1章 運命の卵2
ドラゴン。空を自在に飛び、その巨体は人を簡単に押しつぶす。怪物達の王とも呼ばれその存在は、数多の伝説に語られる。数多の英雄を打ち倒し、数多の英雄に打ち倒されてきた、僕たち人の敵。
そしてきっと、僕を終えるものだ。
「これは驚いたな。なるほど。分かりたかったような、知りたくなかったような。ここらの動物が丸っきり居なくなってしまったのは、ドラゴンのせい、なのかな。ある意味、僕はここにおびき寄せられてしまったわけだ。クソ、どうかしてるな」
逃げ出したのか、食われたのか。
どこかの偉い学者が言うには、食物連鎖とか、生態系とかいうものが自然にはあるらしい。
森にはバランスが存在していて、それが大きく崩れ、どこか欠けてしまうと、全てがダメになってしまう。バランスはあらゆる動物と植物が相互に補完していていて、まるで関係が無いように見えても、患部から腐り落ちてしまう。森1つが生き物のように、総体を監視しているかのように、生き物は勝手にバランスを保ち、天秤が傾きすぎてしまう前に、もう片方の重しを減らしてしまう。
だからきっとこのドラゴンは、天秤をクルリと逆さにしまったのだろう。ペロリと平らげられてしまったのだ。この森の上皿は気がつかないうちに、上下反転、平らになってしまった。両方の皿に、この一体が足をつけてバランスが取れているかのように見えてしまった。
「ドラゴンの腹に収まるのは、飢え死ぬよりは英雄的だね。全くもってついてない」
死を感じたからだろうか。思考がグルグルと、饒舌な詩人のように。自分が自分ではなくなっていく。興奮していく。頭がが闘争へ最適な状態へと。今なら外す気がしない。
なら後は弓を引くだけだ。
弓に矢をつがえる。ただの矢でドラゴンを殺せるものか。僕の中の冷静な部分が、諦めろと訴えかけてくる。
けれど、どうせ死ぬなら戦って死にたい。ゴミのように、誰にも覚えられずに消えてなくなるのでなく。何かを残して死にたい。最も強大な獲物に僕の爪痕を残したい。僕の弓はドラゴンの喉元まで届くぞと。
心臓が冷めていく。高ぶる鼓動がゆっくりと止まっていく。一矢だけだ。息を吐き出して、肩が下がり、弓を引く。
竜はただ。虫か何かを見つけたように、苛立たしそうに静かに動き始める。僕を殺す為に開けた瞼に向けて、手を離す。放たれた矢は寸分違わず瞳に向かい。
ヘクチッ。
地面に落ちた。
間抜けな咆哮。
咆哮なんかじゃない。顔を少し上げて、口を開きつまりわずかに息を吸った後、一息に吐き出される。つまりはただのくしゃみだ。闘争ですらない所作によって、僕の最後の矢は勢いを失い落とされた。枯葉のようにひらひらと、最後にコツンと地面に落ちる
僕にはそれを驚く暇も与えられなかった。視界の外から弧を描いて振り回された尾にとばされ宙を飛んでいる。ドラゴンを通り越して。巣の奥へと惨めに伏した。
ゆっくりと命が失われるのを感じる。僕の人生とはこんなものか。
絶望が、体に満ちる前。かすれた視界の中。それを見つけた。
それは小さく、石ころのようだったが異質。自然の祭壇に収められたそれは、とても自然物とは思えない。僕は見たこともないが、カッティングの施された綺麗な宝石のようだった。
無意識にそれを拾い上げる。
手の中にあったそれを見る。
「これは」
石の内から、ドラゴンと同じ恐怖を感じる。幼いどころか、それはまだ生まれても居なかったが、これは確かにドラゴンだと。理解させられた。
本能でこの変哲の無い石を己の敵と認めていた。
このドラゴンは、子育てのために、針山に滞在していたのだ。それが僕が、僕と村が死ぬ理由だった。
「やっと見つけたよ。ありゃ。私が一番乗りじゃないのか。けど、同業者には見えないし。まだ考えているだろう、大人しくしておけよ」
僕がやって来た入り口の辺りに目をやると、そこには人間の女がいた。
「逃げろ」
そう言葉にしたはずだったが。もう僕の口は音を発しない。目を開いているだけでも精一杯だった。だが、その必要もあるまい。竜を見たら一目散に逃げ出す、竜から逃げられるはずもないが、彼女には幸運にも、僕という身代わりがある。
だが僕の願いは叶わず。女は真っ直ぐに、堂々とドラゴンに相対した。
よく見るとその女はどこかおかしい。行動のことではない。白く長い髪をたなびかせ、雪のような姿は、人でありながら化物のようだった。初めは、モンストルム。怪物共の国にくらすという化物、亜人かと思った。その姿はあまりに白く、奇妙だったが人にしか見えない。そして何よりうつくしかった。
女は剣を振り回し。容易くドラゴンの腕を切り裂く。僕には何をやっているのかも分からなかったけれど、杖を振れば爆発が起こり、竜を地に伏す。僕にはそれがとても美しく見えた。
まさしく英雄。ドラゴンを打ち倒す姿は墓場に持って行くには十分すぎる。
「随分動きが鈍いな。坊やが、傷を負わせた様子も無いし」
ドラゴンの動きは鈍く、何より痛々しい。竜とは空を飛び、火を吐く生き物だ。竜とは空を支配し、全てを焼き尽くす怪物だ。それを人と足をつけて戦うなど。何かがおかしい。英雄を称える壁画ですら、ここまで酷い絵にはしないだろう。
「僕を守っているのか。いや、そうか卵を」
僕が持つ卵。ドラゴンにとってそれはそれは大切なのだろう。何せ子供のことだ。レイトルにとってのレーシャのように。命にも代えがたい物なのだ。そう考えると、ドラゴンのくせに随分と人間らしい。
僕がレーシャやレイトルのことを家族のように愛しているのと同じように。このドラゴンは、この卵を愛している。
なら僕がやるべきなのは今すぐこの卵を砕くことだ。
握りつぶすことだ。
無残に、残酷に。ゴミクズのように。
人としての義務、邪悪、人類の敵、怪物。即ち化物の内でも最強種。竜を仕留める。きっとこの女の人は、僕がいなくたって成し遂げる。けど。僕は僕の出来る事をやり遂げる。
命の終わりを感じる中、己の全身全霊を賭けて。最大の握力で岩肌に打ち付ける。
だが無駄だった。
何度も何度も叩き付ける。
手の平が熱くなり。己の体が分からなくなっても。それは決して砕けなかった。
ただ僕は見ていることしかできない。
無力を呪った。
何も出来ない僕なんて、置き去りに。女とドラゴンの戦いは一方的だった。戦いにおいては素人な僕にだって分かる。ドラゴンに勝ちはなく、女は一方的に痛めつけている。
何より、女は笑っていた。
ドラゴン急にに動きを止める。諦めてしまったのか、もう何も残っていないのか。女はその首を断とうと近寄るがそれを竜は見ていない。竜は振り返りゆっくりと歩く。そして僕に向かって首をしなだれた。
まばゆい光を浴び。目を開けたときには、そこには既に竜の姿はなく。僕の手の中に卵のみを残していた。
「これは困ったことになったな。まったく、幸運で不運な坊やだ」
僕は今度こそ、瞼を閉じた。
良いね。賛否感想お持ちしております。
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