2章 英雄の卵1
ウンザリするほどの険しい森と、化物達をくぐり抜けた。どれほど歩いただろう。実際には短い間の旅だったけれどとても長く感じた。と言うのも水の用意も食料もない。一度、川で休んだ以外は寝ずに進み続けた。僕は疲労で限界近かったからだ。
ライブラは睡眠が無くとも、長く活動できるらしい。少なくともエリクシアはそうだ。
僕も生前と比べれば、別に死んじゃいないが。竜なんかと混ざるまでは、こんな事できっこない。これで変化途中と言うのだから驚きだ。
思えば化物にも昼夜、見境無しに襲ってくる奴らも居た気がする。
何にせよ、必須では無いと言うだけで気は滅入る。
特に僕は慣れの問題なのか、変異が完了していないからか、理屈は何も知らないが疲労は既に限界だった。
ひしひしと、僕の体が異形となっている事を。化物となっていることを感じつつ。そんな事を深く感じている暇もあまりない。
森と言うよりも山を越えて。最後の峠に差しかかったころ、平原と灰色の城郭が姿を見せたのだった。
「ねえ、はあ。エリクシア。あの町が目的地ということで良いんだよね」
「ああ、ようやくだね。大丈夫だと分かっていても追われる旅は気分が悪い。2人居るからには楽しく行きたいね。馬にでも跨がって、話をしながらさ」
どうやら、エリクシアがユマノにやって来た道は使う事が出来ないらしい。
勇者から逃げるにはモンストルム国内に入ってしまうことが有効に思える。そのためにはまずこの町に向かう必要があるらしかった。
「期待に添えず申し訳ないけど、僕は寝不足で気持ち悪いよ」
「そりゃ失礼。けどもう少しだ。頑張ってくれよ」
エリクシアにこそ言わないが、暗闇の山中を得物も無しに進むのはなかなか心細い。星も太陽もろくに見えない場所を進むというのはとても危険だ。遭難した村人の話を何度も聞いた。
エリクシアは自信満々だけれど、実は同じ場所をグルグルと回っているのではないかと、気が気では無かった。
「本当にたどり着けた。良かった」
聞こえないようにつぶやいたはずが僕の言葉に反応する。
「あれ。言ってなかったっけ。ライブラによって差があるけれど、人と比べると方向感覚も鋭いんだよ。森の中だって大体あそこらへんだったかなってさ」
何だそれは。心配をして損をした。
それを初めに言っていてくれたら。僕の気力ももう少しマシだったかもしれない。
ため息が漏れる。
一緒に内臓が漏れ出しそうだ。
「ところでエリクシア。いや、こんな事は聞きたくないのだけれど、この町には入ることが出来るのかい。ただでさえ僕たちはお尋ね者なんだろう。こんな城壁がある町、忍び込こめるとは思わないんだけど」
「忍び込む?いや、私たちは正面から堂々と入るさ。まあ賄賂が必要かもしれないけどね」
賄賂って。ユマノの金を一体どこから手に入れたのだろう。そういえば村の酒場でも飲み食いしていたような。
「僕たちは領主の許可証を持っていないんだよ。もし賄賂で中に入れたとしてもどうやって外に出るのさ。せめて僕の村から商人か村長の使者ととして来たのなら穏便に出られたかもしれないけど」
僕の暮らしていた村なんかは、稀に流れ着いた人が住み着く事がある。もちろん10年ぐらいは厳しい目で見られるけれど、問題を起こさなければ追い出されることもない。
労働力が不足していて、死ぬときは死ぬ。そんな村だからこそ、来る者は一旦拒まずというスタンスだった。
親を失った僕だって、一応は食べ物を貰ったりした事もある。
良くは思われてなかったけれど。
だが、ここみたいな城壁のある町はそうはいかない。余所の町からやって来る者など、大抵は問題を抱えているからだ。
犯罪抑止のためにか、中に入るのがまず難しい。知り合いを訪ねたり、商人であっても、無条件とはいかないとか。
町に入るためには、信頼の証明か金が必要だろう。
それに中に入ったら最後、なかなか外に出ることが出来ない。
労働力を外に逃がすわけには行かないとかで、許可が無ければ壁を越えられず。食料や水を持ち出すことなど以ての外。仮に逃げ出せたとしても、物資が無ければ遠くへは行けないだろう。
