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「ふぅ。準備運動にもならなかったわね。ま、でも、レベル70手前の雑魚なら、こんなもん、か」
ドレスのスカートの泥を払って、彼女がつまらなそうにコメントした。
足元には、HP0表示で動きを止めた兵士たちが四体。夜の島に降る小雨の中でしばらくそこに横たわっていたが、しばらくすると虹色のビジュアルエフェクトとともに、無音で消失した。あとには何も残らない。
「あんたたちも、ちょっぴり危なかったわね。まあその、おっそろしく低いレベルでここまで来ちゃってるその準備不足も、悪いと言えば悪いんだけどね」
武闘家少女が、わたしの方に向きなおった。口元が、やっぱり今も笑っている。その、ちょっぴり含み笑いは、どうやらその子のデフォルトのフェイスビジュアルのようだ。こうして近くで対面すると、背丈はわたしより、わずかに高い。サラサラの金色の髪は、のばすときっと美しいのだろうと思う。けど、少女は大胆に大ざっぱに、その綺麗な髪を首くらいの長さでばっさりカットしている。女の子的なかわいさアピールよりも、実戦重視、戦闘向きの髪型、ということだろうか。無造作な前髪の下にのぞく小麦色の眉は細くて長く、どこか挑戦的な弓型を描いている。その下の瞳は、深い黄金、あるいは光り輝くブラウン、だろうか。
今ではふりしきる夜の雨となったその闇のフィールドで。少女のその目で見つめられたとき、腰から背中、背中から首、そしてアタマのてっぺんまで、なにか電気が突き抜けるような衝撃を受けた、と思う。一瞬のことだったけど。そこにはなにか、わからないけど、おそろしく綺麗な何かが見えた、気がした。時間が止まり、空間が揺らいだ、気がする。あくまで感覚的なイメージだけど――
「ふうん。なるほど。入島許可の招待IDは、二人とも、ちゃんと持ってるわけね」
ヤンカ・ヤンカを名のるその少女武闘家が、わたしとリリアが目の前の空間にオープン表示にしたその招待IDに目を通し、それから、自分自身のウィンドウを操作して、そこの何かとしばらく照会していた。おそらく、正規の入島IDの一覧のようなものに、アクセスできる立場にいるのだろう、とわたしは想像する。
「あの、ひとつ質問、いいですか?」
さっきから言葉も出てこないわたしにかわって、リリアが、ためらいがちに声をかけた。
「ん? 何?」
「HP表示と、レベル表示、です」
「それが何?」
「あの。表示がないのは、なぜ、ですか? あなたはNPC、なんですか?」
「ああ、表示ね。表示。それについては、ちょっぴり説明がめんどくさいんだけど――」
ヤンカ・ヤンカが、頭をかきながら何度か小さくうなずいた。
「まあ、シンプルに言うと。この島の住人仕様、よね。」
「しよう?」
「そ。キャラ仕様。あるいは、キャラクターシステムと言い換えてもいい。ここでは、特にHPとかレベルは、あえては表示しない。ふだんは特に戦闘とかもないから、HPとかを気にする必要もないしね。今夜はたまたま、なんだか荒れてるけど――」
「えっと。じゃ、あなたはやっぱり、プレイヤー、なんですか?」
「そうよ、って言っても、まあ、完全嘘にはならないわよね」
「…はい?」
「NPCだと、こういう適当な口のきき方、しないでしょう? もうちょっとちゃんとした演出がかった、エピソードに沿ったセリフを吐くよね。だいたいは。」
「ええ、それは。」
「まあだから、人間よ。この見た目は。ヤンカ・ヤンカは、あくまでゲーム上の仮の姿であって、ほんとはもっと、違った見た目。本名も別。だからNPCではない。まあでも、単なるプレイヤーかって言われると。それもちょっぴり不正確、かな」
「と言うと?」
「ん~。こういう、島のシステムの説明は、あたし、するようには言われてないのよ。あたしは単なるお気楽バトルマスターで、「島守り」って言って、ここの島を守る用心棒、的な立ち位置だしね。だからそういう、解説役は、やってない。やりたくもない。だいたい、うまく説明できないしね。あたしあんまり、ヒトと話すの、得意な方でもない」
リリアとその子が、雨の中で立ち話しているのを、少しはなれた位置から立ち聞きしていて―― わたしは―― その彼女のしゃべりに、何か引っかかるものを感じていたのは確かだ。何か、このヒトは、ちょっと普通じゃない。その何か―― 何が引っかかるのか。そこのところが、どうしても、まだ自分にはよくわからない。
