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 やがて山道は、切り立った崖ぞいを通る一本の細道になる。ずっと谷底の暗がりでゴウゴウ水音が聞えてくる。このゲームでは落下ダメージは事実上ほぼない仕様だとわかっていても、その高さに目がくらむ。いちど落ちてみて崖下がどうなっているか、確かめてみようなどという好奇心はこれっぽっちも湧かない。雨はまだ降りしきっている。空は少しずつ明るくなってきているけど、見えるのは灰色の雲だけ。

「着きましたよ」

 先頭をゆくシーマが、動きを止めて振りかえった。おそろしく古い石組の橋が一本、渓谷をまたいでいる。その細い橋を向こうに渡りきったところに、「ウデの洞窟」の入口が待っていた。

 洞窟というから、何か自然にできた洞穴のようなのを想像していたのだけど。予想外に、正面の岩壁を彫りぬいて作った巨大な両開きの扉のような構造物があり(おそろしく巨大な扉だ。凝った文様のレリーフがびっしりと表面を埋めている)、その半分が、こちら側にむけて開いている。中は暗くて見えないが―― でも、何か、坑道とかそういう、人間が掘ってつくった構造物のようだ。

「えっと。今からあそこに入る、わけよね?」

 橋を渡る手前のところで、わかりきった質問を、つい、投げてしまった。シーマも自分で言っていたけど、見るからに陰気くさいその暗い穴に、これから入っていくことを想像するのはあまり気分の良いものではない。

「ええ。まあでも、中は真っ暗というわけではありません。足元が見える程度には、明かりがありますよ」

 シーマが、その場の空気をなごませるみたいにニコッときれいに笑ってみせた。

「ほぉ。そんな凝った作りになってるの」

「ええ。ここはもちろん洞窟ですけど、避難路というか。緊急のための、非常通路みたいなものです。それなりにつくりはしっかりしています」

「あの、すいません、ここに入る前に、ちょっといいですか?」

 リリアがシーマにたずねた。

「はい。なんでしょう?」

「あの、ここから先に進む前に、いったん私、ログアウトをしたいのですが。少し、その―― 用事というか。リアル世界で、短時間ですけど、やることがあったりもしますので――」

「ああ、そうね。それ、わたしも忘れるところだった」

 わたしも思わずうなずいだ。ゲームに没入するあまり、リアル世界の時間のことをちょっぴり忘れてしまっていた。

「そう言われたら、わたしもちょっと、ログアウトしたいな。たぶん、時間的に、そろそろ延長料金払いますかって、ダイブカフェのヒトが訊いてくる時間だと思う」

 そう言ってわたしは、特にシーマの返事を待たずに―― もうすでにユーティリティーウィンドウをオープンにして、選択肢一覧を指で上方向にスライドさせ、その一番下の―― 「ログアウト」の項目を―― 

 って、あれ?

「なんで? ホワイト表示?」

 わたしは思わず声に出した。

 ログアウトの選択肢が―― なぜか、無効化されてる。選べない。 

「ああ、ごめんなさい。ちゃんと説明、してなかったですね」

 シーマが重さを感じさせない浮遊モーションでわたしの正面に移動してきて、申し訳なさそうに右手で頭をかいた。

「ここでは―― つまり、この島では、ということですが。ログアウトは、基本的にできないですよ」

「できない?」「え? それは、どういう――」

 わたしとリリアは絶句した。その次の言葉が、なかなか浮かんでこない。

「仕様、というのでしょうか。ゲームシステム上の制約、というのかな。いったん島から出ない限り、ログアウトの選択はできません。また逆に、外からここに直接ログインしてくることも、それも無理な仕様になっています」

「げげっ!」「そんな、まさか――」

「ちょっと! 冗談じゃないわよ!」

 わたしは全力で抗議する。その、自分の目の前に空中浮遊してる、その端正きわまりないお人形ビジュアルのシーマに向かって。

「じゃ、食事とか、トイレとかって、どうすればいいのよ! それに、ダイブカフェの利用時間や料金だってあるし――」

「えっと。そうですね―― でも、じっさい、」

 シーマが言いにくそうに、視線を下に下げた。それからまた、顔を上げた。何か少し申し訳なさそうに、ぱっちりした青の瞳でこっちを見つめる。

「でも。食事やトイレは、特には問題にならないかと思います」

「問題にならない?」「えっと。それは、どういうこと、ですか…?」

「実際おふたりは、いま、空腹でしょうか? トイレに行きたいですか?」

「えっと。それは――」

 わたしは口ごもる。じっさいのところ、今のこの時点では、特に空腹感もない。喉のかわきもない。トイレも特には―― 行きたくない。

「ね? 大丈夫でしょう?」

「で、でも! それは今、たまたまそうなだけであって――」

「たぶん、そういう生理現象は、ここでは起らないと思いますよ。お二人が島にいる間には。」

「何よそれ? 意味がよくわからないけれど?」

「理由はたしか―― 何か特殊な時間の処理が、ここでは使われていると聞きました」

「時間処理??」

 ますます意味がわからない。この子はいったい、何を言っているの?

