丈でしなやかで、自分の肌ではないようだった。まるで獣のように。竜と混ざったことで体が変質しているのだろう。もし全身がこんな痣に覆われたら、少し嫌だと思った。
竜のような、固くボコボコとした鱗のようなそれからは思考を逸らして。
「変なの。それじゃあ行きましょう。あなたの英雄的な活躍を見に」
僕はそんなたいした人物じゃないのにと、心の中でひとりごちた。




