2章 英雄の卵5
一晩宿をフューメンに借りた後、家を出た僕たちは、身なりを整えることにした。なにせ僕は旅装束どころか、まともな衣服も持っていない。エリクシアに貰ったローブはそのまま使うとしても、焼け焦げた衣服は全て取り替えてしまった。
必要なのはそれだけではない。
町には武具を専門で扱う店がある。それだけ兵士や傭兵、化物退治という役割は必要とされている。今なら人殺しもそうだが。
村では雑貨と一緒くたになっていたり、必要なものは自分で用意したりしたものだけれど、今位置から弓を作っている暇なんてない。もちろん鋼を打つ技もない。手っ取り早く武器が手に入るのはありがたかった。
適当な剣鉈や短剣。そして何より弓矢が今の僕には必要だ。
僕は狩人。
僕の得物は弓だ。標的が勇者だって変わらない。
「これはダメだな」
しかし、あまり良い弓が見つからない。
家と共に焼け落ちた弓は、僕が使うための弓だったバランスも、長さもあれが僕には一番良かった。
だが、似たような弓はどれを持ってもおさまりが悪い。それはきっと弓の問題ではなかった。僕の膂力が、竜に近づいている。以前の感覚で使うと、弓の方が耐えられないのである。
「悪いね、エリクシア。お金を出して貰って」
「良いの良いの。どうせフューメンのものだしね。けど本当にそんなので良いの?」
「ああこれが良い」
見窄らしい短弓だ。武具店の奥で埃を被っていた、汚らしい弓。
これから使う道具に対して、辛辣な評価ではあるけれど、全く、一体何を使っているのか。常人では引けないほど強い弓だ。誰も手に取らないのもよくわかる。以前の僕だったらきっとこの武器は使わない。
狩りに使うには少々小さすぎる。大きい弓のほうが持ち運ぶのは面倒だけれど、もっと強い矢を放てるからだ。きっとこの弓は閉所での利用を想定されている。砦の守りや、建物の中。戦争のための弓だ。それも、人と人の戦争の。
作ったは良いが、使い手がいなくて埃を被っていたと言うことなのだろう。
「ほらこれなら僕の膂力の変化にも耐えられる強い弓だし。前の弓と違ってこうやって前を向いたまま撃ったり出来る」
長弓を引くには体を横に開いて矢を引かなければならない。だがこの弓なら正面でも放つことが出来る。単純に距離の問題だ。
矢が小さい分、安定性と威力が落ちるが、曲芸打ちには向いている。
ここは1つ実演して見せよう。
矢筒から3本引き抜いて順番に的に放つ
的までの距離は10歩ないぐらい。相手が剣士ならこちらに来るまで2秒はかかるだろう。試すには丁度よい。
素早さを重視し。上半身のみの小さな動きで。
矢は全て中心近くを捕らえ。半ばまで貫通した。
「お見事」
「実戦では相手も動いているし。位置もこれほど明らかじゃない。ただのパフォーマンスさ。これだけ的を見ておく時間があれば誰でも出来るよ」
それに。この距離では多くて3人までしか相手を出来ないという意味でもある。もし勇者達4人に襲いかかられれば、僕では絶対に勝てない。
仇を討つ事はできない。
「そんな険しい顔をしていてはダメだ。もっと気楽で良い。君の人生を楽しまないと損さ」
「気をつけるよ」
「本当かい。私はねヴィニートルに何か負担を追わせようとは思っていないよ。ただ君を守らせて欲しいんだ」
「それじゃあ僕の気が収まらないさ」
僕が今望んでいるのはそんな事ではない。エリクシアが無事にモンストルムに戻ることだ。今はそれを叶えたい。
僕を捨てて国に帰れなんて、絶対に納得しないだろうけれど。
僕が勇者に殺されれば、なんて。きっと意味がないな。
「勇者が追ってくるかも確実じゃない。私たちを見失っている可能性だってある。追って来たとしてもたどり着くのはもっと先さ。足跡を追うなんてことは簡単に出来やしない。奴らは周辺の町なんかを幾つも探らなきゃならないんだから」
本当はそうは思っていない。エリクシアはずっと何かを警戒するように森を歩いていた。化物ではない、それは勇者を気にしての事だ。勇者がやってくるのは明日かもしれない。今日かもしれない。それは分からないけれど、近いうちに必ず、まみえる事になる。