「あの、ヤンカさん、危ないところをありがとうございました」
男の子の声がした。わたしはハッとふりかえる。
雨の中に人形が立っている。
立っている、というのは、でも、正確じゃないかもしれない。
浮遊している。足先と地面との間に40センチほどの距離があるのだ。
ふわっとした銀色の髪は、夜の雨の中でもボリューム感のある髪。耳が隠れるくらいの長さで短くカットしているので、なんだか中性的な印象がある。目はパッチリ大きくて瞳の色は青。薄めの青だ。消えかかった夜の月、のようなイメージ。見る角度によっては、少しシルバーに近いかもしれない。目鼻はひどく整っていて、睫毛が長めだ。パッと見ただけでは男の子か女の子かの判断がつきにくい。着ている服も中性的だ。白のレース飾りがついた上品な紺色系のカーディガンに、ほぼ同じ色のゆったりとした、フリルのついた膝丈までの―― あれは何かな、一見スカートにも見えるし、でもよく見るとハーフパンツっぽい。あまりリアル世界では見ない感じのコスチューム。
「お。シーマ君じゃない。あんたは無事だったってわけね?」
リリアとの話を中断し、ヤンカがそちらを振り向いた。
「はい。けっこう、危なかったです。でも―― リッフルタールとヴァーシがやられました」
「…そっか。それはお気の毒。ん、悪かったね。あたしももうちょっと、早く来れると良かったんだけど――」
「いえ。ヤンカさんは悪くありません。じっさい僕も、もうダメかと一瞬思ったときもあったんですが―― そちらのヒトが―― ちょっぴり助けてくれました」
その人形の子が、急にこっちに視線を向けた。いきなり話をふられて、私は一瞬とまどった。
「あの、ありがとうございます。あそこで魔法でブロックして下さらなかったら、たぶん、あそこで僕もダメだったと思います」
礼儀正しく、人形がこちらに頭を下げた。僕という言葉づかいと、その声のトーンから、たぶんその子は男の子キャラなのだろう、と私は見当をつけた。
Seema Einlogue
アタマの上のステータス表示にはその文字列が出ている。
読み方は―― シーマ、エインローグ? それともアインローグ…?
なんとなく名前のセンス的に日本人っぽくない。たぶん外国のプレイヤーだろうな、と想像する。まあでも、このゲームは世界46か国語に対応したリアルタイム通訳がシステムに入っているから、特に会話に困ることもない。
「ま、いろいろ話はあるとは思うけど。今はでも、移動だね。移動移動」
ヤンカが無造作に両手で自分の髪をバサッと後ろに流した。髪についていた水滴が、小さなしぶきになって後ろに飛んだ。
「ラダー村、タイーデ村あたりからイソルダの浜にかけては戦闘がまだ続いている。私はこれからそっちにヘルプに行かなきゃならない」
ヤンカが闇の向こうに、厳しく鋭い視線を飛ばした。
「さっき、遠目ですけど、ラダー村が燃えているのは僕のところからも見えましたよ」
人形が、いっさいの音も重さも感じさせずにランカの肩の高さまで浮上し静止、ランカとならんで闇の向こうに視線を向けた。
「ねえシーマ君、」
「はい?」
「君は今から、この人たちを先導して、ウデの洞窟まで行きなさい」
「え。ウデの洞窟。」
シーマと呼ばれた人形が、青い瞳をランカに向けた。
「あそこ、僕、好きじゃないんですよね。なんか、陰気くさくて。」
「バカね。洞窟なんだから、陰気なのは当たり前よ。でも今は非常時だから。今はここで君の好みを、細かくどうこう聞くときではない」
「あぁ。まあ、そうですね。すいませんでした」
「洞窟までの道中、安全は確保されている。そこにはもう、グマ兵はいない。ここに来るまでに、私がぜんぶやっつけたから」
「さすがですね、ヤンカさん」
「ん。でも、ここから下の海側、ラダー、タイーデからイソルデの浜―― さらにそこからシュメーネ川の河口にかけては、今は通行はムリよ。戦闘地域だからね。だからそこを避けて、ここの谷伝いに山側へ。ウデの洞窟経由でヒョルデ渓谷方面に移動を。できたらウトマまで戻りなさい。あそこは守りは固いから100%安全」
「了解しました」
「じゃ、あたしは行く。この二人を、ちゃんとそこまで案内してあげてね」
ヤンカが、右手をのばして、手のひらで人形の背中の部分を二、三度軽く叩いた。