「島に来てから、時刻表示がされなくなったことに、お二人はお気づきですか?」 

 シーマは言った。それから少し移動して、古い石橋の欄干の上にふわりと着地した。

「時間の流れが、ここでは違っています。おそらく、お二人のもといたリアル世界の一分間が、ここでは、えっと、何日だったかな。たぶん三日とか、それくらい。ビジターの方は、たぶんそれくらいの時間です。ですから、ここに10日、滞在したとしても―― もとのリアル世界では、ただ数分が経過したに過ぎない、ということになります」

「まさか。そんな技術、あるわけないじゃん!」

「でもまあ、現にいま、ここで運用されていますからね… まあとにかく、ひとまずトイレとか、空腹のことは、ここにいる間は忘れてください。特に問題ないですから。前にも外からビジターの方が来たけれど、その時も問題ありませんでした」

「で、でも。ログアウトできないのは、わたし、こまります!」

 リリアが必死で食い下がる。

「だいたい、いつ島を出られるかも、まだわからないでしょう。このままずっと、ログアウトできずにいたら――」

 言葉を一瞬とめて、それからリリアが、ハッと顔を上げた。リリアの端正な金の瞳が、とつぜん大きく見開かれた。

「あの。シーマさん、」

「はい。何でしょうか?」

「もし、もしもの話ですけど―― あくまで仮定の――」

「はい。どのような仮定でしょう?」

「この、今のログアウトできない状態で―― もしも、この島でダメージを受けて、HPがゼロになった場合――」

「あ! それってなんか、ヤバそうじゃん!」

 わたしも瞬時に理解した。

 離脱が不可能な、このフィールド。ここで、でも、強制離脱とも言っていい、ゲーム内の「死」を迎えたキャラクター。それはいったい、どうなってしまうのだろうか。なんだか嫌な予感が、むくむく心に広がっていく。


「そうですね―― それは僕にも、わかりません」


 シーマがあっさりそう言った。わかりません、と。

「ちょ、ちょっと。あんたそれ、ちょっと無責任すぎない??」

「ごめんなさい。でも、実際知らないんです。ここにはあまり、リアル世界のプレイヤーのヒトが来ること自体も多くありませんし。そして、やってきたプレイヤーの方が、この島の中で亡くなったという話も、僕はここまで聞いたことがありません。ですから。」

「あ、でもでも。ほらあれ。さっき浜で、戦闘で。あんたの仲間、ふたりほど、斬られてたでしょう。キャラビジュアルが消滅するとこ、わたしも見た。」

「ああ。リッフルタールとヴァーシ、ですね」

 シーマが視線を下げて、少しつらそうな表情をつくる。

「ふたりは本当に、残念でした。僕にもう少し、力があれば――」

「あの二人はどうなったの? HPゼロで―― リアル世界に、ちゃんと二人は戻れたの?」

「…いいえ。」

「ええッ!?」「も、戻れてないんですか??」

「えっと。そもそも、あれです。二人はとくに、今のリアル世界にいたわけでは、もともと、なかったわけですから。戻る場所が―― そもそも、ありません」

「…それって何?? ふたりはNPCだったってこと?」

「いえ―― 説明はちょっと、むずかしい、ですけど。二人にとっては、ここから消滅することは―― 彼らにとっては「死」そのもの、だったと思います。どこかきっと、次の世界に。行ったのだとは、思うのだけど――」

「えっと。冗談、よね? 死とか??」

「…いえ。僕もそれが、冗談であればと。どれだけそれを望んでも足りないところですが」

 シーマが言った。ひとことひとことに、なんだか妙な重みがある。まだ雨の降り続く明け方の空を見上げ、彼はしばらく、青の瞳を高い場所に固定していた。

「すいません。いまはまだ、僕にはうまく、説明できない部分です。また後ほど、誰かもっと説明のうまい誰かに、直接きいてもらえるとありがたいです」

 シーマが両目を閉じて笑顔の表情をつくる。でもそれは、本当に笑っている感じではなく―― どこかとても、悲しい、寂しい印象のあるきれいな笑顔だった。なんだかちょっと、心に響いた。心のどこか、深いところに。

「僕はただ、今おふたりを、ここより安全なウトマの街まで。この洞窟経由でお連れすると。そこまでの役割しか、今はちょっと、できませんね。本当にごめんなさい」

 シーマが洞窟へと続く橋の欄干を軽く蹴り、橋の中央、ちょうどわたしの顔の高さくらいの位置まで移動した。そこからこちらを振りかえり、静かな声でこう言った。

「では、お二人がよければ、そろそろ行きましょうか。僕が責任を持って、ここから先、お二人を安全なところまでご案内します」



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