「まあ、まあ。任せておきなよ。けど、なるべく話さないようにしていてくれると助かるな。わたしのローブを握りしめる感じで肩をすぼめて、なるべく子供らしくね」
随分と自信にあふれている。全く根拠が感じられない。
近づくと、その壁の大きさに圧倒される。村では想像も付かない。高くそして分厚い。壁の上から、物見櫓のように弓を携えた兵士が見える。怪物かどこかの軍か。近づいた側からあれで射るのだろう。
それにしても立派な壁だ。煮えた油など逆に空中で飛び散ってしまいそうだ。
「やあ。私だけど、開けて貰えないかな」
巨大な城門の隣に馬車が通れるか怪しいぐらいの勝手口がある。、鉄格子が下ろされ、誰かに止められるまでもなく、通過することが出来ないようになっていた。
エリクシアは鉄格子の前にぶら下がる縄を引く。遠くでベルの鳴る音を聞き、尊大に語ってみせた。
奥から町の兵らしき男が1人慌ててやってくる。
「あんた誰だ。見たところ子連れのようだがこの町じゃ見たことねえな」
エリクシアは風防を被りその特徴的な長い髪を隠している。それでもローブの袖から見える白い腕だけで、吸血鬼と間違われても不思議じゃない。
一体どうやって通り抜けるつもりなのだろうか。
「確かに君は知らないけれど、フューメンに会いに来たんだ。旧知の仲でね。彼が年若く剣を振っていた頃からの付き合いだ」
「確かに、フューメンさんは学者だって言うのにスゲえ強えって話だが」
「まさかあいつ、まだ剣を振ってるのか。そりゃ驚きだ。生涯現役って事なのかな。相当な年齢なはずだけれど」
「ふん。嘘ではなさそうだが、俺も仕事だ、ここを通すわけにはいかないね。ここ最近は戦争の影響が強くてね。無法者がとにかく多い」
「私たちがそのように見えると。そうだな君の上官を連れてきてくれれば分かるかも」
「ああ、腰のそいつが無けりゃ通せたかも知れないがな」
どうやらローブに隠れたエリクシアの剣に気がついていたみたいだ。相当な業物だろう。ここで差し出して、返して貰える保証も、通して貰える確信もない。手放せるとは思えない。
「本当にそうかい」
そう言って、エリクシアは指輪を1つ外して鉄格子の向こうへと手を出す。
その美しい手には他にも様々な貴金属が見える。よく見ると鍛錬の痕跡が見えるが、戦士や野党の手には見えない。どちらかと言えば村にやってくる商人の物に近かった。
「後ろのガキに関しては聞かないでおいてやるよ。通んな」
僕たちは荷馬車を避けて別の入り口へと通され、無事に町の中にはいることが出来たのだった。
「まさか本当に中には入れるとは」
「だから言っただろう。任せておけと」
エリクシアにこの町に知り合いが居たとは。モンストルムの人間なのに僕よりも顔が広い。僕はあの村を出たことすら無かったと言うのに。
「けど良かったの、あの指輪渡しちゃって」
「おいおい、この国だってほんのの20年前まではブツブツ交換の方が多かったんだぜ、硬貨よりも価値が高いし持ち運びも楽だからね。困ったときには重宝するよ」
「そうじゃなくて、あんな高そうな品、賄賂にはもったいないんじゃない。宝石も付いていたし、もしかして魔法の品だったんじゃ」
「まさか。そんな大層な物じゃないよ。ほら言っただろうブツブツ交換が多いと。ライブラの依頼の報酬を用意出来ないと言う人は意外に多いのさ。その代わりに指輪とかをくれるんだけど、無造作に骸に入れておく訳にもいかないだろう。無くしてしまいそうだし。傷が付いたら大変だ」
それなら良いけれど。
「それに、今頃彼は、私のことを高貴な方とでも思っているんじゃないかな。この国では宝石を幾つも身につけている商人なんてなかなか居ないでしょう。高位な方が通せと言っているんだ、少し怪しくたって通さざるおえないとも」
「おい、そんな事大声で話す奴があるか」
僕たちが今さっき出てきた扉がガチャリと開く。
ほら。いわんこっちゃない。
「そうだ2人さん」
「なんですか」
思わず答えた僕の声は裏返っていた。
「ようこそディニマウォールへ」
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