「じゃ、そういうわけだから。ここからは、こっちのシーマ君が案内する」
彼女はそう言ってわたしとリリアの方をふりむいた。
「あんたたちも、ここであっさり死にたくなければ、おとなしくこの子の先導に従って。戦闘は、たぶんあと数時間もすれば終息するとは思うけど。でもまあ非常事態はまだしばらく続く、って感じ。だからビジター二人は、おとなしく『島守り』の指示に従っておく方が賢明ね」
「しまもり?」
言葉がよくわからなくて、わたしは復唱した。
「そ、島守り。ま、用心棒みたいなもんね。あたしみたいなのが、他にもあと二十人ほど島にいる。まあでも細かい説明は今は抜き。この子に―― 彼、この島の住民のシーマ・アインローグ君。彼、見た目は華奢だけど、けっこうしっかりしてるから大丈夫」
「え。僕ってそんな見た目、華奢ですか?」
「いいから。そこ、シーマ君は反応しない。二人に、話をしてるのよ私」
「あ、ごめんなさい」
「とにかく。二人は彼にしたがって、工房都市ウトマまで避難を。じゃ、自分はもう行くわ」
そう言って、はやくも彼女は雨ふりしきる夜の斜面を駆け下り始めた。
「あ、ちょっと待って!」
わたしは思わず呼び止める。
「何? まだ何かある?」
斜面の途中で、ヤンカがこっちをふりかえる。笑いをたたえた口元が、さっきより心なしか真剣だ。
「あ、いえ。その――」
「何?」
「あの。どこかで前に、会ったり、しましたか?」
わたしは思わず訊いてしまう。
「ん。どうかな。どこかで会ったり、したのかな?」
ランカが小さく首をかしげ、わずかに目を細めた。
「まあでも。今はあまり、あなたと話してる時間ない。あとでゆっくり話しましょう。明日とか、ま、時間あるなら明後日とか」
「あ、ちょっと、待――」
わたしの声は、もう彼女には届かない。
ランカは身をひるがえし、ステップを踏んで風のように走り出す。
ザッ、ザッ、ザッ… 夜の茂みの草を踏むヤンカの足音が、次第次第に遠ざかり、まもなくもう聞えなくなった。
視界左下にちらっと出ているインフォ・ウィンドウの時刻を確認すると、そこには見なれない文字化けした変な記号が表示されていた。バグだろうか。周囲はまだ夜のように暗い。雨の降りしきるひたすらに暗い茂みの下を、その、シーマっていう人形の子の後に続いてわたしとリリアは歩く。人形の彼は、歩くというよりも浮遊したまま空間をすべる感じで進んでいる。まだよくわからないけど、でも動きの印象としては、低い高度は飛べるけど本当の鳥みたいに高い高度を飛ぶのはムリ… っていう程度のムーブメント設定らしい。この子に限らず、このゲームだとモンスターとかでこういうタイプの動き方をするキャラクターはそれほど珍しくはない。
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けっこうな距離をもうすでに歩いたと思うけれど、足の疲れは特に感じない。ゲームの中ではかなりの運動をしてもリアルな感覚としてはそれほどのこともない。わたしの本体は、今も実際にはトウキョウ・神田坂のダイブカフェのブースの中にいるだけだから。
「ねえ、君、シーマ君、だったよね?」
わたしは人形の背中に声を投げた。
「はい。シーマですが。何か?」
動きを止めて、人形の彼が、ちらりとこちらを振りかえる。
「あ、別に止まらなくてもいいから。進んで。移動しながら話をしよう」
「あ、はい。では、進みます」
シーマはそう言って、再び移動をはじめた。暗い夜明け前の木立をすすむ彼の姿は、なんだかちょっと、ビジュアル的に綺麗すぎることもあってか、なんだかちょっとこの世のものじゃない、異界の綺麗な魂みたいに見える。陶器のような肌の白さが、暗さの中で浮き立っている。
「あなたって、プレイヤー? それともNPC?」
「えっと、その、エヌピーシーって何です?」
「NPC? ああ、えっとつまり、プレイヤーが操作してない、ゲームの中のキャラクターね。あらかじめ組まれたアクションプログラムに沿って、決められた通りの言動しかしない、ってやつ。作り物の、ゲーム内ロボット的なキャラクター」
「ああ、なるほど。そういうことでしたら―― 僕はたぶん、その、エヌピーシーではないですね」
「たぶん?」
「えっと。でも正確に言えば、プレイヤーというのでもないのです。僕はとくに、ログアウトとかすることはなく、ずっとここにいますから」