「何なら、今から酒でも飲みに行こうか。君の村にはなかった強い酒が町なら手に入るんだ。今ユマノでは精霊酒というのが流行っているらしくてね。精霊もおかしくなるお酒なんだとか。私たちにぴった……」
「エリクシア。大丈夫。僕は大丈夫だよ。今は自分が出来る事を。僕がやりたいと思うことをやりたいんだ」
「うん。分かっているとも。それじゃあ。また後でね」
ひとしきり装備を調えた後、僕はエリクシアと別れて行動することにした。
僕たちはどうにかして、フューメンの心を溶かす必要がある。
エリクシアも色々と試みて見るみたいだけれど、その間ずっと駆け回るだろう彼女を、後ろからついて回るだけというのはとてもつらい。
だから、少し1人で動きたい気分だった。
当てなんて全くなかったけれど、エリクシアの役に立ちたかった。僕に残された部分はそれだけな気がしたから。
「なあ、あんた。昨日、町に入ってきた子供だろう」
「ええっと。どちら様」
そんな折に1人の男が声をかけてきた。
くすんだ板金鎧に凹みはなく。戦いなら例ない事がうかがえる。帯剣こそしているがさえない男だ。おそらくこの町、ディニマウォールの衛兵だろう。
よく肥えた腹が物珍しい。衛兵だというのになんとだらしない。まあ 富裕層達も似たようなものだが。これが裕福の特権というヤツだろうか。
両手は硬く、剣士の手をしている。見た目だけで判断してはいけない。きっと彼だって立派な衛兵なのだ。
「昨日、不気味な女と一緒に入ってきただろう。上から見ていたぜ」
彼が指さす先。どうやら城壁の上に彼はいたらしい。城壁の上は外にせり出し返し構造になっていて。遠くまで見渡せることだろう。
幸い。道なき道から出てきたところを見られてはいなさそうだった。
城壁の門を商人以外でよそ者が出入りすることなどないだろう。覚えられているのは不思議じゃなかった。僕もエリクシアも、白いローブのまま。かなり目立つ恰好をしている。
黒焦げた服から着替え、ローブの下はマシになったが、外から見ればあまり変わるまい。
「本人の居るところでは言わない方が利口だと思うよ」
いきなり斬りかかるような蛮族ではないが、エリクシアも人と言うことなのだろう。フューメンの家では刀傷沙汰になるところだった。
ライブラだって怒るのである。
不気味がそれに該当するかは分からないけれど。容姿を貶されることは、彼女にとって逆鱗だろうから。
「本当はあの女に頼もうと思っていたが。その得物、歩き方、狩人に似ている。あんたでも良い。弓の腕を見込んで頼みがあるんだがどうだ、報酬ははずむぜ」
僕たちにあまり寄り道をしている暇はない。勇者がやってくる前に僕たちはここを抜け出さなければならない。
その方法は今から考えるけれど。
「そう顔をしかめるなよ。金以外でも少しは融通が利くからさ。来れでも俺は衛兵で名それなりに偉いんだぜ」
そんな事を言ったって、勇者と共に戦ってくれるわけでも、フューメンを説得してくれるわけでもない。子供と分かりながら声をかける彼には胡散臭いという冠が一番似合う。
僕が協力する理由なんて
……それじゃあダメか。
それでは何のために1人で動くことにしたのか分からなくなってしまう。
「もう少しわかりにくい、嘘をついてよ。本当に偉いんだったら、こんなところを散歩しているものか。偉い人と言うのはふんぞり返っているから偉いんだよ」
「それは随分な偏見だ。おじさんは涙が出るね。俺は上と下の間でいつも板挟みって。おい、待てよ。俺は本当に」
「いや、依頼は受けるよ。だからあれ、奢ってよ」
この依頼を了承した。条件付きではあるけれど。
「おいおい、普通奢るのは飯か酒までだろう。どこにクソ高そうな矢筒だの矢だのを奢らせるヤツが。店主の前で俺を指さすな。分かった、払う払うから」
良いね。賛否感想お持ちしております。
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