「え。それってつまり、運営のヒト、ってこと?」
「ウンエイ? その言葉もちょっと、わからないですね…」
シーマがちょっぴり困惑した声を返した。でも、特にこちらを振り向くことはない。それほど早くもないスピードで、無音で暗がりの中を前へと移動している。
「じゃ、でも、人間は人間なんですね? 機械とか、プログラムではなく?」
わたしの左で、リリアがコメントした。リリアはさっきからずっとひたすら無言で歩いていたので、久しぶりに声を聞いた。
「はい。僕は人間ですよ。機械とかじゃありません」
「でも、どうして人形ビジュアル? なぜ、普通のプレイヤーキャラではないのですか?」
リリアがまた訪ねた。道幅がぐっと狭くなり、二人横に並ぶのはムリになったので彼女は今、わたしの前を歩く形になっている。わたしたちの両側は、雨にぬれた岩肌が続く。岩山と岩山の間に、細い道が一本、ゆるやかに登りながらずっと先まで続いている。
「ここでは、僕だけでなく、島の誰もがこのビジュアルですよ。基本的に、ここは人形の島なんです。人形たちが、ここで暮らしている」
そんな答えが、シーマの方から返ってきた。
「人形の――」「島…」
「でもなにか、それはリソースの関係だと、聞いたことがありますね」
「リソース?」
わたしとリリアが同時に同じ質問を口にした。
「はい。情報量、というのでしょうか? グラフィックやムーブメントのために使用される情報の量が、リアルな人間フォルムだと、けっこう大きいのだそうです。そのサイズを縮めて人形のフォルムにすると、必要な情報量が数十分の一におさまるとか。何かそういう話でしたね。この島で使えるリソースが限られているので。便宜上、島民のデザインとしては、このグラフィックスが最適だと判断した、とか。たしかそういうお話でした」
「ほぉ」「なるほど――」
「でも、僕も特に専門家ではありませんので。前に、ちらっと、何か別の話題のついでに聞いただけです。あまり正確な説明ではないかもしれないので。その程度のものとして聞いてくださいね。」
「聞いたって、でもそれ、誰に聞いたの?」
わたしはちょっぴり訊いてみる。
「フォー様です」
「フォー?」
「はい。この島の北の尾根の聖所にいらっしゃる、偉い人です。その人が、ここの島のいろいろなものを作り、こういう僕の見た目のシェイプとかも、全部最初から作ってくれました」
「ふうん。じゃ、運営のヒト、なんだね。きっとそれは」
「ウンエイ?」
「つまりゲームの管理者。ゲーム会社のヒト」
「うーん。どうかなぁ。フォー様は、その、あまり会社とかとは、関係がない方なように思うのですが」
「関係ない?」
「えっと。まあでも、わかりません。僕もそれほど、フォー様について詳しいわけではないので」
「ん。そっかそっか、」
「もしよければ、また後ほど、ヤンカ・ヤンカさんに訊いたら、もう少しいろいろ、説明してくれると思いますよ。あのひと僕よりも、フォー様と会う回数が多いから」
「そっかそっか。あれ? でも、あのヒト―― さっきのヤンカって人は、人間ビジュアルだったよね? なんであのヒトは、島の住人なのに人形ビジュアルじゃなかったの?」
「僕も、よくはわからないです。でも、例外的に、戦闘を担当する『島守り』の人たちだけは、みなさんビジュアルはあんな感じですよ」
「ほぉ?」
「たぶん、僕みたいな人形ビジュアルは、あまり戦闘向きではない、ということかもしれませんね」
シーマはそう言って、くるりと反転、わたしとリリアの方を向いた。
「関節もちょっぴりギクシャクしてますし。あまり機敏に複雑な動作もできないし」
シーマは右手の肘をまげたりのばしたり、そのあと右の膝を曲げ伸ばしする動作をして見せた。わたしから見ると、それはそこそこスムーズで、それほどギクシャクしているようには見えなかったけれど――
「うーん。まあ、言われたらちょっぴりそんな気もしてきたけど――」
「あ、見て下さい。だいぶ、空、明るくなってきましたよ」
そう言ってシーマが、どこか上方向に視線を向けた。
美形だ、しかし。綺麗な顔。
その端正な人形の彼が、その角度で上への視線をつくると、まるで何か天界から降る光の到来を待ちわびる地上に降りた小さな天使のようにも見えてくる。
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